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第2話

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 中野大学文学部棟に着いた。
(やべ。痴漢を突き出してたら遅刻した)
「日本史 大潮研究室」という札が貼られたドアを開ける。
「失礼します」
 だが室内に、学生はいなかった。
「遅い。論文オリエンテーションは、もう終了したで~」
 ただひとり大潮教授が黒板を拭いていた。
「御子柴くん、やな。論文のテーマ、決まったか?」
「あ、はい。『ねずみ小僧次郎吉』で行こうと思ってます」
「次郎吉か。ほな、論点を挙げてみ」
「はい。定説には、私なりに疑問に思うことが四つありまず」
 と、チョークを取って板書していく。 


 
 『論点①捕まらない理由』
「まず、次郎吉の盗みは十年間で百回近くに及んでいます。何故こんなにも成功したのか?」
 
 『論点②一回目の捕縛』
「ふたつ目。二年目に一度捕まりますが、このときすでに32回も大名屋敷を荒らしておきながら、所払いという軽い刑で釈放されたのはなぜか?」
 
 『論点③二回目の捕縛』
「みっつめ。二回目の捕縛は、その後七年近く経ってからです。今度の疑問は、なぜそのタイミングで犯行に及び、なぜ捕まったのか?」
 
 『論点④別人説』
「よっつめ。捕えられた次郎吉は市中引き回しにされます。でもこのとき、見物人が多いという理由で、華美な衣装に白粉といういでたちでした。もちろん異例です」
「捕えた次郎吉は別人だった。だから奉行側は素顔を見せたくなかった、と言いたいわけやな」
「あるいは、世間が顔を知っているような人物だった…とか?」
 
 大潮は聞きながらお茶を啜っている。
「五年後に起きる大塩の乱にも似たような話があるな。平八郎は事件のあと爆弾自殺するんやが、遺体の顔が滅茶苦茶で、これは別人やないかと評判になったんや」
「先生は、自称『大塩平八郎の生まれ変わり』ですもんね」
「そやねん。平八郎も教師やったしな」
(あ、否定しないんだ)
「面白そうやが、次郎吉はあんまり資料も残っとらんからなあ」
 舞はさらに「忠邦→遠山→次郎吉」と三角関係図を板書した。
「次郎吉だけではなく、水野忠邦と遠山の金さんを絡めてみようかと思ってます」
「忠邦と景元は上司と部下やけど、ふたりとも次郎吉とはどうつながるんや?」
「仮説を立ててみました。まずこの『鼠賊白状記』の中で、次郎吉が初めて盗みに入ったと証言している文政六年…」

 文政六年、1823年から話は始まります。
 遠山の金さんこと景元は、当時旗本の家の養子にはなったものの、まだ江戸市中をふらふらしている素行不良の侍でした。この日も賭場には丁半博打に興じる遠山金四郎の姿がありました。
「よっしゃ、今度こそ半だ!」
 腕まくりをして有り金全部を張る袖口からは、桜吹雪の刺青が覗きます。
 壺が開けられ、丁の目。
「ちきしょ~、今日もオケラだ」
 と、金四郎のうしろから付き人が囁く。
「金さん。寺社奉行からお呼び出しです」
「何?お奉行から?」
 もちろんのちの老中で遠山景元の生涯の上司・水野忠邦ですから、そそくさと引き揚げます。

「へへえ。お奉行様にはご機嫌うるわしゅう」
 忠邦邸の中庭でひれ伏す金四郎の前に、白房の十手が放り投げられます。
「金四郎。お主は今日から北町奉行の同心として市井の揉め事、厄介事をつぶさに精査し、大事があれば私に報告致せ」
 十手を拾いながら金四郎は不審に思う。
「北町奉行?寺社奉行の水野様が、何ゆえそのようなお役目を?」
「私はいずれ老中になる。町奉行の仕事も進んで経験しておこうと思ってな」
(要は、あちこち嘴突っ込んで目立っとこう、ってことか)
 わからぬように顔を伏せ鼻白む金四郎。
 そんな金四郎を手招いて、忠邦は声を潜める。
「それと例の件をお主に任すゆえ、しかるべき方策を探るのだ」
(例の件たあ、諸藩からの付け届けをどう受け渡しするか、だな)

 金さんは北町奉行の非常勤の同心として、取り調べに立ち会います。そして囚われた者の中に、さる藩邸に空き巣に入った次郎吉という盗賊がいた、と仮定します。
 金四郎が次郎吉から聞いた話はこうです。

 鳶職人の次郎吉、齢二三。左官の仕事でお屋敷の塀を繕いに行った際、中が御妾さんと女中ばかりであることに気づく。そこで武家屋敷に空き巣に入ることを思いついた…。
 
 金四郎は考えます。いったいなぜ武家屋敷たる場所がそこまで無用心なのか?
 享保の改革以降は二年のうち半年間が参勤の義務。残りの一年半は藩邸の当主は不在の状態。その間警護を厚くすれば幕府から謀反でも企てているのかと要らぬ詮索を受けてしまう。だから、当主不在の屋敷はしたくても警護するわけにはいかなかった。
(ふむ。こいつは、裏金運びに使えるな)


つづく

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