また、猫になれたなら

秋長 豊

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38、答え

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「見えている」

 流太は手をパッと離した。畳の上に落ちたにゃんこ様は鈴音に支えられ、ゆっくり視線を上げた。

「全ては時間の問題。私の大切な仲間、戦士たち。今ここで、話しておかなければならないことがある。私はあと、3年で消える。私が消えれば、おぬしらは人間に戻れる」

 衝撃的だった。石井道夫を滅ぼせば人間に戻してもらえる、そう信じていたのに。にゃんこ様が消えれば戻れるなんて。そんな話、聞いたこともない。

「石井道夫を滅ぼせば人間に戻してやると、確かにそう言った。だが、私の存在が消えることでも人間に戻れる。五大猫神使は私の分身だからだ。厳密に言えば、力の分身。私の力を盗んだ泥棒猫じゃ。5匹は元々、石井道夫が人間だった頃に飼っていた猫。
 だが、ある時連続して謎の死を遂げた。猫を愛していた道夫はその愛ゆえに嘆き、死に絶望し、自死した。邪の存在として現れた道夫は、猫を石に変え始めた。私は戦った。だが、致命傷を受けとどめを刺せなかった。この頰にある傷は、その時受けたものだ。道夫を救うために5匹は亡霊として現れ、私の力を盗んだ。そして力を得た5匹は、道夫を滅ぼすための憑依体を探した。
 力を取り戻すために道夫を滅ぼしたい私の願いと、道夫を救うために滅ぼしたいという5匹の願いは、大局的に見れば同じじゃった。石井道夫を滅ぼせば、5匹の願いはかない憑依は解ける。私が消えれば、母体を失った猫神使は消え憑依も解ける。道は二つに一つ。だから選べ。何もせず、3年待つか。石井道夫を見つけ出し、滅ぼすか」

 部屋の中は異様に静かだった。

 きっとみんな、突然突き付けられた現実に言葉もないのだ。空雄も同じだった。何を言ったらいいのか思い浮かばなかった。

 猫戦士になるきっかけとなった五大猫神使は、全てにゃんこ様主導で動いているのだと思っていた。石井道夫を滅ぼすための、にゃんこ様の駒にすぎないのだと。

 だが、現実は違った。5匹は道夫の死んだ飼い猫で、邪となった飼い主を救うため現れた亡霊、にゃんこ様から力を盗んだ存在なのだと。さしずめ、5匹と利害一致の関係にあるにゃんこ様は自分の力を盗まれたとしても、人間離れした力が使える猫戦士を利用し、自分の力を取り戻せるのなら利用した方がいいと思ったのだろう。だが、同時に思った。

 本当にそれだけなのか、と。石井道夫とにゃんこ様の接点がまるで不明なのだ。道夫が人間だった頃のことをにゃんこ様は知っている。そこまで考えたところで、自分を呼ぶあの不気味な男の声がよみがえった。

 なぜ、道夫は憑依した猫の名前で呼ぶのか。白丸に限らず、あの男は絶対に猫戦士の本名を呼ぼうとしなかった。猫戦士を見ていても、実際には別の何かを見ている。空雄にはそう見えた。今までずっとモヤモヤしてきたが、やっと分かった。道夫は猫戦士に愛猫たちの姿を重ねていたのだ。

「選べ、だと?」

 予期せぬ方向から声が飛んだ。悟郎だった。

「人の人生壊しておいて、今さら? そんなばかな話があるか。俺たちはずっと、お前の駒として生きるしかなかった。他に選択肢なんてなかったからだ。だから、戦ってきた。お前のためじゃなく、自分のために。時間の問題? なら戦わず、ただ時が過ぎるのを待ち、お前を見殺しにした方がよかった。消えるなら早く消えてしまえ!」

 悟郎は罵声を浴びせ部屋を出ていった。

「鈴音さん」

 空雄は続いて出て行こうとする彼女を呼び止めた。鈴音は少し振り返ると苦笑いして部屋を出ていった。続けざまに、条作も流太も。力なく横たわるにゃんこ様を前に、空雄はさみしい気持ちになった。心がバラバラになっていくようだ。空雄はしゃがみ込んで膝を抱えた。 

 バラバラに? いや、違う。見ていたものは都合のいい偽りと妄想。すべて、勘違いだったんだ。一つにまとまって見えた集団は、本当はバラバラで、いつ崩れてもおかしくなかった。あやふやな支柱の上に立っていたのだ。あるきっかけによって、支柱はグラグラ揺れ、崩壊寸前となった。

 悟郎と流太の言葉は胸の奥深くをえぐった。ただ、一方で安心している自分もいた。あと3年で人間に戻れる。終わることのない世界に、終わりが訪れる。そうすれば、また日常に戻って学校に通うことも、働くことも、家族と堂々と出掛けることもできる。うれしさが込み上げた。でも、急激に冷めていく感情が湧き起こった。

 戻れる、けど――空雄はにゃんこ様を見下ろした。その時には、この小さな猫の神様は消えてしまう。死ねない体になり、戦うことを命じられ、人間として生活する日常を奪われた。変えようのない事実。白丸に憑依されなければ、今頃空雄は同級生と同じように高校を卒業し、大学に進んでいた。

 助ける義理などない。心の暗の部分でそう言い捨てる自分がいた。人生を奪ったこの小さな少女に対する怒り。

”にゃんこ様を恨んでいる?”

 いつの日か、流太に聞かれた。今、同じことを聞かれたら、空雄ははっきり恨んでいると答えるだろう。再生する体なんて欲しくなかった。その通りだ。猫にもなりたくなかった。その通りだ。普通ではいられなくなったことに、屈辱を感じてもいた。その通りだ。

 でも今、目の前で苦しんでいる存在がある。人間であろうと、神様であろうと、その事実に変わりはない。完全に許すことなんてできない。本心では自分にうそがつけない。怒りも悲しみも、恨みもある。

 助ける義理がない? 

 心を動かされたのなら、

 それはもう、義理ではない。

 義務でも仁義でもなく、本心からしたいことだ。

 かすかに開いた弱々しい目。空雄は小さな手を取り優しく包み込んだ。

「3年も、待っていられません。その前に、滅ぼします」

 にゃんこ様は目をゆっくりしばたいた。

「勝って人間に戻る。俺も流太さんたちも、ただの人間に。そしてあなたは……猫善義王、ただの猫の神様に」

 少し間があって、にゃんこ様は笑った。

「それが悪に対して言う言葉か」

「悪ではありません」

 興味深そうににゃんこ様は顔を上げた。

「では、名の通り善と?」

「今の俺にとって、あなたは善でも悪でもない」

「それは信用ならぬ言葉だな。世の中には善と悪しかない」

「俺にとって、大事な友達が教えてくれました。世の中は割り切れないことの方が多いのだと」

「ほう。皆せいせいして3年待つと思っていたが、どうやらおぬしは違うようじゃな」

「俺が、あなたを助けたいと思った」

 にゃんこ様の瞳がわずかに艶を帯びた。言葉の一つ一つ、意味をゆっくり理解するように、優しい色に変わっていく。

「それが答えです」

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