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狂犬のイリーナ

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私はアフリアット王国の裏社会を牛耳る組織、「二コラエヴナ一家」の跡取りのイリーナ。

次期裏社会のボスとして英才教育を受けて来た私には、「狂犬のイリーナ」という異名を持っている。

組織の敵となる相手には容赦なくかみつき、逆らう者への制裁も執拗に行うことから恐れられつけられた異名だ。

狂犬のイリーナの名を出すと、潜りのチンピラではない限りは恐れ慄くくらいには知られている私。

裏社会においては女ながら未来に期待されている私にも、隠すほどでもないけれど欠点がある。

――それは。

「はぁあん……、セルジュ様、今日もお美しい。この顔面だけで三度の飯に匹敵する栄養補給だわ」

「お嬢!いい加減にしてくだせぇ!」

「そうですよ!敵の拷問中に男のブロマイドを見ながらニヤニヤするボスがどこにいるんですか!」

「うるさいわね。こんなむさっ苦しい男所帯に囲まれてれば癒しのひとつくらい求めたくなるでしょうが!それに尋問は終わったじゃない!」

うちのシマに違法薬物を無断でばら撒いた男を拘束し、背後の組織なり貴族の名前なり、情報を聞き出すため、私は5人の部下を連れて、二コラエヴナの拠点のひとつの地下室の監禁部屋にて尋問と拷問を行っている真っ最中だ。

断末魔と必死に情報を吐き出そうかと葛藤する男を聞き耳を立てつつ、顔もむさくるしいし、汚い叫び声で徐々にすり減っていく精神を回復させるために、いつも懐に忍ばせているこの国一番の美男子セルジュ・ヴェルレー公爵の公認劇団が販売している公式セルジュ様似顔絵ブロマイドを眺める。

セルジュ・ヴェルレーは文武両道、眉目秀麗、完璧主義者、この国の公爵の位を頂いている貴族の1人だ。清潔に整えられている黒髪の短髪、はかなげに伏せられるサファイアブルーの輝かしくも儚げな眼差し。口数は少ないが、温厚で国王夫妻とも幼馴染で家柄に申し分ない彼はこの国の貴婦人や令嬢のファンが多い。

国王夫妻とは幼馴染だが、初恋の相手はなんと現王妃のビスチェ様。国王陛下であられるニコライ様とビスチェ様を巡る実話を元にした恋愛譚は大衆演劇でも有名な演目のひとつだ。

ビスチェ様に恋心を寄せていたセルジュ様だが、忠誠と愛を貫き抜いたからこそ、ビスチェ様と友人のニコライ様との友情と国のことを愁い、自ら身を引くという潔さ。お2人の為に国に忠誠を尽くす義理堅さはまさに物語の主人公の一角に相応しい行動と性格。そして顔までいいとくれば、イケメンに目がない私が推さないわけにはいかなかった。

私もいつかはセルジュ様のような一途に思ってくれるお方と閨を共に……なんて、到底かなわない夢を抱きつつ、拷問の痛みと苦しみに疲れ切って浅い呼吸を繰り返す売人を見た。

「――なにをグダグダとしているの?情報を吐き出させたのなら、さっさと次の作業をしなさい」

「な、なにひょ……はひゅへへふへるんしゃ……」

尋問の為に全ての歯を抜かれ、指を折られて血まみれの男が私に命乞いをする。

私はブロマイドに汚れがつかないように背後に控えている護衛のシリルに渡し、床に突っ伏している売人の髪の毛をひっつかみ私の視線に合わせるように持ち上げた。ぶちぶち、と髪が抜ける感触が指に絡みつき不快だ。

「糞野郎、耳クソが詰まってる穴かっぽじって、スカスカの脳みそに刻んでおけよ。この国ではな、それぞれの「組織」の縄張りとルールがある。そして、この王都は私たち「二コラエヴナ」のシマで、私たちが秩序だ。勝手に薬をバラまかれるのは迷惑なんだよ。それに、お前、孤児院に忍び込んで子供たちの食べ物にも薬を仕込んで薬中にしようとしてたらしいじゃないの。うちはね、「子供を薬物に巻き込む」のは徹底的に禁止にしてんだよ」

「お嬢、相変わらず怖いな……」

「ああ、すごみが違う。女だからって舐めてたら痛い目みるぞ」

「おい、コイツが薬物を売買していた路地に見せしめに手足切り落とし、舌を切り落として喋れないようにしてこいつが販売していた通りに薬物を首にかけて吊るし上げろ。「ニコラエヴナを通さない薬物を買うとどうなるか」薬中と命知らずたちの記憶に刻み付けてやれ」

まったく、子供たちにまで薬を売買しようだなんてふてぇ野郎だ。ムカつくので、死なない程度に売人を床にべちゃり、と叩きつけた。部下が指示通りに作業に取り掛かるために使い物にならない売人を囲う。

用事は済んだので、護衛のシリルを連れて地下室を離れると同時に、地下室から断末魔が聞こえた。

「シリル、売人の背後にいる該当する貴族の屋敷を襲撃するから若い衆を集めなさい」

「わかりやした」

「逃げられる可能性があるから、今夜襲撃するわよ」

「……へい。――でも、お嬢」

「なに」

「今夜は大衆演劇「人魚の涙、悲恋の末路」の初日公演の日ですぜ。Bパートにはお嬢が推してる役者が出演して――」

「……まじ?」

「マジです。お嬢が初日公演は絶対に見たいから特別特典付きのVIP席を予約したんじゃないですか」

「……シリル」

「へい」

まずい、仕事のことですっかりと頭から抜けていた。予約開始直後に売り切れるチケットを必死こいて予約したのに。シリルは時間を確認するために、胸ポケットから懐中時計を取り出す。秒針は14時を指している。

公演は20時から。時間は残り6時間。今から人手を集めて、貴族の屋敷を襲撃するまでに2時間半。トータルの移動時間を30分に設定して会場に到着する……。

間に合うか、間に合わないか。いや、推しの役者のために絶対に間に合わせてみせる。

襲撃場所もそれほど遠くないし、急げばいける。

「シリル、先に帰ってアンドレに人数分の武器を用意させなさい。すぐに襲撃するわよ」

「お嬢、いくらなんでも無茶が過ぎるんじゃ……」

「「絶対に」(劇までに)間に合わせるわよ。それに、売人を捕まえたことはすでに黒幕に知られているはず。逃げられる前に捕まえないと」

「(お嬢、思いっきり私情挟んでやがる……)わかりやした。じゃあ、俺は先に本拠点までひとっ走りしてきます」

シリルは小走りで拠点を出る。私は人手を集める為に、二コラエヴナ一家の頭脳・武闘を両方極めている部下が集まる「エヴナ家」に向かう。エヴナ家はニコラエヴナ一家の表の顔であり、表面上は飲食店や露店、建築業などを展開する商会を所持するいわゆる成金貴族と呼ばれる家系だ。

表の稼業と爵位はまだお父様が継いでいるが、裏稼業は3年前の旧成人年齢である15歳の誕生日に私が引き継ぎ、新成人年齢の20歳を迎えたら子爵の爵位も継ぐ予定だ。なので、裏稼業の本拠地の権限は私が持っているが、本邸で勤務する構成員を使うならお父様の許可が必要になる。

本拠地には入りたての若い構成員と表に顔を出せない荒事やシノギを行う構成員が、本邸勤務の構成員は貴族と取引しても遜色がないほどの教育を施した強者揃いと教育中の若い衆がいるので、指揮官や襲撃部隊の質を上げたい時には本邸勤務の人間が必要不可欠なのだ。

まぁ、今の時代、荒事だけじゃ裏社会で生き残れないし、お父様の差配と取り決めに文句はないけど、一々許可取るのが面倒なのよね。


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