47 / 100
第一部
47.嫉妬と牽制(後編)
しおりを挟む「どうやら救助は終わったようですね。子供は二人とも無事なようです」
兵の言葉に、アレクシスは欄干から下――五十メートルほど下流の土手に目を凝らす。
すると確かに、土手の比較的平らなところに兵たちが集まって、何やら盛り上がっていた。
声までは聞こえないが、あの様子からすると死者や重傷者がいないことは確かだろう。
アレクシスはひとまず安堵したが、とはいえ、念の為自分でも状況を確認しておきたい。
そう考えたアレクシスは、ひとり土手を下り、兵たちの元へ向かっていった。
二年ぶりに再会するリアムに、何と言葉をかければいいだろうか。上官として、『よくやった』と褒めてやらねばならないだろうか――と考えながら。
けれど、その思いは一瞬にして消え失せてしまった。
そこにエリスの姿を見つけたからだ。
「…………!」
兵たちの中心にいたのは、リアムに背中を支えられ、子供二人を抱き締めているエリスの姿。
(エリス……? なぜここに。それに、その姿は……)
びりびりに引き裂かれたドレスの裾。全身から滴り落ちる雫。
前髪は額にべったりと張り付き、水を吸った服は、エリスの身体のラインをあられもなく強調している。
それによく見れば、ところどころ肌が擦り剝けて赤く滲んでいた。
朝自分を送り出してくれたときとはまるで別人のように、痛々しいエリスの姿。
それを目の当たりにしたアレクシスは、全身からさぁっと血の気が引くのを感じた。
(いったい、これはどういうことだ?)
アレクシスは混乱した。
つまり、子供を助けようとして飛び込んだ婦人というのはエリスのことだったのだろう――が、そもそも、どうしてエリスがこのような場所にいるのだろうか。
安全な広場の中にいるはずの彼女が、なぜ川に飛び込むような危険なことをしているのか。
――それに……。
(リアム・ルクレール……どうして、お前がそこにいる?)
なぜお前が、彼女の隣に立っている?
そんなに優しそうな顔をして――なぜ、彼女に触れている? なぜお前が、エリスの肩を抱いているんだ……?
茫然と立ち竦むアレクシスの視線の先で、リアムがエリスの耳元でそっと何かを囁いた。
それに答えるように、エリスの唇が動く。「そんな……いけません、リアム様」と。
「……ッ!」
声は聞こえなかった。けれど、確かにエリスの唇は「リアム」と――そう動いていた。
(ハッ……、「リアム」だと?)
刹那、アレクシスの中に沸き上がったのは猛烈な怒りだった。
嫉妬、憤怒、焦燥――そういったものがアレクシスの中に渦巻いて、全ての理性を奪っていった。
アレクシスは無理やり兵たちを押しのけリアムの背後に立つと、一瞬のうちにリアムの腕を捻り上げる。
「お前、いったい誰の許可を得て、俺の妃に触れている?」
そう低い声で威嚇した。
するとリアムは痛みに顔を歪ませて背後を振り返り――次の瞬間には、驚きに目を見開く。
「殿下……?」と呆気にとられたように呟いて、更に遅れて、「……妃?」と疑問を零す。
それもそのはず。
リアムは、エリスがアレクシスの妃であることも、何なら「エリス」という名前でさえ、聞いていないのだから。
――リアムだけではない。この場の兵の誰一人として、エリスがアレクシスの妃であることを知る者はいなかった。
そもそも皇子妃というのは、夫である皇子以外の男性に顔を晒すことをよしとされない。
舞踏会や夜会は別として、プライベートでの男性との付き合いなど言語道断である。
つまり、リアムを除いて全員が平民出身であるこの場の兵たちは、エリスの顔を知らないのだ。
もちろんアレクシスとて、そのことはよく理解していた。
それに今のリアムの反応からも、エリスが皇子妃であることを知らなかったことは明白だ。
けれどそれでも、アレクシスは許せなかった。
エリスがリアムの名前を呼んだという――些細な事実が。
アレクシスは、突然の展開に驚いているエリスの腕を引き寄せて、自身の腕の中に閉じ込める。
そしてリアムを真っ向から睨みつけ、明言する。
「これは俺の妃だ。お前が気安く手を触れていい女ではない」
「……!」
よもや、アレクシスの口から絶対に出ないような言葉に、そして彼の全身からほとばしる強い殺気に、リアムはごくりと息を呑んだ。
周りの兵たちも、子供二人も、アレクシスの剣幕に茫然自失していた。
まるでここが戦場であるかのような緊迫感。
そういう空気が、この場の全てを支配していた。
何一つ言い返せないリアムを放置し、アレクシスはエリスを問答無用で抱きかかえる。
そしてリアムに背を向けると、冷めた声で言い放った。
「リアム、これだけは言っておく。俺はオリビアを妃に迎えるつもりは毛頭ない。――よく覚えておけ」
「……ッ」
この言葉に、再びぐっと息を呑むリアム。
そんなリアムを残し、アレクシスはエリスを腕に抱いたまま、その場を後にした。
420
お気に入りに追加
1,619
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
はっきり言ってカケラも興味はございません
みおな
恋愛
私の婚約者様は、王女殿下の騎士をしている。
病弱でお美しい王女殿下に常に付き従い、婚約者としての交流も、マトモにしたことがない。
まぁ、好きになさればよろしいわ。
私には関係ないことですから。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜
ぐう
恋愛
アンジェラ編
幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど…
彼が選んだのは噂の王女様だった。
初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか…
ミラ編
婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか…
ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。
小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
hotランキング1位入りしました。ありがとうございます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる