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魔法庁附属、魔法学校・紺碧校。本科。

飢え

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「きゃぁあっ!」
「スズメ!?」
「スズメ様っ!!」

 スズメの悲鳴と共に、ばっしゃーんっ、という擬音が相応しいほどの、盛大な水飛沫が上がった。

 濡れた床に滑ったスズメが、コントのようにバスタブへダイブしたのだ。

「ちょ、大丈夫!?」
「スズメ様、お召し物が……っ!」

 足元が滑り、反射的にバスタブの縁に手を掛けようとしたものの、運悪く累の腕があったため、避けようと遠くに手を付いて、事態が悪化したようだ。崩した体勢を戻しきれず、歩く勢いのままに頭から突っ込んだスズメ。累の両足を跨ぐように湯に浸かりながら、呆然と瞬きを繰り返している。

 スズメの細い両手は、自然の成り行きで累の胸板に置かれていた。思わず抱きしめる形で助けようと腕を上げた累だったが、すんでのところで思い留まることに成功する。が、宙に浮いたまま行き場をなくした両手が、非常に情けない。

 危ない、抱きしめるところだった、と別の意味で動揺しつつ、ハンズアップ状態のままスズメの顔色を伺う。

 先程までの、2人のことを冷淡に観察していた、有能然とした侍従のスズメではなく、年相応に幼い、無防備な表情で固まっているスズメ。柔らかい金髪が濡れ、ポタポタとお湯が滴る様は、何とも言えない悲壮感に満ちていた。白く、薄い素材のブラウスは、濡れたことでピタリと肌に吸い付き、身体の曲線も露わで目のやり場に困る。

 自分の裸は見せ慣れていても、逆の状況なんて有り得なかったからなぁ、と呑気な感想が頭を過ぎったところで、スズメの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まった。

「……っ~~~~!!」

 頰に手を当て、恥ずかしさを隠すようにバスタブの端まで逃げるスズメ。
 だが、服が濡れて上手く動けないのか、もたもたとお湯の中をもがきながら、累から距離を取っている。

「も、申し訳ありません……っ!!」

 羞恥で死んでしまいたい、と言わんばかりに顔を真っ赤にしながら平謝りするスズメ。
 久しぶりに盛大にやらかしたスズメの姿は、普段とのギャップが大きすぎて、笑いがこみ上げてくる。

「ふ、ふふっ、あはははははっ! いいね、スズメ。ナイスフォロー!」

 親指を立ててグッジョブを送る累に、キッと涙目で睨むスズメ。

「何がですかっ!」
「ほら、見てごらんクイナ。君の大先輩だって、こんな派手にやらかしちゃうんだから、いちいち重く受け止めなくていいんだよ?」
「ちょっと累様っ! 私を使って慰めるなんてっ!」
「あははははっ、いや、久しぶりにやってくれたねー、スズメ。昔はしょっちゅう、あれこれ引っ繰り返してたのを思い出したよー」
「やめてくださいっ! 最近はしてなかったじゃありませんかっ!」
「後輩の為に身体を張って教えてくれたんだよね、わかります」
「違いますっっ!! もうっ、せっかく私が……っ!」
「あははははははははは!」

 必死に弁明しようとしているが、びしょ濡れの姿では全く説得力がない。

 普段とは形成逆転で、何を言っても累に揶揄われる状況に、とうとうスズメは立ち上がってバスタブの外に出た。

「着替えてまいりますっ!」

 透けている自覚はあるのか、ぐっしょり濡れた服の上を、腕で隠すように庇いながら、足早に逃げていくスズメ。

 その後ろ姿に向けて、ごゆっくりーと軽口を投げてから、気分良くお湯の中で伸びをする。

「あー面白かったー。ね?」
「えっ……いえ、その……」
「あ、クイナもだいぶ濡れちゃったね。一緒に着替えておいで?」
「いえ、私は後で……累様をお一人にすることは……」
「そうなの? 別に気にしないけど、そういう決まりがあるなら好きにしてよ」

 【止まり木】においてのルールがあるなら、累が口を出すべきではない。せっかくスズメが身体を張って、クイナの件を有耶無耶にしてくれたのだから、更にクイナが困るような発言は避けたい。

 すっかり緊張の解れたらしいクイナは、自然な笑みを浮かべると、では、と再びタオルをお湯に浸けた。

「こそばければ、我慢なさらずおっしゃってくださいね」
「はいはーい」

 累と対することに慣れたのか、今度はしっかりと力が入っていて気持ちいい。
 有難うねーと心の中で呟きながら、されるがままに脱力した。

 クイナの動かすタオルの端が、ぱしゃり、ぱしゃり、と水面に何個もの波紋を作るのを、ぼんやりと眺めながら、この後のことを考える。

 アトリの話では、紺碧師団の副団長がやってくるらしい。
 依頼にあったノクスロスに関する追加情報か、それとも進捗確認か……。当然ながら何の成果も上がっていないのは言うまでもない。

 あ、でも立ち寄った村で、依頼対象と思われるノクスロスに遭遇したなぁ、と思い返す。
 その時は絶対に捕食できる気でいたから、アテが外れて残念だった……。

 なんてことを考えていたら、疲労と相まって、空腹を感じてきた。

 ……あー……マズイな。補給しないと……。

 それは身体の奥底から本能に訴えるような、衝動じみた飢餓感だ。ちょっとご飯を食べたい、という普通の空腹感とは違う。生命を維持する燃料が無くなることへの危機感なのか、累の中の魔力が、理性すら凌駕しそうな程に昂まり始めた。

 闇色の双眸で周囲に視線をやるが、都合よく捕食に値するだけのノクスロスなんているはずがない。
 空気中に漂うフラグメント程度では、到底満たされないだろう、この欲求。

 さて、どうしたものか。

「累、様……?」

 戸惑うクイナの声。

 見れば、累の変化を感じ取ったのか、手を止め、不安そうにこちらを見る大きな瞳と目が合った。その虹彩の奥に見える、魔力の影……。長い睫毛が、累の凝視を受け止めきれずに、小さく震えている。

 そこでようやく視線を下げれば、タオルを掴む、白く細い指が見えた。


「——ごめんね。ちょっと、ちょうだい」

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