花嫁は龍神に奪われる

柴田輔

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ACT1

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 死にたくない。
 まだ、死ねない。
 まだ、俺は若いんだ。やりたい事だって、たくさんあるんだ。
 それなのに、何で死ななくちゃならないんだ?何も悪い事なんてしていないのに。
 どうして、こんな事故に巻き込まれてしまったんだろう。トンネルが崩落して、玉突き事故に遭遇してしまうだなんて。ひどすぎる。
 痛い。苦しい。息ができない。
 全身を覆う、激痛。指一本動かせない。
 誰か、助けてくれ。誰でもいい。この苦しみから、救ってくれるなら。
 お願いだ。誰か…誰か…!



「そんなに死にたくないか?」



 痛みのあまり、半ば意識を失いかけていた男の耳に届いたのは、それはそれは美しい“声”。
 響きは深く。押し潰されて、意識が混濁している男の脳裏にも、はっきりと届く其れ。
 男は、疼痛に喘ぎながら、ようように目を開き。
 次の瞬間、状況も忘れて、ぎょっ!とした。
 狭い車内の中、己の真上にある人影。
 ぼんやりとした光を放っているその者は、霞む視界の中でも恐ろしい程の輝きを纏っている異形のモノ、だった。
 長い長い、白の髪。睫毛の下で瞬くのは、銀色の双眸。
 高い鼻梁に、どこか酷薄なイメージを湛えている唇。
 染み一つない、白磁の肌。
 それだけでも、人間離れしているというのに。その者が纏っている衣装も、風変りなもので。
 痛みに呻きつつ、視線を巡らせてみれば、目に写るのは時代錯誤な…着物。
 白い単に、濃い紫色の袴。
 例えるならば、神社か何かに勤めている巫のような。
 けれど、怖いくらいに彼に似合っている。
 男は、一瞬状況も忘れて、ぽかん、となった。
 自分の上から、伸し掛かるようにして見下ろしている銀色の瞳。
 こんな狭い車内だというのに。車の天井は押し潰され、へしゃげている筈なのに。
 隙間など無い筈なのに。第一、自分の身は鉄板であらぬ方向に四肢を曲げられてしまっているのに……
 なのに、彼はゆったりとこちらを見下ろしている。
 重力など感じさせない仕草で。
「……あん、た…だれだ…」
 驚愕に震えつつも、ようように言葉を押し出す。と、忘れていた痛みがぶり返し、口元からごぼっ!と鮮血が溢れ出る。
 肺をやられているのだと、それで自覚する。あぁ、だからこんなにも息苦しいのか。
 男は、さきほどまでのパニックも忘れて、妙に冷静になっている自分に苦笑する。
 状況分析をするゆとりがあるなど、滑稽だ。
 こんなに身体が潰されてしまっているのに。
 多分、もうじき死んでしまうに違いないのに。
 そう思った途端、また絶望と恐怖が込み上げてくる。
 死にたくない、と。
 すると。不思議な美しさを持つ彼は、男を眺めたまま、ふんわりと微笑んだ。



「死にたくないのだな?」
 鈴を転がすような美声。
 これはもしかしなくても、この人は…死神なのかもしれない。
 男は、弱々しくそう考えつつ、無意識に頷く。
 と、白の髪を持つ彼は、男の血で汚れた頬に、指を這わせてきた。
「そうか。死にたくないか。では…助けてやろうか?」
「え…?」
 死神?から届く、意外な台詞。
 彼は、ふ、と瞳を細めた。
「あいにく、私は死神ではない。お前の命などいらぬ。ただ、お前の声があまりにも大きくて、うるさかったから様子を見に来たまでの事。“上”が騒々しいと思っていたら、こんな事故が起きていたとはな。道理で、騒々しかった訳だ」
「……」
「お前の他に、大勢人が死んでいるぞ。みんな、お前と同じように、車とやらに挟まれ潰され、ぐちゃぐちゃだ。もっとも、他の人間達は、即死だったが…お前は、なかなかしぶといな」
 美しいかんばせで、辛辣な事を言ってのける。
 彼は、男の頬から、潰れた胸元へと指を這わせた。
「お前は、運がいい。たまたま目覚めていた私に気付いてもらえたのだからな。お前の生への執着は、なかなか見上げたものだ。強い魂の輝きは、なかなか気持ち良い。それに免じて、助けてやってもいい。ただし」
 只では救わぬ。
 これも何かの縁だ、対価をもらうとしよう。
「お前は、まだ若い。これから先、結婚とやらをして、妻を娶るだろう。そして、子を作るだろう。その子供がそうだな…十八歳になった時、私によこして貰おうか」
「な…っ…!?」
「私は、自分の子孫を作らねばならぬ。が、同族に雌はおらぬのだ。元々、雌が生まれにくい種族でなぁ。だから、人の肚を借りる事にした。そうだな…娘であればいう事はないが、男でも構わぬぞ。お前達人間の中には、男でも子宮を持つ者がおるのだろう?オメガと言ったな?」
 知っているぞ。男と女の性の他に、もう一つ別の性質を持つのだろう?
 人という生き物は。
「大したものよ。私達は、雄か雌しかおらぬのに。だから、滅びの道を辿りつつあるのかもしれぬが。人間というものは、貪欲で浅ましく、だからこそ生命力に溢れている。お前の魂の強さは、私の子を孕むのには、うってつけだ」
 くっくっ、と喉を鳴らす。
 男は、呆然と彼の話を聞いていたが。
 やがて、喘ぐようにもう一度口を開いた。



「……もし、娘も生まれず…オメガも…生まれなかったら…?おれ、は…ベータだ…多分…」
 ベータの女性と恋をするだろう。
 ベータとベータの間からは、同じ性質を持つ子が誕生する確率が高い。
 オメガが産まれる可能性は、低いのだ。
 しかし、彼は事もなげに笑った。
「その時は、お前の息子か娘が成人して、雌を…お前にとっては孫だな。が、生まれたら頂こう。それがダメなら、次の世代だ。私の寿命は、とてつもなく長い。人間とは比べ物にならぬ。無垢な花嫁が生を受ける時を待つのも、また一興」
 良いな?約束だ。
 この約束を破れば…私は、即座にお前の命を奪い。また、家族も虐殺してやる。
「……神との約定だ。ゆめゆめ違えるでないぞ?」
 冷たく囁いて、すっ…と彼が離れる。
 その麗しくも残忍な姿が、陽炎のように薄くなっていく。
「ま…まってくれ…!」
 思わず、男が腕を伸ばし。
 そして、驚く。
 鉄板に挟まれて、動けなかった筈なのに!?
「――忘れるな。私の子を産む者を、必ず作れ」
 麗姿が、燐光のように淡くなっていく。
 男は、もう一度、待ってくれ、と叫んだが。
 そこまでが限界だった。
 再び襲ってきた重苦しい感覚に、目の前が真っ暗になっていく。
 視界が不明瞭になっていく中、大きな影が。
 くねる長い肢体、白く光る鱗が…印画紙に焼き付くかのように、脳裏に刻まれる。




 そこで、男の意識は完全に途切れたのであった。




 ――それから暫くの間、世間は某県で起きた、トンネル内での悲惨な玉突き事故のニュースでもちきりだった。
 死亡者、多数。生存者…一名。
 たったひとり助かった男は、ぺっしゃんこになっていた乗用車の中、奇跡的に一命を取り留めていた。
 その為、男はマスコミに療養中も、また病院を退院してからも、追いかけ回されていたが。
 毎日のように発生する多種多様な事件に、だんだんと彼等の数も減り。その記憶も風化していった。
 男は完全に傷を癒し、日常生活を送れるまでに回復し。
 仕事にも復帰し、穏やかな生活を送れるようになり。
 やがて、一人の女性と巡り合い、ごく自然に結ばれた。
 そうして、数年後。めでたく、待望の子供が産まれた。
 その子供は、男の子で…第三の性は、予想通りベータであった。
 男は、それを知った時、心からホッとしたと同時に、再び暗い不安に付き纏われた。
 この子は大丈夫だ。だが、そうしたら…あの恐ろしく美しい人物との約束は、次に受け継がれるのか。
 いや、心配する事はない。この子は、ベータなのだから…同じベータの女性と、将来一緒になればいいのだ。
 その内、彼だってきっと死んでしまうだろう。例え、ヒトでなくても、生きている者には、寿命があるのだから。どれ程長くても、俺の子孫にはベータしか誕生しない。
 きっと、大丈夫。
 男は、自分にそう言い聞かせ。産まれた我が子を、大切に育てた。
 男の子は、産まれた季節にちなんで『葉月』と名付けられ。
 すくすくと、元気いっぱいに育っていく。





 そうして、月日は流れ。
 葉月が、十七歳…あと数週間で、十八になろうとする頃。
 事態は、思わぬ方向に舵を切る事となるのである。
 葉月の第三の性。
 ベータが、突如…オメガに変化した事によって。




 続く。

 
 
 
 
 
 

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