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遠い聖歌
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谷本悠輝という少年は、得体が知れない。
普段はとても穏やかなのに冷たくクールな態度もとるし
何かの拍子に豹変して情熱的にもなる。
それを一番よく表すのは、彼の瞳だった。
学校内で彼の噂は年中絶えない。
そのどれもが、彼の恋に関した事柄だった。
なにしろ、彼の腕に抱かれたという女生徒が校内の三分の一を占めているのだ。
噂の数も当然、それだけある。
谷本くんは女生徒に声をかけるのも早いが、冷めるのもとても早い。
二股は決してかけないが、つきあいが二週間もった試しもなかった。
彼は不思議な魅力を持っていて、男子もそれほどにはやっかまなかったし
女子にも恨まれたりすることが今日までない。
今朝のナイフ騒ぎが初めてだった。
「でも今に本当に刺されるぜ。今まで無事だったのが不思議なくらいだ」
放課後になって他に生徒がいなくなったのを見計らい、聖治が忠告した。
今は聖治と谷本くん、そして日直のわたしだけだ。
谷本くんは二時限目の途中で病院から戻ってきた。
家に寄って替えの制服を着てきたらしい。
破れた制服は修復不可能と判断し、捨てたそうだ。
「今朝の女子に影響受けて、お前に捨てられた女がこれから狙ってくるかもしれないぜ。お前、しばらくおれの傍から離れるなよ」
聖治の厚い友情に、谷本くんは肩をすくめる。
「刺されたなら刺されたで、別にかまわないけど」
「悠輝!」
聖治は怒鳴り、黙々と日誌を書いているわたしに助っ人を頼んできた。
「夏樹、お前からも言ってくれよ」
谷本くんの視線がこちらへ向くのを感じて、わたしの全身が緊張する。
さり気ないふうを装い、一度止まりかけた手をそのまま動かしながら口を開く。
「須崎の言うとおりにしたほうがいいと思う。それと、女遊びもやめといたほうがいいんじゃない? 趣味なんだろうけど、体にはかえられないでしょ」
緊張を隠すために強気な発言をしてしまって、気になってちらりと視線を上げた。
とたん、谷本くんの強いまなざしをそこに見つけ、慌てて日誌を閉じて立ち上がる。
「日誌終わったから、提出してくる」
「おれが行く」
聖治が日誌をひったくるように取り、教室を出ていく。
「あ、ちょっと須崎!」
「おれだって日直だぜ、これくらいする! 悠輝をひとりにすんなよ!」
声が遠ざかっていく。
親切のつもりなのだろうけれど──。
──鈍感!
わたしは心の中で叫ぶ。
谷本くんとふたりっきりになりたくないのに!
カタンという音に、わたしは振り返る。
谷本くんが椅子から立ち上がるところだった。
まっすぐに、こっちを見つめている。
「趣味じゃなくて、ぼくには必然なんだ」
必然──女遊びが?
「それに、女遊びでもない」
「だけど」
言いかけた言葉を、わたしは無理矢理呑み込む。
けれど谷本くんには分かってしまったようだ。
くすっと笑う。
「『だけど、抱いてるのに』?」
顔が熱くなるわたしを見て谷本くんは吹き出し、声を上げて笑い出す。
やがて茶色がかった前髪をかきあげながら、鋭い瞳に甘い揺らめきを見せた。
わたしの心臓が、またドキッとする。
「向こうが望むんだ。一度だけでいいからって。一度だけ抱いてくれたら、もうあなたのことを忘れるってさ。いつも別れ際で、だから二度抱いた女の子はいないよ」
平気でそんなことを言う。
わたしなんて、キスもまだなのに。
同い年なのに明らかに谷本くんのほうが大人のような気がして、わたしは恥ずかしくなった。
「でも──そうだね、夏樹ちゃんがつきあってくれるなら、他の子に手を出すのはもうやめる」
驚いたわたしに、谷本くんは歩み寄る。
氷のような色をしていた瞳が瞬時に炎の色にとってかわるのを、わたしは見た。
──逃げなくちゃ。
言い知れぬ危険を感じてそう思ったが、身がすくんでしまっている。
──わたしはどうして、こんなにこの人が恐いの!?
やわらかく抱きとめられる。
谷本くんの体温が体のあちこちに感じられて、ますます体をかたくした。
「夏樹ちゃんは、感覚が鋭いんだ」
囁きと共に、耳の下にチクッとした甘い痛みを感じた。
谷本くんが口づけている。
「夏樹ちゃんはもう、分かってるんだね。ぼくが異質の者だって──頭じゃなくて、体で」
ゆっくりと唇が動く。
ついばむようなその口づけに、わたしは息苦しくなって顔を上げた。
「なに、言ってんのか、分からないっ……」
ぎゅっと握った拳で、谷本くんの肩を押しのけようとする。
でも、谷本くんの体はびくともしない。
気がつくと、わたしと視線を合わせようとしていた。
見ちゃいけない!
反射的に、目をそらす。
なぜそう思ったのか分からないけれど、わたしは必死に谷本くんから逃れようとした。
「!」
ぐいと、逆に背中を持ち上げられた。
振り仰ぐような形になったわたしに、谷本くんが美しい顔を寄せてくる。
「分からないなら、教えてあげるよ……」
息がかかるほどに近づいたとき、教室の扉が乱暴に開かれた。
見ると、聖治が肩で大きく息をしながら仁王のように突っ立っている。
「早いね、聖治」
涼しい顔で、谷本くん。
「ばかやろう、早く夏樹を放せっ!」
怒りで顔を真っ赤にして、聖治が怒鳴る。
美形が怒ると妙に凄みがあるものだが、彼もまた例外ではなかった。
残念そうに谷本くんが解放すると
わたしは鞄を持ち、教室から走り出ていった。
恐くて、でも身体が熱くて。
この気持ちがなんなのか、はてしなく分からなかった。
普段はとても穏やかなのに冷たくクールな態度もとるし
何かの拍子に豹変して情熱的にもなる。
それを一番よく表すのは、彼の瞳だった。
学校内で彼の噂は年中絶えない。
そのどれもが、彼の恋に関した事柄だった。
なにしろ、彼の腕に抱かれたという女生徒が校内の三分の一を占めているのだ。
噂の数も当然、それだけある。
谷本くんは女生徒に声をかけるのも早いが、冷めるのもとても早い。
二股は決してかけないが、つきあいが二週間もった試しもなかった。
彼は不思議な魅力を持っていて、男子もそれほどにはやっかまなかったし
女子にも恨まれたりすることが今日までない。
今朝のナイフ騒ぎが初めてだった。
「でも今に本当に刺されるぜ。今まで無事だったのが不思議なくらいだ」
放課後になって他に生徒がいなくなったのを見計らい、聖治が忠告した。
今は聖治と谷本くん、そして日直のわたしだけだ。
谷本くんは二時限目の途中で病院から戻ってきた。
家に寄って替えの制服を着てきたらしい。
破れた制服は修復不可能と判断し、捨てたそうだ。
「今朝の女子に影響受けて、お前に捨てられた女がこれから狙ってくるかもしれないぜ。お前、しばらくおれの傍から離れるなよ」
聖治の厚い友情に、谷本くんは肩をすくめる。
「刺されたなら刺されたで、別にかまわないけど」
「悠輝!」
聖治は怒鳴り、黙々と日誌を書いているわたしに助っ人を頼んできた。
「夏樹、お前からも言ってくれよ」
谷本くんの視線がこちらへ向くのを感じて、わたしの全身が緊張する。
さり気ないふうを装い、一度止まりかけた手をそのまま動かしながら口を開く。
「須崎の言うとおりにしたほうがいいと思う。それと、女遊びもやめといたほうがいいんじゃない? 趣味なんだろうけど、体にはかえられないでしょ」
緊張を隠すために強気な発言をしてしまって、気になってちらりと視線を上げた。
とたん、谷本くんの強いまなざしをそこに見つけ、慌てて日誌を閉じて立ち上がる。
「日誌終わったから、提出してくる」
「おれが行く」
聖治が日誌をひったくるように取り、教室を出ていく。
「あ、ちょっと須崎!」
「おれだって日直だぜ、これくらいする! 悠輝をひとりにすんなよ!」
声が遠ざかっていく。
親切のつもりなのだろうけれど──。
──鈍感!
わたしは心の中で叫ぶ。
谷本くんとふたりっきりになりたくないのに!
カタンという音に、わたしは振り返る。
谷本くんが椅子から立ち上がるところだった。
まっすぐに、こっちを見つめている。
「趣味じゃなくて、ぼくには必然なんだ」
必然──女遊びが?
「それに、女遊びでもない」
「だけど」
言いかけた言葉を、わたしは無理矢理呑み込む。
けれど谷本くんには分かってしまったようだ。
くすっと笑う。
「『だけど、抱いてるのに』?」
顔が熱くなるわたしを見て谷本くんは吹き出し、声を上げて笑い出す。
やがて茶色がかった前髪をかきあげながら、鋭い瞳に甘い揺らめきを見せた。
わたしの心臓が、またドキッとする。
「向こうが望むんだ。一度だけでいいからって。一度だけ抱いてくれたら、もうあなたのことを忘れるってさ。いつも別れ際で、だから二度抱いた女の子はいないよ」
平気でそんなことを言う。
わたしなんて、キスもまだなのに。
同い年なのに明らかに谷本くんのほうが大人のような気がして、わたしは恥ずかしくなった。
「でも──そうだね、夏樹ちゃんがつきあってくれるなら、他の子に手を出すのはもうやめる」
驚いたわたしに、谷本くんは歩み寄る。
氷のような色をしていた瞳が瞬時に炎の色にとってかわるのを、わたしは見た。
──逃げなくちゃ。
言い知れぬ危険を感じてそう思ったが、身がすくんでしまっている。
──わたしはどうして、こんなにこの人が恐いの!?
やわらかく抱きとめられる。
谷本くんの体温が体のあちこちに感じられて、ますます体をかたくした。
「夏樹ちゃんは、感覚が鋭いんだ」
囁きと共に、耳の下にチクッとした甘い痛みを感じた。
谷本くんが口づけている。
「夏樹ちゃんはもう、分かってるんだね。ぼくが異質の者だって──頭じゃなくて、体で」
ゆっくりと唇が動く。
ついばむようなその口づけに、わたしは息苦しくなって顔を上げた。
「なに、言ってんのか、分からないっ……」
ぎゅっと握った拳で、谷本くんの肩を押しのけようとする。
でも、谷本くんの体はびくともしない。
気がつくと、わたしと視線を合わせようとしていた。
見ちゃいけない!
反射的に、目をそらす。
なぜそう思ったのか分からないけれど、わたしは必死に谷本くんから逃れようとした。
「!」
ぐいと、逆に背中を持ち上げられた。
振り仰ぐような形になったわたしに、谷本くんが美しい顔を寄せてくる。
「分からないなら、教えてあげるよ……」
息がかかるほどに近づいたとき、教室の扉が乱暴に開かれた。
見ると、聖治が肩で大きく息をしながら仁王のように突っ立っている。
「早いね、聖治」
涼しい顔で、谷本くん。
「ばかやろう、早く夏樹を放せっ!」
怒りで顔を真っ赤にして、聖治が怒鳴る。
美形が怒ると妙に凄みがあるものだが、彼もまた例外ではなかった。
残念そうに谷本くんが解放すると
わたしは鞄を持ち、教室から走り出ていった。
恐くて、でも身体が熱くて。
この気持ちがなんなのか、はてしなく分からなかった。
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