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第二章
17、言の葉の泉(2)
しおりを挟む森を抜ける途中で、ルシアがおもむろに口を開いた。
「ぱっとひとっ飛びするかと、思ってたんですけど」
「景色を見ながら歩くのもいいだろう」
「……ええ」
ルシアは、クライヴの気遣いを感じて嬉しくなった。
瞬間転移をすれば街まで、
簡単に辿り着けるが、歩いていけば、目で見て触れられる。
この時代の空気も景色も全部。
勿論、人のいない場所を選んで転移することも可能だが、
わざわざそんなことに魔術を使うこともないと、クライヴは言った。
『一人ならルシアの言うぱっと、ひとっ飛びで行くが、今はゆっくりルシアと歩いていきたい』
その言葉に心があたたかくなった。
土が湿っている。
夜更けに少し雨が振ったのだろう。
森を抜けたら一本道が続いている。
二人は街を目指して進む。
離れているといっても徒歩でいける距離に街はある。
「うっわー」
「何か見つけたか?」
「私の生まれた時代と雰囲気が随分違うなって」
ルシアは、立ち並んだ商店に感嘆の溜息を吐いた。
よほど物珍しいらしく、先程までの様子と違ってあからさまに興奮している。
クライヴを早く早くと促して腕を引っ張っている。
「お店といえば、露店だったんですよね。
お店に屋根があるなんて」
クライヴも歴史に関する文献で読んで知っていた。
「店などは変わったかもしれないが、宗教は同じだ。
俺は信心深くはないがな」
「ですよね」
通りには洋服の店、パン屋、花屋と並んでいた。
二人は当初の目的の洋服の店に入り、
ルシアが好みの服を探すことにした。
クライヴも好みのものを選びたかったが、
この時代の店に来るのは初めてのルシアに任せることにした。
彼女の楽しそうな顔を見るのが楽しいのだ。
「それだけでいいのか?」
シンプルなワンピース1着を手にしているルシアは、
もうこれだけで十分らしい。
「クライヴに、頂いたものが、たくさんありますから」
にっこりと笑ったルシアにクライヴは頷いた。
ルシアが満足ならクライヴもそれでいいのだ。
欲がないなと思いながらも。
勘定を終えて店を出るとルシアは、足を弾ませて歩き始めた。
クライヴは紙袋を抱えて
スキップしているルシアの手を慌てて掴む。
「転げたりしませんって」
ルシアはるんるんと浮き出し立っている。
花屋が視界に止まったクライヴは、
「ルシア、本物の花を買ってやるよ」
口の端を上げた。
ルシアはきょとんとする。
先程はルシアが引っ張っていた腕を
今度はクライヴが引っ張る。
「いらっしゃいませ」
並べられた生花を手に取り、クライヴが選んでいる。
「ここは俺が選んでやる」
「あ、はい」
ぼうっとしている間にクライヴは勘定を済ませたらしく、
「ありがとうございました」
店員の明るい声が聞こえてきた。
店から出たルシアとクライヴは近くのベンチに腰を下ろした。
膝の上に置かれたのは純白の花束。
「綺麗」
魔力で咲かせた花と違い、命を輝かせる時間は短い。
あっという間に、枯れてしまうのだろう。
けれどこの花は、美しかった。
自分の力で生き生きと咲いている。
魔力の花が偽物だなんて思いたくはないが、
クライヴの言葉の意味をルシアは感じ取っていた。
人の手で種から育てられ咲いた花だ。
表情を和らげるルシアの髪をクライヴは一房取って口づけた。
ふいの衝動に駆られたのだ。
抱き寄せられてルシアは慌てて花束と
衣服の入った紙袋をベンチの上に置いた。
「……お前が一番綺麗だ」
「クライヴ」
街を往く人々が振り返るけれど、公衆の面前で
抱擁する二人に驚いているだけだ。
そんなの大したことじゃなかった。
互いの姿しか目に映ってはいないから。
ぽうっと赤くなる。
「俺とずっと一緒にいてくれ」
クライヴは、自分の口から零れた言葉に驚いた。
思ってもいなかったからではない。
何かに引き寄せられるように、
言葉を発したことなんて初めてだった。
泉から、溢れる水のようだ。
腕の中のルシアが、顔を上げてクライヴを見つめる。
「あなたの側以外私の生きる場所はないわ……言ったでしょ? 」
おどけて笑うルシアを抱きしめる腕がますます強くなる。
「結婚しよう」
耳元に降って来た言葉は、戸惑わせようというものではない。
真剣なものだった。胸を打つほどの。
お茶らけた態度でいたら、
クライヴに失礼だとルシアは気を引き締めた。
照れても胸の鼓動が破裂しそうに音を立てても、
真剣に答えを出さなければいけない。
クライヴの肩口に涙が落ちていく。
悪い意味ではなく、ルシアは
こちらで暮らし出してから、
前よりも泣き虫になった気がした。
彼を想って切なくなり、狂おしい想いが駆け巡って、
温かい気持ちで満たされて
色々な感情を知るたび、新たな涙も知っていく。
感情が堰を切って溢れる。
クライヴが、ルシアの頬の涙を指先で拭う。
泣き顔で笑うルシアは、しゃくり声を上げるのみで何も言わない。
側にいることが当たり前だと、思い上がるつもりはない。
彼女に選んでほしい。
クライヴしか彼女の親しいものはいないという理由ではなく、
自分を選んでほしかった。男の我儘かもしれないが。
もし、側を離れて自由になりたいのならその道もある。
ルシアと道を違えて生きる自信はないが、束縛するだけが愛情ではないと
クライヴは思い始めていた。らしくもないけれど。
ルシアは目をこすって笑う。
涙の後の晴れやかな表情は一層眩しかった。
「結婚して下さい。私もあなたと共に生きたいの」
はっきりとした響き。
ルシアのすべてを賭けての決意は、クライヴの心を震わせた。
できるなら自分の腕の中に永遠に閉じ込めておきたいと思う。
この愛しさは言葉にできなかった。
安易な薄っぺらいものになってしまいそうで、
抱きしめて口づけることでクライヴは想いを返した。
これだけは伝えなければいけない。
「一緒に生きよう、ルシア」
頷いたルシアが、クライヴを抱きしめる。
抱きつくのではなく包み込むように。
「愛してます」
ふふっと笑ったルシアの頬に指先が触れた。
「愛してる、ルシア」
背中で繋いだ小指をぎゅっと握り締める。
間近で笑い合う二人に、立ち入る隙はない。きっと。
「お揃いの石を嵌めよう。二人だけの永遠の約束の証を」
クライヴはルシアの手を取ると薬指に口づけた。
指先を絡めたまま立ち上がった二人は、城への道を戻っていった。
魔界から戻り、未だ手つかずだった
地下からの引越し作業を始めた。
瞬間転移で運んでいることもあり、
大した時間はかからなかった。
荷物運びより元いた部屋と、新たに住む部屋の掃除に
時間を割いているくらいだ。
ルシアは、前とは違う心境で引越しに臨んでいた。
目に見える約束をしたのだから。
庭園へは訪れても地下の部屋を使うことはもうないのだろう。
地上階に私室を与えてくれたから、
一人になりたい時は、そこで過ごすことになる。
クライヴも一人の時間も持ちたいと考えているので、
彼も同様に別の部屋がある。
同じベッドで眠り目覚めることが、
互いに守らなくてはいけないルール。
四六時中共に過ごすとしても、共に眠ることは
お互いに課した定めだった。
元々、ルシアが持っていた服は、
こちらに来る時着ていたもの一着しかなかったが、
いつの間にかクローゼットに、衣服が山と重なっていた。
思えば改めてプレゼントされたのはあれが最初だった。
今までクライヴは特別何も告げず服をくれていたから、
ルシアは着て見せて感謝を表していた。
毎日衣服を選ぶのも楽しくて、
そういう楽しみを与えてくれたことも嬉しかった。
元いた時代では、裕福とはいえなかったから、
贅沢に過ぎるとも思った。
クライヴは、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の態(てい )
で、ルシアの思っていることを全部杞憂にしてしまう。
「……何かあっという間ね。もうこっちに帰ってきて
一月ひとつきだなんて」
クライヴとの時間が増えていく。
何にも塗り潰せないくらい面積を広げていく。
元の時代へ帰りたいとは思わない。
両親と姉はどうしているだろうか。
この時代では、既に鬼籍に入っている
彼らの事を思うと切なさも込み上げるのだった。
不安要素なんて、これっぽっちもない。
たまに、郷愁に心が染められるのだ。
悪いことではないと思う。
忘れた方がクライヴを苦しめないのだろう。
時々思い出すのは人として生きているんだから当然だ。
自分が生まれた世界なのだから。
城の外に出た時、過ぎった憂い。
胸の中に刻まれた懐かしい風景とどこか似ていたからだ。
(それ以上の物は何もない。
だから傷つかないで、クライヴ)
地下から上がり、厨房で煮込んだ野菜スープを食べた。
素材のよい部分が出ているそれはまろやかで優しい味で、
クライヴは何度もルシアにお替わりの皿を渡していた。
見た目からは想像できないが、クライヴは大食漢だった。
もしかしたら体力を補ってる!?
(あんまり食べたら普通は動けないわよね)
毎夜の如く甘く激しい情熱で愛される。
ルシアは彼の力強さはどうやって培われるのかと思っていた。
まさか自分の料理だったとは!
ちょっとどころではなくおかしくて、
ルシアも思いの他、食が進んだ。
食器の後片付けも終わった所で、
ルシアは思い切って切り出した。
「……クライヴ、お願いがあるんです」
クライヴは、ルシアに視線を送った。
先を促すように。
「私、子供が欲しいな」
「俺こそ喉から手が出るくらい、お前との子供が欲しい」
つねられた頬が、くすぐったくてルシアは笑い声を立てた。
クライヴは忍び笑うが、目元は緩んで、
優しい光を醸し出していた。
「俺たちが、互いを愛することを忘れなければ、
その内できるだろうよ」
「うん。私の一番欲しいものなの」
そっと頬を撫でられる。
「本当にお前は可愛いことを言う」
「……引かれないかってひやひやしてたんです。
だって突拍子もないし女の方から、
言うのははしたないでしょ」
「そんなわけないだろ。自分の行為が、
もたらすものが何なのか、
意識せずに抱いたことはなかったんだから。
お前と愛し合うことで、子供ができるかも
しれないと密かな期待と計算もしていた」
ルシアは爆弾発言を聞いて飛び退すさった。
恥ずかしげもなく真顔ですらすらとよく言える。
(真っ直ぐなんだから)
ルシアは感心しつつ果てしなく喜んでいた。
クライヴも同じ気持ちだったのだ。
「そ、そこまで考えてたなんて」
「俺とお前の命を継ぐ子供はどんな子だろう」
クライヴの手の平がルシアの頬を包む。
ルシアは瞳を閉じて首を傾けた。
唇が重なる。
泣き顔も笑顔も情けない顔だって、この人になら見せられる。
クライヴの想いは生半可ではないけれど、
嘘偽りない真実をくれる。
いつだって、夢じゃないって教えてくれた。
ふわりふわりルシアの体が、揺れる。
揺り籠の中で夢心地だ。
うっとりした気分でサンルームに入る。
クライヴは扉を乱暴に蹴破った。
ルシアを宝物のように抱く彼は、
他のものに対する扱いはぞんざいだった。
ルシアと、ルシアが大切にしている物以外、
必要ではないものに分類されるらしい。
そっと横たえられて見上げれば、
クライヴはルシアの頭の下に腕を敷いている。
腕枕をしながら、クライヴも横になって、
そっと彼女の髪を梳く。
口づけの雨が降りしきる。
夜の帳が下りる。
今夜は月が出ていない。
それでも月光のごとき光が、ルシアに降り注いでいた。
銀糸を紡いだクライヴの髪は、
月より近い場所で照らし出してくれる。
空の上なんて遠くじゃなくて、ルシアの隣りで温もりをくれる。
「クライヴ……!」
彼の想いを受け止めて想いを返す。
彼以外いらない。
魔術を使えなくても心に開いた隙間を彼は埋めてくれる。
クライヴは決して嘘をつかない。
守ると誓ってくれた腕の中でルシアは、夢を見ていた。
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