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第5話
しおりを挟む『ねずみ小僧=裏金運搬人』という仮説について、田沼意義は断言する。
「お見事です。的を射ております」
舞の中で、仮説に出てきた黒装束の男の顔が意義に変わる。
「ただ、ひとりではありません。私の供回り・渡辺良左衛門という若者も手伝ってくれてました」
黒装束がふたりになり、若い侍・良左衛門の姿が付け足される。
「指示役は、遠山景元で間違いない?どんな関係なの?」
仮説に出てきた、桜吹雪の刺青で博打を打つ金四郎の姿をイメージする。
「金四郎は、昌平坂学問所からの悪友です。互いに『金さん』『吉次郎』と通り名で呼び合ってましたね」
「吉次郎があなたの幼名?だから、ねずみ小僧は次郎吉なんだ」
「ただあやつの名誉のために申しておきますが、金四郎は生真面目な男で刺青は入れておりませんし、博打も酒もやりません」
仮説の金四郎から、桜吹雪が消えていく。
「発案者も、金さんね?」
「はい。聴取をした本物の盗賊からヒントを得た、とも言ってましたね」
交霊(テレパス)は、AI翻訳機のようなものだ。なるべく双方が理解しやすい言葉に変換してくれる。そうでなければ、江戸時代の人間との会話なんて不可能だ。
さらに舞の中で、意義と良左、金四郎に水野忠邦の姿がイメージされる。
「で、その金さんが主導して、水野忠邦の贈収賄が始まった。なぜ、あなたはこんな悪事に加担したの?」
「悪事?ああ。そうですか。この時代には、贈収賄は悪事なんですね?」
(しまった。あの時代は、贈収賄お構いなしだった。善悪は時代によって変化する。こちら側の正義を振りかざしては、意思疎通はできない)
気を悪くしてもう話してくれないかもしれない、と舞は危ぶんだ。
「それはよかった。良い時代のようだ」
杞憂だった。意義は、微笑して言った。
(へえ。価値観も進歩的な江戸人なんだ。それに、やっぱいいなあ。イケ武の笑顔は)
「我が田沼家は、意次翁の失脚以来不遇をかこっておりました。ですが老中が水野忠成殿に代わると、献金第一主義となったのです。直属の上司である忠邦殿を通じて贈賄すれば田沼家の復権が叶う、と金四郎が持ちかけてきました。文政八年、父上は三十年振りに幕閣の一員に抜擢され、所領も左遷されていた下村藩から田沼家本来の相良藩に戻りました。これは金四郎と私たちが、裏金をかき集めたからに他なりません」
「文政八年か。1825年に人生が変わった人物が、また一人増えたわね。それで、あなたの父上・田沼意正は?喜んだかしら?」
しばらく黙り込んだ意義だったが、やがて目を伏せながら話し始めた。
「ある夜のことでした…」
意義が屋敷に帰ってくると、床の間に明かりがついているのが見えた。
こっそりと障子を開ける。
そこには、白装束の胸を開いて今まさに切腹しようとする父がいた。
「父上!」
部屋に飛び込み、意正から短刀を奪い取った。
「何事です?」
意正は悲しげな目を返した。
「意義。わしを何も知らぬ、木偶の棒とでも思ったか」
「…」
「松平定信に濡れ衣を着せられたわが父・意次公がどんな思いでいらしたか、その父親の背中をわしがどんな思いで見ていたか?お主にはわかるまい」
「…」
「そればかりではない。これではわしは、わが身かわいさに下村藩を見捨てたことになる。そのうしろ暗さも無念さも、お主にはわかるまい!」
意正が短刀を奪い返そうとすのを、必死に抵抗する。
「私が浅はかでした。お許しを」
「わしは、側用人を辞退する」
「それだけは!それだけはお考え直しください!今度は、相良藩の者を路頭に迷わせることになります」
「…」
「父上、私に罰をお与えください。それで何卒!」
意正は諦めたように言った。
「罰か。では、言おう。賄賂などという毒に侵された者は、たった今から田沼家の者ではない」
「…」
御子柴神社の拝殿で、舞は意義の話を聞いた。
「勘当されたのね。私の記憶にも、恐らく田沼家の家譜にも、意義という名前はない」
「私は家名を、いや父の心を傷つけてしまったのだと、そのとき思い知りました」
「…で、あなたは?」
「自首しました」
町奉行所は北と南が月番交代で執務に当たる。その月は、金四郎が所属する南町番だった。
縄をかけられた意義が捕り方に連行され、お白州に向かう。
公事場に上ろうとする金四郎が、それに気づく。
「失敬」
同心たちに断りを入れてから、白洲に降りて捕り方の持つ縄を手に取る。
「ああ、これは‥縄が緩すぎますな。拙者が裏で直し申す。お白洲で粗相があっては一大事。さあ、来い」
意義を裏庭に引っ張っていき、おざなりに縄を直しながら
「おい、吉次郎。何の真似だ」
と、意義を睨む。
「罪を償うのさ」
「バカなことを」
「大丈夫だ。お主らのことには一切触れん。打ち合わせ通り、勘当された鳶職人が自棄になって盗みを働いた、という態だ」
「例え初犯でも、刺青を入れて江戸を所払いだぞ」
「望むところさ。江戸にいては、父上に迷惑がかかる」
「刺青は?お主のような名家の侍に、青線は似合わぬぞ」
「入れてくれ。俺も思うところがある」
「お主…」
「さっさと白洲に放り出せ。奉行所の連中に勘ぐられる」
「勝手に致せ!」
金四郎は縄を放り投げた。
つづく
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