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10 心の鍵

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 家を出た途端に、自分の心とは違い雲ひとつない空模様に、もう帰りたくなった。
 いつもどおりの黒いTシャツとダメージ加工だらけの黒いジーンズに身を包んで、今日ばかりはブーツではなくキャンパスシューズを履くことにして、少し大きめな鞄を肩に掛けた。
 今日は、洋館でのビデオ撮影だ。
 新しいことに関わるワクワク感と、好むものが撮れるだろうかという不安感がごちゃまぜな感情のせいで、いまいち気分がよくない。
 気持ちが晴れないままマンションを出た所で、車のクラクションが鳴らされ顔を上げた。

「おーい、乗ってくか?」

 窓を開けて声を掛けてきたのは、真司だった。
 真司の車というカテゴリにーに、警戒心が芽生える。
 少しだけ足を止めた利央の様子に、真司は何かを察した。

「あいつはいないよ。メンバーと専用の送迎車で現場に向かってる。流石に俺が運転して連れてくのは、特別待遇すぎてまずいからな」

「そう……なら乗せてってもらおうかな」

 トランクに荷物を積み込み、助手席に座った。
 颯の車もそうだったが、真司の車も嫌な匂いもタバコの匂いもしない。
 清涼な香りに、ほっと息をついた。

「ところで、どうして乗せて行こうなんて思ったわけ?」

「あー……うん。率直に言えば、陸斗の様子が変だからだな」

「たったそれだけ?」

「いや、十分な理由だろ。うちの稼ぎ頭のグループの一番人気なんだぞ? あいつの様子が変になるのなんて、お前が原因としか思えないだろ」

「……それだけってことはないでしょ。若いんだし」

 信号で車を止めると、真司はあからさまなため息を吐いた。

「若いから、尚更だろ。それにあいつにとっては、それだけなんて軽いもんじゃない。壊れかけてたのを拾ってきたのはお前だぞ? 初めて信じられた大人であり、初恋だ。重症にもなるだろ」

 車が走り出し、外の流れていく景色を見ながら、利央はあの日を思い出していた。



 ────五年前。


 駆け出しの新人だった利央に、ほとんど仕事はなかった。
 カメラ以外の仕事を、どうしてもしたくないというプライドだけは一人前な彼女は、必要な金の為にスキャンダル写真を撮っていた。
 有名人や政界の人間が贔屓にしているバーやキャバクラ、ホテル街なんかで張り込んでいた。
 その日は、なんの収穫もなくそろそろ帰ろうかなと思いはじめている時だった。
 安すぎず、綺麗であり、プライバシーが保たれている人気のラブホテルに、近づいてくる二つの影。
 利央はすかさずカメラを構え、ズームにしてシャッターを切っていく。
 次第に明かりに近づいてきて、顔がはっきりする写真が撮れ始めた時に、連れられている人間の姿にぎくりとした。
 政界の中堅議員が手を引いていたのは、明らかに幼さの残る顔立ちの少年だった。
 この先、人を惹き付ける存在になりそうな顔に、不釣り合いなほどの静観さに隠れているビルから出て大股に歩いて行き男に声をかけた。

「中堅の議員さんが、その少年を連れてホテルだなんて……国民はどう思いますかね?」

 言葉に嘲りと嫌悪を滲ませ、カメラを構えて数枚シャッターを切れば、相手の顔はみるみる青ざめていく。
 この議員は、国民に寄り添い声を聞いて力になるというの姿が人気である。
 そんな議員が夜の街で、売春しているなんて記事が出たら致命的だろう。

「な、なんだ君はっ! 違うぞ。わ、わたしは、こんな夜更けに歩いている未成年を放ってはおけなくてだな」

 少年から手を放した議員は、もごもごと釈明を始めたが、明らかにさっき撮った写真にはホテルの方に体が向いている。

「なら、議員が少年を保護しようとしたって記事で、今の写真を使いましょうか? すぐに新聞社に駆け込んで」

「いや、それは……」

「まずいですよね?」

「ああ、その写真を消して、他言無用なでいてくれるのなら、金を払おう。いくら欲しいんだ」

 金さえ積めば、これまでどうとでもなっていたのだろう。
 途端に元気になった様子に、苛立ちが膨らんだが、なんとも思ってないふりを続けた。

「金なんて結構です。代わりに、今すぐ立ち去ってください。そうすれば、誰にも言いませんし、今夜の件は忘れます」

「な、なんだそんなことでいいのか! いいだろう」

 名残惜しさの欠片もなく、議員は夜の闇へと消えていった。
 始終一言も口にしない少年と残された利央は、新たな問題い目を向けなければならなくて頭が痛くなってきた。
 議員にあんな風に言ったが、こんなホテルの前で少年と一緒にいたら、利央が警察に捕まる可能性がある。
 
「帰る家はある?」

「……ない」

「そう。それなら悪いけど、場所を移すわよ」

 少ない反応しかしない少年の手を引いて、停めてある車に乗せて連れ帰ったのは借りているアトリエ。
 奥には生活スペースがあるアトリエに連れていき、一脚しかない椅子に座らせて、自分は床に座った。
 
「どんな事情があるのか知らないけど、今夜はここに泊まりなさい。何か食べたいなら、適当に買ってくるし、先にシャワーを浴びたければ奥にあるわ。どうする?」

「シャワーが浴びたい」

「なら、奥にあるから使いなさい。着替えは適当に置いとくから」

 先に立って歩いて浴室を教えてやると、小さく頷いた。

「私は適当にコンビニで買ってくるから、浴室にあるものは好きに使って。お湯を張って寛いだって構わまいわ」

 鞄を手に背を向けて歩き出せば、後ろから小さな声だが「ありがとう」という言葉が聞こえた。
 中身まで腐っている訳ではない彼のために食事を買ってきてやり、食事を食べ終えた途端に眠る無防備な顔に放ってはおけず、夜中に真司に電話をして話をした。
 親から子供を預かり、練習生としてアイドルを育てている真司は、翌日会いに来てくれて陸斗と話をしてくれた。
 まだ未成年だった為、親の承諾は必須であり、渋っていた陸斗を説得してくれたのも真司だった。
 あれから五年。
 磨かれた陸斗は、最初の利央の目に狂いはなかったと証明するかのように光り輝いている。



「着いたぞ」

 その声に現実に戻された利央は、車から降りて荷物を受け取った。

「陸斗がなにかしでかしそうなら、言ってくれ」

「あの子もプロよ。仕事に私情は持ち込まないでしょ」

 実際、撮影はスムーズにいった。
 本人たちが、きちんと絵コンテや内容を理解してくれていたおかげで、中断することもなく最高のものが撮れたといってもいい。
 映像なんて初めてだったが、新たな魅力にも気づいた。今回の仕事が上手くいって、次につながったら幸せなことだ。
 そんな満ち足りた気分で、昼休憩のために自分の休憩用の部屋に戻った所──。
 たった五年の付き合いでも、陸斗が自分の仕事に誇りを持っていることを、利央は知っている。
 だから油断していたのかもしれない。
 扉を開けた瞬間、中から伸びてきた手に掴まれて引き込まれ、驚いている間にと扉が閉まって鍵のかかる音が耳に届いた。
 いつもと違って何も出来なかったのは、その時にはすでに背中を扉に押さえつけられて、唇に熱を感じていたからだ。
 驚きで目を見張る利央の唇に、叩きつけるように唇をぶつけてきたのは陸斗だった。
 ようやく離された隙きに声を紡ごうと薄く唇を開けば、すぐに唇が重なってわずかに開いていた唇の間に舌が忍び込んできた。
 心の奥に浮かび上がったのは、恐怖でもなんでもなく焦りで、両手で力いっぱい押し返した。
 かつてのひ弱な様子はなく、大きな決意は揺るぎないのかびくともしない。
 口内を蹂躙していた舌に上顎をくすぐられ、膝を震わせればようやく唇が離れた。
 思わず口元を手で覆った利央を見つめる陸斗は、見せつけるように濡れ光る唇を舌で舐めた。

「これで分かった? あの日言ったこと。僕は弟でも、ただの年下アイドルでもない。男なんだよ」

「な、なんで」

「僕の想いをいつも利央さんは刷り込みだって言うけど違う。本気で愛していなきゃ、自分の今の立場を天秤にかけたって、こんなことしないよ。今回ばかりは、指を咥えて見てるなんてことはしないから」
 
 にっこりと笑った顔も、これまで見たことのない色香を感じさせるもので、どうしてこんなことになったのか利央は誰かに教えてほしくなった。





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