Black/White

RU

文字の大きさ
上 下
48 / 89
第三部:エリザベス

8

しおりを挟む
 ハリーの身体に張り付けて合った小型マイクからの指示で、数分後にはマクミラン邸に警官隊が駆け込んだ。
 ロイとの会話の最中に、マイクの音声を切っていたハリーに対し、イーストンはなにも言わなかった。
 警察病院に運び込まれ、早急に手当をしてもらった結果、ハリーの撃たれた足はなんとか元の機能を取り戻せると診断された。
 そして、怪我の療養に専念するようにとの医師の指示から、ロイの容態に関する情報を完全にシャットアウトされてしまった。

「おい、ジョナサン。一体いつまで、俺を隔離しておくつもりなんだい?」
「隔離? おや、キミの部屋の扉には、外から鍵でも掛かっているのか?」

 回診に来た友人でもある医師は、ニイッと笑って見せる。

「俺が動けないの知ってて、そうゆうコト言うか?」
「言うと思ったよ。今日から、車椅子でなら動いていいぜ。形成外科からは、リハビリはまだ始めるなってお達しだけどな」
「本当かっ? じゃあ、ロイの病室に行っても良いんだな?」
「まるで、恋人に会いに行く女のコみたいなカオしてるゾ。奥さんに、告げ口してやろうかな」
「莫迦言うなっ。それより、リサはもう会ったのか? ロイの具合はどうなんだよ?」

 ジョナサンの用意してくれた車椅子に身体を移し、ハリーは友人を見上げた。

「奥様も、今日が初面会だよ。この部屋の担当看護婦に、キミがロイの病室に行ったって言付けしておけば、ちゃんと後からそっちの部屋に顔を出すさ」

 喧騒に満ちた廊下を抜け、エレベーターでフロアを二つほど上がる。
 開いた扉の向こうは、先程と打って変わって人気の少ない静かな廊下だった。

「出血多量だったって事を除けば、命に関わるような怪我じゃなかったからね。今はすっかり元気だよ」

 すれ違う医師や看護婦の足音さえもが響く廊下で、声のトーンを落としながらジョナサンが言った。

「それならなぜ、ずっと面会謝絶だったんだ?」
「まぁ、その辺はこちらの都合というヤツさ。このフロアの、妙に緊迫した雰囲気からも判るだろう? あの坊やが、どうして自分を取り戻す事が出来たのかが、大先生達の興味の的なんだよ。じゃあ、俺はまだ回診が残っているから、ごゆっくりどうぞ」

 病室の前の扉の所で、ジョナサンはハリーの車椅子から手を離した。

「じゃあ、また後で」

 開いたままになっている扉を抜けると、見晴らしの良い少し広めの部屋の真ん中にあるベッドの上で、ロイは本を読んでいた。

「具合はどうだい?」

 ハリーの声に顔を上げ、ロイはニッと笑ってみせる。

「まるでモルモットにでもなったようだね。毎日、毎日、ナントカ大先生がやってきては、人に同じ事ばかりを訊ねてくるんだから」
「先日まで、何一つ物を言わなかった患者だからだろう」
「訊かれたって、判らない物は判らないよ。まぁ、キミの友人って言う担当の医師に、少々のダダをこねても怒られないのが唯一の救い、かな」
「駄々? 何を言ったんだい?」
「まぁ、この本とかも、そのひとつだけど。…後は、コレかな」

 車椅子をベッドの側に寄せたハリーに向かって、ロイは左手を差し出した。

「義手を、つけたの?」

 撃ち砕かれ、手首から先の部分のほとんどを失った筈のそこに、黒い革の手袋に包まれた掌がついている。

「手袋、はずしてごらん」

 言われるままに手袋を外したハリーは、一瞬息をのんだ。

「これは…、一体…」
「不気味?」

 そこには、人の手の形を模した透明なガラスがあった。

「どういうつもりでこんな事したんだい?」

 ハリーの質問には答えず、ロイは悪意に満ちた笑みを浮かべたままハリーの顔を見つめている。

「ロイ?」

 不意にその手を伸ばし、ロイはハリーの鼻を摘んだ。

「うわっ!」

 思わず仰け反ったハリーの目の前で、ガラス細工の掌が人差し指を立てた格好で握りしめられ、クルクルと円を描き始める。

「え…っ?」

 乾いた音を立てて、握りしめたり開いたりしているその掌を、ハリーは驚いた顔で凝視してしまった。

「なんて顔してるのさ。…面白いだろう? こんな風に、ちゃんとページだってめくれるんだよ」

 膝の上に開いたまま置かれている本のページを、一枚だけ摘んでめくってみせる。

「あんなにいろんな医者が出入りしてるんだから、コレくらい出来るだろうって言ってさ。特注でね、頼んだの。中はハイテクのコンピュータチップで、僕の腕の筋肉からの動きを読み込むんだって。外側は特殊強化の偏光クリスタルガラス、中が見えないだろ?」
「な、なんだってこんな悪趣味な事、したんだいっ? 同じ特注なら、もっと本物に近づける事だって出来ただろう?」
「本物そっくりに造っておいて、偽物だって気がついた時の方が気持ちが悪いだろ。はじめからそれだって解れば、たいして驚かないと思ったのさ」
「物がそれじゃあ、何度見ても驚くよ…」
「気味悪がられて、人に好かれない方が良いんだ」

 ロイは掌に視線を落としたままで、口元に自身を嘲るような笑みを刻み、ポツリと言った。
 そんなロイの様子に、ハリーは掛ける言葉を失ってしまう。
 重い沈黙を破ろうと、ハリーが口を開きかけた時、廊下の方から軽い足音が近付いてきた。

「ローイッ!」

 病室に駆け込んできた少女は、そのままピョコンとベッドの上のロイめがけて飛びついた。

「お手々をつけたの? お医者様に聞いたのよ」
「うんつけたよ。ちゃんと動く良いヤツをね」

 少女に向けられたロイの微笑みに、ハリーは我が目を疑ってしまう。それは、今までハリーが見た事もないような、穏やかで慈愛に満ちた表情だったからだ。

「ホント? ホントに動くの? スゴイ、スゴーイ」

 はしゃぐエリザベスにせがまれるまま、ロイは掌を窓の方へとかざしてみせる。

「わあ、綺麗!」

 窓から射しこむ陽の光を受けて、クリスタルガラスは宝石のように輝いた。

「あなた…」

 背後からかけられた声に振り向くと、扉の所にはなんとも言えない表情のリサが立っている。

「……………」

 ハリーは一瞬、視線をはしゃぐ子供達に向けてから、そのまま黙って部屋を出た。

「今、ジョナサンに会ってきたわ。ロイに義手をつけたって聞いたけど…、アレは一体…」
「僕だって、そうさ。義手を見たのも聞いたのも、今日が初めてだよ…」

 見上げた先のリサの顔は、困惑の色をますます深めていた。

「どうしてあんな…?」
「人に好かれたくない…んだってさ。本人の弁によるとね。気を変えるつもりもなさそうだし。こちらが思っている以上に、ロイの傷は大きいのかもしれないな…」

 記憶が失われたままの方が、ロイにとって良い事なのか否かの答えが出る前に、ロイが自身を取り戻してしまった。それは、ハリーとリサにとって大きな戸惑いになったけれど。

「これから、うまくやっていけるかしら…?」

 それは、ハリーにとっても大きな疑問であったが。

「大丈夫だよ…」

 しかしハリーは、そう答える事しか出来なかった。
 ハリーがもっとも不安に思っていた、エリザベスとロイの関係は、ロイの記憶を呼び戻した事件によって、何事もなく円滑に育まれている。
 しかし、ロイが一体なにを思い、考えているのかは、相変わらず解らないままで…。
 ハリーの不安とは裏腹に、エリザベスのはしゃぐ声がここまで聞こえてくる。
 窓から射し込む陽を弾いて、ロイの左手が宝石のように輝いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

自習室の机の下で。

カゲ
恋愛
とある自習室の机の下での話。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

処理中です...