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7 隠したい心
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順調に進んだ撮影から二日。
その二日間に、一切のメッセージの返信をしなかった結果、ミュージックビデオの撮影の打ち合わせのために真司の事務所に来た結果──。
『逃しませんよ』
打ち合わせが終わり、壁の隅に追い詰められていた。
「なんでメッセージを無視するんですか?」
「そんなの……話す必要がないから」
「なら、あの時の話なんてどうでもいいです。俺は、利央さんと食事をしてゆっくり話をしたいだけですから」
突っぱねようにも、そんな言い方をされたら無下にできない。
「……それくらいなら」
「今夜、他に予定はありますか?」
「ない」
今の機会を失ったら、恐らく利央はまたジタバタと無駄なあがきをしてしまいそうで頷いた。
一回食事をすれば、颯も満足するだろうと思ってのことでもある。
そんな気分も、了承した後に裏切られることになった。
「なんでレストランも居酒屋もだめなのよ」
それはどこで食事をするのかという段階で訪れた。
「落ち着いて話が出来ないでしょう。周りの音や声がうるさすぎて」
「真司に聞けば、芸能人御用達の密会でもできそうな店を紹介してくれるわよ」
「そんなの、なおさら嫌ですね。なんで利央さんとの時間を知らない男に紹介された店で過ごさなくちゃならないんですか」
「我が儘すぎない?」
呆れるような言い草に、だんだんと面倒くさくなってくる。
「だったら、あなたの好きな場所でいいわよ」
投げやりに言えば、天使に角が生えたのかってぐらいの代わりようで、颯はゆったりと微笑んだ。
「それなら食事は俺の部屋でしましょう。食事は用意しますから、気軽な気持ちで来てください。マンションは知ってますもんね? 20時に、俺の部屋は20階の一番奥にありますから、この鍵で入ってきてください」
手渡されたのは、カードキーだった。
「こんな大事なもの簡単に人に渡すもんじゃないわよ。もしかしたら、行くのが嫌になってその辺の可愛い子にあげちゃうかもよ?」
「利央さんは、そんなことしませんよ」
「七年の年月を忘れてるんじゃない? 何を根拠に信じられるのよ」
「ただ信じているだけですよ。待ってますから」
まるで壁ドンだった姿勢を解く時に、どさくさに紛れて額に口づけを落とした。
宥めるような、甘やかすような不思議な気持ちにさせる口づけに、顔に熱が集まってくるのが分かって落ち着かない気持ちになる。
当の本人は、さっさと会議室を出て廊下を歩いていってしまう。
しばらく、揺さぶられた心が元通りになるまで時間がかかった。
どうにか立ち直れたのは、こんな現場を真司や陸斗に見られたらなんと言われるだろうかという羞恥心からである。
会議室を出た利央は、残り時間でどう過ごそうかと考えた。
別に恋人でもない相手のために、着替える必要はない。
寧ろ、シャワーを浴びて着替えたりなんかしたら、まるで楽しみにしているみたいではないか。
そんな風に思われるのはなんだか癪で、利央は一度家に帰るという考えは捨てて、軽い手土産を探しにデパ地下を目指すことにした。
──19時50分。
流石にオートロックの入り口はカードキーを使って入ったが、玄関の扉は勝手に開けて入ろうとは思えなかった利央は、壁に取り付けられたインターホンを押した。
カメラ付きのインターホンだから、返事が返ってくる前に扉が開いて、ほっとした表情の颯が顔を覗かせた。
「インターホンを鳴らすなんてそんなことしないで、勝手に入ってきてくれたらよかったのに」
「知っている相手だからって、部屋に勝手に入るなんて非常識……許されるのは、家族か彼女だけでしょうが」
「えっ……利央さんは、似たようなものでしょ」
「残念ながら違います。それに、約束よりも時間が早いし、先客の彼女でもいたら修羅場でしょ。その手のトラブルには巻き込まれたくありません」
「そんなのいないよ。だから、いつだって突然訪ねてきてくれていいですよ」
颯は扉を抑えながら、利央が通れるだけのスペースを開けると中に入るように促した。招かれた玄関は靴が出しっぱなしになっていることもなく綺麗で、玄関特有のこもった匂いもせず、清涼な香りがする。
まさに高級マンションに来ましたという感じに、感心してしまう。
「そのスリッパは、履いても履かなくても好きにしてください」
「そりゃ、わざわざ家じゃ履かないけど、人の家に上がる時には履くわよ」
実際、家での利央はスリッパは履かない。用意はしてあるのだが、いちいち履いたり脱いだりが面倒なのだ。
「リビングはこっちですよ」
指し示されたのは廊下の先にある扉だ。真司の家を知っている利央にとっては馴染みのある間取りで、なんとなく配置は分かる。
「間取りが気になるなら、内覧会でもしますか? 隅々まで教えますよ」
「別に必要ないわよ。ただ、同じマンションだと階は違っても間取りは同じようなものなんだなと思っただけ」
「ああ……そういえば、陸斗の部屋を知ってるんでしたっけね」
「せ、正確には真司の所有する部屋よ」
陸斗の話題になった途端に、颯の纏う空気が冷たいものになって、思わず声が裏返ってしまった。
いくつもの扉を通り過ぎ入ったリビングは、間接照明が置かれていて落ち着く色合いを出している。
「食事はこっちのダイニングテーブルで、食後に呑むのはそっちのソファーでいいかな?」
「呑むと言えば、忘れるところだった。これ、食後に飲んでもいいし、とっといても構わないから」
「えっ、わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「人の家を尋ねるのに、手ぶらってわけにはいかないでしょ? けど、好みが分からないから赤白両方のワインを買ってきたの。でも、ワインが好きじゃなかったら、誰かにあげてもいいから」
「これは俺がもらったものですから、誰にもあげませんよ。他の荷物は、その辺のソファーにでも置いてください。さあ、座ってください」
示されたダイニングテーブルには、すでに何品かの料理が並べられていて、カトラリーと揃いの食器まできちんと揃っている。ちょうど見える位置にある食器棚には、洒落たカップまで見える。
一人暮らしの男性の家にしては、あまりにも揃っている様子に利央は颯に生温かい視線を送った。
「ははーん、やっぱり……」
「何? 良くないことを考えているのは、その顔を見れば分かります。けど、外食が好きじゃなくて、料理が好きなだけですよ」
スッ、と椅子を引いてくれるスマートな様子に、ありがたく座ろうとすると最適なタイミングで椅子を押してくれた。
座るのかと思っていた颯は、キッチンに入っていき皿に盛り付けているような音と、良い匂いを漂わせてきた。
手際の良さに、昔の事が頭を過ぎる。
逃げ出した日よりも少し前に、食事もそっちのけで写真を撮っている利央を心配して訪ねてきたのは、夏休み中の颯だった。
利央の親に頼まれて、様子を見に来た颯は慣れない手付きでそうめんを茹でてくれた。
ただ茹でるだけだと思っていたのか、掻き混ぜ忘れたせいで麺の端がくっついたままの少し硬いものだったけど、あの日の利央にとっては忘れられない美味しさだった。
そんな颯が、今では焦ることもなく料理をする様子は、七年の歳月を感じさせた。
「どうかしましたか?」
目の前に、皿が置かれて我に返った。
綺麗に焼かれたステーキと付け合せの野菜が、利央の空腹を刺激した。
「少し思い出してただけ。そうめん茹でるだけでもテンパってたのに、こんなに手際よく作れるようになったんだなぁって」
「忘れてください。一体、何年前の話ですか」
「ふふ、忘れないよ。私にとっては、美味しかった思い出だもの」
「利央さんっ」
向かいに座った颯は、目元を薄っすらと赤く染めた。
再会してから、大人びた何事にも動じないような姿しか見ていなくて、安心する可愛らしさに利央は微笑んだ。
「さあ、まずは食事をしましょう」
「そうね。用意してくれてありがとう。いただきます」
ナイフとフォークを手にステーキを切れば、焼き加減は完璧なミディアムで肉自体も良いものなのか柔らかくて美味しい。
テーブルの真ん中にはサラダのボウルが置いてあって、ちらりと見るとすかさず颯が取り分けてくれる。
「ありがとう。よく欲しいタイミングが分かるわね」
「昔から、利央さんは少し肉を食べると野菜を食べてたからね。それにお昼以外の食事では白米は食べない」
「なんだかゾクッとする言い方ね」
微笑んで話題を流した颯は、食事の間の話題の振り方が上手く、うるさくもなく楽しい時間を提供してくれた。
離れていた七年以上の付き合いのある気安さに、心が穏やかになる。
これなら気楽な友人としての付き合いができるかもしれない。
「赤ワインを開けますけど、つまみはチーズとサラミでいいですか?」
「ありがとう。ワインとグラスは持っていっとくね」
「お願いします」
ソファー前のテーブルにワイングラスとワインを用意して待っていると、二人の間に一口サイズに切ったチーズとサラミが乗ったカッティングボードが置かれた。
おしゃれだなと利央が思うのも無理はない。
チーズにはきちんとピックが刺さっているのだ。
利央だったら、間違いなく楊枝か素手で済ましてしまう。
一体どこでここまでの人間性を磨いてきたのだろうかと思ったが、考えてみれば昔から細かいことにも拘るタイプだったと自己完結しながら頷いた。
そんな事をしていると、颯はワインを手にしていた。
ここは年上として、ワインを開けてやろうと思ったのだが、慣れた手付きでコルクを抜いてしまった。
捲りあげたシャツから覗く腕の筋肉の動きは、惚れ惚れするものがあった。
ぽーっとしながら受け取ったグラスにワインが注がれ、改めて一挙一動を目で追いながら筋肉をつまみに一口口に含む。
「たいして高いワインじゃないけど、味は悪くないわね」
「美味しですよ。飲みやすくて」
いつの間にか、室内には小さな音で音楽が流されていて、沈黙も嫌な時間ではない。
静かに、どれくらいの間グラスを傾けていたのだろう。
その沈黙を破ったのは、颯だった、
「陸斗のことについては……利央さんの言うとおりで、俺には関係のないことなので聞きません。正直……二人の秘密って感じが気に入りませんけど」
「なら、なんの話をする?」
「なんでもいいんですか?」
そう返されて、利央は墓穴を掘った気しかしなかった。
かといって、自分で振っておきながら、今更話題を限定するのも気まずい。
「とりあえず、言ってみたら?」
どんな話題になってもいいように、ワインを一気に呷った。
「じゃあ……七年前、どうして姿を消したんですか?」
思わず見つめた颯の目の奥には、少なからず理解しているような熱が潜んでいた。
「べ、別に、消えた訳じゃないし。もともと、帰省していただけで」
「嘘。卒業制作のために、スタジオで写真を撮った日から、分かりやすいくらい俺を避け始めたじゃないですか」
「そ、その制作で時間がなかったからっ」
アルコールの回り始めた頭で、どうにか訳も分からない言い訳を重ねる唇に、颯の指先が当てられて押し黙る。
白熱する内に近づいていた彼の熱の強さに、利央はめまいを起こしそうだった。
あまりの近さに、彼自身の匂いなのか、香水の香りなのか分からない、甘く官能的な匂いが鼻をくすぐる。
「そうやって、言い訳して逃げるのって疲れませんか?」
「なに言って……」
お互いの瞳に映り、唇に感じる吐息の熱に、胸の奥が甘く痺れる。
「今なら、アルコールのせいにできますよ?」
それは悪魔の囁きだ。
欲望を引きずり出し、悪ですら善に変えるような──。
「……それなら」
利央が答えを導き出す前に、まるで自然と引き合うように唇が重なった。
その二日間に、一切のメッセージの返信をしなかった結果、ミュージックビデオの撮影の打ち合わせのために真司の事務所に来た結果──。
『逃しませんよ』
打ち合わせが終わり、壁の隅に追い詰められていた。
「なんでメッセージを無視するんですか?」
「そんなの……話す必要がないから」
「なら、あの時の話なんてどうでもいいです。俺は、利央さんと食事をしてゆっくり話をしたいだけですから」
突っぱねようにも、そんな言い方をされたら無下にできない。
「……それくらいなら」
「今夜、他に予定はありますか?」
「ない」
今の機会を失ったら、恐らく利央はまたジタバタと無駄なあがきをしてしまいそうで頷いた。
一回食事をすれば、颯も満足するだろうと思ってのことでもある。
そんな気分も、了承した後に裏切られることになった。
「なんでレストランも居酒屋もだめなのよ」
それはどこで食事をするのかという段階で訪れた。
「落ち着いて話が出来ないでしょう。周りの音や声がうるさすぎて」
「真司に聞けば、芸能人御用達の密会でもできそうな店を紹介してくれるわよ」
「そんなの、なおさら嫌ですね。なんで利央さんとの時間を知らない男に紹介された店で過ごさなくちゃならないんですか」
「我が儘すぎない?」
呆れるような言い草に、だんだんと面倒くさくなってくる。
「だったら、あなたの好きな場所でいいわよ」
投げやりに言えば、天使に角が生えたのかってぐらいの代わりようで、颯はゆったりと微笑んだ。
「それなら食事は俺の部屋でしましょう。食事は用意しますから、気軽な気持ちで来てください。マンションは知ってますもんね? 20時に、俺の部屋は20階の一番奥にありますから、この鍵で入ってきてください」
手渡されたのは、カードキーだった。
「こんな大事なもの簡単に人に渡すもんじゃないわよ。もしかしたら、行くのが嫌になってその辺の可愛い子にあげちゃうかもよ?」
「利央さんは、そんなことしませんよ」
「七年の年月を忘れてるんじゃない? 何を根拠に信じられるのよ」
「ただ信じているだけですよ。待ってますから」
まるで壁ドンだった姿勢を解く時に、どさくさに紛れて額に口づけを落とした。
宥めるような、甘やかすような不思議な気持ちにさせる口づけに、顔に熱が集まってくるのが分かって落ち着かない気持ちになる。
当の本人は、さっさと会議室を出て廊下を歩いていってしまう。
しばらく、揺さぶられた心が元通りになるまで時間がかかった。
どうにか立ち直れたのは、こんな現場を真司や陸斗に見られたらなんと言われるだろうかという羞恥心からである。
会議室を出た利央は、残り時間でどう過ごそうかと考えた。
別に恋人でもない相手のために、着替える必要はない。
寧ろ、シャワーを浴びて着替えたりなんかしたら、まるで楽しみにしているみたいではないか。
そんな風に思われるのはなんだか癪で、利央は一度家に帰るという考えは捨てて、軽い手土産を探しにデパ地下を目指すことにした。
──19時50分。
流石にオートロックの入り口はカードキーを使って入ったが、玄関の扉は勝手に開けて入ろうとは思えなかった利央は、壁に取り付けられたインターホンを押した。
カメラ付きのインターホンだから、返事が返ってくる前に扉が開いて、ほっとした表情の颯が顔を覗かせた。
「インターホンを鳴らすなんてそんなことしないで、勝手に入ってきてくれたらよかったのに」
「知っている相手だからって、部屋に勝手に入るなんて非常識……許されるのは、家族か彼女だけでしょうが」
「えっ……利央さんは、似たようなものでしょ」
「残念ながら違います。それに、約束よりも時間が早いし、先客の彼女でもいたら修羅場でしょ。その手のトラブルには巻き込まれたくありません」
「そんなのいないよ。だから、いつだって突然訪ねてきてくれていいですよ」
颯は扉を抑えながら、利央が通れるだけのスペースを開けると中に入るように促した。招かれた玄関は靴が出しっぱなしになっていることもなく綺麗で、玄関特有のこもった匂いもせず、清涼な香りがする。
まさに高級マンションに来ましたという感じに、感心してしまう。
「そのスリッパは、履いても履かなくても好きにしてください」
「そりゃ、わざわざ家じゃ履かないけど、人の家に上がる時には履くわよ」
実際、家での利央はスリッパは履かない。用意はしてあるのだが、いちいち履いたり脱いだりが面倒なのだ。
「リビングはこっちですよ」
指し示されたのは廊下の先にある扉だ。真司の家を知っている利央にとっては馴染みのある間取りで、なんとなく配置は分かる。
「間取りが気になるなら、内覧会でもしますか? 隅々まで教えますよ」
「別に必要ないわよ。ただ、同じマンションだと階は違っても間取りは同じようなものなんだなと思っただけ」
「ああ……そういえば、陸斗の部屋を知ってるんでしたっけね」
「せ、正確には真司の所有する部屋よ」
陸斗の話題になった途端に、颯の纏う空気が冷たいものになって、思わず声が裏返ってしまった。
いくつもの扉を通り過ぎ入ったリビングは、間接照明が置かれていて落ち着く色合いを出している。
「食事はこっちのダイニングテーブルで、食後に呑むのはそっちのソファーでいいかな?」
「呑むと言えば、忘れるところだった。これ、食後に飲んでもいいし、とっといても構わないから」
「えっ、わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「人の家を尋ねるのに、手ぶらってわけにはいかないでしょ? けど、好みが分からないから赤白両方のワインを買ってきたの。でも、ワインが好きじゃなかったら、誰かにあげてもいいから」
「これは俺がもらったものですから、誰にもあげませんよ。他の荷物は、その辺のソファーにでも置いてください。さあ、座ってください」
示されたダイニングテーブルには、すでに何品かの料理が並べられていて、カトラリーと揃いの食器まできちんと揃っている。ちょうど見える位置にある食器棚には、洒落たカップまで見える。
一人暮らしの男性の家にしては、あまりにも揃っている様子に利央は颯に生温かい視線を送った。
「ははーん、やっぱり……」
「何? 良くないことを考えているのは、その顔を見れば分かります。けど、外食が好きじゃなくて、料理が好きなだけですよ」
スッ、と椅子を引いてくれるスマートな様子に、ありがたく座ろうとすると最適なタイミングで椅子を押してくれた。
座るのかと思っていた颯は、キッチンに入っていき皿に盛り付けているような音と、良い匂いを漂わせてきた。
手際の良さに、昔の事が頭を過ぎる。
逃げ出した日よりも少し前に、食事もそっちのけで写真を撮っている利央を心配して訪ねてきたのは、夏休み中の颯だった。
利央の親に頼まれて、様子を見に来た颯は慣れない手付きでそうめんを茹でてくれた。
ただ茹でるだけだと思っていたのか、掻き混ぜ忘れたせいで麺の端がくっついたままの少し硬いものだったけど、あの日の利央にとっては忘れられない美味しさだった。
そんな颯が、今では焦ることもなく料理をする様子は、七年の歳月を感じさせた。
「どうかしましたか?」
目の前に、皿が置かれて我に返った。
綺麗に焼かれたステーキと付け合せの野菜が、利央の空腹を刺激した。
「少し思い出してただけ。そうめん茹でるだけでもテンパってたのに、こんなに手際よく作れるようになったんだなぁって」
「忘れてください。一体、何年前の話ですか」
「ふふ、忘れないよ。私にとっては、美味しかった思い出だもの」
「利央さんっ」
向かいに座った颯は、目元を薄っすらと赤く染めた。
再会してから、大人びた何事にも動じないような姿しか見ていなくて、安心する可愛らしさに利央は微笑んだ。
「さあ、まずは食事をしましょう」
「そうね。用意してくれてありがとう。いただきます」
ナイフとフォークを手にステーキを切れば、焼き加減は完璧なミディアムで肉自体も良いものなのか柔らかくて美味しい。
テーブルの真ん中にはサラダのボウルが置いてあって、ちらりと見るとすかさず颯が取り分けてくれる。
「ありがとう。よく欲しいタイミングが分かるわね」
「昔から、利央さんは少し肉を食べると野菜を食べてたからね。それにお昼以外の食事では白米は食べない」
「なんだかゾクッとする言い方ね」
微笑んで話題を流した颯は、食事の間の話題の振り方が上手く、うるさくもなく楽しい時間を提供してくれた。
離れていた七年以上の付き合いのある気安さに、心が穏やかになる。
これなら気楽な友人としての付き合いができるかもしれない。
「赤ワインを開けますけど、つまみはチーズとサラミでいいですか?」
「ありがとう。ワインとグラスは持っていっとくね」
「お願いします」
ソファー前のテーブルにワイングラスとワインを用意して待っていると、二人の間に一口サイズに切ったチーズとサラミが乗ったカッティングボードが置かれた。
おしゃれだなと利央が思うのも無理はない。
チーズにはきちんとピックが刺さっているのだ。
利央だったら、間違いなく楊枝か素手で済ましてしまう。
一体どこでここまでの人間性を磨いてきたのだろうかと思ったが、考えてみれば昔から細かいことにも拘るタイプだったと自己完結しながら頷いた。
そんな事をしていると、颯はワインを手にしていた。
ここは年上として、ワインを開けてやろうと思ったのだが、慣れた手付きでコルクを抜いてしまった。
捲りあげたシャツから覗く腕の筋肉の動きは、惚れ惚れするものがあった。
ぽーっとしながら受け取ったグラスにワインが注がれ、改めて一挙一動を目で追いながら筋肉をつまみに一口口に含む。
「たいして高いワインじゃないけど、味は悪くないわね」
「美味しですよ。飲みやすくて」
いつの間にか、室内には小さな音で音楽が流されていて、沈黙も嫌な時間ではない。
静かに、どれくらいの間グラスを傾けていたのだろう。
その沈黙を破ったのは、颯だった、
「陸斗のことについては……利央さんの言うとおりで、俺には関係のないことなので聞きません。正直……二人の秘密って感じが気に入りませんけど」
「なら、なんの話をする?」
「なんでもいいんですか?」
そう返されて、利央は墓穴を掘った気しかしなかった。
かといって、自分で振っておきながら、今更話題を限定するのも気まずい。
「とりあえず、言ってみたら?」
どんな話題になってもいいように、ワインを一気に呷った。
「じゃあ……七年前、どうして姿を消したんですか?」
思わず見つめた颯の目の奥には、少なからず理解しているような熱が潜んでいた。
「べ、別に、消えた訳じゃないし。もともと、帰省していただけで」
「嘘。卒業制作のために、スタジオで写真を撮った日から、分かりやすいくらい俺を避け始めたじゃないですか」
「そ、その制作で時間がなかったからっ」
アルコールの回り始めた頭で、どうにか訳も分からない言い訳を重ねる唇に、颯の指先が当てられて押し黙る。
白熱する内に近づいていた彼の熱の強さに、利央はめまいを起こしそうだった。
あまりの近さに、彼自身の匂いなのか、香水の香りなのか分からない、甘く官能的な匂いが鼻をくすぐる。
「そうやって、言い訳して逃げるのって疲れませんか?」
「なに言って……」
お互いの瞳に映り、唇に感じる吐息の熱に、胸の奥が甘く痺れる。
「今なら、アルコールのせいにできますよ?」
それは悪魔の囁きだ。
欲望を引きずり出し、悪ですら善に変えるような──。
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✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
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○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
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