隠密遊女

霧氷

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散花の思い

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 障子を開け放てば、外の世界を遮るような雨が、滝のように降っている。

自分の部屋に戻った、いや、お延達に連れ戻さられたお菊は、化粧をしつつ、

「う~ん、やっぱり、親父様に頼んで、狸でも獲って来てもらおうかなぁ・・・。」

と、訳の分からないことを呟いた。

「狸って、あんた、親父様を何だと思ってんっ!猟師ちゃうんよっ!」

「第一、何で、狸がいるんよ?鍋にでもするん?」

後ろから、お延とお園が、すかさず聞き返した。

二人は、お菊が、本当に薄雲太夫に頼みに行きそうなので、見張る為に、お菊の部屋で支度をしているのだった。

「月夜には、狸が踊るやろ?せやから、狸に踊って貰えば、お月さんも顔を出してくれはるかなぁって。」

「あんた、まだ、そんなこと・・・。」

「だって、薄雲太夫に、お願いに行っちゃいけん言うし・・・。」

「当たり前や。太夫に呆れられるぇ。」

「・・・そうかなぁ・・・。」

お菊は、子どものように首をかしげつつ、白粉を塗る。



「お菊、いい加減にせぇ。」

髪に簪を指しながら、お園は静かに言った。

「えっ?」

「もう、お玉とお春は、おらんのや。戻りぃ。」

お園の言葉に、お菊は一瞬目を見開くと、白粉を仕舞い、櫛を取って髪梳くだした。

「・・・だって、あれじゃぁ、お延ちゃんとお園ちゃんが、悪役みたいやない。」

「悪役って、あんた・・・。」

お延も、お菊の考えが分かったのか、眉間に皺を寄せる。

「お延ちゃん、お園ちゃんは、お玉ちゃんとお春ちゃんが、嫌いなん?」

「嫌いって、わっちは、お玉はかわぇと思いやすよ。素直やし、言われたことには、一生懸命取り組むし、何より、お玉を見ていると、悩んどるんが、馬鹿らしゅうなるわ。」

お園が答える。

「じゃぁ、お春ちゃんは?」

「好かんな。わっちはぁ、ぶすっくている顔より、笑ってる顔のが好きなだけや。この雨の時期に、お春の顔を見たら、イラつくわ。」
お春の事になると、眉間の皺が倍以上になって、答える。

「まぁ、確かに、顔が怖いとお客さん受けは悪いわな。お延ちゃんも、そうなん?」

答えないお延にお菊は向き直る。

「・・・お春の顔のことは、確かに好きやせん。馬鹿にされてる思うけ。でも、あん子の芸事に対する姿勢は、
わっちは評価しておりやす。」

お延は、白粉を塗っていた手を止め、鏡越しに答える。

「なるほどねぇ。じゃぁ、お玉ちゃんは?お玉ちゃんも一生懸命やっとるよ?」

「やってるのは知ってはる。でも、お玉は、人に合わせ過ぎや。誰が弾いても踊れるんは、ある意味才能やけど、肝心の音を聞けんのやから、そんなんでじゃ、いつまで経っても、踊りや楽器が上手くなるわけあらへんがな。」


お延はさらに『才能があるくせに、生かせん奴は、嫌いや。』

と、続けた。


「お玉ちゃんって、見ている所がちゃうもんね。人の指や弦の動きばっかり見てはるからなぁ。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

お菊の言葉に、二人の手が止まった。

踊りや楽の稽古の時、お菊が同席したことが無いからだ。

前にも言ったように、お菊は和歌の名手。

和歌や俳句、川柳等の稽古場には、お客がいない限り、必ずいるが、踊りや楽の稽古時はいたことが無い。

なのに、何故、お菊はお玉の状況を知っているのだろう。

「・・・あんた、いつから、見ていたの?」

「えへへ~いつからかな~。」

悪戯をした子どもが、とぼけるように目を細めるお菊。

「ほんに、その食えんなぁ。」

「だって、二人とも可愛いやねんもん。素直過ぎる子と不器用すぎる子。きっと、お互いえぇ刺激になっとるよ。それに、あの二人は、いずれ吉原を背負って立つ、太夫になるんや。気にならん言うたら、嘘やろ?」

無邪気な子供が、大人の華麗さに目覚めるように、お菊は独特の艶のある笑みを浮かべた。

「・・・お菊、そう言う顔は、お客の前だけにせぇ。」

「は~い。」

お園に言われ、お菊はまたすぐに無邪気な子どもに戻った。

「本当、食えない・・・。」

変わり身の早いお菊に、二人は肩を落とした。



雨の音に混じって、御囃子の音が響きだした。

時は、もう暮れ六つだ。

「さぁ、わっちらは、わっちらの仕事や。」

「そうやね。」

「あっ、そうだ。さっき、親父様が、お延ちゃんに所に、小三郎さんが来はったって言うてたよ。」

「・・・・・・えっ?」

お延は、目を丸くした。

「ちょっ、それいつやっ!?」

「さっき、稽古部屋に行った時に話そうと思うて・・・。」

お菊の視線が泳ぎ出す。

「はよ、言えやっ!」

お延は、お菊に向かって扇子を投げる。

「か、堪忍して~っ!」

扇子を避けたお菊は、立ち上がり、着物を翻して部屋から飛び出した。

「お菊、まちぃやっ!!」

逃げるお菊をお延は追いかけて、出て行った。

「はぁ~・・・。」

お園は、息を吐いて、扇子を袖の中に入れ、小走りに二人の後を追ったのだった。


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みんなの感想(1件)

堅他不願(かたほかふがん)

 史実の事件を巧みに織り込みながら登場人物の言動をいきいきと描く筆致に感服しました。主人公は早く足抜け出来るといいですね。

解除

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