8 / 85
6、なにもない幸せ
しおりを挟む
「具視」
あらかた終わったところに母がやってきた。
「お片付け、ありがとう。お姉ちゃんは?」
「聴具(さとも)なら自分の部屋に行ったよ。母さん、明日も仕事?」
「明日は祝日だからお休みです。特に予定はないから、家でゆっくりしているつもり。具視はお友達と遊ぶの?」
具視は首を振った。
「家にいるかな。特に約束もしてないし」
「この間、公園で純ちゃんと会ったけど、相変わらず元気そうでよかった」
「もうあり余ってる。そういえばこの前さ、商店街のお祭りに行った時おみくじ引いてさ、あいつは確か末吉、俺は吉。大吉ってなかなかでないもんだよ。少し期待しちゃったな」
具視はそばにあった椅子に腰掛け、肩の力を抜いてぼんやり天井を見上げた。突然ピタリと母の冷たい手が両頬に当たった。目の前に母の顔が見えた。
「なにか、いいことあるかなぁって、思っているでしょ」
図星だったので具視は首をすくめた。
「なにもない。案外、それが幸せなのかもね」
「でも、それって退屈じゃない?」
「今は幸せだから気付かないだけ。そういうものよ」
「ふぅん」
「お母さん、昔から心臓が弱くてね、お父さんと出会う前に一度、高名なお医者さんに手術していただいたのよ。もう、何回も話しているとは思うけどね。ある人から心臓を移植していただいた。難しい手術だったけど、その先生は成功させてくれた。あの時、命を助けられた。だから、お母さんは今ここにいる。お父さんと、具視、聴具、こうして一緒にいられる。お母さんはそれだけで幸せ」
少し気恥ずかしくなって具視は身を起こした。
「そんなにすごい先生がいるんだね」
「うん」母はにっこり笑った。「だから忘れないでね。具視は、たくさんの人に助けられて今ここにいるって。そうだ、8月になったらおばあちゃんちに行こっか。具視と聴具の顔見るの、楽しみにしてるって」
地方の小さな村に住む祖母の家は、都心から新幹線で数時間の所にある。毎年夏になると家族全員で遊びに行くのが恒例で、具視と聴具は優しい祖母に会いに行くのが楽しみだった。
「じゃあ、明日はおうちですごろくでもしよっか? 確か押し入れにあるはずだから。たまにはレトロなゲームをするのもいいでしょ」
具視はすっくと立ち上がってうんと大きく背伸びした。
「そうだね。聴具にも伝えておく」
「お風呂、たけてるよ。先に入ったら?」
「父さんは?」
母はソファの上でうたたねを打つ父を見てクスリと笑んだ。
具視はさっそく風呂に入った。体を洗い、熱々の風呂に漬かると一気に一日の疲れが吹き飛んだ。体が火照る中、ぼんやりとこれからのことを考える。学校で将来の夢という作文を書いた時のことを思い出した。友達は消防士や看護師、サッカー選手など。今の具視には、将来の夢と言われても明確なものはないし、とにかく勉強をして、遊んで、家に帰る。それが今の具視と聴具の生活圏だった。
今、ありきたりに思い浮かんだのは国家公務員になることだ。そうすれば、きっと父も母も安心してくれるに違いない。具視は漠然とそんなことを考えながらお湯を頭からかぶった。
あらかた終わったところに母がやってきた。
「お片付け、ありがとう。お姉ちゃんは?」
「聴具(さとも)なら自分の部屋に行ったよ。母さん、明日も仕事?」
「明日は祝日だからお休みです。特に予定はないから、家でゆっくりしているつもり。具視はお友達と遊ぶの?」
具視は首を振った。
「家にいるかな。特に約束もしてないし」
「この間、公園で純ちゃんと会ったけど、相変わらず元気そうでよかった」
「もうあり余ってる。そういえばこの前さ、商店街のお祭りに行った時おみくじ引いてさ、あいつは確か末吉、俺は吉。大吉ってなかなかでないもんだよ。少し期待しちゃったな」
具視はそばにあった椅子に腰掛け、肩の力を抜いてぼんやり天井を見上げた。突然ピタリと母の冷たい手が両頬に当たった。目の前に母の顔が見えた。
「なにか、いいことあるかなぁって、思っているでしょ」
図星だったので具視は首をすくめた。
「なにもない。案外、それが幸せなのかもね」
「でも、それって退屈じゃない?」
「今は幸せだから気付かないだけ。そういうものよ」
「ふぅん」
「お母さん、昔から心臓が弱くてね、お父さんと出会う前に一度、高名なお医者さんに手術していただいたのよ。もう、何回も話しているとは思うけどね。ある人から心臓を移植していただいた。難しい手術だったけど、その先生は成功させてくれた。あの時、命を助けられた。だから、お母さんは今ここにいる。お父さんと、具視、聴具、こうして一緒にいられる。お母さんはそれだけで幸せ」
少し気恥ずかしくなって具視は身を起こした。
「そんなにすごい先生がいるんだね」
「うん」母はにっこり笑った。「だから忘れないでね。具視は、たくさんの人に助けられて今ここにいるって。そうだ、8月になったらおばあちゃんちに行こっか。具視と聴具の顔見るの、楽しみにしてるって」
地方の小さな村に住む祖母の家は、都心から新幹線で数時間の所にある。毎年夏になると家族全員で遊びに行くのが恒例で、具視と聴具は優しい祖母に会いに行くのが楽しみだった。
「じゃあ、明日はおうちですごろくでもしよっか? 確か押し入れにあるはずだから。たまにはレトロなゲームをするのもいいでしょ」
具視はすっくと立ち上がってうんと大きく背伸びした。
「そうだね。聴具にも伝えておく」
「お風呂、たけてるよ。先に入ったら?」
「父さんは?」
母はソファの上でうたたねを打つ父を見てクスリと笑んだ。
具視はさっそく風呂に入った。体を洗い、熱々の風呂に漬かると一気に一日の疲れが吹き飛んだ。体が火照る中、ぼんやりとこれからのことを考える。学校で将来の夢という作文を書いた時のことを思い出した。友達は消防士や看護師、サッカー選手など。今の具視には、将来の夢と言われても明確なものはないし、とにかく勉強をして、遊んで、家に帰る。それが今の具視と聴具の生活圏だった。
今、ありきたりに思い浮かんだのは国家公務員になることだ。そうすれば、きっと父も母も安心してくれるに違いない。具視は漠然とそんなことを考えながらお湯を頭からかぶった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【短編】お姉さまは愚弟を赦さない
宇水涼麻
恋愛
この国の第1王子であるザリアートが学園のダンスパーティーの席で、婚約者であるエレノアを声高に呼びつけた。
そして、テンプレのように婚約破棄を言い渡した。
すぐに了承し会場を出ようとするエレノアをザリアートが引き止める。
そこへ颯爽と3人の淑女が現れた。美しく気高く凛々しい彼女たちは何者なのか?
短編にしては長めになってしまいました。
西洋ヨーロッパ風学園ラブストーリーです。
悠久の機甲歩兵
竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。
※現在毎日更新中
私に姉など居ませんが?
山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる