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第3章 お試し期間の申し込み

[3] どうして邪険にできないの?

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 迎えに来てくれたレンは、何も聞かずに彼の家に連れていってくれた。
 でも、何も話してくれない。
 もちろん、世間話みたいなものはする。
 しないのは、大事な話。

『マリアは、吸血鬼の保護下にある。彼女への無理強いは、僕たちとお前たちとの関係に亀裂を生む』

 あの時、分からなかったレンの言葉。
 彼は、自ら吸血鬼の事を狼呀に言った。
 それに、二人の関係に亀裂?
 一体、二人に何があるのか気になって仕方がない。
 あたしはベッドに倒れるように横になると、天井を見上げた。
 勢いがよすぎて、ベッドが弾むと同時に野性的な匂いが舞う。
 顔を横に向けると、狼呀のTシャツが目に入る。
 鞄を掴んで逃げるように部屋を出た時、一緒に持ってきてしまったらしい。
 あれから三日が経つけど、なんとなく肌から匂いが消えていない気がする。
 この部屋に入ってから、シャワーを毎日浴びてさっぱりとしているずなのにだ。
 高そうな濃厚な薔薇の香りじゃ、落ちないっていうの?
 なんだか気に入らない。
 狼呀はたった数日前の出来事を忘れさせてくれない。
 なぜか不思議な事にパニックにはなったけど、温かい腕と情熱的な瞳は安らぎを与えてくれた。
 出会って間もない相手に、安らぎを見出したことなんてこれまで無かった。

「このTシャツ……どうしよう」

 ぽつりと呟いてみたけど、あたしは狼呀のマンションの位置を知らないから返す方法がない。
 それに、もう一度会いたいかとよくよく考えてみても、会いたいのかよくわからなかった。
 狼呀と別の男で、いったい何が違うのか。
 あの日、帰りの車の中でレンがあたしの耳元で、眠るように囁いた時の事を、参考までに思い出してみる。
 狼呀に囁かれた時と違い、胸はドキドキしなかったけど、代わりに眠っても安全だという安心感はあった。
 とはいえ、あの時はとにかく眠くて、駐車場をでる車の揺れは心地が良かったのだから、あまり参考にならない。
 気がつけば、レンの家にあるゲストルームで寝ていて……。
 ただ、背中に感じる温かさがなくて、あたしは淋しさを感じていた。
 なにも知らない相手なのに――。
 そんな事を考えていると、扉を叩く音がした。

「マリア、いいかな?」

「あ、うん。どうしたの?」

 扉が開くと同時に、あたしはベッドから体を起こした。
 レンは腕時計を気にしてる。

「そろそろお昼だから、お腹が空いてるかなってね。この家に食べ物はないから、買いに行くなら車を出すよ」

 たしかに、言われてみればお腹が空いている。
 でも、お弁当というよりは、お店で食べたい気分。

「大丈夫、ありがとう。一人でお店に行って食べるから」

 あたしは食べるのがゆっくりで、食事をしないレンを付き合わせようって気にはなれない。吸血鬼にとって、食事の匂いはきついはず。
 それに、レンが同じ席にいると、不釣り合いなあたしに対する嫌悪にも似た視線が痛すぎて、食事が喉を通らなくなる。

「そう? なら、お金を」

 あたしは、途中で遮った。

「レン。自分で出すから」

 あたしの事を少しは分かってきたレンは、同じ事を二度は言わせなかった。

「なら、一言だけ……」

 レンはあたしの頬に触れた。

「知らない人に、ついて行っちゃだめだよ」

「レン。あたしは、小学生かなにか?」

 あまりにも真面目な顔で言われて、あたしは笑ってしまった。
 きっと、狼呀との事をレンは気にしてる。なにより、トランス状態になった自分を許せないでいる。
 その証拠にあの日以来、直接は吸ってこないし、血液パックに入っているあたしの血すら飲まない。
 代わりに、どんなモノからも守ろうという姿勢が強くなった。

「オートロックだから、カードキーを忘れずにね」

 あたしの頬にキスをすると、レンは部屋を出ていった。
 一人になると、また淋しさが忍び寄ってくる。
 こんなにも自分は、寂しがりやだったなんて驚きだ。
 一人の時間が好きだったはずなのに。
 人混みは嫌いだけど、今は酷く必要な気がして、あたしは鞄を掴んで部屋を出た。
 最上階は全てレンの物で、専用の鍵でしか動かない直通のエレベーターもある。
 吸血鬼はお金持ち過ぎると、感じずにはいられない。
 高級車、高級マンション、自家用ヘリに会員制クラブ。
 考えただけで、頭痛がしてきそう。
 不死だと、時間がありすぎて仕事中毒にでもなるの?
 そんなくだらない事を考えながら一階まで下りると、一気に部屋に戻りたい気にさせられた。
 エレベーターが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、露出の高い服を着てフロアに立っている妖艶な女たち。
 視線は全て、あたしの乗っているエレベーターに注がれている。
 あからさまに『何であんな女が?』って目もあれば、あたしの首を見て納得する女もいた。
 あたしの首には、まだ塞がらないレンの噛み痕があり、大袈裟にならない程度のガーゼをしてある。
 それで納得するタイプなら可愛いものだ。

「なんであの子、レン様専用エレベーターの鍵を持ってるの?」

 前を通って外に出ようとした時、嫉妬に燃える声が聞こえてきた。
 これだから、恋と愛に脳みそを支配されている女は嫌になる。
 周りなんて見えなくて、勝手な憶測と妄想で頭を一杯にして、無関係な人間に不快な思いをさせるんだからたちが悪い。
 振り返ると、嫉妬の視線があたしに突き刺さる。
 その瞬間、食事を食べ終わっても帰ってきたくなくなった。
 根掘り葉掘り聞かれて、嫉妬に狂った女たちの攻撃を受けるのは避けたい。
 あたしはマンションの出入口から出ると、足早にレストランの集まる方向へと歩き出した。
 外は昼食に出てきたサラリーマンやOL、子供連れの母親集団で賑わっている。
 そのせいで苦手とするベビーカーと赤ん坊に、嫌な汗とゾッとする感覚が襲う。
 あたしは、大の子供嫌いだ。
 たまに、嫌いな原因はなにか聞かれるけど分からない。
 ただ、ゾッとして嫌悪しか感じないって事しか言えなかった。ヨダレでベタベタの手で触られたくないし、泣き叫ぶ声も我慢ならない。
 なかでも、子供の中で『赤ちゃん』と呼ばれる大きさの子供がだめだ。
 だからか、恋人や結婚の必要性を感じた事はなかった。
 きっと、あたしには母性本能が欠けている。
 唯一、愛しさを感じていたソウルメイトを失った日から、なおさら母性本能も消えてなくなった。
 ぐるぐる渦巻く自分の感情に捕らわれていると、ドアベルの音に、はっとした。いつの間にか、目的の店に着いていた。
 あたしの大好きな店〈ステーキハウス バイソン〉。
 サラリーマンやOL、子供連れが絶対に来なくて、静かに食事出来る大好きな店。
 扉を押し開くと、扉に取り付けられたドアベルが優しく鳴った。

「いらっしゃい、マリアちゃん」

「こんにちは、絢華さん」

 軽やかに店の奥から出てきたのは、この店でウェイトレスをする2歳上の絢華さん。
 店の制服でもあるショートパンツと、カーボーイブーツが良く似合う人。
 ネルシャツは赤系で、彼女に合わせて作られたんじゃないかってぐらい素敵だ。
 絢華さんは、あたしがいつも座わる一番奥にあるボックス席に案内してくれた。
 どんなに混んでいても、そこだけは空けておいてくれる。あたしが静かに食べるのが好きなことを知ってから――。

「いつものでいい?」

「はい。でも、少しだけポテトを多くしてもらえますか?」

「いいわよ。兄さんに伝えるから、出来上がるまで待ってね」

 伝票をテーブルに置くと、絢華さんは他の客に声をかけながら行ってしまった。このフレンドリーさが好きだ。
 ただの店と客って感じではなく、まるで家族と接するように温かい。サービスがいい店より、アットホームな雰囲気のある店のほうが落ち着く。
 暇になったあたしは、他の客を眺めるのをやめて鞄を引き寄せ、着信とメールを調べるため鞄の中に手を突っ込んだが――
 あれ? ない!
 何度も、鞄の中を探しても携帯電話はどこにもない。
 道に落としたなら最悪だ。
 よくドラマとかで、自分の携帯電話にかけて、拾ってくれた人に連絡して返してもらうってあるけど、あんなの夢物語。
 現代人に、そんな親切な人はいない。
 変な事、面倒な事には関わりたくないのが普通だ。
 これは、電話会社に相談した方がいいのかな?
 空腹さえ感じなくなりそうなぐらい頭を悩ませていると、見慣れた物がテーブルに置かれた。
 それは、水色で艶々した――あたしの携帯電話。

「ありがと……」

 人間まだまだ腐った奴ばっかりじゃないんだと顔を上げて、あたしは言葉を止めた。

「忘れてっただろ」

 目の前の席に、当たり前のように座ったのは――狼呀だった。

「忘れてったは、正解じゃないと思う。あれは、うっかり忘れた時に対する言葉だけど、あたしの携帯電話は……月城さんが取り上げたんでしょ!」

 顔を見て思い出した。
 あたしの携帯電話は、三日前にレンとの会話中に取り上げられて、彼のジーンズの後ろポケットに消えた。
 壊れてないといいけど。
 あたしの体重をモノともしない腕力があるなら、それなりにトレーニングしていて体重もありそう。携帯の存在を忘れて、体重をかけられたらと考えると、身震いがした。
 あたしは狼呀の存在を無視して、メールと着信を調べようと携帯に手を伸ばしたけど、いつの間にかテーブルの上から消えている。
 上に向かって睨み付けると、涼しい顔をして携帯電話を見せびらかす狼呀と目が合う。

「ちょっと、返してくれない……月城さん」

「返してほしいなら、先ずは俺を名前で呼べよ」

 これって、何かの拷問? 
 それとも、脅迫?
 携帯は返してほしいけど、意地でも名前を呼びたくなかった。名前で呼んだら、今ある不確かな気持ちが確定してしまいそうで恐い。
 無くしたと思っていたし、新しい物に変えてもいいかもしれない。五年近く使っているから、最近は電池もすぐ減るようにもなっていたから不便だった。
 あたしは、無視する事に決めた。
 それに、タイミングよくステーキがテーブルに置かれて、ほっとした。

「ありがとう、絢華さん」

 おかしな事に、いつもの台詞が無くて不思議に思って見上げると、不機嫌そうに狼呀を睨む絢華さんがいた。
 彼女にしては珍しい。
 どんな客にも笑顔を向け、どんな体調の時でもそれは変わらないのに。

「どうしたんですか?」

「……この人、うちの店では歓迎しないのよ」

 水すら置かずに、絢華さんは厨房に戻っていった。

「あなた、この店で何をしたの?」

「何もしてない。彼女たちが、少しばかり神経質なだけさ」

 そう言いながら図々しくも皿を自分のほうに引き寄せ、ナイフとフォークを掴んで食べやすい大きさに切りはじめた。

「なに? あたしの食事を取る気?」

「そういう訳じゃない」

「あっそう。なら、はやく返して。そんなことしてもらわなくても、初めて食べるんじゃないし、手も使えるんだけど」

「ただ、俺がしたいだけだよ」

 そう言うと、皿を返してくれた。
 顔を見つめて驚いた。
 狼呀は、すごく嬉しそうな顔をしている。
 訳がわからずにいるとフォークだけを渡され、あたしは気を取り直して素直に食べ始めた。
 週に五回は食べるけど、飽きる事はない。
 香辛料とソースはレジで売っているから買ってみたものの、なぜか店と同じ味は出せなかった。

「そんなに美味しいのか?」

「ええ、かなりね。食べてみる?」

 フォークに刺して、口を開けるように促すと、狼呀は目を見開いた。
 呆然としてるから、あたしの行動で伝わってないのかと思ってフォークを振ってみる。

「ほら、口開けて」

 ようやく狼呀はテーブルに両腕をついて、体を乗りだし口を開けた。
 ステーキを口に入れて、くわえたところで、あたしはフォークをゆっくりと引いて無言で見つめる。

「たしかに、旨いな」

 狼呀は微笑んだ。
 少し頬と耳が赤い気がする。

「頬が赤いけど、どうかした?」

「いや……親密なことをしてくるから、びっくりしたんだ」

「親密? そんな事した?」

 あたしは、そんな行動をしたって意識はなかった。

「俺たちの一族にとって、相手に食べさせるのは、親愛を意味してるんだよ」

「なっ! なにそれ!」

 今度は、あたしが赤くなる番だった。
 知らずにした行動だったけど、自分の迂闊さを呪いたい。
 あたしは俯いて、黙々とステーキを口に運んだ。
 恥ずかしすぎる。
 拒絶している相手に、そんな事をするなんて。
 咀嚼を繰り返していると、空いている左手に、狼呀の手が重ねられた。

「マリア」

 引き抜こうとしたら優しく掴まれ、レンの体温とは真逆の温かさに胸が切なくなって、引き抜こうなんて思えなくなった。
 ここが、人目のある店って忘れそう。

「なに……他に用でもあるの?」

「ああ、そうなんだ。実は、俺と試しに付き合ってほしい」

「付き合う? どうして?」

 意味が分からなかった。

「俺を知ってほしいから」

 優しく手の甲に親指で円を書くように撫でられ、うまく頭が働かない。
 目線を上げて狼呀を見ると、あまりに優しい瞳とぶつかって体が震えそうだ。
 何か言わなくちゃ。
 でも、上手いかわしかたも、断る理由も思い浮かばない。

「わ、分かった。ただし……期間は一週間。それで、あたしの心が動かなかったら、二度と関わらないで」

 自分で言っておきながら、なぜ提案を受け入れたのか分からなかった。
 好きでも嫌いでもないのに……。

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