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第3章 お試し期間の申し込み
[5] 不可解な自分の心
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正直、店の外観と聖呀の見た目から、ケーキの味とかには期待していなかった。
なのに――。
「美味しい!!」
「ここのケーキは、あいつの彼女でもあるパティシエが作っているからな。今日はいないみたいだけど……」
なんて言いながら、狼呀はケーキを食べるあたしをずっとつめてくる。
静かな個室にはピアノの美しい調べが流れ、目の前にはあたしが伴侶だとか言うイケメン。そのせいで、かなり食べづらい。
よっぽど、質問攻めにあったほうが気楽に食べられると思う。
「ねえ、何か聞きたくて連れて来たんじゃないの?」
「そうだが……」
「だったら、質問でもしたら?」
「別に食べ終わってから、ゆっくり」
「食べてる間、ずっと見られてたら落ち着かないから言ってんの!」
あたしはフォークを置いた。
「分かった。なら、初歩的な質問から始めよう。まずは、誕生日と血液型……それから星座は?」
「十二月二十五日の山羊座。血液型は、調べてないから知らない」
レンが調べただろうけど、彼は教えてはくれなかった。
「じゃあ、好きな色は?」
「うーん……青とか緑」
本当に初歩的な質問から始まって、自然とあたしは微笑んでいた。
小学校の頃に自己紹介の時間があった事を思い出す。
「青は晴れた日の空と静かな海みたいだし、緑は森にいる気分になれるから好き」
この個室は、人の気配がしないのは好ましい場所だけど、白い壁に囲まれていると落ち着かなくなってくる。
自然と指で机を叩いていると、その様子を眺めていた狼呀が片方の眉を上げた。
「好きな食べ物は?」
「ああー、肉料理とじゃがいも。あと、スイートポテトとか甘い物」
あたしは、にっこりと笑ってケーキを一口食べた。
この甘さが幸せすぎる。
外はとろけるようなチョコでコーティングされていて、中はムースとチョコクリーム。
思わず、もったいなくてちまちま食べてしまう。
そんなあたしを見ていた狼呀が口を開いた。
「もう一つ、ケーキを持ってくるか?」
「いい。一個だから、より美味しく感じるんだと思う。だけど、聞いてくれてありがとう」
優しくて、気が利くのはかなりいい。ポイントを一点獲得!
でも、油断は出来ないと思う。
顔が良くて、スタイルが良くて、優しいなんて全て揃ったような男がいるなんて、夢物語にも等しい。
あっという間に、マイナス点になるのはわかりきってる。
なのに、あたしの心というか魂が、素直に彼を見てみろと体の奥で暴れはじめた。
「好きな場所とか行きたい場所は?」
あたしの葛藤に気づかないで質問を続けてきたけど、嫌な気はしない。
「自然が多い場所。山が見えて、走れるような土があって、緑が多かったり……とにかく人が少ない場所が好き」
特に、ここ最近は森や土の匂いが恋しくてしょうがない。
誰に話しても、理解されないあたしの深い欲求だ。
唯一、家族は理解してくれるけど、きっと狼呀には理解出来ない。
残念な気分になりながら、あたしはケーキをまた一口食べた。
「そろそろ、中級あたりの質問にしようかな」
「ふーん、もう小学生みたいな質問は終わり?」
狼呀は、にんまりと笑った。
ちょっと獣を連想させるような笑みだ。悪そうで、魅力的で、野性味溢れている感じ。
「そうだな。次は高校生くらいの質問だな。恋愛経験は?」
「ぶはっ!」
思わずむせてしまった。
この質問が中級?
確かに高校生は――そんな会話をする。
だからって、初対面にも近い相手に聞く内容かと言いたいけど、やめておいた。
「それで、恋愛経験は?」
「……答えなくちゃいけないの?」
「答えたくない理由でも? 答えないなら、悪い方に想像するけど」
「分かったわよ! 答える」
すでに、悪い想像をしていそうな狼呀を遮った。
二十歳にもなって、まだ恋愛した事がないなんて言いたくないけど、変な想像もされたくない。
なんとなく落ち着かなくて、あたしはスプーンでコーヒーをかき混ぜた。
「…………ないわよ」
「んっ?」
声が小さすぎると言いたいのか、狼呀は耳に手を当てて顔を寄せてくる。無視を決め込もうかと思ったけれど、狼呀の目の奥が悪戯にキラリと輝いていてやめた。
「あーもう! 恋愛経験はありません。これでいい?」
「ああ、最高だよ」
狼呀は、本当に嬉しそうに笑った。
琥珀色の瞳は甘く、あたしの心は初めて本当の意味で鼓動を刻んだ気がする。
まさか、たった一日も経っていないのに、こんな気持ちになるなんて信じられない。
そんな風に考えていると、急に頭の中で狼呀にキスをされる映像が浮かんだ。
急ぐ訳でも、激しいものではないはずなのに、甘くてとろけそうなキス。
「質問……続けてもいいかな?」
狼呀の面白がるような声に、意識を戻された。
まるで、あたしが考えていた事でも知っているような笑みに、顔が熱くなってくる。
これは、絶対に顔は赤い。
「どうぞ……続けて」
「よかった。それじゃあ、子供は好き?」
その質問に、あたしの心と体の温度は一気に下がった。
はっきり言って、大嫌いな話題だ。
女は、子供が好きなのが当たり前なの?
好きじゃなくちゃ変なの?
将来、子供を産んで育てるのは義務?
「マリア?」
あたしの何かに気づいたのか、狼呀は笑みを消した。
「あたし、子供が大嫌いなの。近くにいるだけでゾッとするし、愛しいなんて感じない」
これでどう?
こんな気持ちは自分らしくなくて、興味を無くしてくれるなら、それはそれで良い。もっと好きになって、深みにはまった所で、やっぱり違ったなんて言われたら、きっと立ち直れないから。
「俺も子供は好きじゃない。そんな事くらいで、俺が引くと思うなよ」
「えっ? 何で……」
子供が嫌いな事に対する否定的な言葉が返ってくると思っていたのに、あたしの心を見透かしたような言葉が返ってきて言葉が出ない。
「俺は伴侶だぞ? それくらい感じられる」
「な、なによそれ……」
訳が分からない。
だけど、狼呀が引かなかった事と、否定しなかった事が嬉かった。
あたしの心と頭は矛盾している。
こんな事、今まで一度も感じた事はない。
そもそも、最初からおかしかった。
たとえ一週間だとしても、試しに付き合う事を選ぶなんて――。
「マリア、マリア!」
ぼんやりと考え事をしていたせいか、目の前で狼呀が手を振っていたことに気がつかなかった。
「ああ、何?」
「質問、続けてもいいか?」
なぜ、そんなにも知りたい事があるのだろう。
あたしは正直いって知りたいと思われるようなタイプじゃない。
普通の男が興味を持つのは、軽くて愛嬌があって、スカートを穿くような細くて女らしい子だ。
それに比べてあたしは、堅苦しくて、愛想がなくて、女らしさの欠片もない。
でも、狼呀の目に騙したり、嘘をついているような様子はなかった。
「失礼じゃない内容ならね」
「オーケー。なら、家族は何人いる?」
予想外に普通の質問をされて、身構えていたあたしは、肩透かしをくらった気分だった。
「五人家族。父と母、祖母がいて五つ上の兄がいる」
「家族は好きか?」
あまりにも当たり前の事を聞かれて驚いた。
あたしにとって家族は愛するのが普通で、あらためて考える必要のないもの。
昔、友人が家族を嫌いだと言ったのを聞いた時にも、共感する事は難しかった。
まあ、そのせいか今では疎遠になっている。
でも、今なら少しわかる。
「ええ、好きよ。ただし、父と母に関してはね。でも、祖母と兄は好きじゃない」
「どうして?」
「それって、あなたに関係ある?」
その問いかけに、怒りが瞬時に身体中を駆け巡り、あたしは狼呀を睨み付けた。
少し前までの楽しい気分は、どこかに消えていく。
変わりに嫌いな祖母と兄の事を考えだしたら、左腕がむずむずしてきた。
苛立ちを覚えた時の感覚が、危険なほど高まってくる。
これは、かなりヤバい。
「その話は……これ以上したくない」
最後の一口を乱暴に口に運び、あたしは苛立ちも露に言った。
詳しい家庭内の事情を話せるほど、彼との距離は縮まっていない。
「もういい?」
「そうだな。ちょうど食べ終わった事だし、残りの質問は車の中にしよう」
あっさりと引いた狼呀は、伝票を手に立ち上がった。
あたしもつられて立ち上がる。
今回は、支払いの事で文句を言う気はない。
誘ったのは彼なのだから。
個室を出てレジに行くと、入った時と同じ様にパソコンをしている聖呀さんがいた。
「会計を頼む」
「なんだ……もう帰るのか? あそこは防音になってんだ。ホテル代の節約になるぞ」
そんな会話が聞こえてきて、あたしはぎょっとした。
たしかに、外の音が聞こえてこなかった気がする。
それに窓がないから外からも見えない。
あの個室が、そのためのものだなんて考えもしなかった。
狼呀の事を無意識に信じすぎていたのかもしれない。次の言葉次第では、一人でさっさと店を出る気だ。
その時がきたらすぐに動けるように、あたしは扉の近くで待つことにした。
「馬鹿か? 初デートは、カフェのあとに家まで送って終わりだろ。マリアをその辺にいる安っぽい女と同じにするなよ。それに、俺は瑞季とは違う」
「つまり、彼女はあんたにとって本気ってことか?」
聖呀さんは、狼呀におつりを渡しながらため息を吐いた。
あきれたような、あきらめたような、そんなため息を。
でも、あたしは少し見直した。
男同士の会話では、意外と本音が見えるものだ。
男なんて、女の前で何と言おうが、結局は最後にはホテルへ連れ込むことしか考えていないと思っていたから。
またプラス点を獲得。
「行こうか、マリア」
財布をジーンズの後ろポケットにしまいながら、狼呀はあたしの腰に手を置いて車まで導いた。
でも、あたしは車に乗る気はない。
「別に、すぐそこだから歩いて帰るよ」
「ダメだ」
「どうして?」
「遠足と一緒だよ。家に着くまでが、デートだろ?」
「……いや、それはないでしょ。通学路デートじゃあるまいし」
学生の頃なら、漫画や青春ドラマを見て密かに憧れていた。
でも、中学生の頃も高校生の頃も、あたしにそんな経験をする機会はなかった。
「じゃあ、もしも帰り道に何かあったら……どうする」
「何があるって言うのよ」
狼呀は助手席のドアを開けようと伸ばした手を止め、考えるような素振りを見せた。
「痴漢にあうとか?」
何で疑問系なのかは謎だけど、その表情が少し可愛いかった。
「無いでしょ……電車に乗る訳でも、スカート穿いてる訳でもないし」
「引ったくりにあうとか?」
「お財布はポケットサイズだから大丈夫」
「ほら、あれだよ。横断歩道で信号待ちしている時に、車が突っ込んでくるとか!」
「それって、どれくらいの確率よ」
そこまで言ってやると、狼呀は唸った。
でも、車に寄りかかってあたしを見るその顔は、どこか楽しそうだ。
実は、あたしも楽しんでいたりする。
「どうしたら、送らせてくれる?」
「さあね。それじゃあ、またね」
狼呀の頬をするりと撫で、あたしは車から離れた。
追ってくる気配はない。
自由を許してくれないような男だったら、初日で終わらせようと思ったのに残念。
別に送ってもらうのも悪くないだろうけど、今日はレンの家だけに知られたくなかった。
理由は分からないけど、狼呀とレンの二人の間には何かあるみたいだから。
次に会った時に、その事についてを何でも話してくれるという約束の質問にしようと思った。
今日は陽射しが暖かくて、食後の散歩にはぴったりな日だ。
青い空を見上げ、微かに風で揺れる木々の音を楽しみながらゆっくりと歩いていると、小さくクラクションを鳴らす音が聞こえた。
横を向くと、通り過ぎる狼呀が手を振っていく。
やっぱり、いい男だとは思う。
車を運転する姿も、手を振って去っていく姿も。
だからこそ、思わずにはいられない。
もっと、可愛かったり、綺麗な人を誘えばいいのにって。
頭ではそう考えるんだけど、不思議なことに心の中では、誰かと一緒にいる狼呀を想像しただけで嫌だと拒絶反応がおきる。
実に厄介だ。
一週間なんて期間で、心が動く訳がないと思っていたのに、このままでは嫌な予感しかしない。
そう思うと同時に心の奥底で、理解できない存在が唸り声をあげた。
なのに――。
「美味しい!!」
「ここのケーキは、あいつの彼女でもあるパティシエが作っているからな。今日はいないみたいだけど……」
なんて言いながら、狼呀はケーキを食べるあたしをずっとつめてくる。
静かな個室にはピアノの美しい調べが流れ、目の前にはあたしが伴侶だとか言うイケメン。そのせいで、かなり食べづらい。
よっぽど、質問攻めにあったほうが気楽に食べられると思う。
「ねえ、何か聞きたくて連れて来たんじゃないの?」
「そうだが……」
「だったら、質問でもしたら?」
「別に食べ終わってから、ゆっくり」
「食べてる間、ずっと見られてたら落ち着かないから言ってんの!」
あたしはフォークを置いた。
「分かった。なら、初歩的な質問から始めよう。まずは、誕生日と血液型……それから星座は?」
「十二月二十五日の山羊座。血液型は、調べてないから知らない」
レンが調べただろうけど、彼は教えてはくれなかった。
「じゃあ、好きな色は?」
「うーん……青とか緑」
本当に初歩的な質問から始まって、自然とあたしは微笑んでいた。
小学校の頃に自己紹介の時間があった事を思い出す。
「青は晴れた日の空と静かな海みたいだし、緑は森にいる気分になれるから好き」
この個室は、人の気配がしないのは好ましい場所だけど、白い壁に囲まれていると落ち着かなくなってくる。
自然と指で机を叩いていると、その様子を眺めていた狼呀が片方の眉を上げた。
「好きな食べ物は?」
「ああー、肉料理とじゃがいも。あと、スイートポテトとか甘い物」
あたしは、にっこりと笑ってケーキを一口食べた。
この甘さが幸せすぎる。
外はとろけるようなチョコでコーティングされていて、中はムースとチョコクリーム。
思わず、もったいなくてちまちま食べてしまう。
そんなあたしを見ていた狼呀が口を開いた。
「もう一つ、ケーキを持ってくるか?」
「いい。一個だから、より美味しく感じるんだと思う。だけど、聞いてくれてありがとう」
優しくて、気が利くのはかなりいい。ポイントを一点獲得!
でも、油断は出来ないと思う。
顔が良くて、スタイルが良くて、優しいなんて全て揃ったような男がいるなんて、夢物語にも等しい。
あっという間に、マイナス点になるのはわかりきってる。
なのに、あたしの心というか魂が、素直に彼を見てみろと体の奥で暴れはじめた。
「好きな場所とか行きたい場所は?」
あたしの葛藤に気づかないで質問を続けてきたけど、嫌な気はしない。
「自然が多い場所。山が見えて、走れるような土があって、緑が多かったり……とにかく人が少ない場所が好き」
特に、ここ最近は森や土の匂いが恋しくてしょうがない。
誰に話しても、理解されないあたしの深い欲求だ。
唯一、家族は理解してくれるけど、きっと狼呀には理解出来ない。
残念な気分になりながら、あたしはケーキをまた一口食べた。
「そろそろ、中級あたりの質問にしようかな」
「ふーん、もう小学生みたいな質問は終わり?」
狼呀は、にんまりと笑った。
ちょっと獣を連想させるような笑みだ。悪そうで、魅力的で、野性味溢れている感じ。
「そうだな。次は高校生くらいの質問だな。恋愛経験は?」
「ぶはっ!」
思わずむせてしまった。
この質問が中級?
確かに高校生は――そんな会話をする。
だからって、初対面にも近い相手に聞く内容かと言いたいけど、やめておいた。
「それで、恋愛経験は?」
「……答えなくちゃいけないの?」
「答えたくない理由でも? 答えないなら、悪い方に想像するけど」
「分かったわよ! 答える」
すでに、悪い想像をしていそうな狼呀を遮った。
二十歳にもなって、まだ恋愛した事がないなんて言いたくないけど、変な想像もされたくない。
なんとなく落ち着かなくて、あたしはスプーンでコーヒーをかき混ぜた。
「…………ないわよ」
「んっ?」
声が小さすぎると言いたいのか、狼呀は耳に手を当てて顔を寄せてくる。無視を決め込もうかと思ったけれど、狼呀の目の奥が悪戯にキラリと輝いていてやめた。
「あーもう! 恋愛経験はありません。これでいい?」
「ああ、最高だよ」
狼呀は、本当に嬉しそうに笑った。
琥珀色の瞳は甘く、あたしの心は初めて本当の意味で鼓動を刻んだ気がする。
まさか、たった一日も経っていないのに、こんな気持ちになるなんて信じられない。
そんな風に考えていると、急に頭の中で狼呀にキスをされる映像が浮かんだ。
急ぐ訳でも、激しいものではないはずなのに、甘くてとろけそうなキス。
「質問……続けてもいいかな?」
狼呀の面白がるような声に、意識を戻された。
まるで、あたしが考えていた事でも知っているような笑みに、顔が熱くなってくる。
これは、絶対に顔は赤い。
「どうぞ……続けて」
「よかった。それじゃあ、子供は好き?」
その質問に、あたしの心と体の温度は一気に下がった。
はっきり言って、大嫌いな話題だ。
女は、子供が好きなのが当たり前なの?
好きじゃなくちゃ変なの?
将来、子供を産んで育てるのは義務?
「マリア?」
あたしの何かに気づいたのか、狼呀は笑みを消した。
「あたし、子供が大嫌いなの。近くにいるだけでゾッとするし、愛しいなんて感じない」
これでどう?
こんな気持ちは自分らしくなくて、興味を無くしてくれるなら、それはそれで良い。もっと好きになって、深みにはまった所で、やっぱり違ったなんて言われたら、きっと立ち直れないから。
「俺も子供は好きじゃない。そんな事くらいで、俺が引くと思うなよ」
「えっ? 何で……」
子供が嫌いな事に対する否定的な言葉が返ってくると思っていたのに、あたしの心を見透かしたような言葉が返ってきて言葉が出ない。
「俺は伴侶だぞ? それくらい感じられる」
「な、なによそれ……」
訳が分からない。
だけど、狼呀が引かなかった事と、否定しなかった事が嬉かった。
あたしの心と頭は矛盾している。
こんな事、今まで一度も感じた事はない。
そもそも、最初からおかしかった。
たとえ一週間だとしても、試しに付き合う事を選ぶなんて――。
「マリア、マリア!」
ぼんやりと考え事をしていたせいか、目の前で狼呀が手を振っていたことに気がつかなかった。
「ああ、何?」
「質問、続けてもいいか?」
なぜ、そんなにも知りたい事があるのだろう。
あたしは正直いって知りたいと思われるようなタイプじゃない。
普通の男が興味を持つのは、軽くて愛嬌があって、スカートを穿くような細くて女らしい子だ。
それに比べてあたしは、堅苦しくて、愛想がなくて、女らしさの欠片もない。
でも、狼呀の目に騙したり、嘘をついているような様子はなかった。
「失礼じゃない内容ならね」
「オーケー。なら、家族は何人いる?」
予想外に普通の質問をされて、身構えていたあたしは、肩透かしをくらった気分だった。
「五人家族。父と母、祖母がいて五つ上の兄がいる」
「家族は好きか?」
あまりにも当たり前の事を聞かれて驚いた。
あたしにとって家族は愛するのが普通で、あらためて考える必要のないもの。
昔、友人が家族を嫌いだと言ったのを聞いた時にも、共感する事は難しかった。
まあ、そのせいか今では疎遠になっている。
でも、今なら少しわかる。
「ええ、好きよ。ただし、父と母に関してはね。でも、祖母と兄は好きじゃない」
「どうして?」
「それって、あなたに関係ある?」
その問いかけに、怒りが瞬時に身体中を駆け巡り、あたしは狼呀を睨み付けた。
少し前までの楽しい気分は、どこかに消えていく。
変わりに嫌いな祖母と兄の事を考えだしたら、左腕がむずむずしてきた。
苛立ちを覚えた時の感覚が、危険なほど高まってくる。
これは、かなりヤバい。
「その話は……これ以上したくない」
最後の一口を乱暴に口に運び、あたしは苛立ちも露に言った。
詳しい家庭内の事情を話せるほど、彼との距離は縮まっていない。
「もういい?」
「そうだな。ちょうど食べ終わった事だし、残りの質問は車の中にしよう」
あっさりと引いた狼呀は、伝票を手に立ち上がった。
あたしもつられて立ち上がる。
今回は、支払いの事で文句を言う気はない。
誘ったのは彼なのだから。
個室を出てレジに行くと、入った時と同じ様にパソコンをしている聖呀さんがいた。
「会計を頼む」
「なんだ……もう帰るのか? あそこは防音になってんだ。ホテル代の節約になるぞ」
そんな会話が聞こえてきて、あたしはぎょっとした。
たしかに、外の音が聞こえてこなかった気がする。
それに窓がないから外からも見えない。
あの個室が、そのためのものだなんて考えもしなかった。
狼呀の事を無意識に信じすぎていたのかもしれない。次の言葉次第では、一人でさっさと店を出る気だ。
その時がきたらすぐに動けるように、あたしは扉の近くで待つことにした。
「馬鹿か? 初デートは、カフェのあとに家まで送って終わりだろ。マリアをその辺にいる安っぽい女と同じにするなよ。それに、俺は瑞季とは違う」
「つまり、彼女はあんたにとって本気ってことか?」
聖呀さんは、狼呀におつりを渡しながらため息を吐いた。
あきれたような、あきらめたような、そんなため息を。
でも、あたしは少し見直した。
男同士の会話では、意外と本音が見えるものだ。
男なんて、女の前で何と言おうが、結局は最後にはホテルへ連れ込むことしか考えていないと思っていたから。
またプラス点を獲得。
「行こうか、マリア」
財布をジーンズの後ろポケットにしまいながら、狼呀はあたしの腰に手を置いて車まで導いた。
でも、あたしは車に乗る気はない。
「別に、すぐそこだから歩いて帰るよ」
「ダメだ」
「どうして?」
「遠足と一緒だよ。家に着くまでが、デートだろ?」
「……いや、それはないでしょ。通学路デートじゃあるまいし」
学生の頃なら、漫画や青春ドラマを見て密かに憧れていた。
でも、中学生の頃も高校生の頃も、あたしにそんな経験をする機会はなかった。
「じゃあ、もしも帰り道に何かあったら……どうする」
「何があるって言うのよ」
狼呀は助手席のドアを開けようと伸ばした手を止め、考えるような素振りを見せた。
「痴漢にあうとか?」
何で疑問系なのかは謎だけど、その表情が少し可愛いかった。
「無いでしょ……電車に乗る訳でも、スカート穿いてる訳でもないし」
「引ったくりにあうとか?」
「お財布はポケットサイズだから大丈夫」
「ほら、あれだよ。横断歩道で信号待ちしている時に、車が突っ込んでくるとか!」
「それって、どれくらいの確率よ」
そこまで言ってやると、狼呀は唸った。
でも、車に寄りかかってあたしを見るその顔は、どこか楽しそうだ。
実は、あたしも楽しんでいたりする。
「どうしたら、送らせてくれる?」
「さあね。それじゃあ、またね」
狼呀の頬をするりと撫で、あたしは車から離れた。
追ってくる気配はない。
自由を許してくれないような男だったら、初日で終わらせようと思ったのに残念。
別に送ってもらうのも悪くないだろうけど、今日はレンの家だけに知られたくなかった。
理由は分からないけど、狼呀とレンの二人の間には何かあるみたいだから。
次に会った時に、その事についてを何でも話してくれるという約束の質問にしようと思った。
今日は陽射しが暖かくて、食後の散歩にはぴったりな日だ。
青い空を見上げ、微かに風で揺れる木々の音を楽しみながらゆっくりと歩いていると、小さくクラクションを鳴らす音が聞こえた。
横を向くと、通り過ぎる狼呀が手を振っていく。
やっぱり、いい男だとは思う。
車を運転する姿も、手を振って去っていく姿も。
だからこそ、思わずにはいられない。
もっと、可愛かったり、綺麗な人を誘えばいいのにって。
頭ではそう考えるんだけど、不思議なことに心の中では、誰かと一緒にいる狼呀を想像しただけで嫌だと拒絶反応がおきる。
実に厄介だ。
一週間なんて期間で、心が動く訳がないと思っていたのに、このままでは嫌な予感しかしない。
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