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47、道夫とにゃんこ様
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236年前、農村部で石井道夫は生まれた。9歳のころ、友達と遊んでいた時森に迷い、夜になっても家に帰れず1人で泣いていた。そんな時”あの人”が声を掛けてくれた。
「そんなところで何をしておる」
顔を上げると、ほんのり白く輝く女性が木の影からのぞいていた。身長はびっくりするほど高く、栗色の髪は地面すれすれまで長い。白く上品な着物にはしみや傷一つなく、絵巻から飛び出してきた天女みたいだ。なにより驚いたのは、人間の姿をしていながら、猫の耳としっぽが生えていたことだった。
「怖がるな。私はこの森にすんでいる……猫じゃ」
「猫?」
「猫と言ったら猫なのだ」
道夫はシュンとした。
「ぼ、ぼく、道が分からなくって、家に帰れないんです」
「ならば麓まで送り届けよう。だが、きょうはもう遅い。太陽が昇るまで、私の家で休んで行くといい」
女は道夫にすらりと長く白い手を出した。道夫は母親みたいに優しい女に安心し、その手を取った。身長差のある2人は、手をつないだまま森の深い所にある開けた場所にやって来た。雑草だらけで、真ん中にはポツンとすすけた朱色の鳥居があって、その向こうに小さな本殿があった。
「ここ、神社だよ。猫さんの家ってどこ?」
「ここだとも」
「神社に住んでいるの? 怒られない?」
「構わないさ。神様も、こんな薄汚い家にはいられなくて、きっと遠くの場所に越したさ」
本殿の中は6畳ほどの大きさで、寝床と思わしきわらが敷き詰められていた。
道夫はこの女とたくさん話した。自分の家族のこととか、友達のこととか。一方、女は自分のことを話さず、楽しそうに道夫の話を聞いているだけだった。夜語りは眠気とともに途絶え、目が覚める頃には太陽が昇っていた。隣に女はおらず、外に出ると、どうやって登ったのか、高い木の上で目をつぶっていた。
あらためて明るくなった境内を見ると、神社と言うにはあまりに荒廃していた。もう長いこと手入れされていないのか、本殿のそばにある社務所は屋根がつぶれていた。
約束通り女は麓まで案内してくれた。森の中はどこも景色が似ているのに、女は迷うことなく道夫を連れ出してくれた。
「また会える?」
「おぬしが望めばな」
道夫はうれしくなって、顔をほころばせた。
「ぼく、知ってるよ。本当は猫さん神様なんでしょ?」
女は目を大きく開いた。
「あの神社の看板に、猫って書いてあったもん」
「目ざとい坊やだ」
「ぼくが子どもに見える?」
「何を言っておる。おぬしは子どもだ」
「でもぼく、本当のことを言ってほしい」
「かわいげのない坊やだ」
「坊やじゃない」
道夫はそばに生えていた一輪のタンポポを摘んで女に渡した。
「ぼくは石井道夫。この花が枯れる前に、必ずまた来るよ。だから、えっと……名前はなんて言うの?」
「猫善義王じゃ」
「ねこ、ぜん?」
「ほうら、子どもにはあの文字も読めん」
道夫はむっとした。
「にゃんこ様。こっちの方がいい」
「にゃん?」
今度は女が困惑する番だった。
「また会おうね、にゃんこ様!」
この日を境に、道夫は森に通うようになった。にゃんこ様はそのたびに待っていて、神社に案内してくれた。神社
は麓にある家からさほど離れていなかったが、なにせ分け入った所にある。普通の人なら森に入るのもためらうだろう。でも、道夫はもう迷わなかった。にゃんこ様が手をつないでくれたからだ。
道夫はにゃんこ様と会うたびに大きな風呂敷を持っていった。中にはぜいたくなお供え物が入っている。お団子やおにぎりの日もあれば、野菜や花を入れていく日もあった。にゃんこ様はペロリと食べて、半分を道夫にくれた。そんなふうにするうちに、道夫はにゃんこ様と一緒に過ごすのが当たり前になっていった。
「なにをしておる」
昼間、境内で草刈りを始めた道夫を見てにゃんこ様は尋ねた。
「掃除だよ」
「きれいにしてくれるのか?」
「せめて、ちゃんと歩けるようにしないと。これじゃあ誰も来ないよ」
来る日も来る日も、道夫は境内の草刈りや片付けをした。そのかいあって、小さな神社はうっそうとした雰囲気から、こざっぱりとした雰囲気に変わった。
道夫は青年になっても神社の手入れを続け、誰がどこを見ても「神社だ」と言えるくらい見栄えがよくなった。道夫は近所の大工に弟子入りし、簡単な建物なら1人で建てられるようになった。腕を生かし、木材を運び本殿を建て直しもした。
「見事だ」
朱色に塗られた小さな本殿を見てにゃんこ様は言った。
「こんなの朝飯前だ。次は道を造るよ。神社まで続く石段を」
「1人では大変だろう」
「大変じゃない」
「どうしてそこまでする」
「初めてあなたに会ったとき、素晴らしい出来事に遭遇したと思った。こんな友達はどこを探したって二度とできないって。だから、大変だと思ったことは一度もない。楽しいんだ。いつか僕が、もっと大きな神社を建ててにゃんこ様を祭るよ」
忘れ去られていた猫神社は、こうして道夫の誓いをきっかけに変わっていく。道夫は一生懸命ためたお金で人を雇い、本殿を大きく立派に建て直し、宮司となった。その頃にはもう、25歳になっていた。鳥居は石段の前と本殿の前に一つずつ、麓まで続く石段は道夫が1人で造った。こうして猫神社は立派な境内に立つ本殿を構え、地元の人たちも参拝するようになった。にゃんこ様は決して人々の前に現れず、道夫の前にだけ姿を現した。道夫はうれしかった。自分が彼女にとって特別な人間だと思えたからだ。
この地域にはもともと多くの猫がすんでおり、道夫が社務所で暮らすようになると5匹の猫がよりつくようになった。白猫の白丸、黒猫の黒丸、ブチ猫のごま、三毛猫の三毛男、茶トラ猫のもみじ、それぞれ道夫が名付けた。それまで猫は好きではなかったが、この5匹と暮らすうち、道夫はわが子同然に入れ込むようになった。
「そんなところで何をしておる」
顔を上げると、ほんのり白く輝く女性が木の影からのぞいていた。身長はびっくりするほど高く、栗色の髪は地面すれすれまで長い。白く上品な着物にはしみや傷一つなく、絵巻から飛び出してきた天女みたいだ。なにより驚いたのは、人間の姿をしていながら、猫の耳としっぽが生えていたことだった。
「怖がるな。私はこの森にすんでいる……猫じゃ」
「猫?」
「猫と言ったら猫なのだ」
道夫はシュンとした。
「ぼ、ぼく、道が分からなくって、家に帰れないんです」
「ならば麓まで送り届けよう。だが、きょうはもう遅い。太陽が昇るまで、私の家で休んで行くといい」
女は道夫にすらりと長く白い手を出した。道夫は母親みたいに優しい女に安心し、その手を取った。身長差のある2人は、手をつないだまま森の深い所にある開けた場所にやって来た。雑草だらけで、真ん中にはポツンとすすけた朱色の鳥居があって、その向こうに小さな本殿があった。
「ここ、神社だよ。猫さんの家ってどこ?」
「ここだとも」
「神社に住んでいるの? 怒られない?」
「構わないさ。神様も、こんな薄汚い家にはいられなくて、きっと遠くの場所に越したさ」
本殿の中は6畳ほどの大きさで、寝床と思わしきわらが敷き詰められていた。
道夫はこの女とたくさん話した。自分の家族のこととか、友達のこととか。一方、女は自分のことを話さず、楽しそうに道夫の話を聞いているだけだった。夜語りは眠気とともに途絶え、目が覚める頃には太陽が昇っていた。隣に女はおらず、外に出ると、どうやって登ったのか、高い木の上で目をつぶっていた。
あらためて明るくなった境内を見ると、神社と言うにはあまりに荒廃していた。もう長いこと手入れされていないのか、本殿のそばにある社務所は屋根がつぶれていた。
約束通り女は麓まで案内してくれた。森の中はどこも景色が似ているのに、女は迷うことなく道夫を連れ出してくれた。
「また会える?」
「おぬしが望めばな」
道夫はうれしくなって、顔をほころばせた。
「ぼく、知ってるよ。本当は猫さん神様なんでしょ?」
女は目を大きく開いた。
「あの神社の看板に、猫って書いてあったもん」
「目ざとい坊やだ」
「ぼくが子どもに見える?」
「何を言っておる。おぬしは子どもだ」
「でもぼく、本当のことを言ってほしい」
「かわいげのない坊やだ」
「坊やじゃない」
道夫はそばに生えていた一輪のタンポポを摘んで女に渡した。
「ぼくは石井道夫。この花が枯れる前に、必ずまた来るよ。だから、えっと……名前はなんて言うの?」
「猫善義王じゃ」
「ねこ、ぜん?」
「ほうら、子どもにはあの文字も読めん」
道夫はむっとした。
「にゃんこ様。こっちの方がいい」
「にゃん?」
今度は女が困惑する番だった。
「また会おうね、にゃんこ様!」
この日を境に、道夫は森に通うようになった。にゃんこ様はそのたびに待っていて、神社に案内してくれた。神社
は麓にある家からさほど離れていなかったが、なにせ分け入った所にある。普通の人なら森に入るのもためらうだろう。でも、道夫はもう迷わなかった。にゃんこ様が手をつないでくれたからだ。
道夫はにゃんこ様と会うたびに大きな風呂敷を持っていった。中にはぜいたくなお供え物が入っている。お団子やおにぎりの日もあれば、野菜や花を入れていく日もあった。にゃんこ様はペロリと食べて、半分を道夫にくれた。そんなふうにするうちに、道夫はにゃんこ様と一緒に過ごすのが当たり前になっていった。
「なにをしておる」
昼間、境内で草刈りを始めた道夫を見てにゃんこ様は尋ねた。
「掃除だよ」
「きれいにしてくれるのか?」
「せめて、ちゃんと歩けるようにしないと。これじゃあ誰も来ないよ」
来る日も来る日も、道夫は境内の草刈りや片付けをした。そのかいあって、小さな神社はうっそうとした雰囲気から、こざっぱりとした雰囲気に変わった。
道夫は青年になっても神社の手入れを続け、誰がどこを見ても「神社だ」と言えるくらい見栄えがよくなった。道夫は近所の大工に弟子入りし、簡単な建物なら1人で建てられるようになった。腕を生かし、木材を運び本殿を建て直しもした。
「見事だ」
朱色に塗られた小さな本殿を見てにゃんこ様は言った。
「こんなの朝飯前だ。次は道を造るよ。神社まで続く石段を」
「1人では大変だろう」
「大変じゃない」
「どうしてそこまでする」
「初めてあなたに会ったとき、素晴らしい出来事に遭遇したと思った。こんな友達はどこを探したって二度とできないって。だから、大変だと思ったことは一度もない。楽しいんだ。いつか僕が、もっと大きな神社を建ててにゃんこ様を祭るよ」
忘れ去られていた猫神社は、こうして道夫の誓いをきっかけに変わっていく。道夫は一生懸命ためたお金で人を雇い、本殿を大きく立派に建て直し、宮司となった。その頃にはもう、25歳になっていた。鳥居は石段の前と本殿の前に一つずつ、麓まで続く石段は道夫が1人で造った。こうして猫神社は立派な境内に立つ本殿を構え、地元の人たちも参拝するようになった。にゃんこ様は決して人々の前に現れず、道夫の前にだけ姿を現した。道夫はうれしかった。自分が彼女にとって特別な人間だと思えたからだ。
この地域にはもともと多くの猫がすんでおり、道夫が社務所で暮らすようになると5匹の猫がよりつくようになった。白猫の白丸、黒猫の黒丸、ブチ猫のごま、三毛猫の三毛男、茶トラ猫のもみじ、それぞれ道夫が名付けた。それまで猫は好きではなかったが、この5匹と暮らすうち、道夫はわが子同然に入れ込むようになった。
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