人間不信の異世界転移者

遊暮

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憎悪と嫉妬の武闘祭(予選)

72話 祭りを真白と・後編(三日目)

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思ったより時間がかかってしまった……。
本当はデート回、一人一話ずつの予定だったのになぁ……予想以上に長くなりました。

今回は多分、今までで最長になります。
若干急いでいるように感じられたら、申し訳ないです。

それではようやく物語も動き出しますので、どうぞごゆっくりお読みください!





□ □ □ □ □





 一枚のカーテンを挟んだ先から聞こえる、僅かな衣擦れの音。
 どうにも落ち着かず、その前をうろちょろする。店員から向けられる視線が、どうにも生暖かい。
 握り込んだ手はじっとりと汗ばみ、どこか足の動きもぎこちなかった。

「どうして俺は……」

――あんなことを言ったのか。

 別に俺は、そんなこと求めていなかった。しかし、望んだのも俺だった。
 変化というものは、とても恐ろしいものだ。今まで積み上げてきたものが、あっさりと壊れるかもしれない、不確定で、不安定なもの。
 何もかもが壊れてしまったら……そう考えると、胸を掻き毟りたくなるほどの不安に襲われる。

 それでも、一度持った好奇心は答えを知るまで消えてはくれない。

「マスター、着替え終わりました」

 カーテンの向こうから、いつもの平坦な声が響く。
 どこかそれに、安心感を覚えた。

「ああ、出てきてい――」

 言い終わる前に、カーテンがスライドし、真白の姿が眼前にさらされた。

 思わず、息を飲む。
 中世というよりは、現代に近いだろう。白を基調とした露出の少ないその装いは、まさに深窓の令嬢といった感じで清楚な印象を受ける。だが紅玉の瞳に宿るのはいつもの無感情などではなく、どこか楽しそうな色が伺え、普段にも増して男を惹きつけるような色気を持っていた。

「どうでしょうか?」

 言葉遣いは変わらない。だが、表情は仄かに頬が赤く染まり、恥じらっていると分かる。
 俺の不安が消し飛ぶくらいに、その姿は魅力的だった。





 俺も普通の平民のような服に着替た後、俺達は服屋を出た。
 しばらく真白と並んで歩くが、お互い沈黙を保っていた。

「……よし」

 もう腹を決めるか。言い出したのは俺なのだから、この状況を最大限楽しめばいい。

「行くぞ」

「マスター、どこに行くのでしょうか?」

 いつもならば「はい」としか言わないはずだが……なるほど、ある程度真白の意思のようなものが言動に出てくるということか。まるで人間だな。

「特に目的はないぞ、適当にブラブラ祭りを回るだけだ。あと真白、マスターと呼ぶのはやめろ」

「ではなんとお呼びすれば?」

「任せる」

 さて、どうするかな?
 少し面白くなりそうだったので、期待して聞いてみる。

「あなた」

「……却下」

「旦那様」

「それも却下だ、友達から旦那様って呼ばれないだろ、普通」

 そんな友達嫌だ。いや、友達いないんだけどね……。

「では」

「ん?」

「真夜くん」

「――!」

 動揺は、顔に出ていなかっただろうか。脳裏によぎった一人のクラスメイトの顔。柔らかに微笑む、優しい少女のこと。胸が少し、痛んだ気がした。

「…………」

「まあこれは冗談です。……シンくんなんていかがでしょうか?」

 いたずらが成功したように口端を吊り上げた真白に、心がかき乱される。
 これは……誰だ? 本当にあの、真白なのか?

「ああ、それでいい。それと、俺は前の名前を捨てている。もう名乗ることは無いから口にするのはやめてくれ」

 冷静を装い、何とか答えた。
 その言葉に、正体がバレてしまいますからね、と白い少女は笑った。まるで普通の、人間のように。

 それから俺達は、活気付く市場へ移動した。
 出店なんかはリリーやクウと既に見たので、今日は日頃の生活用品や料理の食材を買いにきたのだ。ちなみに宿には宿泊しているが、料理は真白が全て用意している。味はもちろん、健康面からもこちらの方がいいので、宿は食事が出ない場所を選んでいるのだ。
 並んだ品々を見ながら、俺達は歩く。

「お、これってまさか……」

 俺の目に入ったのは、日本では見慣れたものだった。不透明な黒い液体に、茶色の独特な香りを放つもの。

「醤油に味噌ですね」

 俺の呟きに、真白が繋げて答えた。
 どこかにあるだろうとは思っていたが、今まで見かけたことはなかった。流石は大陸中から人が集まる祭りだ、思わぬ収穫だな。

「毎度ありっ!」

 早速購入して真白に【空間魔法】で仕舞ってもらう。そう言えば、店員の男の格好はこの世界では珍しいものだった。着物を着こなし、腰には刀を下げていたのだ。もしかすると、この大陸のどこかには日本本来の文化が広まった場所でもあるのかもしれない。一度行って見てもいいかもな。

「シンくん、よかったですね」

 機嫌良さそうな俺を見て真白も微笑んだ。思い違いではない、徐々に感情が露わになってきている。
 調子が狂う。何かドロリとしたものが心の中で震えた。

 一通り市場で買い物を終えた俺達は、次にアクセサリーや民芸品などの雑貨、魔道具を販売している店を見て回ることにした。
 かなりの数を購入したのだが、全てが真白の魔法によって虚空に消えていった。まるで手品を見ているようだったが、あれの容量とかはどうなっているんだろうか。

「なかなか楽しいな」

「そうですね」

 並んだものは、見ているだけでも楽しい。魔道具なんかは、元の世界では有り得ない効果を持つものも多く、店員から説明を聞くたびにワクワクしっぱなしだ。

「ほらほら、そこの彼氏さん! 可愛い彼女さんにこれなんてプレゼントしてやったらどうだい? きっと喜ぶよ!」

 ……なんかリリーの時にも同じようなことを聞いた気がするな。
 とりあえず男女二人への常套句みたいなものだろうと納得して、差し出された物を見た。

「ペンダントか?」

「ロケットペンダントさ! ペアで発動する魔道具で、魔力を流すと思い人の顔写真が中に写るんだ」

 そう言って元気のいい女店員は自分の首から下げた同じペンダントを見せてくれる。開けるといい笑顔の男の人が……ってこの人射的屋のおっちゃんじゃねえか! 聞けばどうやら夫らしい。世界って狭い。

「で、どうだい? 今ならお安くしとくよ」

「いや、結構です」

 確かに値段は問題ない。安いとは言えないが、資金には余裕はあるので買おうと思えば買えるのだ。
 だが断る。こんなの付けてたらただのバカップルだ。

「本当にいいのかい?」

「必要ないです」

「彼女さんはそうは思っていないみたいだけど?」

「……は?」

 振り返って真白を見ると、彼女はペンダントを手にして俺を見ていた。「シンくん……」ってお前本当に真白か!? キャラ崩壊し過ぎだろ!
 ……仕方ない。

「買う」

「んー?」

 面白そうにニヤニヤする女店員。殺すぞ。

「このペンダントをくれ! ペアでだ!」

 俺はもう、ヤケクソになって叫んだ。
 代金を支払い、真白がペンダントの入った袋を受け取った。

「また来てね~」

 もう二度と行かねえよ。

 購入後、早速付けると真白が言い出し、俺達は道から少し外れた場所に移動する。
 辺りに人気はなく、静謐な雰囲気が漂う場所だ。

「シンくん、どうぞ」

「……?」

 ペンダントを両手に持ち、俺に近づける真白。一瞬意味が分からなかったが、すぐに首に付けてくれようとしているのだと理解する。献身的なところは変わらない、のだろうか。
 色々と諦めて、首を差し出した。

「んっ……!」

 抱きつくようにして、首へと真白の細い腕が回される。ふわりと甘い匂いがして、これが本当になのかと、ぼんやり思った。認識が、ぼやける。

 ――あぁ。

「できました。では、私にもお願いします」

 今日になって何度も見た、真白の微笑み。その表情は穏やかで、慈愛に満ちているかのようだった。

 差し出されたペンダントを受け取り、真白にされたのと同じように腕を首に回す。
 触れた体は柔らかくて、温かい。人間との違いは、どこにあるのだろうか。

 耳元で、真白が呟いた。俺の心を犯すように、まるで、思い人へと愛の言葉を囁くように。

「ふふ……シンくん、大好きです」

 その言葉がトリガーとなった。

「――ッ」

 ペンダントの落ちた音が、静かな空間に響く。

「ぁ……!」

 熱を冷まそうと吐き出される荒い息が繰り返され、噛み締めた奥歯がギリギリと鳴る。頭が沸騰し、思考がおぼつかない。

 気が付けば俺は、真白の首をその手で締め上げていた。

「あ……ぐ……」

 この軋む音は、なんの音だろうか。骨なのか、骨っぽく作られた何かなのか。
 分からない、分からないんだ。

「あ、あ、あ、あ、あ……」

 意味の無い言葉が、奥底から漏れ出た。

 華奢な体だ、これ以上力を込めれば、あっさりと折れてしまいそうなくらいに。腕に伝わる重さは、想像以上に軽かった。この体のどこに、あれ程の力が宿るのか不思議なくらいに。
 真白の顔は、歪んでいても美しいことを知った。

 泡立つ感情が、狂った本能が、この女を殺せと強く訴える。

 きっとここで真白を殺せば、俺は満足するだろう。両親の時と同じように、求めたものを得て。
 腕に一層の力が入る。全身を巡る魔力が腕に集中し、人外の怪力を発揮しようとする。

 ――その瞬間、右腕に温かいものが触れた。

 ここにいるのは二人しかいない。二人だけの、小さな世界。
 真白の陶磁器のような細腕が、首を絞める俺の腕に添えられていた。やはり感じるのは、生命の証とも言える温もりだった。

 もう一度見たその表情は、もう歪んでなんかいなかった。

 彼女は何も、何一つ言うことは無かった。
 俺の全てを受け入れようと、穏やかに微笑んでいるだけだった。
 なのに何故か、俺には彼女が哀しんでいるようにも見えた。

 その感情は本物か、偽物か。

 込めていた力が抜け、どさりと真白の体が路地へと崩れる。
 ゆっくりと真白が立ち上がった。その体には一切の傷はおろか、汚れすらも見受けられない。

 彼女は落ちたペンダントを拾うと、自らの首にかける。そしてそのまま、下げられたペンダントのロケット部分を握りこむと、指の間から僅かに光が漏れた。

 何か声を出そうとするが、口からは空気だけが抜け出ていく。

 光が収まると真白は俺に向けて、ロケットを開く。その結果を自分で確認をすることなく。

「…………」

 何も言わない俺を見て、満足したように真白はロケットを閉じる。
 その手が、そっと俺の手を取った。

「……さぁ、デートの続きをしましょう。シンくん」





 普段であれば鬱陶しいと思ったかもしれないが、このタイミングであれば少し、救われたと言ってもいいかもしれない。

「そこの娘、そなたに私の妻となることを許す。着いてこい」

 眩いくらいにキラキラとした衣服に身を包み、豊かな髭をたくわえた小太りの中年男。その第一声がこれだった。
 誰だよ、トラブルなんて起きないって言ったのは。はい、俺ですね。

 何ともまあ、典型的なバカ貴族だった。
 面白いものが見られると思ったのか、次第に周囲の視線が集まりだす。……不味いな。

 極力騒ぎにしたくない俺達にとって、そこらのチンピラよりこの手の権力ちからを持った者の方が厄介なのは間違いない。
 心情的には先ほどのことを一時的に考えなくて済むのでありがたいのだが。

 どうしたものかと考え込んでいると、バカ貴族はしびれを切らしたのか一層強く言い放つ。

「何を悩むことがある。私の方がそこの貧相なおと――」

 貧相な男、そうバカ貴族は言おうとしたのだろうか。だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 ふらりと、人混みから現れた、フードを被った人間。誰も気に留めていなかった。バカ貴族も、その護衛らしき人達も。

「やりなさい」

 真白から微かに聞こえたのは、いつもの声。感情の感じられない、人形としての声だった。
 きっとそれを聞き取ったのは、隣にいた俺くらいだろう。

 顔を隠した人間、いや、は、あっさりとバカ貴族の喉元へと短剣を突き刺すと、近くの路地へと逃げ込んだ。
 あっという間の出来事だった。

「も、モリアン様っ! 追えっ! あの者を逃すなっ!」

 遅れて周囲から悲鳴が上がる。護衛の者達は顔を真っ青にして、倒れ伏したモリアン様とやらに駆け寄った。あれはもう、助からないだろう。
 騒ぎに乗じて、俺達はその場を離れた。

 それから俺達は、存分に祭りを満喫した。バカ貴族の一件で調子を取り戻すことができたので、やはり彼には感謝してもいいかもしれない。あれからも時々バカ貴族のように目をつけられたり、絡まれたりすることはあったが、どれもこちらから手を出すことなく解決した。
 偶然の事故や、その場にいた一般人に扮した人形達によってだ。

 途中からはトラブルに巻き込まれるたび、次はどんな風に解決するのか楽しみになってきたぐらいだった。

 あっという間に時間は過ぎ、日は沈んで月が空に昇る。
 当初の予定通り俺達は、クウ達が待つ宿とは別の、予約していた宿へと向かっていた。

 その間に話す話題は勿論、今日幾度も活躍してくれた人形達のことだ。

「どのくらいなんだ?」

 事情に予想が付いている俺は、そう質問する。
 ちなみにわざと人気のない道を通っているので、聞かれる心配はほとんどない。

「城で使用されるものも含め、この帝都に存在する全ての人形は掌握済みです」

 そう答えた真白は若干得意げだ。今の真白は、口調はあまり変わらないにしても驚くほどに感情豊かである。

 真白の答えには、いつの間にと言いざるを得ない。
 【最高位命令権】、ダンジョンで発見される人形に対し、絶対的な命令を下すことができる真白のユニークスキルの一つ。その命令は、その人形の主人よりも優先される。

「確かにこれなら、俺達が疑われる可能性は少なくなるな」

「何度も同じことが起きれば疑われるでしょうが、多少は大丈夫だと思われます。証拠は消してありますし、裏工作も完璧です」

 真白が言うからには、本当にそうなのだろう。
 そう納得した俺をよそに、真白は立ち止まった。

「信じますか?」

 立ち止まってまで、わざわざ聞くようなことだろうか。
 勿論だ、そう答えようとした俺を、真白の視線が貫く。

?」

 その言葉が、今回のことだけを意味していないことは明らかだった。
 胸のペンダントを握り、真白は俺の言葉を待つ。

「……はぁ……」

 本当に突然だ、心の準備もさせてはくれないらしい。
 今日あった出来事を、今まで見てきたものを思い出す。

 答えはもう、決まっていた。
 そう、俺は――

「シンヤが信じるのは私だけよ」

「――!」

 覚えのある、声だった。心根に響く、少女ながらも色香を感じずにはいられない声。
 聞こえてきたのは……上だ。

 暗闇に溶け込むことなく存在感を放つ黒いドレスの背で、蝙蝠の翼が広げられていた。金糸の髪は月夜に照らされ、その蒼眼は全てを見通すように俺を見下ろす。いや事実、見通しているのだろう。俺という一人の人間の心を。

「エルヴィーラ・エーベルト……」

 魔国ロスーアの第二王女にして、人々から<殺戮姫>と呼ばれ恐れられている怪物。
 彼女は静かに俺の前へと降り立つ。

「一国の姫ともあろう者が何をしに――」

 真白が質問しようとしたその時だった。

「んむっ……」

 唇に突然柔らかいものが押し付けられる。すぐ目の前には、美しい少女の顔があった。
 時間は、それほど長くなかったように思える。

 お互いの距離が、ゆっくりと離れた。

「真の意味で、シンヤを理解できるのは私だけなのよ」

 そうして彼女は、呆然とする真白を嘲笑した。
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