12 / 33
第3章 お試し期間の申し込み
[3] どうして邪険にできないの?
しおりを挟む
迎えに来てくれたレンは、何も聞かずに彼の家に連れていってくれた。
でも、何も話してくれない。
もちろん、世間話みたいなものはする。
しないのは、大事な話。
『マリアは、吸血鬼の保護下にある。彼女への無理強いは、僕たちとお前たちとの関係に亀裂を生む』
あの時、分からなかったレンの言葉。
彼は、自ら吸血鬼の事を狼呀に言った。
それに、二人の関係に亀裂?
一体、二人に何があるのか気になって仕方がない。
あたしはベッドに倒れるように横になると、天井を見上げた。
勢いがよすぎて、ベッドが弾むと同時に野性的な匂いが舞う。
顔を横に向けると、狼呀のTシャツが目に入る。
鞄を掴んで逃げるように部屋を出た時、一緒に持ってきてしまったらしい。
あれから三日が経つけど、なんとなく肌から匂いが消えていない気がする。
この部屋に入ってから、シャワーを毎日浴びてさっぱりとしているずなのにだ。
高そうな濃厚な薔薇の香りじゃ、落ちないっていうの?
なんだか気に入らない。
狼呀はたった数日前の出来事を忘れさせてくれない。
なぜか不思議な事にパニックにはなったけど、温かい腕と情熱的な瞳は安らぎを与えてくれた。
出会って間もない相手に、安らぎを見出したことなんてこれまで無かった。
「このTシャツ……どうしよう」
ぽつりと呟いてみたけど、あたしは狼呀のマンションの位置を知らないから返す方法がない。
それに、もう一度会いたいかとよくよく考えてみても、会いたいのかよくわからなかった。
狼呀と別の男で、いったい何が違うのか。
あの日、帰りの車の中でレンがあたしの耳元で、眠るように囁いた時の事を、参考までに思い出してみる。
狼呀に囁かれた時と違い、胸はドキドキしなかったけど、代わりに眠っても安全だという安心感はあった。
とはいえ、あの時はとにかく眠くて、駐車場をでる車の揺れは心地が良かったのだから、あまり参考にならない。
気がつけば、レンの家にあるゲストルームで寝ていて……。
ただ、背中に感じる温かさがなくて、あたしは淋しさを感じていた。
なにも知らない相手なのに――。
そんな事を考えていると、扉を叩く音がした。
「マリア、いいかな?」
「あ、うん。どうしたの?」
扉が開くと同時に、あたしはベッドから体を起こした。
レンは腕時計を気にしてる。
「そろそろお昼だから、お腹が空いてるかなってね。この家に食べ物はないから、買いに行くなら車を出すよ」
たしかに、言われてみればお腹が空いている。
でも、お弁当というよりは、お店で食べたい気分。
「大丈夫、ありがとう。一人でお店に行って食べるから」
あたしは食べるのがゆっくりで、食事をしないレンを付き合わせようって気にはなれない。吸血鬼にとって、食事の匂いはきついはず。
それに、レンが同じ席にいると、不釣り合いなあたしに対する嫌悪にも似た視線が痛すぎて、食事が喉を通らなくなる。
「そう? なら、お金を」
あたしは、途中で遮った。
「レン。自分で出すから」
あたしの事を少しは分かってきたレンは、同じ事を二度は言わせなかった。
「なら、一言だけ……」
レンはあたしの頬に触れた。
「知らない人に、ついて行っちゃだめだよ」
「レン。あたしは、小学生かなにか?」
あまりにも真面目な顔で言われて、あたしは笑ってしまった。
きっと、狼呀との事をレンは気にしてる。なにより、トランス状態になった自分を許せないでいる。
その証拠にあの日以来、直接は吸ってこないし、血液パックに入っているあたしの血すら飲まない。
代わりに、どんなモノからも守ろうという姿勢が強くなった。
「オートロックだから、カードキーを忘れずにね」
あたしの頬にキスをすると、レンは部屋を出ていった。
一人になると、また淋しさが忍び寄ってくる。
こんなにも自分は、寂しがりやだったなんて驚きだ。
一人の時間が好きだったはずなのに。
人混みは嫌いだけど、今は酷く必要な気がして、あたしは鞄を掴んで部屋を出た。
最上階は全てレンの物で、専用の鍵でしか動かない直通のエレベーターもある。
吸血鬼はお金持ち過ぎると、感じずにはいられない。
高級車、高級マンション、自家用ヘリに会員制クラブ。
考えただけで、頭痛がしてきそう。
不死だと、時間がありすぎて仕事中毒にでもなるの?
そんなくだらない事を考えながら一階まで下りると、一気に部屋に戻りたい気にさせられた。
エレベーターが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、露出の高い服を着てフロアに立っている妖艶な女たち。
視線は全て、あたしの乗っているエレベーターに注がれている。
あからさまに『何であんな女が?』って目もあれば、あたしの首を見て納得する女もいた。
あたしの首には、まだ塞がらないレンの噛み痕があり、大袈裟にならない程度のガーゼをしてある。
それで納得するタイプなら可愛いものだ。
「なんであの子、レン様専用エレベーターの鍵を持ってるの?」
前を通って外に出ようとした時、嫉妬に燃える声が聞こえてきた。
これだから、恋と愛に脳みそを支配されている女は嫌になる。
周りなんて見えなくて、勝手な憶測と妄想で頭を一杯にして、無関係な人間に不快な思いをさせるんだからたちが悪い。
振り返ると、嫉妬の視線があたしに突き刺さる。
その瞬間、食事を食べ終わっても帰ってきたくなくなった。
根掘り葉掘り聞かれて、嫉妬に狂った女たちの攻撃を受けるのは避けたい。
あたしはマンションの出入口から出ると、足早にレストランの集まる方向へと歩き出した。
外は昼食に出てきたサラリーマンやOL、子供連れの母親集団で賑わっている。
そのせいで苦手とするベビーカーと赤ん坊に、嫌な汗とゾッとする感覚が襲う。
あたしは、大の子供嫌いだ。
たまに、嫌いな原因はなにか聞かれるけど分からない。
ただ、ゾッとして嫌悪しか感じないって事しか言えなかった。ヨダレでベタベタの手で触られたくないし、泣き叫ぶ声も我慢ならない。
なかでも、子供の中で『赤ちゃん』と呼ばれる大きさの子供がだめだ。
だからか、恋人や結婚の必要性を感じた事はなかった。
きっと、あたしには母性本能が欠けている。
唯一、愛しさを感じていたソウルメイトを失った日から、なおさら母性本能も消えてなくなった。
ぐるぐる渦巻く自分の感情に捕らわれていると、ドアベルの音に、はっとした。いつの間にか、目的の店に着いていた。
あたしの大好きな店〈ステーキハウス バイソン〉。
サラリーマンやOL、子供連れが絶対に来なくて、静かに食事出来る大好きな店。
扉を押し開くと、扉に取り付けられたドアベルが優しく鳴った。
「いらっしゃい、マリアちゃん」
「こんにちは、絢華さん」
軽やかに店の奥から出てきたのは、この店でウェイトレスをする2歳上の絢華さん。
店の制服でもあるショートパンツと、カーボーイブーツが良く似合う人。
ネルシャツは赤系で、彼女に合わせて作られたんじゃないかってぐらい素敵だ。
絢華さんは、あたしがいつも座わる一番奥にあるボックス席に案内してくれた。
どんなに混んでいても、そこだけは空けておいてくれる。あたしが静かに食べるのが好きなことを知ってから――。
「いつものでいい?」
「はい。でも、少しだけポテトを多くしてもらえますか?」
「いいわよ。兄さんに伝えるから、出来上がるまで待ってね」
伝票をテーブルに置くと、絢華さんは他の客に声をかけながら行ってしまった。このフレンドリーさが好きだ。
ただの店と客って感じではなく、まるで家族と接するように温かい。サービスがいい店より、アットホームな雰囲気のある店のほうが落ち着く。
暇になったあたしは、他の客を眺めるのをやめて鞄を引き寄せ、着信とメールを調べるため鞄の中に手を突っ込んだが――
あれ? ない!
何度も、鞄の中を探しても携帯電話はどこにもない。
道に落としたなら最悪だ。
よくドラマとかで、自分の携帯電話にかけて、拾ってくれた人に連絡して返してもらうってあるけど、あんなの夢物語。
現代人に、そんな親切な人はいない。
変な事、面倒な事には関わりたくないのが普通だ。
これは、電話会社に相談した方がいいのかな?
空腹さえ感じなくなりそうなぐらい頭を悩ませていると、見慣れた物がテーブルに置かれた。
それは、水色で艶々した――あたしの携帯電話。
「ありがと……」
人間まだまだ腐った奴ばっかりじゃないんだと顔を上げて、あたしは言葉を止めた。
「忘れてっただろ」
目の前の席に、当たり前のように座ったのは――狼呀だった。
「忘れてったは、正解じゃないと思う。あれは、うっかり忘れた時に対する言葉だけど、あたしの携帯電話は……月城さんが取り上げたんでしょ!」
顔を見て思い出した。
あたしの携帯電話は、三日前にレンとの会話中に取り上げられて、彼のジーンズの後ろポケットに消えた。
壊れてないといいけど。
あたしの体重をモノともしない腕力があるなら、それなりにトレーニングしていて体重もありそう。携帯の存在を忘れて、体重をかけられたらと考えると、身震いがした。
あたしは狼呀の存在を無視して、メールと着信を調べようと携帯に手を伸ばしたけど、いつの間にかテーブルの上から消えている。
上に向かって睨み付けると、涼しい顔をして携帯電話を見せびらかす狼呀と目が合う。
「ちょっと、返してくれない……月城さん」
「返してほしいなら、先ずは俺を名前で呼べよ」
これって、何かの拷問?
それとも、脅迫?
携帯は返してほしいけど、意地でも名前を呼びたくなかった。名前で呼んだら、今ある不確かな気持ちが確定してしまいそうで恐い。
無くしたと思っていたし、新しい物に変えてもいいかもしれない。五年近く使っているから、最近は電池もすぐ減るようにもなっていたから不便だった。
あたしは、無視する事に決めた。
それに、タイミングよくステーキがテーブルに置かれて、ほっとした。
「ありがとう、絢華さん」
おかしな事に、いつもの台詞が無くて不思議に思って見上げると、不機嫌そうに狼呀を睨む絢華さんがいた。
彼女にしては珍しい。
どんな客にも笑顔を向け、どんな体調の時でもそれは変わらないのに。
「どうしたんですか?」
「……この人、うちの店では歓迎しないのよ」
水すら置かずに、絢華さんは厨房に戻っていった。
「あなた、この店で何をしたの?」
「何もしてない。彼女たちが、少しばかり神経質なだけさ」
そう言いながら図々しくも皿を自分のほうに引き寄せ、ナイフとフォークを掴んで食べやすい大きさに切りはじめた。
「なに? あたしの食事を取る気?」
「そういう訳じゃない」
「あっそう。なら、はやく返して。そんなことしてもらわなくても、初めて食べるんじゃないし、手も使えるんだけど」
「ただ、俺がしたいだけだよ」
そう言うと、皿を返してくれた。
顔を見つめて驚いた。
狼呀は、すごく嬉しそうな顔をしている。
訳がわからずにいるとフォークだけを渡され、あたしは気を取り直して素直に食べ始めた。
週に五回は食べるけど、飽きる事はない。
香辛料とソースはレジで売っているから買ってみたものの、なぜか店と同じ味は出せなかった。
「そんなに美味しいのか?」
「ええ、かなりね。食べてみる?」
フォークに刺して、口を開けるように促すと、狼呀は目を見開いた。
呆然としてるから、あたしの行動で伝わってないのかと思ってフォークを振ってみる。
「ほら、口開けて」
ようやく狼呀はテーブルに両腕をついて、体を乗りだし口を開けた。
ステーキを口に入れて、くわえたところで、あたしはフォークをゆっくりと引いて無言で見つめる。
「たしかに、旨いな」
狼呀は微笑んだ。
少し頬と耳が赤い気がする。
「頬が赤いけど、どうかした?」
「いや……親密なことをしてくるから、びっくりしたんだ」
「親密? そんな事した?」
あたしは、そんな行動をしたって意識はなかった。
「俺たちの一族にとって、相手に食べさせるのは、親愛を意味してるんだよ」
「なっ! なにそれ!」
今度は、あたしが赤くなる番だった。
知らずにした行動だったけど、自分の迂闊さを呪いたい。
あたしは俯いて、黙々とステーキを口に運んだ。
恥ずかしすぎる。
拒絶している相手に、そんな事をするなんて。
咀嚼を繰り返していると、空いている左手に、狼呀の手が重ねられた。
「マリア」
引き抜こうとしたら優しく掴まれ、レンの体温とは真逆の温かさに胸が切なくなって、引き抜こうなんて思えなくなった。
ここが、人目のある店って忘れそう。
「なに……他に用でもあるの?」
「ああ、そうなんだ。実は、俺と試しに付き合ってほしい」
「付き合う? どうして?」
意味が分からなかった。
「俺を知ってほしいから」
優しく手の甲に親指で円を書くように撫でられ、うまく頭が働かない。
目線を上げて狼呀を見ると、あまりに優しい瞳とぶつかって体が震えそうだ。
何か言わなくちゃ。
でも、上手いかわしかたも、断る理由も思い浮かばない。
「わ、分かった。ただし……期間は一週間。それで、あたしの心が動かなかったら、二度と関わらないで」
自分で言っておきながら、なぜ提案を受け入れたのか分からなかった。
好きでも嫌いでもないのに……。
でも、何も話してくれない。
もちろん、世間話みたいなものはする。
しないのは、大事な話。
『マリアは、吸血鬼の保護下にある。彼女への無理強いは、僕たちとお前たちとの関係に亀裂を生む』
あの時、分からなかったレンの言葉。
彼は、自ら吸血鬼の事を狼呀に言った。
それに、二人の関係に亀裂?
一体、二人に何があるのか気になって仕方がない。
あたしはベッドに倒れるように横になると、天井を見上げた。
勢いがよすぎて、ベッドが弾むと同時に野性的な匂いが舞う。
顔を横に向けると、狼呀のTシャツが目に入る。
鞄を掴んで逃げるように部屋を出た時、一緒に持ってきてしまったらしい。
あれから三日が経つけど、なんとなく肌から匂いが消えていない気がする。
この部屋に入ってから、シャワーを毎日浴びてさっぱりとしているずなのにだ。
高そうな濃厚な薔薇の香りじゃ、落ちないっていうの?
なんだか気に入らない。
狼呀はたった数日前の出来事を忘れさせてくれない。
なぜか不思議な事にパニックにはなったけど、温かい腕と情熱的な瞳は安らぎを与えてくれた。
出会って間もない相手に、安らぎを見出したことなんてこれまで無かった。
「このTシャツ……どうしよう」
ぽつりと呟いてみたけど、あたしは狼呀のマンションの位置を知らないから返す方法がない。
それに、もう一度会いたいかとよくよく考えてみても、会いたいのかよくわからなかった。
狼呀と別の男で、いったい何が違うのか。
あの日、帰りの車の中でレンがあたしの耳元で、眠るように囁いた時の事を、参考までに思い出してみる。
狼呀に囁かれた時と違い、胸はドキドキしなかったけど、代わりに眠っても安全だという安心感はあった。
とはいえ、あの時はとにかく眠くて、駐車場をでる車の揺れは心地が良かったのだから、あまり参考にならない。
気がつけば、レンの家にあるゲストルームで寝ていて……。
ただ、背中に感じる温かさがなくて、あたしは淋しさを感じていた。
なにも知らない相手なのに――。
そんな事を考えていると、扉を叩く音がした。
「マリア、いいかな?」
「あ、うん。どうしたの?」
扉が開くと同時に、あたしはベッドから体を起こした。
レンは腕時計を気にしてる。
「そろそろお昼だから、お腹が空いてるかなってね。この家に食べ物はないから、買いに行くなら車を出すよ」
たしかに、言われてみればお腹が空いている。
でも、お弁当というよりは、お店で食べたい気分。
「大丈夫、ありがとう。一人でお店に行って食べるから」
あたしは食べるのがゆっくりで、食事をしないレンを付き合わせようって気にはなれない。吸血鬼にとって、食事の匂いはきついはず。
それに、レンが同じ席にいると、不釣り合いなあたしに対する嫌悪にも似た視線が痛すぎて、食事が喉を通らなくなる。
「そう? なら、お金を」
あたしは、途中で遮った。
「レン。自分で出すから」
あたしの事を少しは分かってきたレンは、同じ事を二度は言わせなかった。
「なら、一言だけ……」
レンはあたしの頬に触れた。
「知らない人に、ついて行っちゃだめだよ」
「レン。あたしは、小学生かなにか?」
あまりにも真面目な顔で言われて、あたしは笑ってしまった。
きっと、狼呀との事をレンは気にしてる。なにより、トランス状態になった自分を許せないでいる。
その証拠にあの日以来、直接は吸ってこないし、血液パックに入っているあたしの血すら飲まない。
代わりに、どんなモノからも守ろうという姿勢が強くなった。
「オートロックだから、カードキーを忘れずにね」
あたしの頬にキスをすると、レンは部屋を出ていった。
一人になると、また淋しさが忍び寄ってくる。
こんなにも自分は、寂しがりやだったなんて驚きだ。
一人の時間が好きだったはずなのに。
人混みは嫌いだけど、今は酷く必要な気がして、あたしは鞄を掴んで部屋を出た。
最上階は全てレンの物で、専用の鍵でしか動かない直通のエレベーターもある。
吸血鬼はお金持ち過ぎると、感じずにはいられない。
高級車、高級マンション、自家用ヘリに会員制クラブ。
考えただけで、頭痛がしてきそう。
不死だと、時間がありすぎて仕事中毒にでもなるの?
そんなくだらない事を考えながら一階まで下りると、一気に部屋に戻りたい気にさせられた。
エレベーターが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、露出の高い服を着てフロアに立っている妖艶な女たち。
視線は全て、あたしの乗っているエレベーターに注がれている。
あからさまに『何であんな女が?』って目もあれば、あたしの首を見て納得する女もいた。
あたしの首には、まだ塞がらないレンの噛み痕があり、大袈裟にならない程度のガーゼをしてある。
それで納得するタイプなら可愛いものだ。
「なんであの子、レン様専用エレベーターの鍵を持ってるの?」
前を通って外に出ようとした時、嫉妬に燃える声が聞こえてきた。
これだから、恋と愛に脳みそを支配されている女は嫌になる。
周りなんて見えなくて、勝手な憶測と妄想で頭を一杯にして、無関係な人間に不快な思いをさせるんだからたちが悪い。
振り返ると、嫉妬の視線があたしに突き刺さる。
その瞬間、食事を食べ終わっても帰ってきたくなくなった。
根掘り葉掘り聞かれて、嫉妬に狂った女たちの攻撃を受けるのは避けたい。
あたしはマンションの出入口から出ると、足早にレストランの集まる方向へと歩き出した。
外は昼食に出てきたサラリーマンやOL、子供連れの母親集団で賑わっている。
そのせいで苦手とするベビーカーと赤ん坊に、嫌な汗とゾッとする感覚が襲う。
あたしは、大の子供嫌いだ。
たまに、嫌いな原因はなにか聞かれるけど分からない。
ただ、ゾッとして嫌悪しか感じないって事しか言えなかった。ヨダレでベタベタの手で触られたくないし、泣き叫ぶ声も我慢ならない。
なかでも、子供の中で『赤ちゃん』と呼ばれる大きさの子供がだめだ。
だからか、恋人や結婚の必要性を感じた事はなかった。
きっと、あたしには母性本能が欠けている。
唯一、愛しさを感じていたソウルメイトを失った日から、なおさら母性本能も消えてなくなった。
ぐるぐる渦巻く自分の感情に捕らわれていると、ドアベルの音に、はっとした。いつの間にか、目的の店に着いていた。
あたしの大好きな店〈ステーキハウス バイソン〉。
サラリーマンやOL、子供連れが絶対に来なくて、静かに食事出来る大好きな店。
扉を押し開くと、扉に取り付けられたドアベルが優しく鳴った。
「いらっしゃい、マリアちゃん」
「こんにちは、絢華さん」
軽やかに店の奥から出てきたのは、この店でウェイトレスをする2歳上の絢華さん。
店の制服でもあるショートパンツと、カーボーイブーツが良く似合う人。
ネルシャツは赤系で、彼女に合わせて作られたんじゃないかってぐらい素敵だ。
絢華さんは、あたしがいつも座わる一番奥にあるボックス席に案内してくれた。
どんなに混んでいても、そこだけは空けておいてくれる。あたしが静かに食べるのが好きなことを知ってから――。
「いつものでいい?」
「はい。でも、少しだけポテトを多くしてもらえますか?」
「いいわよ。兄さんに伝えるから、出来上がるまで待ってね」
伝票をテーブルに置くと、絢華さんは他の客に声をかけながら行ってしまった。このフレンドリーさが好きだ。
ただの店と客って感じではなく、まるで家族と接するように温かい。サービスがいい店より、アットホームな雰囲気のある店のほうが落ち着く。
暇になったあたしは、他の客を眺めるのをやめて鞄を引き寄せ、着信とメールを調べるため鞄の中に手を突っ込んだが――
あれ? ない!
何度も、鞄の中を探しても携帯電話はどこにもない。
道に落としたなら最悪だ。
よくドラマとかで、自分の携帯電話にかけて、拾ってくれた人に連絡して返してもらうってあるけど、あんなの夢物語。
現代人に、そんな親切な人はいない。
変な事、面倒な事には関わりたくないのが普通だ。
これは、電話会社に相談した方がいいのかな?
空腹さえ感じなくなりそうなぐらい頭を悩ませていると、見慣れた物がテーブルに置かれた。
それは、水色で艶々した――あたしの携帯電話。
「ありがと……」
人間まだまだ腐った奴ばっかりじゃないんだと顔を上げて、あたしは言葉を止めた。
「忘れてっただろ」
目の前の席に、当たり前のように座ったのは――狼呀だった。
「忘れてったは、正解じゃないと思う。あれは、うっかり忘れた時に対する言葉だけど、あたしの携帯電話は……月城さんが取り上げたんでしょ!」
顔を見て思い出した。
あたしの携帯電話は、三日前にレンとの会話中に取り上げられて、彼のジーンズの後ろポケットに消えた。
壊れてないといいけど。
あたしの体重をモノともしない腕力があるなら、それなりにトレーニングしていて体重もありそう。携帯の存在を忘れて、体重をかけられたらと考えると、身震いがした。
あたしは狼呀の存在を無視して、メールと着信を調べようと携帯に手を伸ばしたけど、いつの間にかテーブルの上から消えている。
上に向かって睨み付けると、涼しい顔をして携帯電話を見せびらかす狼呀と目が合う。
「ちょっと、返してくれない……月城さん」
「返してほしいなら、先ずは俺を名前で呼べよ」
これって、何かの拷問?
それとも、脅迫?
携帯は返してほしいけど、意地でも名前を呼びたくなかった。名前で呼んだら、今ある不確かな気持ちが確定してしまいそうで恐い。
無くしたと思っていたし、新しい物に変えてもいいかもしれない。五年近く使っているから、最近は電池もすぐ減るようにもなっていたから不便だった。
あたしは、無視する事に決めた。
それに、タイミングよくステーキがテーブルに置かれて、ほっとした。
「ありがとう、絢華さん」
おかしな事に、いつもの台詞が無くて不思議に思って見上げると、不機嫌そうに狼呀を睨む絢華さんがいた。
彼女にしては珍しい。
どんな客にも笑顔を向け、どんな体調の時でもそれは変わらないのに。
「どうしたんですか?」
「……この人、うちの店では歓迎しないのよ」
水すら置かずに、絢華さんは厨房に戻っていった。
「あなた、この店で何をしたの?」
「何もしてない。彼女たちが、少しばかり神経質なだけさ」
そう言いながら図々しくも皿を自分のほうに引き寄せ、ナイフとフォークを掴んで食べやすい大きさに切りはじめた。
「なに? あたしの食事を取る気?」
「そういう訳じゃない」
「あっそう。なら、はやく返して。そんなことしてもらわなくても、初めて食べるんじゃないし、手も使えるんだけど」
「ただ、俺がしたいだけだよ」
そう言うと、皿を返してくれた。
顔を見つめて驚いた。
狼呀は、すごく嬉しそうな顔をしている。
訳がわからずにいるとフォークだけを渡され、あたしは気を取り直して素直に食べ始めた。
週に五回は食べるけど、飽きる事はない。
香辛料とソースはレジで売っているから買ってみたものの、なぜか店と同じ味は出せなかった。
「そんなに美味しいのか?」
「ええ、かなりね。食べてみる?」
フォークに刺して、口を開けるように促すと、狼呀は目を見開いた。
呆然としてるから、あたしの行動で伝わってないのかと思ってフォークを振ってみる。
「ほら、口開けて」
ようやく狼呀はテーブルに両腕をついて、体を乗りだし口を開けた。
ステーキを口に入れて、くわえたところで、あたしはフォークをゆっくりと引いて無言で見つめる。
「たしかに、旨いな」
狼呀は微笑んだ。
少し頬と耳が赤い気がする。
「頬が赤いけど、どうかした?」
「いや……親密なことをしてくるから、びっくりしたんだ」
「親密? そんな事した?」
あたしは、そんな行動をしたって意識はなかった。
「俺たちの一族にとって、相手に食べさせるのは、親愛を意味してるんだよ」
「なっ! なにそれ!」
今度は、あたしが赤くなる番だった。
知らずにした行動だったけど、自分の迂闊さを呪いたい。
あたしは俯いて、黙々とステーキを口に運んだ。
恥ずかしすぎる。
拒絶している相手に、そんな事をするなんて。
咀嚼を繰り返していると、空いている左手に、狼呀の手が重ねられた。
「マリア」
引き抜こうとしたら優しく掴まれ、レンの体温とは真逆の温かさに胸が切なくなって、引き抜こうなんて思えなくなった。
ここが、人目のある店って忘れそう。
「なに……他に用でもあるの?」
「ああ、そうなんだ。実は、俺と試しに付き合ってほしい」
「付き合う? どうして?」
意味が分からなかった。
「俺を知ってほしいから」
優しく手の甲に親指で円を書くように撫でられ、うまく頭が働かない。
目線を上げて狼呀を見ると、あまりに優しい瞳とぶつかって体が震えそうだ。
何か言わなくちゃ。
でも、上手いかわしかたも、断る理由も思い浮かばない。
「わ、分かった。ただし……期間は一週間。それで、あたしの心が動かなかったら、二度と関わらないで」
自分で言っておきながら、なぜ提案を受け入れたのか分からなかった。
好きでも嫌いでもないのに……。
0
お気に入りに追加
99
あなたにおすすめの小説
【完結済】病弱な姉に婚約者を寝取られたので、我慢するのをやめる事にしました。
夜乃トバリ
恋愛
シシュリカ・レーンには姉がいる。儚げで美しい姉――病弱で、家族に愛される姉、使用人に慕われる聖女のような姉がいる――。
優しい優しいエウリカは、私が家族に可愛がられそうになるとすぐに体調を崩す。
今までは、気のせいだと思っていた。あんな場面を見るまでは……。
※他の作品と書き方が違います※
『メリヌの結末』と言う、おまけの話(補足)を追加しました。この後、当日中に『レウリオ』を投稿予定です。一時的に完結から外れますが、本日中に完結設定に戻します。
【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?
曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」
エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。
最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。
(王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様)
しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……?
小説家になろう様でも更新中
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
【完結】貴方達から離れたら思った以上に幸せです!
なか
恋愛
「君の妹を正妻にしたい。ナターリアは側室になり、僕を支えてくれ」
信じられない要求を口にした夫のヴィクターは、私の妹を抱きしめる。
私の両親も同様に、妹のために受け入れろと口を揃えた。
「お願いお姉様、私だってヴィクター様を愛したいの」
「ナターリア。姉として受け入れてあげなさい」
「そうよ、貴方はお姉ちゃんなのよ」
妹と両親が、好き勝手に私を責める。
昔からこうだった……妹を庇護する両親により、私の人生は全て妹のために捧げていた。
まるで、妹の召使のような半生だった。
ようやくヴィクターと結婚して、解放されたと思っていたのに。
彼を愛して、支え続けてきたのに……
「ナターリア。これからは妹と一緒に幸せになろう」
夫である貴方が私を裏切っておきながら、そんな言葉を吐くのなら。
もう、いいです。
「それなら、私が出て行きます」
……
「「「……え?」」」
予想をしていなかったのか、皆が固まっている。
でも、もう私の考えは変わらない。
撤回はしない、決意は固めた。
私はここから逃げ出して、自由を得てみせる。
だから皆さん、もう関わらないでくださいね。
◇◇◇◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです。
【完結】さようならと言うしかなかった。
ユユ
恋愛
卒業の1ヶ月後、デビュー後に親友が豹変した。
既成事実を経て婚約した。
ずっと愛していたと言った彼は
別の令嬢とも寝てしまった。
その令嬢は彼の子を孕ってしまった。
友人兼 婚約者兼 恋人を失った私は
隣国の伯母を訪ねることに…
*作り話です
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
竜人さまに狂愛される悪役令嬢には王子なんか必要ありません!
深月カナメ
恋愛
ある日突然に自分は悪役令嬢シャルロットだと気がついた。
その時、目の前には憧れていた乙女ゲームの王子クレア殿下がいた。
婚約者となったのだけど、殿下は私に「お前から話しかけるな虫酸が走る」と言われた。
何だ私って殿下に嫌われているんだ。
ガッカリ……
タイトルが変わります。
《 悪役令嬢の私は婚約者の殿下に嫌われているようです。》から
『 竜人さまに狂愛される悪役令嬢には王子なんか必要ありません!』となります。
来たる、5月22日(金)に
『 竜人さまに狂愛される悪役令嬢には王子なんか必要ありません!』が
電子書籍版とレンタル版で先行配信いたします!
是非、ご覧くださいませ。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる