彼女が愛した彼は

朝飛

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「これ、確かに弱みにはなりますけど、弱いですよね」

 真也が喫茶店に着いてから数十分後、すっかり日も落ちた頃にやって来た楓子は、画像をじっくり見返した後に言った。

「弱いって?」

「時芝が男で、しかも今あちこち手を加えているために女性になりかかっているのは納得しました。そして、恐らくそのお金を稼ぐために詐欺を働いたんだということも。さらに、時芝はその真実を隠したがるだろうことも」

「俺もそう思います。鈴原はそんな時芝の手助けをしたのであれば、付き合っていないとしても強い繋がりがあるのかと。そうなれば、この秘密は鈴原にとっても……」

「いえ、私は鈴原にとってはそうではないと思います」

「根拠は?」

 問いを口にすると、楓子は温度を感じさせない声で言った。

「ありません。ただ、あの目が忘れられないだけで」

 詐欺を働いた時の鈴原がどんな目をしていたのかは、あくまでも想像することしかできない。

 だが、ここにいる楓子の本気は確かに感じ取ることができる。楓子は、本気で鈴原に復讐するつもりなのだ。

 何を今さらと思われるかもしれないが、楓子の本気を見誤っていた。そんな自分を恥じ入る一方で、やはり楓子は、と思う。

「木野さん」

「はい」

「ここまできたらとことん付き合いますが、一つ聞いていいですか」

「何でしょう」

 こちらを真っ直ぐ貫くような楓子の視線を受け止め、慎重に言葉を紡いだ。

「この共犯者に俺を選んだのはなぜですか」

 ずっと、口にするまいと決めていた。それを、今口にし、境界線を踏み越えようとしているのは、知らぬ間に望んでいたからか。

 そんな想いを知ってか知らずか、楓子はふっと微笑んだ。

「高藤さんだから、ですよ」

「それは……」

「それより、今は目の前のことを片付けましょう。次は本命の鈴原の弱みでしたね。これは探るのに時間が……」

 その時、楓子のスマートフォンと真也のスマートフォンがほぼ同時に鳴る。楓子の方は電話のようで、真也に頭を下げて出た。真也もまた自分のスマートフォンを見ると、それは朱海からだった。

「気を付けて」

 と、たったそれだけの一文がある。

 首を捻りながら、何をと返し、ふと脳内に鈴原の写真を見た朱海が浮かぶ。そして、尾行をする時の視線。

 顔を上げると、楓子が顔つきを険しくしながらスマートフォンを見つめている。

「どうしました」

「無言電話です。まさか相手は鈴原かな、なんて」

 苦笑しながらスマートフォンをバッグに仕舞う楓子を見て、ざわりと胸騒ぎがした。

「木野さん、鈴原のことを探るのはやめておいた方がいいかもしれません」

「なぜですか」

「実はこの計画を実行する直前、妻が鈴原の写真を見てしまったんですが、じっと見つめていたんですよ。もしかして、鈴原のことを知っているのかもしれません。それに、今、妻からこんなメッセージが」

 スマートフォンを見せると、楓子はなぜか悲しそうな顔をした。

「木野さん?」

「なんだ、ちゃんと……」

 語尾が小さくて聞き取れず、聞き返そうとしたが、瞬きする一瞬のうちに楓子の顔つきは変わっていた。何かを心に決めたような顔だ、と思ったら、楓子は言う。

「高藤さんの言いたいことは分かりました。この計画、中止しましょう」

「え、でも。いいんですか?そんなあっさり」

「はい」

「だって木野さん、あんなに鈴原に復讐を」

 6年もの間、鈴原へ募らせていたのは、憎しみだけではなかったのではないか、という真也の心の声を打ち消すように、彼女は笑った。

「高藤さんが言ったんですよ。やめた方がいいって。それに、正直がっかりしました」

「がっかり……?」

「あの時、高藤さんが口にした覚悟は何だったんだろうって。奥さんをそんなに大事に思っていて、奥さんもまた高藤さんを思っている。それなのに、どうして」

 手を組むことになった時、口にした言葉が蘇る。

「俺は、妻を解放させてあげようと思うんです。離婚をしようと考えています」

 あの、言葉は。

「私こそ高藤さんに聞きたいです。どうして私と手を組もうと決めたんですか」

 楓子の、強い視線を感じる。事情を話すならば今だ、と思ったが、実際に自分の口から出た言葉は、全く違うものだった。

「……君に、何が分かるんだ」

 だめだ、言うなと叫ぶ自分の声を無視して、ずっと抱いていた疑念を言ってしまう。

「君こそ、復讐だなんだと言いながら、本当は鈴原のことを忘れられなかったんじゃないのか。拗らせた失恋に付き合わされるこっちの身にもなってくれ」

 楓子は目を見開き、何か反論しかかったが、唇を引き結んで溜息を吐いた。

「……もう、やめにしましょう。付き合わせてごめんなさい。短い間でしたが、ありがとうございました」

 口論の直後だというのに、楓子は丁寧に頭を下げて席を立つ。千円札を一枚だけ置いて静かに立ち去る彼女を引き留める言葉はいくらでも浮かんだが、どれもかたちを掴む前に崩れ去る。

 その間に楓子は目の前からいなくなり、冷めきったコーヒーだけが残った。

 

 
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