隠密遊女

霧氷

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雨模様

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どんな場所にも朝は、同じにやってくる。

鳥が鳴いて、朝を知らせるのは、古来より変わらぬ習慣だ。

もう一つ、鳥が鳴くのは、想い人の傍から己の家に帰らなけらばならないという合図。

吉原とて、それは同じ。

皆、起き出して、それぞれの家に帰って行く。

まぁ、お金を払えば逗留することは、可能なのだが、そんな大金を持ち合わせるのは、御大名か大商人以外いない。

皆、一夜の夢を見るために、ここに来るのだ。


「おっかさま、おはようございます。」

お玉は、鳥のように起き出していた。

顔を洗いに井戸まで行くと、先客がいた。

三浦屋の花車こと女将のお時である。

「おはよう。新造になっても相変わらず、早いね。」


お玉は、吉原に売られてきた。

いや、売られてきたと言うのは異なる。

自ら納得して、家族の為、村の為、奉公に来たのだ。

吉原に来る早々、捕物で活躍し、それが、吉原の頂点に立つ、高尾太夫の目に止まり、お付きの禿になったのだ。




あれから、五年。

順調では無かったこともあったが、高尾太夫の下で、修行を続け、振袖新造にまでなったのだ。

「どうしたんだい?」

「え?」

お時は、お玉の顔を見て尋ねた。

尋ねられたお玉は、目を丸くした。

「何か悩んでいるって、顔に書いてあるよ。」

お時は、遊女や禿、女衒をまとめる三浦屋の女将だ。

人の変化を読み取るのに長けている。

まして、お玉のように素直な人間なら尚更だ。

「昨日、お六姉さんに、踊りの事で、また叱られてしまって・・・。」

「あぁ、お六は芸事にはうるさいからねぇ・・・。でも、家で一番踊りが上手いのもお六だよ。習えば、必ず、お玉、あんたの為になる。」

「はい・・・。」

返事はするもののお玉の陰りは消えない。

「あぁ、そんな辛気臭い顔は、およし。あんたに、そういう顔は似合わないよ。」

「すみません・・・。」

お玉の目線はまだ、下がったままだった。

「・・・そうだ、お玉。」

「・・・はい。」

「今日、千住の知り合いの所に行くんだけど、雨は降るかい?」

「は、はい・・・えっと・・・。」

お玉は、空を見上げて、大きい瞳を、さらに見開いた。

「・・・昼九つあたりに、にわか雨が降りますね・・・。いったんは、止みやすが、暮六つに、夕立から本降りになります。」

お玉は、お時の顔を見て言った。

「おや、そうかい。じゃぁ、お客を返したら、すぐに出ないとね。この時期の雨は、あたしゃぁ、鬱陶しくて嫌いなんだよ。」

「ジメジメしますもんね・・。」

お玉は、手で顔を仰いだ。



「おっと、それだけじゃないよ。雨が降るとね、どこぞの御貴族様が、女の品定めを始めるでしょ?」

「あぁ。御貴族さんの戯れというか、愚痴・・・ですかね。」

「あれは、愚痴かなんかじゃないよ、お玉。あんなの男の勝手な言い分さ。下品は嫌だ。高貴な女は、気位が高いとか言って、文句言うし。しまいには、中流が良いとか。何様だってぇのっ!腕でもなんでも、食いちぎられてしまえばいいよっ!」

手ぬぐいを雑巾のように搾りながら、お時は、六百年も前に出来た物語に文句を言っていた。

「おっかさまは、その話がお嫌いなんですかい?」

「全体的には、好きだけど・・・あの雨の日の話は、好きじゃないね。聞いた時は、溝にでも落としてやろうかと思ったよ。」


物語の前半の方で若い主人公とその周りの者達が、女性の品定めをする話がある。

お玉も読んだ時は、良い気はしなかったので、お時の気持ちが分からないわけではない。


「・・・で、でも、書いた人って女の人なんですよね?」


「あぁ、そうだね。御貴族様の娘さんなのに、男をよく見てるよ。」

お時は、うんうんと首を縦に振って納得する。

お玉は、笑って見ていた。


「まぁ、何にせよ、雨も考え方によっちゃ、お客を長く留めて置けるからね。恵みの雨でもあるよ。」

「そう言えば、一昨日の雨の日、お菊姉さんの部屋の前を通ったら、お客さん、今日もいるって言ってました。」

「あぁ、小間物問屋・有川屋の三男坊の正吉だね。お菊の一番の馴染みで、金の支払いもしっかりとしてるし、何より、あの歳で腰が低い・・・ますます、先代に似て来たよ。」

「おっかさまは、ご存知なんですかい?」

お時は、人の区別をしっかりとつけている。

そんなお時が褒めるのだ。有川屋の先代とは、どんな人か、お玉は純粋に興味がわいたのだ。

「あぁ、現在は、隠居されて向島にいらっしゃるが、きっぷは良いし、腰の低い、良い商人だったよ。」

「そうなんですか。」

「お玉、馴染みになるなら、そういう人を見つけなさい。金があっても、でかい態度や手を上げてくるような男と
馴染みになるんじゃないよっ!」

「は、はいっ!」



矛盾していると思う。

大金を落としてくれないと、いつまで経っても、この吉原から出ること出来ない。

だが、お時は出ることよりも、この中で良い人を探せと言っている。

吉原遊女と遊ぶには、大金が必要。

そんな大金を持っているのは、お殿様や大名、大商人くらいだ。

その限られた人の中からさらに、優しく、真っ当である人を探すなんて、本当に出来るのだろうか。

いや、一生で何人に出会えるのだろう。

吉原という狭くも、深い場所で。


新造になったお玉には、まだ分からなかった。


「お玉先に行くよ。」


「は、はいっ!」


ただ、吉原に来る道中で見た遊女屋の女将とは異なり、金の為なら、どんな体調の時でもお客を取らせるようなことを、お時は決してしない。


お玉達は商品だ。


客をとってこそ、商品としての価値がある。


しかし、お時や四郎衛門いわく、『商品は、最高の状態で提供する』というのが、信条らしい。


この世界には、珍しい考え方だ。


ここが、色街、吉原だと忘れてしまう程に・・・。


「・・・・・・。」


ふと、空を見上げたお玉の瞳には、西からやってくる雨雲が、微かに映っていた。




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