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あの日の報想 12

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「はあ…………!?」

ひどい苛立ちを堪える逸の声は不信感に満ちていた。
眉間から鼻梁にかけては唸りを上げる肉食獣のように深い皺が震えている。

「どういうごまかし方なんすかそれ」
「違うって、ほんとに──」
「──つうか……」

その淡い災禍を隠すようにしていた逸の手に、無意識に非道なほどの力が籠もる。

「いっ!」
「……言い訳する必要ないのか。別に敬吾さん俺のものってわけじゃないんだし」
「や、そうじゃ……つか、いてえって……!」
「………………」

強く掴まれた腰の痛みで満足に逸の誤解も解けない。
苛立ちながら、しかし泣きたいような気持ちにもなりながら敬吾は逸の手首を掴んだ。
梃子でも動きそうにない──馬鹿力め。

「──やっぱ夢って上手くいかないもんなんすね」
「逸…………」

走りたいのに走れない。
叫びたいのに叫べない。
浮かれていたら突き落とされる。
そういうものだ。

「違うって、ほんとにそれお前が──」
「………………」

──ああ、聞こえていない。
敬吾は途方に暮れる。
力なく、それでも続けた。

「お前が忘れてるだけなんだって、俺が他に……誰にそんなもんつけさせるんだよ」
「俺なわけないでしょう。だからそれは……いいですって。どうせ夢だし、……敬吾さんの自由だし」

──なぜ今になってまたその顔を見なければならないのだ。
あの時ーーこれを見ていられなくて、もろもろ諦めたと言うのに。



「あああーーーーーーもう………………」



「敬吾さん?」
「なら上から新しいの付けりゃいいだろ!好きなだけ付けとけもう、見られて困るやつなんか他にいねーんだよ!!」
「………………え」

──そんなはずはない。

敬吾の剣幕に面食らいながらも逸は考える。

ここ数日のうちに、敬吾にこの唇の跡を付けた人物がいるはずだ。
だが今必死で訴えている敬吾の表情は、焼け鉢でもなく諦念でもなく──ただ真摯だ。
好きにしろという主張は後ろめたいところがないからだとでも言いたげな。
無表情な割によく語る面相も、逸がよく知る敬吾のものだった。

──その敬吾が、本心から気の済むようにして良い、とは?────

考えているようで全く頭の回っていない逸の再起動には時間が掛かった。



「──まあ、夢だもんな」
「こいつ………………」



結局そこに落ち着かれてむかっ腹は立つが、納得されないままよりはましだろう。
その点は諦めることにして敬吾がまた枕に頭を落とすと、痛いほどだった逸の手から力が抜ける。

「……赤くなってる。すみません……」
「……おう」

あれだけ強く掴まれればな、と呆れ半分に敬吾が思っていると、くっきり赤いその手形を今度は撫でられた。

「別に痛くはないって」
「はい……」
「………………」
「……ほんとに」
「ん?」
「本当につけていいんですか?」
「あ?いいよ」

そう言っているだろう。
敬吾は呆れているが逸の顔は真剣そのもの、なんとなれば沈み加減だった。

なんとなくそれ以上怒りつけることもできなくなって言葉を飲む敬吾をよそに、逸は恭しく頭を垂れた。
少し熱を持ってしまったらしいそこに逸の唇が触れるとやや冷たく感じる。

ちゅ、と食む唇の音。
何度もそうして唇が触れる合間に舐められ、更には少し噛みつかれた。

危機感を持つようなものではない──が、もしかしたら、齧り取ってしまいたいのではないかと──ほんの少し穿ってしまう程度には痛い。

「ん………」

敬吾が呻くと逸はその戯れをやめ、唇で深く吸い付いた。
ふ、と頭を上げてはまた角度を変えて唇を落とし、強く吸い上げる。

「んぁ……、」

──少しだけ乱暴で性急で、苛立ったような唇から熱くて小さな痛みが走る。
逸は滅多にそんな粗雑なことはしない。
だからこそ余計に、強く所有を望まれているような気がして──敬吾はその痛みにぞくりと快感を見ていた。

逸は姿勢を正し、薄い歯形とくっきりとした血の色に指を滑らせている。

「……消えた?」
「──はい………」

やや呆然としている逸に敬吾が笑う。
嫌味も皮肉も感じない、ただ好意的な相づちのような微苦笑だ。

痕など付けて本当に良かったのかと自分は少し混乱しているのに──

逸がぼんやりしている間、敬吾はどっこいしょとばかりにまた仰向けになり逸の頭を撫でた。

「──隠れるとこなら他にもつけていいけど?」
「────」

その申し出はとても嬉しいが──

敬吾がそんなことを言ってくれるのはやはり夢だからだ。
それなのになぜ隠れるところだけなどというのだろう。

堪えきれないように敬吾が笑う。

「──ほんっとお前は……。目ぇ醒めたら付けたとこ見せてやろうか?二の腕あたりにつけてみとけよ」

そうしてからかうようにそんなことを言うのだった。




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