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先輩の思い出
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その夜は、夢を見た。
罪滅ぼしのためか、上原先輩の夢。
わたしは昔、両親がいなくて他の友達の家庭を見るたびに淋しい思いをしていて
小学生のときから、両親との架空の思い出を妄想したり、架空の彼氏を作って架空の思い出を作ったりするようになった。
わたしにとっては、それは当たり前のことだった。
だけど中学生になって、それは当たり前のことではないと悟った。
親友のユウちゃんに、わたしはいつものように「お母さん」や「彼氏」と昨日「あったこと」を話していた。
そこでユウちゃんが言ったのだ。
「じゃあ明日、その彼氏を紹介してよ。璃乃ちゃんの彼氏だったら、あたし会ってみたい!」
まさかそんなことになるとは思っていなかったわたしは、当然ながらそれを実行することができなかった。
ユウちゃんに嘘がばれてしまったのも、時間の問題だった。
同時に誰が調べたのか口の軽い先生にでも聞いたのか、
「璃乃ちゃんてほんとは両親いないんだって」
ヒソヒソ声で噂されるようになった。
「璃乃ちゃんの嘘つき!」
ユウちゃんはそう言って、二度とわたしと話してくれなくなった。友達全員にも、無視されるようになった。
せっかくできた親友だったのに。これからずっと大人になるまで仲のいい親友なのだと信じていたのに。
わたしは、自分でその未来を駄目にしてしまったのだ。
わたしが「嘘つき」だという噂も、瞬く間に学年中に広まった。
わたしは休み時間、教室にいるのがいたたまれなくなって、ひとけのない中庭に行くようになった。
そこでいつも、ひとりで泣いていた。
上原先輩と会ったのは、そんなある日のことだった。
わたしの学校は中学と高校が一緒になっていて、中等部ではあまり見ない男の子の出現に、泣いていたわたしは戸惑った。
でも同時に、いままで見たこともないくらいに美しいその顔に見惚れもした。
「……なにか嫌なことでもあった?」
先輩は最初、泣いているわたしにそんなふうに声をかけてくれた。
「俺も中等部のころ、嫌なことがあるとよくここにきてたから。……高等部の俺のクラスの窓からだと、ここがよく見えるんだ。俺の席、窓際だから。いつも女の子がひとり、なにかから逃げるようにここにきてたから気になってた」
いままでのことをぶちまけてしまったのは、あまりにもその先輩の声が優しかったせいだと思う。
自分の醜い部分をさらけ出せたのも、かえって知らない相手だったからだとも思う。
泣きながらのわたしの話を先輩は辛抱強く聞いてくれて、わたしが話し終わってしゃくり上げていると、背中をさすってくれた。
「大丈夫」
何度も、そう言って。
「でも、わたし……わたしにはもう、なんにもなくなっちゃったんです。ゼロなんてものじゃなくて、いまのわたしにはマイナスしかないんです」
そう泣き続けるわたしに、先輩は優しい瞳をして言ったのだ。
「大丈夫。人は、マイナスからでも歩き出せる」
その言葉は、大事な親友を失ってぼろぼろになった穴だらけのわたしの心に、じんわりとしみこんだ。
「失うことも痛い思いをすることも、すべてに意味があること。すべて幸せになるための一歩。だってどんなにマイナスからだって、歩き出すならそれが必ず未来への一歩になるから」
背中をさすりながら言ってくれる先輩を、わたしは見上げた。
「……先輩、先輩の名前……教えてください」
先輩は少しだけ押し黙ったけれど、微笑んで教えてくれた。
「聡一。上原聡一だよ。字は、こう」
ケータイを出して、わざわざ漢字まで丁寧に打ってくれる。
「君の名前は?」
「璃乃……澤田璃乃です」
わたしも差し出された先輩のケータイに、自分の名前を打った。
残念ながらわたしはそのとき中学三年生で、先輩は高校三年生。
だけど先輩が卒業するまでのあいだ、それからわたしはあいた時間を先輩と中庭で話すようになった。
先輩は、わたしの傷になっていた「両親との架空の思い出」や「架空の彼氏との思い出」を聞きたがって
わたしが話すと、「璃乃ちゃんは将来、きっとあたたかな家庭を築けるだろうな」なんて言って「思い出たち」を褒めてくれた。
少しずつ、わたしの中で心の傷は「傷」ではなくなっていった。
だけどそのときにはもう先輩が卒業する日が近づいていて、高等部の卒業式になんてわたしが出られるはずもなくて。
どこの大学に行くかとかそんな話もしなかったし、親戚にお世話になっている中学生のわたしはケータイもまだ持たされていなかったから、メールのやり取りや電話なんかも当然しなかった。
卒業式の前日に上原先輩と中庭で会う約束をとりつけるだけで精一杯だったけれど、なぜかその日に限って先輩は来なくて……。
きっとなにかやむを得ない事情でこられなかったんだ、と前向きに思うようにした。
高等部でも友達がいない生活が続いたけれど、「マイナスからでも歩き出せる」という先輩の言葉を思い出して、踏ん張った。
大丈夫。大学からわたしはやり直そう。人生を、やり直すんだ。
いつからか先輩に恋をしていたのだと気づいたのは、先輩と会えなくなってからのこと。
友達のいないわたしは、先輩のことを人づてに聞くこともできなかった。
大学生になって雅史という彼氏ができても、ずっと上原先輩のことが忘れられなくて……。
そんなに好きだったのに、どうしてゆうべは新田さんにキスされているときも先輩のことを忘れてしまっていたんだろう……。
「上原、先輩……」
むにゃむにゃとつぶやくと、背中をぽんぽんとさすられる。
あれ……? これも夢、なのかな……?
わたし、上原先輩にぽんぽんされてる……?
だけど目を覚ませばそこには、なにもない空間があるだけだった。
昨日は新田さんにしがみついて寝ていたけれど、今日はそのかわりというか、布団を抱き枕のようにして眠っていたらしい。
「遅刻するぞ、早く支度しろ」
「ひゃっ!」
突然間近から新田さんの声が聞こえて、飛び起きた。
振り返るといつからそこにいたのか、新田さんが不機嫌そうに仁王立ちしている。
慌てて時計を見ると、確かにもうあまり時間がない。
「す、すみませんっ……いま食事の支度しますっ!」
わたしは慌てて、着替えを引っ掴んで寝室を飛び出した。
◇
それから数日のあいだ、家では新田さんとほとんど会話をしなかった。
わたしが話しかけても、新田さんは「ああ」とか「そうだな」とか言うだけで、明らかにわたしをさけている。
会社では一応一緒にランチを取るけれど、それも「仲のいい夫婦」を演じるためだけ。
実際にはやっぱり会話はナシ。
明日は新田さんと暮らし始めて初めての休日。
だから一緒にどこかに行ったりしないのかな、と期待していたけれど、それもあっさり打ち砕かれた。
「俺、明日から一週間出張だから」
ネクタイをほどきながらリビングのソファに座る新田さんのその言葉に、なぜかわたしはがっくりしてしまった。
「くれぐれも成宮には気をつけろよ。隙を見せるな、何も話すな」
「……はい……」
しょんぼりしていると、新田さんはそんなわたしの目の前に何かをぶら下げる。
目を上げると、新田さんの指から鍵がぶら下がっていた。
「この家のスペアキーだ。ないと困るだろ」
確かに新田さんがいないあいだ、この家に入れなくなってしまうからスペアキーがないと困る。
だけどそんなこととは関係なく、新田さんに信頼されているんだなぁ、なんてお気楽なことを考えてしまってつい笑顔になってしまった。
「ありがとうございます! 新田さんがいないあいだ、しっかり留守を守りますからね!」
新田さんは毒気を抜かれたような顔をする。
「……こんなことで喜ぶなんて、……」
「? なんですか?」
「いや、なんでもない」
気のせいか、新田さんの頬が少しだけ赤く染まっている。
見つめていると、ぷいとそっぽを向かれてしまった。
「この前のパスタグラタン、どうでした?」
「……普通に美味かった」
「じゃあ出張から帰ってきたら、また作りますね! 今夜は煮込みハンバーグにします。好きですよね?」
「なんで知ってるんだ?」
「部長さんに、聞きました」
そう、新田さんの好みは「まだ新婚なのでわからないことも多くて……」とかなんとか適当に理由をつけて、ここ数日のうちにあの部長さんに聞き出していたりしたのだ。
部長さんは人を疑うということのない性格なのか、喜んでいろいろ教えてくれた。
新田さんは、チッと舌打ちする。
だけどまんざらでもなさそうだったのは、新田さんの読んでいる新聞が逆さまだったことで気がついた。
罪滅ぼしのためか、上原先輩の夢。
わたしは昔、両親がいなくて他の友達の家庭を見るたびに淋しい思いをしていて
小学生のときから、両親との架空の思い出を妄想したり、架空の彼氏を作って架空の思い出を作ったりするようになった。
わたしにとっては、それは当たり前のことだった。
だけど中学生になって、それは当たり前のことではないと悟った。
親友のユウちゃんに、わたしはいつものように「お母さん」や「彼氏」と昨日「あったこと」を話していた。
そこでユウちゃんが言ったのだ。
「じゃあ明日、その彼氏を紹介してよ。璃乃ちゃんの彼氏だったら、あたし会ってみたい!」
まさかそんなことになるとは思っていなかったわたしは、当然ながらそれを実行することができなかった。
ユウちゃんに嘘がばれてしまったのも、時間の問題だった。
同時に誰が調べたのか口の軽い先生にでも聞いたのか、
「璃乃ちゃんてほんとは両親いないんだって」
ヒソヒソ声で噂されるようになった。
「璃乃ちゃんの嘘つき!」
ユウちゃんはそう言って、二度とわたしと話してくれなくなった。友達全員にも、無視されるようになった。
せっかくできた親友だったのに。これからずっと大人になるまで仲のいい親友なのだと信じていたのに。
わたしは、自分でその未来を駄目にしてしまったのだ。
わたしが「嘘つき」だという噂も、瞬く間に学年中に広まった。
わたしは休み時間、教室にいるのがいたたまれなくなって、ひとけのない中庭に行くようになった。
そこでいつも、ひとりで泣いていた。
上原先輩と会ったのは、そんなある日のことだった。
わたしの学校は中学と高校が一緒になっていて、中等部ではあまり見ない男の子の出現に、泣いていたわたしは戸惑った。
でも同時に、いままで見たこともないくらいに美しいその顔に見惚れもした。
「……なにか嫌なことでもあった?」
先輩は最初、泣いているわたしにそんなふうに声をかけてくれた。
「俺も中等部のころ、嫌なことがあるとよくここにきてたから。……高等部の俺のクラスの窓からだと、ここがよく見えるんだ。俺の席、窓際だから。いつも女の子がひとり、なにかから逃げるようにここにきてたから気になってた」
いままでのことをぶちまけてしまったのは、あまりにもその先輩の声が優しかったせいだと思う。
自分の醜い部分をさらけ出せたのも、かえって知らない相手だったからだとも思う。
泣きながらのわたしの話を先輩は辛抱強く聞いてくれて、わたしが話し終わってしゃくり上げていると、背中をさすってくれた。
「大丈夫」
何度も、そう言って。
「でも、わたし……わたしにはもう、なんにもなくなっちゃったんです。ゼロなんてものじゃなくて、いまのわたしにはマイナスしかないんです」
そう泣き続けるわたしに、先輩は優しい瞳をして言ったのだ。
「大丈夫。人は、マイナスからでも歩き出せる」
その言葉は、大事な親友を失ってぼろぼろになった穴だらけのわたしの心に、じんわりとしみこんだ。
「失うことも痛い思いをすることも、すべてに意味があること。すべて幸せになるための一歩。だってどんなにマイナスからだって、歩き出すならそれが必ず未来への一歩になるから」
背中をさすりながら言ってくれる先輩を、わたしは見上げた。
「……先輩、先輩の名前……教えてください」
先輩は少しだけ押し黙ったけれど、微笑んで教えてくれた。
「聡一。上原聡一だよ。字は、こう」
ケータイを出して、わざわざ漢字まで丁寧に打ってくれる。
「君の名前は?」
「璃乃……澤田璃乃です」
わたしも差し出された先輩のケータイに、自分の名前を打った。
残念ながらわたしはそのとき中学三年生で、先輩は高校三年生。
だけど先輩が卒業するまでのあいだ、それからわたしはあいた時間を先輩と中庭で話すようになった。
先輩は、わたしの傷になっていた「両親との架空の思い出」や「架空の彼氏との思い出」を聞きたがって
わたしが話すと、「璃乃ちゃんは将来、きっとあたたかな家庭を築けるだろうな」なんて言って「思い出たち」を褒めてくれた。
少しずつ、わたしの中で心の傷は「傷」ではなくなっていった。
だけどそのときにはもう先輩が卒業する日が近づいていて、高等部の卒業式になんてわたしが出られるはずもなくて。
どこの大学に行くかとかそんな話もしなかったし、親戚にお世話になっている中学生のわたしはケータイもまだ持たされていなかったから、メールのやり取りや電話なんかも当然しなかった。
卒業式の前日に上原先輩と中庭で会う約束をとりつけるだけで精一杯だったけれど、なぜかその日に限って先輩は来なくて……。
きっとなにかやむを得ない事情でこられなかったんだ、と前向きに思うようにした。
高等部でも友達がいない生活が続いたけれど、「マイナスからでも歩き出せる」という先輩の言葉を思い出して、踏ん張った。
大丈夫。大学からわたしはやり直そう。人生を、やり直すんだ。
いつからか先輩に恋をしていたのだと気づいたのは、先輩と会えなくなってからのこと。
友達のいないわたしは、先輩のことを人づてに聞くこともできなかった。
大学生になって雅史という彼氏ができても、ずっと上原先輩のことが忘れられなくて……。
そんなに好きだったのに、どうしてゆうべは新田さんにキスされているときも先輩のことを忘れてしまっていたんだろう……。
「上原、先輩……」
むにゃむにゃとつぶやくと、背中をぽんぽんとさすられる。
あれ……? これも夢、なのかな……?
わたし、上原先輩にぽんぽんされてる……?
だけど目を覚ませばそこには、なにもない空間があるだけだった。
昨日は新田さんにしがみついて寝ていたけれど、今日はそのかわりというか、布団を抱き枕のようにして眠っていたらしい。
「遅刻するぞ、早く支度しろ」
「ひゃっ!」
突然間近から新田さんの声が聞こえて、飛び起きた。
振り返るといつからそこにいたのか、新田さんが不機嫌そうに仁王立ちしている。
慌てて時計を見ると、確かにもうあまり時間がない。
「す、すみませんっ……いま食事の支度しますっ!」
わたしは慌てて、着替えを引っ掴んで寝室を飛び出した。
◇
それから数日のあいだ、家では新田さんとほとんど会話をしなかった。
わたしが話しかけても、新田さんは「ああ」とか「そうだな」とか言うだけで、明らかにわたしをさけている。
会社では一応一緒にランチを取るけれど、それも「仲のいい夫婦」を演じるためだけ。
実際にはやっぱり会話はナシ。
明日は新田さんと暮らし始めて初めての休日。
だから一緒にどこかに行ったりしないのかな、と期待していたけれど、それもあっさり打ち砕かれた。
「俺、明日から一週間出張だから」
ネクタイをほどきながらリビングのソファに座る新田さんのその言葉に、なぜかわたしはがっくりしてしまった。
「くれぐれも成宮には気をつけろよ。隙を見せるな、何も話すな」
「……はい……」
しょんぼりしていると、新田さんはそんなわたしの目の前に何かをぶら下げる。
目を上げると、新田さんの指から鍵がぶら下がっていた。
「この家のスペアキーだ。ないと困るだろ」
確かに新田さんがいないあいだ、この家に入れなくなってしまうからスペアキーがないと困る。
だけどそんなこととは関係なく、新田さんに信頼されているんだなぁ、なんてお気楽なことを考えてしまってつい笑顔になってしまった。
「ありがとうございます! 新田さんがいないあいだ、しっかり留守を守りますからね!」
新田さんは毒気を抜かれたような顔をする。
「……こんなことで喜ぶなんて、……」
「? なんですか?」
「いや、なんでもない」
気のせいか、新田さんの頬が少しだけ赤く染まっている。
見つめていると、ぷいとそっぽを向かれてしまった。
「この前のパスタグラタン、どうでした?」
「……普通に美味かった」
「じゃあ出張から帰ってきたら、また作りますね! 今夜は煮込みハンバーグにします。好きですよね?」
「なんで知ってるんだ?」
「部長さんに、聞きました」
そう、新田さんの好みは「まだ新婚なのでわからないことも多くて……」とかなんとか適当に理由をつけて、ここ数日のうちにあの部長さんに聞き出していたりしたのだ。
部長さんは人を疑うということのない性格なのか、喜んでいろいろ教えてくれた。
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