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一学期 五章 学期末の長い一日

044 告白の返事

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 不安と期待の入り混じったような表情のちろるに、俺はできる限り平静さを装いつつ、静かに彼女の名前を呼んだ。

「なぁ、ちろる」
「……はい。」

「俺はさ……、ちろるの事が好きだよ」
「……っえ? ……うそっ」

 ちろるは、単純明快なその言葉の意味を捉えかねているように見えた。目を丸くして驚いたまま固まっているが、構わず俺は思っている事をそのまま全てぶつける。

「いや、……本当だよ。俺はちろるが一途に思ってくれることも、頑張り屋さんなところも、色んな人に気を遣えるところも、普段の何気ない会話をするのも……好きだ」

 きっと、この気持ちには何も偽りはない。俺の心から純粋に溢れる気持ちだ。

「……私も、先輩のこと……全部好きです……」

 彼女のその短い言葉は、俺の長い言葉なんかよりも、いっそう大きな慈愛に満ちていた。その言葉に、思わず俺は涙腺が緩みそうになった。それでも……俺は伝えるべきことを、全て言葉として紡ぐことに意識を集中させる。

「うん。……だけど、ちろるが言う通り、さっき会った神崎さんって子が、俺は今までずっと好きだったんだよ」
「……。やっぱり……そうです……よね」

 ちろるはその言葉を聞いて、表情に影を落とした。そうなる事は分かっていたが、俺は今までの自分の気持ちを、はっきりと言うべきだから……。だって……、俺は……、ちろるの事を……。

「それでも……、俺は……ちろるとの未来を選びたいと思うんだ……。ちろるに悲しい顔をしないで、ずっと傍で笑っていてほしい。だから……俺と付き合ってください」

 俺は言葉を振り絞るように、最後まではっきりと伝えた。この時、ちろるは俺の告白を、一体どんな表情で受けとっていたのだろうか。そして自分は、一体どんな表情でその言葉を紡いだのか……全く見当がつかなかった。

「……ほんと……ですか?」
「ああ」

 俺はようやく、ちろるの顔をしっかりと見据えた。彼女の目は、大粒の涙で潤んでいた。

「本当に、いいん……ですか?」
「本当だよ」

 彼女は震える声で、何度も確認の言葉を繰り返した。それに、俺はできるだけ力強い声で答えようと思った。

「私……、付き合ったら……面倒かもしれませんよ……? めっちゃ……嫉妬するかもしれませんよ?」
「大丈夫だよ」

「どうしよう……。夢?」
「夢じゃない」

「あれ……、涙が止まらない……です。」
「……俺の胸の中で泣けよ」

「ちょっと……きざっぽいです。」
「今のは……恥ずかしいな。多分あとで……後悔するわ」

「そうですね……。ちょっと恥ずかしいですけど、でも……カッコよかったですから、少しの間だけ甘えさせてもらいます」

 そう言うと、ちろるは俺の身体にきゅっとしがみ付いて、胸に頭を寄せてきた。それを受け入れるように、俺は彼女の背中に腕をまわして、頭をそっと撫でてやる。

「やばい……です……。」
「どうした?」

「幸せ過ぎて……死んじゃうかも。」
「お前が死んだら俺が困る。」

「ふふ……そうですね。せっかく付き合えたのに、絶対死にたくなんかありません。」
「そうだな。」

 しばらくの間、俺とちろるは無言で抱き合っていた。道のど真ん中で抱き合うという、かなり恥ずかしい事をしていたが、この時の俺はそんな考えが全く頭に過らなかった。

 これでよかったんだ……という安堵に似た気持ちが湧いてきた。この結末は、誰が見たって何も間違っていない。誰もが報われて、そして……笑顔でいられるハッピーエンドなのだから。

 しかし、そんな俺の頭を過った苦悩から解放されたような安堵感は、次のちろるの言動で、驚くべき勢いで吹っ飛んでいった。

「ふぅ……。満足です」

 ちろるの身体が、きゅっと固く強張った気がした。そしてちろるは突然、俺の胸をとんと押して少し距離をとった。

「もう……私は大丈夫なので、っじゃあ……、別れましょうか」
「……えっ?」

 思わぬちろるの行動に俺は驚いたが、それよりも、ちろるの言葉の意味が全くもってわからなかった。

 いや、ちょっと待って……理解が追いつかない……。いや、全く理解ができない。

 呆然とした表情の俺に、ちろるは先ほど自身が放った言葉の真意を教えてくれた。

「うん……。やっぱり先輩は……、あの神崎さんって子がすっごく好きなんですね。それは多分……、私が先輩を好きなのと、同じくらいなのかもしれません」

「……何言ってんだよ。それは確かに……今まではそうだったんだけど……。でも、俺はちろるを選ぶって……。だって……、それが……」

 心臓が不規則に脈打つ度に、俺の胸には裂けそうな痛みが走った。力なく震えている強張った自分の声が、頭の中に情けなく響いた。 

 ……俺は今、何を口走ろうとした? 

 口にはしなかったものの、「それが……」の後に続く俺の頭に過った言葉は……

――正しい という言葉だった。

「駄目ですよ……。女の子と付き合う時は……、男の子はもっと心から幸せそうな笑顔じゃないと。先輩、私に告白してる時……どんな顔してたか覚えていますか?」

「……。」

 俺はどんな顔でちろるに告白していたのだろうか。ちろるの言葉に、自分の胸がちくりと痛んだ。

「だけどっ、俺がちろるの事を好きだって気持ちに嘘はないし、本当にちろるを選びたいと思うから告白したんだ」

「はい……、ありがとうございます。もちろん、先輩の言葉に嘘はないと思いますし、さっきの告白も、私は死んじゃいそうなほど嬉しかったんですよ」

「……っ! だったら……!」

「でも……、先輩が私の悲しそうな顔を見たくないのと同じで、私だって先輩には辛そうな顔をしてほしくないんです。笑顔で……、幸せそうにしていてほしいんです」

「……俺は、辛い顔なんて……してない」

 俺はちろるが好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。誰よりもこの世で一番、ちろるの事が、好き……なんだ。

「そうだ……。俺はちろるが一番好きなんだ……。ちろると付き合って、毎日一緒に手を繋いで帰って、土日は部活で忙しいかもしれないけど、それでも休みの日は、二人で色んな所をデートして……」

 辛そうな顔って、何でだよ……。俺がちろるを好きだって気持ちに嘘はない。これで両想いで結ばれてハッピーエンドのはずだろう。何でこうなるんだ。

「雪先輩……。」

 ちろるはどこか憐れむような声音で、俺の名前を呼んだ。しかし、俺はちろるの顔を見ることができないまま、ただ言葉だけを続けた。

「学年が違うから……、学校内では一緒に過ごせる時間は少ないかもしれないけど、昼休みは一年の教室まで迎えに行くから……、食堂や中庭で一緒にお昼を食べよう。絶対浮気なんかしないし、何を犠牲にしてもお前を一番に優先させる」

「うん……ありがとうございます……」

 ちろるは、今にも壊れそうな笑顔で微笑んだ。駄目だ……。何でそんな悲しそうな笑顔をするんだよ。やめてくれ。俺の言葉には、嘘なんか一つも……。

「でも……、そんな自分に言い聞かせるような事……言わなくていいんです」

「……っ!」

 彼女のその言葉に、俺は心の奥にある誰にも触れられたくない部分を、鋭く尖ったもので刺されたような感覚が走った。その痛みに顔をしかめながらも、俺は必死で言葉を紡いだ。

「……ちがうっ! 俺の本心だ。本当にそうしたいって思ってる!」

 ただひたすら懇願するような俺の声に、ちろるは両目からぽろぽろと大粒の涙を流した。それは間違いなく、嬉しさではなく、悲しさや切なさといった感情から溢れ出る涙であった。

「……ごめんなさいっ。私が……悪いんです……。私が取り乱しちゃったからっ……先輩を焦らせて……。本当に……すみません……」

 涙を零しながら謝る彼女に対し、俺は何も声をかけることはできず、ただ黙って見つめるしかなかった。

 ちろるは頬を伝う涙を袖で拭い、そしてしばらく心臓のあたりをぎゅっと手でおさえてから、意を決したように俺の顔をしっかりと見据えた。

「……でも、雪ちゃん先輩が……私の事を、ちゃんと見てくれてるとわかって……安心しました。だから……もう大丈夫なんです」

「さっきから……、何言ってんだよ」

 俺の気持ちは伝わらなかったのか……。いや、そもそも……伝わるだけの想いを、まだ俺が持ち合わせてなかったのか……。

「さっきは……私が……先輩の眼中にも入ってないんじゃないかって……。焦ってしまって……本当にすみませんでしたっ……!」

 そう言って、ちろるは深々と頭を下げた。

 やめてくれ……お前が謝る事なんて何一つないんだから。

「私と……付き合うかどうかは……、まだ決めなくていいです。もっと……ゆっくり考えてください」

 ちろるはもう目に涙を浮かべてはいなかった。そしてその声にも、力強さが徐々に戻り始めているのを感じた。

「先輩の事だから、色々難しく悩んでると思うんですけど……、何が正しいかとかじゃなくて……、先輩の後悔がないように……もう少し頑張って、納得のできる答えを探してください」

「それで……お前は……いいのかよ」
「……はい。」

 優しく微笑むちろるに対して、俺はどんな顔を向ければいいかわからず下を向いた。

「俺はっ……、ちろるの事を……ちゃんと好きだ」
「私も……ちゃんと嬉しいですよ。でも……神崎さんの事も、それと同じか……それ以上に好きなんですよね?」

「……。」

 何で黙るんだよ。ちろるを選ぶって心に決めたはずなのに、それが正しい選択のはずなのに……。

「それでいいんですよ。本当に好きになった人のことは、そんな簡単に心の中からどこかへ行っちゃったりしないですから……。」

「そんなの……、わからないだろ」

「いえいえ、わかりますよ。私だって……他に好きな人がいるってわかっても、やっぱり先輩のことは、どうしても諦めきれないですもん」

 そこまで俺のことを思ってくれているのに、どうしてちろるは俺と付き合うことを拒否するのだろうか。

 いや……、違う……。俺のことを思うから拒否したのだ。やはり全ては俺の責任だった。

「……ごめんな、俺がこんなんだから」

「何言ってるんですか。そもそも先輩を困らせたのは……、私が告白したからじゃないですか。さっきだって……、私が取り乱したせいで、先輩を追い込ませちゃったんです。それに先輩は、私のことをちゃんと見てくれてたんです。何も謝ることはありません」

 やはり桜木ちろるは、どこまでも優しく、そしてどこまでも俺の事を恋い慕っている。その異常ともとれる献身的な姿は、そのまま彼女の俺を思う愛情の深さを示していた。

「……いつまでに、最終的な答えを出したらいい?」
「そーですねー。私が……おばさんになるまでですかね?」

 ちろるは、わざとお道化るような風に言った。きっと、こんな情けなくしょぼくれている俺を、元気付けようとしているのだ。

「……さすがに、そこまでは待たせないよ」
「そうですか? っじゃあ、私もそれまでには、先輩があの女の子を忘れてしまうくらい、私しか目に入らないほどに惚れさせます」

「……そっか。やっぱりちろるはすごいな」
「乙女の純愛は最強なんですよ。あ~でも、愛と憎しみは表裏一体ですからね。もし最強の憎悪に変わったら、……ごめんなさい。大人しく後ろから刺されてくださいね」

 刺されるのは……できれば御免こうむりたいところだ……。

「なにそれ……? ちるるちゃん……おどしてるの?」
「さぁ? どうですかね~」

 ちろるは意地悪そうに笑った。

 なんだか最初と真逆になってしまっているなと思った。あの時は、ちろるが俺に告白し、気まずい空気になったところを、俺が少しお道化たことを言ったのだった。

 しかし、今は俺がちろるに告白し、そして気まずい空気になったのを、ちろるがお道化て元気をくれようとしている。全く、世の中は本当に何がどう繋がっているのかわからない。
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