63 / 85
61、約束
しおりを挟む
会議後、具視はビルの陰で聴具と向き合っていた。2人とも、さっきから気まずそうに沈黙したまま、ビル風の音を聞いていた。
「ありがとう」
具視は言った。
「お姉ちゃんは、俺を守ろうとしてくれたんですよね」
聴具はコクリとうなずいた。
「ただ一つ、俺と約束してくれませんか」
「約束……?」
「守護影の力を、人間に使わないこと」
今度はうなずいてくれなかった。眉間にしわの寄った顔を見れば納得がいっていないのは明らかだ。それでも、ここでちゃんと話しておかなければならない。
「あれはやり過ぎです。あの人は払霧師だからけがをせずに済んだけど、普通の人だったら死んでいたかもしれない」
「あの人、具視を化け物って言ったんだよ? 家族があんなふうに言われて、許すことはできない」
「約束してください」
具視は右膝を床に着いて言った。
「約束なんてしない!」
「お姉ちゃん」
聴具は首を振った。
「何も分かってない」
聴具は声を震わせた。
「具視は優しいから、我慢しちゃうんだよね。でも……これは優しくないよ。どうして? されて嫌なこと、言われて嫌なこと、嫌って言わなきゃ駄目だよ」
されて嫌なこと。
言われて嫌なこと。
頭の中に、まざまざと浮かぶ。
負の記憶。
東京に戻る前、具視は母の実家である村にいた。そこでは家以外に居場所がなくて、毎日が地獄のようだった。麗一が言ったように、化け物と呼ばれていた。あまりにも言われ過ぎて、重みすらなくなっていたのかもしれない。
「分かった」
聴具は急に素直になって言った。
「約束する」
「あり――」
「だから具視も、私と約束して」
聴具は強い口調で言った。
「自分をもっと大切にするって」
これまでの苦労が報われたような気持ちだった。
自分を大切に。
いつから自分を大切にしなくなったんだろう。
卑下されるのが当たり前で、
次にどう言われるかを勘ぐり、
どう耐えるか、
どう逃げるか、
そんなことばかりを考えていた。
村を出てくる時に、けじめはつけてきたつもりだった。でも、何も変わっていない。怒りの感情を押し殺していた。
こんなこと、死んだ姉に言われるなんて。
具視はそっぽを向いた。泣いているのがばれたくなくて表情を押し殺した。
(も、戻りづらい)
具視は也草が待っている白門の前まで戻った。
「話は済んだのか」
「はい、待たせちゃいましたね。あれ? 龍太郎さんはまだ戻ってないんですか?」
「もうじき来るころだとは思うが」
退屈に地面を見つめて待っていると、銀髪の男が具視の前で止まった。
(あ、この人、与雀さんに悟郎ちゃんって呼ばれてた人だ)
間違いない、がっしりした体に、はっきりした顔立ち、銀髪に浅黒い肌。悟郎の隣にいたのは、彼より背も体格も小さくて、肌が白い、ひ弱な印象の男だ。
「いきなり頭首をぶっとばすとは、大した姉ちゃんだな」
悟郎が言った。
「気に入った」
「え?」
具視は虚を突かれて目をしばたいた。
「侮辱された弟のために体張ったんだ。あんな姉ちゃんそうそういねぇよ。度胸がある。それに対してお前はなんだ。ためこんで、ためこんで、最後に大爆発するタイプだろ。なんとなく、そんな感じがする。麗一はヘビみたいにネチネチ言ってくるやつだから、スルーするってのも手だがな」
具視は頭をかいた。
「えっと、そういえば、まだお名前を……」
「相沢悟郎だ」
「俺は悟郎の兄、一郎。よろしく」
ひょろっとした男はほほ笑んで言った。
(この2人兄弟だったのか。一郎さんの方が弟かと思った)
「ここで誰か待ってるの? よかったらファミレスでご飯でも行かない? ほら、也草も一緒にさ。悟郎の車もあるし」
「せっかくなんですが、龍太郎さんのことを待ってて」
具視は言った。
「だったら龍太郎も誘えばいい」
「あぁ?」
何か地雷でもあるのだろうか。悟郎は急に不機嫌になった。
「なんであいつと飯食わなきゃいけない。俺はパスだ」
「あっ、待てよ」
スタスタ歩いて行く悟郎を追い掛けて、一郎は慌ただしく去って行った。
「今の2人って、どこの座長ですか?」
具視は念のため也草に尋ねた。
「悟郎さんは二座、一郎さんは七座だ」
(二座? 悟郎さんって、けっこう上の人なんだな)
さらに待っていると、続々と座長たちが外に流れてきた。その中から、龍太郎が小走りでやってきて、額にかいた汗を拭った。
「お待たせ!」
駐車場へ向かって歩く中、龍太郎は聴具のことについて一言も触れなかった。影から本人が出てくる気配もなく、3人は車に乗り込んだ。出発しようとしたところで隣にすーっとシルバーの車が止まって窓が開き、真っ青な髪が見えた。
「龍太郎、この後空いてる? 飲みに行かない?」
サングラスを頭に上げて、波戸場青藍は手を振っていた。龍太郎は人差し指でハンドルをたたいてから後部座席を振り返った。
「よし、今から飯食いに行くぞ」
その一言で決まりだった。都内にあるレストランで現地集合ということになり、龍太郎は青藍の後ろをついて道路を走った。具視はそんな気分ではなかったが、たどり着いたレストランを見るなりそんなものは吹き飛んだ。なんと、完全貸し切り制の和風レストランで、広々とした畳の部屋に入ると、次々と料理が運ばれてきた。穏やかな食事会で、食べ終えてから具視と也草は縁側でオレンジ色に染まる空を見つめた。
「龍太郎、一つ聞いてもいい?」
青藍は縁側で休む2人を見ながら言った。
「どうして具視くんを預かったの?」
龍太郎はお茶をすすった。
「恩人だからさ」
目を細めながら龍太郎は言った。
「俺は也信の最期を知らない。いてやれなかった。でも、あいつは知ってる。そばにいてくれたんだ。例え知らない者同士でも、そのことに俺は感謝してる」
「そっか」
「俺たちの仕事ってのは孤独なもんだ。死と隣り合わせで、大切なやつのそばにいてあげることができない時もある。具視はいいやつだよ。誰が何て言おうとな」
「本当に義理堅い人ね、龍太郎」青藍は薄くほほ笑んだ。「あなたに任せておけば安心。座長たちの中には、あの子たちを快く思っていない人もいる」
「分かってる」
「それから具視くんの守護影。よく注意して見ておきなさい。元老委は当初から具視くんをマークしていたことは知ってるでしょ。霧を吸っても溶けなかった理由、そしてもう一つ新たに浮上した問題。死んだお姉さんが守護影となって現れたこと。これには何か特別な意味があると私は思ってる。単なる偶然では起こりえないことよ」
龍太郎はすっと笑顔を消した。
「なるほど、俺に忠告がしたくて誘ったってわけか。波戸場、あいにくだが心配はいらない」
ひょいと勢いよく立ち上がると、龍太郎は2人の間に入って肩を組んだ。そうしてわははと笑った。
「也草、具視、聴具。帰るぞ」
「ありがとう」
具視は言った。
「お姉ちゃんは、俺を守ろうとしてくれたんですよね」
聴具はコクリとうなずいた。
「ただ一つ、俺と約束してくれませんか」
「約束……?」
「守護影の力を、人間に使わないこと」
今度はうなずいてくれなかった。眉間にしわの寄った顔を見れば納得がいっていないのは明らかだ。それでも、ここでちゃんと話しておかなければならない。
「あれはやり過ぎです。あの人は払霧師だからけがをせずに済んだけど、普通の人だったら死んでいたかもしれない」
「あの人、具視を化け物って言ったんだよ? 家族があんなふうに言われて、許すことはできない」
「約束してください」
具視は右膝を床に着いて言った。
「約束なんてしない!」
「お姉ちゃん」
聴具は首を振った。
「何も分かってない」
聴具は声を震わせた。
「具視は優しいから、我慢しちゃうんだよね。でも……これは優しくないよ。どうして? されて嫌なこと、言われて嫌なこと、嫌って言わなきゃ駄目だよ」
されて嫌なこと。
言われて嫌なこと。
頭の中に、まざまざと浮かぶ。
負の記憶。
東京に戻る前、具視は母の実家である村にいた。そこでは家以外に居場所がなくて、毎日が地獄のようだった。麗一が言ったように、化け物と呼ばれていた。あまりにも言われ過ぎて、重みすらなくなっていたのかもしれない。
「分かった」
聴具は急に素直になって言った。
「約束する」
「あり――」
「だから具視も、私と約束して」
聴具は強い口調で言った。
「自分をもっと大切にするって」
これまでの苦労が報われたような気持ちだった。
自分を大切に。
いつから自分を大切にしなくなったんだろう。
卑下されるのが当たり前で、
次にどう言われるかを勘ぐり、
どう耐えるか、
どう逃げるか、
そんなことばかりを考えていた。
村を出てくる時に、けじめはつけてきたつもりだった。でも、何も変わっていない。怒りの感情を押し殺していた。
こんなこと、死んだ姉に言われるなんて。
具視はそっぽを向いた。泣いているのがばれたくなくて表情を押し殺した。
(も、戻りづらい)
具視は也草が待っている白門の前まで戻った。
「話は済んだのか」
「はい、待たせちゃいましたね。あれ? 龍太郎さんはまだ戻ってないんですか?」
「もうじき来るころだとは思うが」
退屈に地面を見つめて待っていると、銀髪の男が具視の前で止まった。
(あ、この人、与雀さんに悟郎ちゃんって呼ばれてた人だ)
間違いない、がっしりした体に、はっきりした顔立ち、銀髪に浅黒い肌。悟郎の隣にいたのは、彼より背も体格も小さくて、肌が白い、ひ弱な印象の男だ。
「いきなり頭首をぶっとばすとは、大した姉ちゃんだな」
悟郎が言った。
「気に入った」
「え?」
具視は虚を突かれて目をしばたいた。
「侮辱された弟のために体張ったんだ。あんな姉ちゃんそうそういねぇよ。度胸がある。それに対してお前はなんだ。ためこんで、ためこんで、最後に大爆発するタイプだろ。なんとなく、そんな感じがする。麗一はヘビみたいにネチネチ言ってくるやつだから、スルーするってのも手だがな」
具視は頭をかいた。
「えっと、そういえば、まだお名前を……」
「相沢悟郎だ」
「俺は悟郎の兄、一郎。よろしく」
ひょろっとした男はほほ笑んで言った。
(この2人兄弟だったのか。一郎さんの方が弟かと思った)
「ここで誰か待ってるの? よかったらファミレスでご飯でも行かない? ほら、也草も一緒にさ。悟郎の車もあるし」
「せっかくなんですが、龍太郎さんのことを待ってて」
具視は言った。
「だったら龍太郎も誘えばいい」
「あぁ?」
何か地雷でもあるのだろうか。悟郎は急に不機嫌になった。
「なんであいつと飯食わなきゃいけない。俺はパスだ」
「あっ、待てよ」
スタスタ歩いて行く悟郎を追い掛けて、一郎は慌ただしく去って行った。
「今の2人って、どこの座長ですか?」
具視は念のため也草に尋ねた。
「悟郎さんは二座、一郎さんは七座だ」
(二座? 悟郎さんって、けっこう上の人なんだな)
さらに待っていると、続々と座長たちが外に流れてきた。その中から、龍太郎が小走りでやってきて、額にかいた汗を拭った。
「お待たせ!」
駐車場へ向かって歩く中、龍太郎は聴具のことについて一言も触れなかった。影から本人が出てくる気配もなく、3人は車に乗り込んだ。出発しようとしたところで隣にすーっとシルバーの車が止まって窓が開き、真っ青な髪が見えた。
「龍太郎、この後空いてる? 飲みに行かない?」
サングラスを頭に上げて、波戸場青藍は手を振っていた。龍太郎は人差し指でハンドルをたたいてから後部座席を振り返った。
「よし、今から飯食いに行くぞ」
その一言で決まりだった。都内にあるレストランで現地集合ということになり、龍太郎は青藍の後ろをついて道路を走った。具視はそんな気分ではなかったが、たどり着いたレストランを見るなりそんなものは吹き飛んだ。なんと、完全貸し切り制の和風レストランで、広々とした畳の部屋に入ると、次々と料理が運ばれてきた。穏やかな食事会で、食べ終えてから具視と也草は縁側でオレンジ色に染まる空を見つめた。
「龍太郎、一つ聞いてもいい?」
青藍は縁側で休む2人を見ながら言った。
「どうして具視くんを預かったの?」
龍太郎はお茶をすすった。
「恩人だからさ」
目を細めながら龍太郎は言った。
「俺は也信の最期を知らない。いてやれなかった。でも、あいつは知ってる。そばにいてくれたんだ。例え知らない者同士でも、そのことに俺は感謝してる」
「そっか」
「俺たちの仕事ってのは孤独なもんだ。死と隣り合わせで、大切なやつのそばにいてあげることができない時もある。具視はいいやつだよ。誰が何て言おうとな」
「本当に義理堅い人ね、龍太郎」青藍は薄くほほ笑んだ。「あなたに任せておけば安心。座長たちの中には、あの子たちを快く思っていない人もいる」
「分かってる」
「それから具視くんの守護影。よく注意して見ておきなさい。元老委は当初から具視くんをマークしていたことは知ってるでしょ。霧を吸っても溶けなかった理由、そしてもう一つ新たに浮上した問題。死んだお姉さんが守護影となって現れたこと。これには何か特別な意味があると私は思ってる。単なる偶然では起こりえないことよ」
龍太郎はすっと笑顔を消した。
「なるほど、俺に忠告がしたくて誘ったってわけか。波戸場、あいにくだが心配はいらない」
ひょいと勢いよく立ち上がると、龍太郎は2人の間に入って肩を組んだ。そうしてわははと笑った。
「也草、具視、聴具。帰るぞ」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
妹を見捨てた私 ~魅了の力を持っていた可愛い妹は愛されていたのでしょうか?~
紗綺
ファンタジー
何故妹ばかり愛されるの?
その答えは私の10歳の誕生日に判明した。
誕生日パーティで私の婚約者候補の一人が妹に魅了されてしまったことでわかった妹の能力。
『魅了の力』
無自覚のその力で周囲の人間を魅了していた。
お父様お母様が妹を溺愛していたのも魅了の力に一因があったと。
魅了の力を制御できない妹は魔法省の管理下に置かれることが決まり、私は祖母の実家に引き取られることになった。
新しい家族はとても優しく、私は妹と比べられることのない穏やかな日々を得ていた。
―――妹のことを忘れて。
私が嫁いだ頃、妹の噂が流れてきた。
魅了の力を制御できるようになり、制限つきだが自由を得た。
しかし実家は没落し、頼る者もなく娼婦になったと。
なぜこれまであの子へ連絡ひとつしなかったのかと、後悔と罪悪感が私を襲う。
それでもこの安寧を捨てられない私はただ祈るしかできない。
どうかあの子が救われますようにと。
子育て失敗の尻拭いは婚約者の務めではございません。
章槻雅希
ファンタジー
学院の卒業パーティで王太子は婚約者を断罪し、婚約破棄した。
真実の愛に目覚めた王太子が愛しい平民の少女を守るために断行した愚行。
破棄された令嬢は何も反論せずに退場する。彼女は疲れ切っていた。
そして一週間後、令嬢は国王に呼び出される。
けれど、その時すでにこの王国には終焉が訪れていた。
タグに「ざまぁ」を入れてはいますが、これざまぁというには重いかな……。
小説家になろう様にも投稿。
【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた
杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。
なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。
婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。
勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。
「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」
その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺!
◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。
婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。
◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。
◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます!
10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!
義妹と一緒になり邪魔者扱いしてきた婚約者は…私の家出により、罰を受ける事になりました。
coco
恋愛
可愛い義妹と一緒になり、私を邪魔者扱いする婚約者。
耐えきれなくなった私は、ついに家出を決意するが…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる