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第四部:ビリー
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ショッピングセンターの騒ぎを聞き、血相を変えたハリーが病院に駈け込んだのは、その日の夕方だった。
「あ、パパ!」
受付で教えられた病室に向かうと、廊下の椅子に座っていたエリザベスが、飛びつくように抱きついてくる。
「リズ…、可愛い顔がだいなしになってしまったね。ちゃんと冷やしておかなくちゃ、ダメだよ」
怯えた顔で見上げている娘の額に唇を押し当ててから、ハリーはエリザベスが持っていた氷嚢を頬にあてがってやった。
「遅かったね、ハリー」
長椅子の、エリザベスの隣に腰を降ろしていたロイが立ち上がる。
「本当はすぐにでも来たかったよ。ペーペーの頃ならそれも出来たけどね。それで、ビリーの具合は?」
「悪かない、いま寝てる。医者は二~三日寝かしておきたがってたけど、キッド君の性格じゃ、明日には出勤したがるでしょ」
「そうか。まぁビリーの事は、医者に良く頼んでおくさ。ベッドにくくってでも、引き留めておくようにってね。それで…」
ハリーは片手で娘を抱くような格好で歩みを進め、病室の扉を開く。
「リズ、パパはロイと話があるから、ママが来るまでビリーを看ててくれないか?」
ウィリアムが眠っているベッドの側に椅子を置き、ハリーはエリザベスをそこに座らせた。
「うん」
素直に頷いたものの、エリザベスの瞳には不安がまだ色濃く残っている。
それでも彼女は、なにも言わなかった。父親の勤めを邪魔してはいけないと、幼い頃から教えられてきたからだ。
「それじゃ喫煙室にでも行こうか」
部屋を出たところで、ハリーはロイに振り返った。
「良いの? 彼女、まだかなり怯えてるんだよ」
「ビリーに話が聞けないんじゃ、仕方がないだろう。それにリズだって解ってるもの」
「そうだね。頭じゃ理解してるだろうね。そうやって本当にわがままを言って良い時に言えなくしちゃってるって、解ってる?」
刺のあるセリフに、思わずハリーはロイを睨んだ。
「一体、何が言いたいの?」
扉に寄り掛かるようなポーズから、ロイはスッと歩き出した。
「別に。ただ精神的にまいってる時の方が、あの娘は気を使うってコト、キミが知ってるのかどうかが気になっただけさ」
「リズがまいってるのは解ってるさ。でもこれは…」
後を追うように歩き出したハリーに対し、ロイは不意に足を止めて振り返る。
「そう『パパのお仕事だから、仕方がないのよ』だろ? リサの決まり文句だしね」
「ロイ…」
「ま、良いさ。リズはキミの娘で、僕の子供じゃない。僕はただの、お守りだモンね。ベビーシッターとしては、さっさと話を済ませて戻らないと」
まだ何か言いたげのハリーを残し、ロイは歩き出した。
「でもロイ、確かに僕は仕事を優先にしがちで、リズに構ってあげられないけれど。そういう穴は、キミが埋めてくれているじゃないか」
「父親はあくまで父親で、代わりじゃ埋まらないよ」
「そりゃ、解ってるよ。…キミに頼ってばかりで、それが良い事だとは思ってないけど…」
「思ってないなら改善するんだね。僕がいつまでも、あの娘の面倒見てられる訳じゃないんだから」
「リズは、キミを慕ってるよ。僕だって、キミが本当の家族になってくれればと…」
「慕う? 刷り込み、と言って欲しいね」
「どういう意味さ」
「あの娘はね、まだ『恋』も『愛』もなんにも解っちゃいない。親や、親切な叔父さん、仲の良い友達や、TVドラマの役者、それが全部『好き』って一言でくくられてる。そうだろう?」
「でも、自分の中で感じる違いくらいは、判っているよ。ロイが思っているよりは、あの娘は大人だ」
「そうかな。フィクションの世界で展開してる『命がけの恋愛』に憧れてるうちは、子供だよ。それがどんなに面倒かってコト、理解らないんだからね」
ロイの顔に浮かんだ、皮肉な笑み。自嘲を含んだその笑みの持つ意味を、ハリーは理解する事が出来なかった。
「あの年頃の女の子なら、そういうものに憧れを持つのは当然じゃないか。それに、本当にそんなものを体験する人なんて、滅多にいやしないだろう?」
「そうだね。もっとも、知らない方が人生楽しいとも思うしね。ああ、そうだ。話は違うけど、犯人逮捕の経緯だけどね、全部キッド君の活躍だって言っといたよ。事情聴取にきたお巡りさんと、それからリズにもね。ただ、本人にはまだ言ってないんだけど」
「どうして?」
「現場で倒れた後、キッド君はまだ一度も目を覚ましてないから、言いたくても言えなかったの」
「いや、そうじゃなくてさ。どうして、ビリーに?」
「ショッピングセンターに強盗が押し入って、その場に居合わせたので大暴れしましたって、リサに言って良い?」
「ごめん。言われると困る」
たとえ事情が何にしろ、ロイが他人を傷つけたと知れば、リサは困った顔をするに違いない。リサに困った顔をされると、ハリーはもっと困るのだ。
「でも、誰かが暴れた事にしないと、警察は納得してくれないでしょ?」
「判りました」
降参したかのような表情を見せたハリーに、ロイは穏やかな笑みを向ける。
「キッド君には悪いと思ったけど、他に手頃な人がいなかったんだよね。だから商品棚の損壊と過剰防衛で、もしかしたら減俸とかされちゃうかもしれないから、その辺のフォローしといて」
「商品棚の損壊は判るけど、過剰防衛ってなに?」
怪訝な顔になったハリーに、ロイは悪戯の過ぎた子供のような顔をした。
「アーミーナイフが肩に刺さった犯人が、出血多量で意識不明の重態。棚の上から回し蹴りカマした奴が、顎の骨が砕けてて…、全部カレの所為ってコトになってるから、謝っといてね」
「自分で謝ればいいだろう」
「ヤダ」
「なんで」
「内緒」
「なんだよそれ」
「言ってもハリーには解ンないから」
ロイは意味深な笑いを浮かべるばかりで、それ以上は決して答えようとはしなかった。
「あ、パパ!」
受付で教えられた病室に向かうと、廊下の椅子に座っていたエリザベスが、飛びつくように抱きついてくる。
「リズ…、可愛い顔がだいなしになってしまったね。ちゃんと冷やしておかなくちゃ、ダメだよ」
怯えた顔で見上げている娘の額に唇を押し当ててから、ハリーはエリザベスが持っていた氷嚢を頬にあてがってやった。
「遅かったね、ハリー」
長椅子の、エリザベスの隣に腰を降ろしていたロイが立ち上がる。
「本当はすぐにでも来たかったよ。ペーペーの頃ならそれも出来たけどね。それで、ビリーの具合は?」
「悪かない、いま寝てる。医者は二~三日寝かしておきたがってたけど、キッド君の性格じゃ、明日には出勤したがるでしょ」
「そうか。まぁビリーの事は、医者に良く頼んでおくさ。ベッドにくくってでも、引き留めておくようにってね。それで…」
ハリーは片手で娘を抱くような格好で歩みを進め、病室の扉を開く。
「リズ、パパはロイと話があるから、ママが来るまでビリーを看ててくれないか?」
ウィリアムが眠っているベッドの側に椅子を置き、ハリーはエリザベスをそこに座らせた。
「うん」
素直に頷いたものの、エリザベスの瞳には不安がまだ色濃く残っている。
それでも彼女は、なにも言わなかった。父親の勤めを邪魔してはいけないと、幼い頃から教えられてきたからだ。
「それじゃ喫煙室にでも行こうか」
部屋を出たところで、ハリーはロイに振り返った。
「良いの? 彼女、まだかなり怯えてるんだよ」
「ビリーに話が聞けないんじゃ、仕方がないだろう。それにリズだって解ってるもの」
「そうだね。頭じゃ理解してるだろうね。そうやって本当にわがままを言って良い時に言えなくしちゃってるって、解ってる?」
刺のあるセリフに、思わずハリーはロイを睨んだ。
「一体、何が言いたいの?」
扉に寄り掛かるようなポーズから、ロイはスッと歩き出した。
「別に。ただ精神的にまいってる時の方が、あの娘は気を使うってコト、キミが知ってるのかどうかが気になっただけさ」
「リズがまいってるのは解ってるさ。でもこれは…」
後を追うように歩き出したハリーに対し、ロイは不意に足を止めて振り返る。
「そう『パパのお仕事だから、仕方がないのよ』だろ? リサの決まり文句だしね」
「ロイ…」
「ま、良いさ。リズはキミの娘で、僕の子供じゃない。僕はただの、お守りだモンね。ベビーシッターとしては、さっさと話を済ませて戻らないと」
まだ何か言いたげのハリーを残し、ロイは歩き出した。
「でもロイ、確かに僕は仕事を優先にしがちで、リズに構ってあげられないけれど。そういう穴は、キミが埋めてくれているじゃないか」
「父親はあくまで父親で、代わりじゃ埋まらないよ」
「そりゃ、解ってるよ。…キミに頼ってばかりで、それが良い事だとは思ってないけど…」
「思ってないなら改善するんだね。僕がいつまでも、あの娘の面倒見てられる訳じゃないんだから」
「リズは、キミを慕ってるよ。僕だって、キミが本当の家族になってくれればと…」
「慕う? 刷り込み、と言って欲しいね」
「どういう意味さ」
「あの娘はね、まだ『恋』も『愛』もなんにも解っちゃいない。親や、親切な叔父さん、仲の良い友達や、TVドラマの役者、それが全部『好き』って一言でくくられてる。そうだろう?」
「でも、自分の中で感じる違いくらいは、判っているよ。ロイが思っているよりは、あの娘は大人だ」
「そうかな。フィクションの世界で展開してる『命がけの恋愛』に憧れてるうちは、子供だよ。それがどんなに面倒かってコト、理解らないんだからね」
ロイの顔に浮かんだ、皮肉な笑み。自嘲を含んだその笑みの持つ意味を、ハリーは理解する事が出来なかった。
「あの年頃の女の子なら、そういうものに憧れを持つのは当然じゃないか。それに、本当にそんなものを体験する人なんて、滅多にいやしないだろう?」
「そうだね。もっとも、知らない方が人生楽しいとも思うしね。ああ、そうだ。話は違うけど、犯人逮捕の経緯だけどね、全部キッド君の活躍だって言っといたよ。事情聴取にきたお巡りさんと、それからリズにもね。ただ、本人にはまだ言ってないんだけど」
「どうして?」
「現場で倒れた後、キッド君はまだ一度も目を覚ましてないから、言いたくても言えなかったの」
「いや、そうじゃなくてさ。どうして、ビリーに?」
「ショッピングセンターに強盗が押し入って、その場に居合わせたので大暴れしましたって、リサに言って良い?」
「ごめん。言われると困る」
たとえ事情が何にしろ、ロイが他人を傷つけたと知れば、リサは困った顔をするに違いない。リサに困った顔をされると、ハリーはもっと困るのだ。
「でも、誰かが暴れた事にしないと、警察は納得してくれないでしょ?」
「判りました」
降参したかのような表情を見せたハリーに、ロイは穏やかな笑みを向ける。
「キッド君には悪いと思ったけど、他に手頃な人がいなかったんだよね。だから商品棚の損壊と過剰防衛で、もしかしたら減俸とかされちゃうかもしれないから、その辺のフォローしといて」
「商品棚の損壊は判るけど、過剰防衛ってなに?」
怪訝な顔になったハリーに、ロイは悪戯の過ぎた子供のような顔をした。
「アーミーナイフが肩に刺さった犯人が、出血多量で意識不明の重態。棚の上から回し蹴りカマした奴が、顎の骨が砕けてて…、全部カレの所為ってコトになってるから、謝っといてね」
「自分で謝ればいいだろう」
「ヤダ」
「なんで」
「内緒」
「なんだよそれ」
「言ってもハリーには解ンないから」
ロイは意味深な笑いを浮かべるばかりで、それ以上は決して答えようとはしなかった。
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