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夏休み 四章 海水浴とそれぞれの夢

025 神崎さんとの新婚夫婦みたいなやりとり

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 遅めの昼食を終え、もうひと泳ぎして海水浴を楽しんだ後、俺たちは夕日を眺めながら帰宅の準備を始めた。水平線に潜り込もうとするオレンジに輝く夕日は、不思議といつもより大きく見える。水面に乱反射するきらめく夕方のビーチは、ため息が漏れるほど美しかった。

「夕日……きれいだね。」

 目を少し細めながら夕日を眺める神崎さんの隣で、俺はその光に照らされる彼女の横顔を眺めた。

 色々と複雑な思いはあるけれど――やはり神崎さんと、一緒にその綺麗な夕日を眺められたことは、純粋に嬉しいと思える出来事だった。


 須磨海岸から帰りの電車では、海で泳いだ心地よい疲労が眠気を誘った。

「――眠い」

 電車がレールの継ぎ目を通過する、がたんごとんと揺れる音が子守歌にも聞こえる。海岸線を走る電車に揺られうとうとしていると、「……雪くん」と俺の名を呼ぶ、甘美な夢のような美しい声が聞こえてきた。

「雪くん……。おきて?」

「……うぅん。」

 声に導かれるようにゆっくりと目を開くと、俺の目の前には神崎さんの可愛らしい顔があった。驚くほどまつ毛が長く、つぶらな瞳を細めて微笑んでいる。

 ――あぁ、俺は死んだのか。

 思わずここが天国だと見間違うほどに、目の前の神崎さんは天使だった。先ほど見た美しい夕日が霞んでしまうほどに、このままずっと眺めていた光景だ。

「電車ついたよ? 起きてー。」

「もう少し……このままでいいですか……」

「駄目だよー。おきないとー! もうー! おきろー!」

 神崎さんは小さな両手で俺の腕をひしっと掴み、ゆさゆさと揺り動かす。

――何、この新婚夫婦みたいなやりとり。幸せ過ぎてやばい、脳から幸せ物質が溢れ出てる。

 眠気なんてとっくに吹っ飛んでいるが、俺はこの状況をもう少し楽しみたかった。しかし、内ももに走る激しい痛みで俺はとび跳ねるように起きた。

「――っいっつ!?」

 姉貴が俺の内ももの肉を、ちぎれる勢いでつねったのだ。

「ほら、こうしたらすぐ起きるんだ。次から寝てる人を起こしたいときはこうすればいい。」

「なるほど~」

 神崎さんは純粋な眼差しで、姉貴の言葉に感嘆の声をあげた。

「っいや、駄目だよ! 神崎さん――この人の言うことを真に受けちゃいけない。君だけは決して極悪非道の道に行ってはいけない。」

「おいこら――、誰が極悪非道だ?」

 俺は姉貴に首根っこを掴まれ、そのまま電車から降ろされた。公共の場で首根っこ掴むのほんとやめてほしい。これが極悪非道でないというのならば、何というのだっ!
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