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12、知識と恐れ
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「あの日、モンジョに話し掛けられて足を止めました。ここから出してほしい、助けを呼んでほしい、そうお願いされたんです。そしたら突然、羽アリの大群が部屋の中にやってきて、そこからは記憶がなくて、目が覚めたら家の中でした。モンジョが、言ってました。心の中で、呼んでくれたって。それに羽アリたちが応えて助けに来てくれたって。だから、私のせいなんです」
「誰も、君を責めたりしないよ」
土田会長は安心させようと笑顔をつくった。
「本人から、直接話を聞けてよかった。私は心のどこかで、これが本当であれば君が自分を責めてしまわないかと心配していた。気に病むことなんてない。人と違う特別な能力を持った人は、孤独を抱えているものだ。君もその一人ということだ」
結は洗いざらい話した後の心の空洞を埋めたくて、金一郎に抱き着いた。よしよし、と金一郎は変わらず温かい手で抱きとめてくれた。
「私も少々強引な聞き方ではあったが、真実が確かめられてよかった。君のお母さんが昆虫と話せることは、墓場まで持っていくつもりだったが、君がこのような問題に直面していると気付き、言うべきだと思った。
金一郎さん、今の話を聞かせていただきましたが、あなたは素晴らしい教育をされているようです。普通、10歳の子どもはこんなにはっきりと物を言えませんよ。いろいろな生徒を見てきましたが、近江結さんはお母さん譲りの才能がおありのようです。昆虫師としての。わが校の生徒にふさわしい器と言えましょう」
軽やかに褒められたので、結は金一郎の前で誇らしい気分になった。でも、金一郎はおだてられても簡単に木に登る人間ではなかった。
「この子は虫が苦手なんです」
と、きっぱり言った。結は不服ではないどころか激しく同意するしかなかった。
「と、言いますと?」
土田会長は踏み込んで尋ねた。
「昆虫料理はもちろん、虫1匹視界にはいれたくない虫嫌い。小さな頃からそうです」
「では、どうしてモンジョを部屋にかくまったのですか?」
金一郎は急に歯切れが悪くなった。
「それは……」
「虫が嫌いな人の多くは、得体の知れない世界に踏み入ることを恐れている。もちろん、大型昆虫の一部は人を襲うことがあります。けれども、それはごく少数で、多くは自然界もしくは人間界にとって役に立っています。昆虫食にはじまり、植物との関わり、自然界での立ち位置、彼らがいなければ地底世界は回らないと言うほどに。
大切なのは、正しい知識と恐れ。この二つです。国家試験を持った昆虫師たちは皆、この大原則を忘れず、地底世界で昆虫と人間の共存を担っているのです。親しい虫の国と書いて親虫国と書きます。それが、私たちの素晴らしき地底国家であり、昆虫師は国の宝です」
自分が昆虫に対して抱いている嫌悪感は何なのだろう? 彼や金一郎が言った通り、正しい知識と恐れを身に付ければ、治るのだろうか? 自分は毛嫌いしているだけなのだろうか?
「結さん」
思いつめていたせいで気付くのが遅れた。
「ぜひ、わが研修学校の生徒になってもらいたい」
驚きを通り越して感情が無になった。
「私、ですか?」
やっと出た言葉は空気が抜けた風船みたいだった。
「研修学校には風変りで個性的な生徒がたくさんいる。虫と話せるなんてかすんでしまうほどに、実にさまざまな才能を持った子たちがね。それに、研修学校に入ったからといって、必ず昆虫師にならなきゃいけないわけじゃない。虫に接しない仕事へ結びつく学びもある。どうか、じっくり考えてもらいたい。返事は1カ月以内で構わない。もし、受け入れてくれるのなら、昆虫協会へおいで」
「自信が、ないんです」
結はおどおどしながら床に視線を注いだ。
「とても」
「必要ない」
なんてことを言うんだろう、この人は。正直耳を疑う。
「自信が持てるまで待っていたら、何もできなくなってしまう」
「でも、虫が嫌いなのに」
結はもごもご言った。
「協会にも虫嫌いがひどい大人がいてね、いまだにクモ1匹触れないというやつだ。それでも毎日昆虫協会に来て仕事をしているよ。そうそう、いつもクモの巣柄のシャツを着ている」
笑いながら言うので結も少し笑顔になった。
「無理して克服すべきものでもない。おっと、いいことを思いついた。モンジョと一緒に学校生活を送ってみるといい。今の君にモンジョは飼えないが、研修生になればモンジョを飼える資格がもらえる。昆虫協会に所属する者は虫の飼育権というものがあってね、絶滅危惧種の虫でも飼育できる特別な権利が与えられているんだ」
「モンジョは?」
「キタユキワタは絶滅危惧種で、協会で保護する決まりがあってね、申し訳ないがきょう、私が連れて帰るつもりだ」
「えっ!」
人質に取られた気分だ。
「そんなに離れるのが嫌かね?」
結はうつむいた。
「モンジョを連れて行かないで」
「誰も、君を責めたりしないよ」
土田会長は安心させようと笑顔をつくった。
「本人から、直接話を聞けてよかった。私は心のどこかで、これが本当であれば君が自分を責めてしまわないかと心配していた。気に病むことなんてない。人と違う特別な能力を持った人は、孤独を抱えているものだ。君もその一人ということだ」
結は洗いざらい話した後の心の空洞を埋めたくて、金一郎に抱き着いた。よしよし、と金一郎は変わらず温かい手で抱きとめてくれた。
「私も少々強引な聞き方ではあったが、真実が確かめられてよかった。君のお母さんが昆虫と話せることは、墓場まで持っていくつもりだったが、君がこのような問題に直面していると気付き、言うべきだと思った。
金一郎さん、今の話を聞かせていただきましたが、あなたは素晴らしい教育をされているようです。普通、10歳の子どもはこんなにはっきりと物を言えませんよ。いろいろな生徒を見てきましたが、近江結さんはお母さん譲りの才能がおありのようです。昆虫師としての。わが校の生徒にふさわしい器と言えましょう」
軽やかに褒められたので、結は金一郎の前で誇らしい気分になった。でも、金一郎はおだてられても簡単に木に登る人間ではなかった。
「この子は虫が苦手なんです」
と、きっぱり言った。結は不服ではないどころか激しく同意するしかなかった。
「と、言いますと?」
土田会長は踏み込んで尋ねた。
「昆虫料理はもちろん、虫1匹視界にはいれたくない虫嫌い。小さな頃からそうです」
「では、どうしてモンジョを部屋にかくまったのですか?」
金一郎は急に歯切れが悪くなった。
「それは……」
「虫が嫌いな人の多くは、得体の知れない世界に踏み入ることを恐れている。もちろん、大型昆虫の一部は人を襲うことがあります。けれども、それはごく少数で、多くは自然界もしくは人間界にとって役に立っています。昆虫食にはじまり、植物との関わり、自然界での立ち位置、彼らがいなければ地底世界は回らないと言うほどに。
大切なのは、正しい知識と恐れ。この二つです。国家試験を持った昆虫師たちは皆、この大原則を忘れず、地底世界で昆虫と人間の共存を担っているのです。親しい虫の国と書いて親虫国と書きます。それが、私たちの素晴らしき地底国家であり、昆虫師は国の宝です」
自分が昆虫に対して抱いている嫌悪感は何なのだろう? 彼や金一郎が言った通り、正しい知識と恐れを身に付ければ、治るのだろうか? 自分は毛嫌いしているだけなのだろうか?
「結さん」
思いつめていたせいで気付くのが遅れた。
「ぜひ、わが研修学校の生徒になってもらいたい」
驚きを通り越して感情が無になった。
「私、ですか?」
やっと出た言葉は空気が抜けた風船みたいだった。
「研修学校には風変りで個性的な生徒がたくさんいる。虫と話せるなんてかすんでしまうほどに、実にさまざまな才能を持った子たちがね。それに、研修学校に入ったからといって、必ず昆虫師にならなきゃいけないわけじゃない。虫に接しない仕事へ結びつく学びもある。どうか、じっくり考えてもらいたい。返事は1カ月以内で構わない。もし、受け入れてくれるのなら、昆虫協会へおいで」
「自信が、ないんです」
結はおどおどしながら床に視線を注いだ。
「とても」
「必要ない」
なんてことを言うんだろう、この人は。正直耳を疑う。
「自信が持てるまで待っていたら、何もできなくなってしまう」
「でも、虫が嫌いなのに」
結はもごもご言った。
「協会にも虫嫌いがひどい大人がいてね、いまだにクモ1匹触れないというやつだ。それでも毎日昆虫協会に来て仕事をしているよ。そうそう、いつもクモの巣柄のシャツを着ている」
笑いながら言うので結も少し笑顔になった。
「無理して克服すべきものでもない。おっと、いいことを思いついた。モンジョと一緒に学校生活を送ってみるといい。今の君にモンジョは飼えないが、研修生になればモンジョを飼える資格がもらえる。昆虫協会に所属する者は虫の飼育権というものがあってね、絶滅危惧種の虫でも飼育できる特別な権利が与えられているんだ」
「モンジョは?」
「キタユキワタは絶滅危惧種で、協会で保護する決まりがあってね、申し訳ないがきょう、私が連れて帰るつもりだ」
「えっ!」
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「そんなに離れるのが嫌かね?」
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