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81、姉への思い
しおりを挟む左側のカーテンが開いて、入院着姿の陽がやってきた。
「具視くん、起きてたんだね」
「はい。陽さん、体は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。話、お母さんから聞いた。私たちを助けてくれたって。本当にありがとう。あなたが紫奇霧人を殺してくれなきゃ、私たち死んでた。本当にびっくりしたんだよ。入学したばかりの具視くんが紫奇霧人を1体倒しちゃうんだもん!」
「姉のおかげです」
「聴具ちゃんが、具視くんに力を貸してくれたんだね」
具視は小さく笑んだ。
「松渕天さんのことなんですけど……彼女は少し霧を吸ってしまったんです。容体は大丈夫でしょうか」
「今治療を受けてる。幸い体の一部が溶けることはなかったって」
心から安心して具視は胸をなでおろした。
「天さんは何階に?」
「3階だよ。私、さっき会って来たけど元気そうだった。彼女と会うのは今回が初めてだったんだけど、もしかして具視くんのお知り合い?」
「知り合いというか、そもそも会うのはこれで2回目なんです。彼女、守護影審査に何回も通っていて、俺が通っていた時に初めて会いました。すごい、努力家なんですよ。俺なんかとは比べ物にならないくらい、何回失敗しても突き進んでいく。普通の人なら諦めてしまうそうな場面でも。いまだに分かりません。そんな子を、どうして紫奇霧人は目をつけたのかって。大学生とか現役の払霧師なら分かります。だけど……」
「まだ戦いに慣れていない大学生や、守護影のいない一般人を襲うのは、卑怯だよね。紫奇霧人はいついかなる時に現れてもおかしくないから、そんな都合のいいようにはいかないんだけど。誰であろうと容赦がない。そうやって、彼らは人を霧に溶かし、吸って食らう」
陽は穏やかな口調で言ったが目はその真逆だった。
「具視くん、後で天ちゃんのお見舞いに行ってあげて」
「もちろんです」
「それで、事件のことなんだけどね……」
陽はうつむきがちに言った。
「麻美って子、面識はなかったの」
「それじゃあ、やっぱり彼女が言っていたことはデタラメだったんですね。ネットで知り合って、悩みを相談できるいい友達っていうのは」
「そんなこと言ってたの?」
陽は信じ難そうに目を丸めた。
「陽さんの悩みを聞いて家出に加担したとか。俺と連次さんは駅周辺を捜して、陽さんの後ろ姿を見つけました。それで、追い掛けたら麻美という子がいて。でも、今思えばタイミングがよ過ぎですよね」
まんまとはめられた具視と連次はそろって肩を落とした。
「それ、私じゃないよ」
「そんなことより」連次は不機嫌そうに言った。「あの家に連れ込まれるまでの間、いったい何があったんだ。俺はそれが聞きたい」
「それが……あんまり記憶なくて。大学から地下鉄で帰る途中、急に眠くなって――目を覚ましたら全てが終わっていた。だから私、麻美って子の顔も見てない」
「顔も?」
驚く具視の横で連次は身を首をかしげた。
「眠らせるのがあいつの手口だ。何か変なものを飲んだ記憶はないのか」
「ない」
「眠った人間を抱えて家まで連れ込むのはかなり目立つだろう。なぜ誰も気付かない」
「いくつか疑問が残りますね」
「今、警察の人が防犯カメラの映像を確認したり、聞き込みをしたり、全面的に捜査をしてくれているみたい。私たちも後で事情聴取を受けると思う」
生まれてから一度も事情聴取なんて受けたことがなかった具視は、自分たちが事件の当事者なのだということを今さらながら実感した。
「入学早々すごいことしたね、具視くん。紺碧双紅剣も抜いちゃうし、払霧具の使い方だってまだ習ってないのに」
「払霧三技なら、触り部分だけ魚ノ神さんに習いました。実戦を想定した訓練をしたことはありませんでしたけど、あの時はただ必死で……やるしかなかったんです」
「青い光と赤い光――」
陽は柔らかい声で続けた。
「お母さんがね、言ってたの。お父さんが使っていた紺碧双紅剣から上る光は、美しい赤色と青色をしていたって。具視くんが見た光も、その色をしていた?」
具視は思い出していた。らせん状に立ち上る赤と青の光が空中に広がって霧を払い、視界が鮮明に晴れたあの瞬間を。
「青と、赤色でした」
「同じ……なんだね」
陽は目を細めた。
「魚ノ神さんは人によって光の色が違うと言っていました。初めて払霧三技を習った時に見た俺の光は、黄金色。紺碧双紅剣から立ち上ったのは赤色と青色。武器によって光の色が変わるなんてこともあるんですか?」
「普通は1人1色だ。父上は例外で2色使いだったが」
「どうしてだろうね。具視くんは本当に不思議だなぁ。お姉さんが守護影になって現れるし、霧を吸っても溶けない。誰も抜けなかった紺碧双紅剣を抜いた。こんなことが立て続けに起こるなんて」
陽はあたかもすごいことのように言ったが、具視にしてみれば違った。他人と比べて特異なのは認めざるを得ないが、それを”すごい”と思ったことはない。強いてそう言うのならば――
「すごいのは、姉の方ですよ」
自分のそばにある影に手を置いて具視は優しく言った。
「昔から姉は前を歩いて、引っ張ってくれるような人でした。もう一度現れた姉は記憶がなくなってしまったけど、俺にしてみれば、何一つ変わらない部分があるんです。光になって戦うと言ったのに、結局頼りにしているし、守られてばかりなんです、俺」
「守られる側が、必ず弱いとは限らない。だって、私からして見れば具視くんはいつも一生懸命で大切な人のために頑張ってるんだもん。弱いから、守られるんじゃない。あなたの背中を信頼しているから、守ってくれるんだよ。具視くんは、絶対いい払霧師になると思うな」
「いい、払霧師ですか」
「うん。そしていつか、座長になれると思うよ」
座長――東京23区にそれぞれ配置された番人とも言える、座の階級を与えられた選ばれし払霧師。龍太郎のように、座の名を冠して区を守れるくらいに強く?
「23人の区座長たちは、みんな強い人たち。だけどね、具視くん。座長だから強いんじゃない。強いから、座長なんだよ」
陽は具視に手を差し伸べた。
「私も連次も、座長になりたいと思ってる。今はまだこんなに弱いけど。それでもいつか、強くなるから」
具視は陽の手を握り返した。細くてしなやかで、柔らかい女の子の手だ。強くなる、という言葉は言うだけ簡単でないことくらい、知っている。
紫奇霧人は人間の姿をしてはいるが、化けの皮をかぶった未知の生物だ。血液は青色で、人を溶かす毒の霧を吐き、そうしている間は目が紫色に光る。人間が食べ物を食べるように、彼らもまた人間を溶かして食べている。そう、この東京23区の中で。
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