視聴の払霧師

秋長 豊

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61、約束

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 会議後、具視はビルの陰で聴具と向き合っていた。2人とも、さっきから気まずそうに沈黙したまま、ビル風の音を聞いていた。

「ありがとう」

 具視は言った。

「お姉ちゃんは、俺を守ろうとしてくれたんですよね」

 聴具はコクリとうなずいた。

「ただ一つ、俺と約束してくれませんか」

「約束……?」

「守護影の力を、人間に使わないこと」

 今度はうなずいてくれなかった。眉間にしわの寄った顔を見れば納得がいっていないのは明らかだ。それでも、ここでちゃんと話しておかなければならない。

「あれはやり過ぎです。あの人は払霧師だからけがをせずに済んだけど、普通の人だったら死んでいたかもしれない」

「あの人、具視を化け物って言ったんだよ? 家族があんなふうに言われて、許すことはできない」

「約束してください」

 具視は右膝を床に着いて言った。

「約束なんてしない!」
「お姉ちゃん」

 聴具は首を振った。

「何も分かってない」
 聴具は声を震わせた。

「具視は優しいから、我慢しちゃうんだよね。でも……これは優しくないよ。どうして? されて嫌なこと、言われて嫌なこと、嫌って言わなきゃ駄目だよ」

 されて嫌なこと。
 言われて嫌なこと。
 頭の中に、まざまざと浮かぶ。
 負の記憶。
 東京に戻る前、具視は母の実家である村にいた。そこでは家以外に居場所がなくて、毎日が地獄のようだった。麗一が言ったように、化け物と呼ばれていた。あまりにも言われ過ぎて、重みすらなくなっていたのかもしれない。

「分かった」
 聴具は急に素直になって言った。

「約束する」

「あり――」
「だから具視も、私と約束して」
 聴具は強い口調で言った。

「自分をもっと大切にするって」

 これまでの苦労が報われたような気持ちだった。
 自分を大切に。
 いつから自分を大切にしなくなったんだろう。
 卑下されるのが当たり前で、
 次にどう言われるかを勘ぐり、
 どう耐えるか、
 どう逃げるか、
 そんなことばかりを考えていた。
 村を出てくる時に、けじめはつけてきたつもりだった。でも、何も変わっていない。怒りの感情を押し殺していた。
 こんなこと、死んだ姉に言われるなんて。

 具視はそっぽを向いた。泣いているのがばれたくなくて表情を押し殺した。

(も、戻りづらい)

 具視は也草が待っている白門の前まで戻った。

「話は済んだのか」

「はい、待たせちゃいましたね。あれ? 龍太郎さんはまだ戻ってないんですか?」

「もうじき来るころだとは思うが」

 退屈に地面を見つめて待っていると、銀髪の男が具視の前で止まった。

(あ、この人、与雀さんに悟郎ちゃんって呼ばれてた人だ)

 間違いない、がっしりした体に、はっきりした顔立ち、銀髪に浅黒い肌。悟郎の隣にいたのは、彼より背も体格も小さくて、肌が白い、ひ弱な印象の男だ。

「いきなり頭首をぶっとばすとは、大した姉ちゃんだな」

 悟郎が言った。

「気に入った」

「え?」

 具視は虚を突かれて目をしばたいた。

「侮辱された弟のために体張ったんだ。あんな姉ちゃんそうそういねぇよ。度胸がある。それに対してお前はなんだ。ためこんで、ためこんで、最後に大爆発するタイプだろ。なんとなく、そんな感じがする。麗一はヘビみたいにネチネチ言ってくるやつだから、スルーするってのも手だがな」

 具視は頭をかいた。

「えっと、そういえば、まだお名前を……」

「相沢悟郎だ」

「俺は悟郎の兄、一郎。よろしく」

 ひょろっとした男はほほ笑んで言った。

(この2人兄弟だったのか。一郎さんの方が弟かと思った)

「ここで誰か待ってるの? よかったらファミレスでご飯でも行かない? ほら、也草も一緒にさ。悟郎の車もあるし」

「せっかくなんですが、龍太郎さんのことを待ってて」

 具視は言った。

「だったら龍太郎も誘えばいい」

「あぁ?」

 何か地雷でもあるのだろうか。悟郎は急に不機嫌になった。

「なんであいつと飯食わなきゃいけない。俺はパスだ」

「あっ、待てよ」

 スタスタ歩いて行く悟郎を追い掛けて、一郎は慌ただしく去って行った。

「今の2人って、どこの座長ですか?」

 具視は念のため也草に尋ねた。

「悟郎さんは二座、一郎さんは七座だ」

(二座? 悟郎さんって、けっこう上の人なんだな)

 さらに待っていると、続々と座長たちが外に流れてきた。その中から、龍太郎が小走りでやってきて、額にかいた汗を拭った。

「お待たせ!」

 駐車場へ向かって歩く中、龍太郎は聴具のことについて一言も触れなかった。影から本人が出てくる気配もなく、3人は車に乗り込んだ。出発しようとしたところで隣にすーっとシルバーの車が止まって窓が開き、真っ青な髪が見えた。

「龍太郎、この後空いてる? 飲みに行かない?」

 サングラスを頭に上げて、波戸場青藍は手を振っていた。龍太郎は人差し指でハンドルをたたいてから後部座席を振り返った。

「よし、今から飯食いに行くぞ」

 その一言で決まりだった。都内にあるレストランで現地集合ということになり、龍太郎は青藍の後ろをついて道路を走った。具視はそんな気分ではなかったが、たどり着いたレストランを見るなりそんなものは吹き飛んだ。なんと、完全貸し切り制の和風レストランで、広々とした畳の部屋に入ると、次々と料理が運ばれてきた。穏やかな食事会で、食べ終えてから具視と也草は縁側でオレンジ色に染まる空を見つめた。

「龍太郎、一つ聞いてもいい?」

 青藍は縁側で休む2人を見ながら言った。

「どうして具視くんを預かったの?」

 龍太郎はお茶をすすった。

「恩人だからさ」

 目を細めながら龍太郎は言った。

「俺は也信の最期を知らない。いてやれなかった。でも、あいつは知ってる。そばにいてくれたんだ。例え知らない者同士でも、そのことに俺は感謝してる」

「そっか」

「俺たちの仕事ってのは孤独なもんだ。死と隣り合わせで、大切なやつのそばにいてあげることができない時もある。具視はいいやつだよ。誰が何て言おうとな」

「本当に義理堅い人ね、龍太郎」青藍は薄くほほ笑んだ。「あなたに任せておけば安心。座長たちの中には、あの子たちを快く思っていない人もいる」

「分かってる」

「それから具視くんの守護影。よく注意して見ておきなさい。元老委は当初から具視くんをマークしていたことは知ってるでしょ。霧を吸っても溶けなかった理由、そしてもう一つ新たに浮上した問題。死んだお姉さんが守護影となって現れたこと。これには何か特別な意味があると私は思ってる。単なる偶然では起こりえないことよ」

 龍太郎はすっと笑顔を消した。

「なるほど、俺に忠告がしたくて誘ったってわけか。波戸場、あいにくだが心配はいらない」

 ひょいと勢いよく立ち上がると、龍太郎は2人の間に入って肩を組んだ。そうしてわははと笑った。

「也草、具視、聴具。帰るぞ」
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