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Scene.16
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ヴォーカルルームで俺がチューニングをしていると、ミキシングルームのマツヲさんが、奇妙な手振りで俺を呼んでいるのが見えた。。
仕方がないのでギターを降ろし、俺はミキシングルームの扉を開けた。
「なんスか?」
「オマエに、客が来てる」
「客?」
「聞いて驚け、松原章吾だぞ」
「は?」
マツヲさんが言った名前に、俺は全然ピンと来なくて半口を開けたままマヌケな音を出す。
「松原章吾って?」
「多聞蓮太郎のサポートでベース弾いてた、あの松原章吾だよ」
「ああ。でも俺、そんなヒトとは面識全く無いッスよ?」
「つったってアッチがオマエを指名してきてるんだから、なんか用事があるんだろうよ」
「はぁ………」
なんだかさっぱり解らないが、マツヲさんはそう言ったきり道を開けてくれちゃってるし、断る理由もないので、俺は促されるまま扉に向かった。
外に出ると、廊下に見覚えのある顔が立っている。
「あの~、俺が神巫ですけど……?」
「やあ。どうも初めまして」
松原氏は俺が名乗ると、ニッコリ笑って握手を求めてきた。
初めましてという単語を使ったって事は、やっぱり俺には松原氏との接点なんて今まで一度もなかったって証明だ。
けれど俺にニッコリ笑いながら握手を求めてきてるんだから、間違いなく松原氏は、俺に用事があるって事なのだろう。
ますますワケが判らなくて、俺は怪訝な顔のまま握手に応えた。
「あの~失礼ですけど、俺は松原サンにわざわざ出向いてもらうような心当たりが無いんですけど?」
「ああ、うん。そうだろうね」
答えて、松原氏は少し決まり悪そうに笑う。
「事前のアポ無しで悪いとは思ったんだけど、こっちも切羽詰まっててね。少し時間貰えるかな?」
「はあ…じゃあちょっと待ってて頂けますか? 俺、中の連中に、一言断って来ますンで」
「うん。俺は向かいのスタバにいるから」
そこで一度松原氏と別れ、俺はミキシングルームにとって返すとマツヲさんとカズヤに事情を説明し、それからスタジオの前にあるスターバックスに向かった。
平日のスタバは割と空いていて、俺と松原氏は人気の少ない奥の席に落ち着いた。
「話ってのは、キミの持ってるマリオネットの事なんだけど……」
そう切り出された瞬間、俺のアタマにカッと血が上った。
「俺はあのマリオネットには何の権利もないから、これはただのお願いに過ぎないんだけどさ。出来れば白王華の依頼人には、シュウイチを売って欲しくないんだ」
ところがひとりで勝手にテンパっていた俺は、松原氏の言葉なんかほとんど聞いてない状態で、自分の言いたい事だけを一方的に言い放ってしまった。
「柊一サンを売れなんて言う権利、あんたには無いだろう!!」
言っちゃってから、ハッと我に返ると、松原氏がたまげたような顔をしている。
その時になってやっと松原氏の言葉が、俺のココロモトない脳に伝わってきたのだった。
「あの……今、なんておっしゃいました?」
「だから、白王華にはシュウイチを売らないで欲しいって、頼みに来たんだけど」
「…って事は、俺に柊一サンを手放すな……ってコト?」
「うん、まあ、そう」
答えつつも、松原氏はものすごく不信げな目で俺を見ている。
まぁそうだろう。俺だって今の松原氏の立場だったら、思いっきり相手の精神状態を疑うよ。
「スミマセン。俺はてっきり、あなたがあの弁護士に頼まれて俺を説得に来たんだと思いこんじゃってて」
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺は白王華とはなんの関係もない。ってゆーかむしろ白王華とは対立してるくらいなのさ。もしキミが白王華に交換条件を持ち出された時に、すぐにシュウイチをアイツに売ってたら、俺はキミに会いには来なかったよ」
「それってどういうお話なんですか?」
運命の全てが俺と柊一を切り離そうとしてると思いこんでいた(思わざるえない状況だったからさ!)俺には、松原氏の話は一縷の光明のようで、とても興味をそそられるものだった。
松原氏は俺を品定めするみたいにジイッと見てから、おもむろに口を開いた。
「さっきも言ったけど、俺はあのマリオネットには何の権利もないし、まして弁護士でもない。だけどキミにはあのマリオネットを売る気がないと聴いたんで、それならもしかしたら俺の…というか、俺らの頼みを聞いてくれるかもしれないと思ってさ」
「俺…ら?」
「うん。これは俺だけの話じゃなくて、レンのサポートに入っていたメンバー皆の問題なんだよ。俺はいわば労組長っつーか、一同の代表役」
「レン? もしかして柊一サンの元のオーナーって、やっぱり多聞蓮太郎だったんですか?」
「やっぱりって、どうしてそう思ったの?」
「どうして…つーか……」
俺はなんとなくヘドモドしながら、バーガーショップで会った変なヤツの話とか、マツヲさんから教えてもらったマユツバな話のことなどを、かいつまんで語った。
「だからなんとなく、そうなのかなって思ってただけ…なんですけど」
「うん。神巫君にはぜひ協力して欲しいから、この際全部打ち明けて話すつもりだ。でもここだけの話ってことで、他には漏らさないで欲しいんだ。お願い出来るかな?」
俺が頷くと、松原氏は納得してくれたようだ。
「あのマリオネットはお察しの通り、多聞蓮太郎の所有していた物だよ。モデルになってる東雲柊一って男とレンと俺は、学生時代に一緒にバンドを作った仲なんだ」
「柊一サンには、やっぱりモデルがいたんですね」
それから松原氏が俺に語ってくれた、柊一サンが作られた経緯とはこうだった。
松原氏と多聞氏は学生時代に知り合った。当時、松原氏は東雲柊一という幼なじみと一緒にバンド活動をしており、多聞氏はそこに「参加させて欲しい」と言ってきたのだそうだ。
松原氏は、多聞氏が松原氏達のバンドに参加してきたのは偏にそのシノノメ某の才能に惚れ込んだからさ、と言い切った。
それはいわゆる「ギタリストの抱く、ヴォーカリストへの偏愛」と、純粋にシノノメ某の才能に対する賛美というか、多聞氏が唯一己と互角に渡り合える相手として認めた相手だったからと。
そしてその二つの才能を有したバンドが華々しいデビューを飾り、音楽シーンに一つの伝説を打ち立てたって話だけならば、それで万々歳だったのだが。
インディーズで人気が出始めた頃、出演したライブハウスで火事があった。
雑居ビルの上層フロアにあったライブハウスが、下層フロアから出火した火事に巻き込まれたのだ。
数人の死傷者も出たその火事で、シノノメ某は顔と身体にどえらい火傷を負った。
常に面相を隠して杖を手放せない、往年の大映ドラマも顔負けの怪しげな風貌になったシノノメ某は、そのまま音楽への夢を捨ててしまうつもりだったらしい。
ヴォーカリスト志願が二目と見られぬ姿になったのだから、そう考えたのも仕方ないだろうが、しかしほとんど無傷で助かった多聞氏にはそれが堪えられなかった。
なぜなら騒ぎが起こった時、自分たちはすぐに避難したのに、シノノメ某はその場に残って客の避難の先導をしていた為に、逃げ遅れて怪我をしたからだ。
そんな状況なら命からがら逃げ出すのが当たり前で、先に逃げた多聞氏や松原氏を責める者などいなかったが、再起不能になってしまった後でも、シノノメ某は自分の選択を後悔していなかったという。
シノノメ某の才能を惜しんだ多聞氏は、シノノメ某に自分達の元を離れぬよう説得し、多聞氏の熱意に根負けしたシノノメ某と多聞氏は、以来奇妙な約束事で結ばれることになった。
その約束とは、多聞氏から「シノノメ某は生涯多聞氏との共同創作に尽力する事」、シノノメ某からは「なにがあっても絶対に自分の名前を出さない事」というものだった。
つまり彼らは共同創作ユニットでありながら、表向きは「多聞蓮太郎」なるソロシンガーとして活動する事を決めたのだ。
松原氏曰く「俺達にとっては、あれはシノさんっていうピースの見えないジクソーパズルみたいなモンで、多聞蓮太郎のサポートって形になっていたけど、実質的にはひとつのバンドだったんだ」と言う。
しかし、結局シノノメ某は若くしてこの世を去り、この世で唯一自分と対等と思えた相手を失った多聞氏の荒れ方は、それは酷いものだったらしい。
今でこそ「ロックシーンに多大なる影響を与えたギタリスト」として名を馳せている多聞氏だが、才能がある人間に特有の鼻持ちならない一面を持っていて、スキャンダルには事欠かないタイプだったから、それが自暴自棄な精神状態になれば酒や異性のみならず、ヤバイ薬なんかに簡単に手を出すようになった。
そこで松原氏とその他のバンドメンバー、それに事務所のスタッフなんかで話し合った結果、シノノメ某の生前のデータを揃えて、火災事故に巻き込まれる前のシノノメ某そっくりのマリオネットを製作したのだ。
そこまで話を聞いたところで、多聞氏がシノノメ某に恋愛感情を抱いていたことを、俺は直感的に確信した。
マリオネットの製作を決めたのは松原氏達だったかもしれないが、制作資金は多聞氏が支払ったという。
己が金を出して特注するマリオネット(特注も特注、スペシャルヴァージョンのだ!)を、全く人任せで制作させることなど有り得ないだろう。
松原氏は俺に「あのマリオネットは、事故に巻き込まれる以前のシノさんの身体データの、男の部分をはしょって再現したもの」と言った。
現在柊一を所有してる俺に嘘を吐いても意味ないんだから、つまり松原氏は、柊一をD-TypeのMモデル(外見が男性のセックスレス・ロボ)だと信じてて、疑ってないってことだ。
しかし実際の柊一はL-Typeの両性モデル(外見は男性だけどオンナノコ機能付き)なワケで、そうなった理由はオーナーである多聞氏が、個人的にそうオーダーした以外には考えられない。
たぶん多聞氏は、同じ時、同じ場所にいながら自分がシノノメ某を助けられなかった事で、自分を深く呪ったに違いない。
そして尋常ならざる恋慕を傾けた相手を二目と見られぬ姿にしてしまった後悔が、シノノメ某に対する多聞氏の好意を、尋常ならざる執着に変えた。
考えれば考えるほど、柊一の存在全てが、多聞氏のシノノメ某に対する思い入れと狂気を俺に見せつけるような気すらしてきた。
それからマリオネットの柊一を手に入れた多聞氏がどうなったのかと言えば、しばらくは落ち着いた様子を見せていたのだが、それは一時に過ぎなかった。
息子を失った天馬博士がアトムを造り、育たないロボットである事に絶望したのと同じように、多聞氏はマリオネットの柊一に音楽的才能までも要求したが、柊一はオーナーの期待には応えられなかった。
だが、育たないロボットに絶望した天馬博士はアトムを売却してしまったが、音楽的才能を持たないコピーに腹を立てながらも、多聞氏は最後まで柊一を手放さなかった。
それを松原氏は「レンの気まぐれ」と思っていたようだが、音楽的才能が無い代わりに、柊一は忠実な愛人として多聞氏に愛されたのだ。
それはただの代替え品に過ぎなかったし、多聞氏は柊一にシノノメ某としての存在を期待しては、期待に応えられない柊一に腹を立てて、酷い折檻を繰り返していたらしい。
シノノメ某に対する執着が強ければ強い程、多聞氏は柊一を手放せず、しかしどうしても埋められない空虚感からの逃避に再び薬に手を出した多聞氏は、結局己の寿命を縮めてしまった…というワケだ。
一方、多聞氏が柊一との蜜月から冷めて現実に打ちのめされ、再び妄想の世界に逃避し始めた時、多聞氏の奥方は身の回りの財産をかき集め早々に避難してしまった。
クスリの売人は多聞氏に所持金がない事を知ると、闇金融で借金をさせてクスリを売りつけ、結果多聞氏が亡くなるとマリオネットは早々に借金のカタとして押さえられて、新田店長のショップに並ぶ事になったのだ。
「それで俺達の話になるんだが、実を言うと俺達とレンの仕事はあくまで俺らの信頼関係だけでやってたから、契約内容は書面にしてないんだ。そしたらレンのカミサンがいきなり、多聞蓮太郎名義で作られた楽曲は全てレンの個人資産だって、言いだしてさ」
ようやく本題に戻ったという顔で、松原氏は言った。
「それってつまり?」
「永倉麻衣子は、レンの個人資産を持ってっただけじゃモノ足りなくて、レンの創作物の著作権も丸ごと自分が独占する気満々なワケさ」
多聞氏の奥方は、多聞氏がプロデュースをしたのがきっかけで付き合い、超! スピード結婚を決めた事で一時話題になった永倉麻衣子という元・アイドルだ。
「ちゃんとした書類にしてなかった俺らも手落ちなんだけど、まさかそこまでえげつない事やられるとは思ってなかったし。マイコ女史とは、最初は話し合いでなんとかと思ったけど、全く訊く耳持ってないっぽいから、結局泥沼の裁判沙汰になってる」
「勝てる見込みはありそうなんですか?」
「元々アッチの言い分は強引だからね。一番ネックなのがマイコ女史が連れてきたあの白王華って弁護士で、これが『金さえ払えば黒も白って言う』ようなヤロウだからさ。今のところ五分ってカンジかな」
「多聞サンはその辺の配慮をなにもしてくれてなかったんですか? その…金銭的にトラブルにならないように…とか?」
俺の問いに、松原氏は苦い顔をしてコーヒーを飲む。
「一体あのバカはどーいうつもりでいたのか、覚せい剤でブッ飛んでたのか、正気だったのかも判んねェケドさ。多聞蓮太郎名義で作った全ての創作物の権利は、件のマリオネットに譲るなんていうアホな遺言残していきやがったよ」
「あの…それってつまり、柊一サンが著作権を相続したって事ですか?」
「正確に言うとちょっと違う。そもそもマリオネットには人権がないから、マリオネットを所有している人間が著作権を有するコトになるってワケ」
「それで、そんな遺言してるのに、柊一サンの相続権については何もなかったんですか?」
「一応、事務所というか俺等メンバーで相続するようにしてあったさ。でも遺書に指定してあっても、その前にあのバカはマリオネットを担保にヤミ金融から金を借りているから、借財の差し押さえでそっちに権利が発生しちゃってるワケ。でもって、ヤミ金融はあのマリオネットにそんなオマケが付いている事を知らなかったからさっさと処分しちゃって、今やマリオネットは、キミの所有物ッつーワケ」
「……………は?」
俺はその意味が一瞬全く理解出来ず、30秒ぐらい間をおいてから間抜けな音を出した。
「だから、多聞蓮太郎の著作物の全ての権利は、今キミが所有しているんだよ」
「だって俺、一万円しか払ってないッスよ?」
「仕方ないよ、今も言った通りアレを撤収したヤミ金融はそんな値打ちモノだったなんて知らなかったんだし」
「あっ! それであの弁護士ヤロウは、あんなに美味しい条件並べ立てたんですね! 俺もただ遺族が引き取りたいって言ってるだけにしちゃ、アフターサービスがありすぎるなって思ったンすよっ!」
「美味しい条件…って言ってる割に、キミが白王華になびいてくれなくて良かったよ」
「でも、多聞夫人が今更なにを主張しようが、意味無いんじゃないんですか?」
話題が自分に都合の悪い方向にむきかけて、俺は慌てて話をそらした。
「それで、はいそうですかと諦めるような女狐じゃないんだよ。だから俺達に件のマリオネットが譲渡されると判った当初は、レンの遺言そのものが『覚せい剤でイカレてる状態で正気を失っていた人間の戯言だ』と言い張っていたし、マリオネットが行方不明だと判った途端に、それを手に入れようと必死になってるってワケ。もちろん現状は『多聞蓮太郎はユニットじゃなくて個人名だった』って主張をしてて、俺らとやり合ってるワケよ」
「まさに泥沼ですねえ」
「こっちだって、レンが生きてた頃はそれなりに付き合ってた相手だから、出来ればやり合いたいとは思ってないよ。でも死活問題だからね。ぶっちゃけて言うと、あっちの手札を1枚でも減らしたいから、キミに会いに来たってわけ」
「じゃあ松原サンは、俺にマリオネットの譲渡を頼みに来たんですか?」
「いや。キミに売る気がないなら、無理強いはしないさ。俺はキミがどういう理由で白王華にアレを売らなかったのかを確かめに来たんだ。単に値段とか条件の折り合いだけで売らなかったんだとしたら、こっちも手を打たなきゃと思ってたけど。キミのその様子じゃ、アレを手放す気なんてないんだろ?」
俺はなんだか、涙腺が緩みそうになってしまった。
ついさっきまでは、まるで世の中全部が俺から柊一を取り上げようとしてると感じていたけど、少なくともこの松原氏の台詞は、俺が柊一を所有する事を許容してくれてたから。
本当を言えば松原氏はただ、永倉麻衣子以外なら誰が柊一の所有者でもイイって思ってるだけなんだろうが、それでもやっぱり俺は嬉しかったのだ。
俺がひとりで感極まってるのを少々不信に思いつつも、松原氏は見て見ぬフリをしてくれたようだ。
「それでレンの遺言状が無効になっちゃって、あげく著作権は個人名義って事になっちまったら、こっちはもう八方塞がりでお手上げなんだけどね。状況によったら、あのマリオネットのメモリーボックスを法廷に証拠として提出させてもらいに、キミにお願いする事もあるかもだけど」
「メモリーって、柊一サンを壊されるような事は、イヤなんですけど…」
「回線繋いでメモリーのコピーを取るだけだよ」
「あ、そうなんですか」
思いっきり安堵の息を吐き、それから俺はまた、気になった事を訊いた。
「でも柊一サンのメモリーって、中古販売される時に回路が壊されてますよ?」
「ああ、知ってる。でもパソコンのユーティリティソフトとかと同じように、ブロックされちゃったメモリーをサルベージする方法もあるから。シノさんとレンがどういうつもりで多聞蓮太郎って名前のユニットを組んだのかが説明出来れば、司法の判断もマイコ女史の勝手な言い分に誑かされたりしないと思うからさ」
「サルベージ? ってコトは、柊一サンの壊れた回路が復旧するってコトですか?」
「どうなのかなぁ? 俺はそれほどマリオネットに詳しいワケじゃないから、その辺はなんとも」
「そう、ですか………」
全く俺は、なんてお人好しなんだろう。
あんなコトをしでかした後だから、俺と柊一との信頼関係は無くなってるけど、そこに前・オーナーの記憶まで蘇ったら、俺が柊一の気持ちの中に入り込む余地は1ミクロンたりとも存在しなくなるのに、それでも柊一にオーナーの記憶を思い出させてあげたいなんて、俺は思ってるんだから…。
「神巫君、携帯が鳴ってるよ?」
「えっ? あ、メールだ。ちょっと失礼して読ませてもらいます」
着信したメールを開くと、マツヲさんからだった。
「スタジオに戻って来いって、催促じゃないの?」
「図星です」
照れ笑いをして、俺は携帯を閉じた。
「すまないね、忙しいのに呼び出して」
「いえ、俺の方こそイロイロ聞かせてもらえて良かったです…」
と、そのまま別れを口にしかけて、俺はハッとなった。
「あ、そうだ!」
「なんだい、いきなり?」
立ち上がり掛けていた松原氏は、ビックリしたようにかたまっている。
「あの白王華とか言う弁護士に、柊一サンを貸せって言われてるんです」
「売れじゃなくて?」
「基本的には売ってくれって言われてるんですけど、今月の15日に法要があるから、その日だけ取りあえず貸してくれって……」
「ああ、そう…」
松原氏が顔をしかめて考え込む。
「俺は正直、貸したくないんですけど」
「う~ん、そうだなぁ……」
しばらく考えてから、松原氏は顔を上げた。
「いや。神巫君、その日だけはあのマリオネットを貸しておいてよ」
「え?」
「連中のコトだから、法要の席に出さなかったら、元々居なかった物を後から捏造したみたいに言いだしかねないからさ」
さすがに即答は出来なかったけど、でも現状では松原氏の頼みにNOは言いづらかった。
「俺、あの弁護士に貸すのスゴク嫌なんです。だからもしお願い出来るなら、松原サン経由で柊一サンを出席させるワケにはいきませんか?」
「う~ん…俺としては、あんな高価な物を預かるのはあんまり気が進まないけど。でも確かに白王華やマイコ女史に直に貸すのも、気が進まないモンな」
結局、呼び出しのメールの後も、俺は30分ほど席を立たなかった。
柊一サンを貸すにあたって、松原氏と綿密な日程なんかを話し合っていたからだ。
「ただいま戻りました」
スタジオの扉を開けると、マツヲさんがすっかりオカンムリの様子で振り返った。
「オマエなぁ、こっちが気を使ってこそっとメールで催促してりゃ図に乗って! 主婦のファミレス・ランチじゃあんめぇし、いつまでくっちゃべってるんだよ!」
「スミマセン、ちょっと話が複雑だったモンで」
「なんの話だったの? まさかオマエの事、ヘッドハンティングに来たワケでもないんでしょ?」
オカンムリのマツヲさんとは対照的に、俺がいない間にすっかりサボタージュモードに入っていたカズヤが、興味津々な顔で訊ねてくる。
「全然違うって。つーか、俺じゃなくて柊一サンの用事だったし」
「シューイチサン……って? えおおおうぅ? おいおいおい、それじゃマジでオマエんトコのマリオネット、伝説の男だったってか?」
「詳細は言えませんけど、よーするにそーいうコトっす」
「しょええ~! 伝説が現実か~! まさしく事実は小説よりも奇なりだな!」
奇声を発しているマツヲさんは、感嘆のあまり、どうやらすっかり俺に腹を立ててたことを忘れてしまったらしい。
「じゃあ、ハルカが戻ってきた事だし、作業を再開しましょうか」
「をいをい、ココまで奇々怪々な話を最後まで聞かずに仕事なんか出来るのか~?」
「だってマツヲさん、俺は今日こそ絶対家に帰る! とか豪語してたじゃないッスか? 残りの作業片付けなきゃ、帰れませんよ?」
「マツヲさん、家に何か用事でもあるんすか?」
「あるに決まってるだろ。ウチには可愛いノリカチャンとマリンちゃんが、俺の帰りを待ってるんだ!」
「サムもでしょ?」
ツッコミを入れたら、マツヲさんは思いっきりイヤそーな顔で俺を睨んだ。
「アイツの話はするなー!」
「だってマツヲさんのこと一番心配して、世話焼いてくれてるの、ノリかちゃんでもマリンちゃんでもなく、サムじゃないですか」
「あははっ、ハルカってば、すっかりマツヲさん家の通になっちゃってるなあ」
「なんだオマエら! ドイツもコイツもヒトの不幸を笑いのネタにしやがって!」
ダベリングに一番熱心だったマツヲさんが拗ねたので、場がなんとなく仕事モードに切り替わり、俺達はそれぞれの作業の続きに従事たのだった。
仕方がないのでギターを降ろし、俺はミキシングルームの扉を開けた。
「なんスか?」
「オマエに、客が来てる」
「客?」
「聞いて驚け、松原章吾だぞ」
「は?」
マツヲさんが言った名前に、俺は全然ピンと来なくて半口を開けたままマヌケな音を出す。
「松原章吾って?」
「多聞蓮太郎のサポートでベース弾いてた、あの松原章吾だよ」
「ああ。でも俺、そんなヒトとは面識全く無いッスよ?」
「つったってアッチがオマエを指名してきてるんだから、なんか用事があるんだろうよ」
「はぁ………」
なんだかさっぱり解らないが、マツヲさんはそう言ったきり道を開けてくれちゃってるし、断る理由もないので、俺は促されるまま扉に向かった。
外に出ると、廊下に見覚えのある顔が立っている。
「あの~、俺が神巫ですけど……?」
「やあ。どうも初めまして」
松原氏は俺が名乗ると、ニッコリ笑って握手を求めてきた。
初めましてという単語を使ったって事は、やっぱり俺には松原氏との接点なんて今まで一度もなかったって証明だ。
けれど俺にニッコリ笑いながら握手を求めてきてるんだから、間違いなく松原氏は、俺に用事があるって事なのだろう。
ますますワケが判らなくて、俺は怪訝な顔のまま握手に応えた。
「あの~失礼ですけど、俺は松原サンにわざわざ出向いてもらうような心当たりが無いんですけど?」
「ああ、うん。そうだろうね」
答えて、松原氏は少し決まり悪そうに笑う。
「事前のアポ無しで悪いとは思ったんだけど、こっちも切羽詰まっててね。少し時間貰えるかな?」
「はあ…じゃあちょっと待ってて頂けますか? 俺、中の連中に、一言断って来ますンで」
「うん。俺は向かいのスタバにいるから」
そこで一度松原氏と別れ、俺はミキシングルームにとって返すとマツヲさんとカズヤに事情を説明し、それからスタジオの前にあるスターバックスに向かった。
平日のスタバは割と空いていて、俺と松原氏は人気の少ない奥の席に落ち着いた。
「話ってのは、キミの持ってるマリオネットの事なんだけど……」
そう切り出された瞬間、俺のアタマにカッと血が上った。
「俺はあのマリオネットには何の権利もないから、これはただのお願いに過ぎないんだけどさ。出来れば白王華の依頼人には、シュウイチを売って欲しくないんだ」
ところがひとりで勝手にテンパっていた俺は、松原氏の言葉なんかほとんど聞いてない状態で、自分の言いたい事だけを一方的に言い放ってしまった。
「柊一サンを売れなんて言う権利、あんたには無いだろう!!」
言っちゃってから、ハッと我に返ると、松原氏がたまげたような顔をしている。
その時になってやっと松原氏の言葉が、俺のココロモトない脳に伝わってきたのだった。
「あの……今、なんておっしゃいました?」
「だから、白王華にはシュウイチを売らないで欲しいって、頼みに来たんだけど」
「…って事は、俺に柊一サンを手放すな……ってコト?」
「うん、まあ、そう」
答えつつも、松原氏はものすごく不信げな目で俺を見ている。
まぁそうだろう。俺だって今の松原氏の立場だったら、思いっきり相手の精神状態を疑うよ。
「スミマセン。俺はてっきり、あなたがあの弁護士に頼まれて俺を説得に来たんだと思いこんじゃってて」
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺は白王華とはなんの関係もない。ってゆーかむしろ白王華とは対立してるくらいなのさ。もしキミが白王華に交換条件を持ち出された時に、すぐにシュウイチをアイツに売ってたら、俺はキミに会いには来なかったよ」
「それってどういうお話なんですか?」
運命の全てが俺と柊一を切り離そうとしてると思いこんでいた(思わざるえない状況だったからさ!)俺には、松原氏の話は一縷の光明のようで、とても興味をそそられるものだった。
松原氏は俺を品定めするみたいにジイッと見てから、おもむろに口を開いた。
「さっきも言ったけど、俺はあのマリオネットには何の権利もないし、まして弁護士でもない。だけどキミにはあのマリオネットを売る気がないと聴いたんで、それならもしかしたら俺の…というか、俺らの頼みを聞いてくれるかもしれないと思ってさ」
「俺…ら?」
「うん。これは俺だけの話じゃなくて、レンのサポートに入っていたメンバー皆の問題なんだよ。俺はいわば労組長っつーか、一同の代表役」
「レン? もしかして柊一サンの元のオーナーって、やっぱり多聞蓮太郎だったんですか?」
「やっぱりって、どうしてそう思ったの?」
「どうして…つーか……」
俺はなんとなくヘドモドしながら、バーガーショップで会った変なヤツの話とか、マツヲさんから教えてもらったマユツバな話のことなどを、かいつまんで語った。
「だからなんとなく、そうなのかなって思ってただけ…なんですけど」
「うん。神巫君にはぜひ協力して欲しいから、この際全部打ち明けて話すつもりだ。でもここだけの話ってことで、他には漏らさないで欲しいんだ。お願い出来るかな?」
俺が頷くと、松原氏は納得してくれたようだ。
「あのマリオネットはお察しの通り、多聞蓮太郎の所有していた物だよ。モデルになってる東雲柊一って男とレンと俺は、学生時代に一緒にバンドを作った仲なんだ」
「柊一サンには、やっぱりモデルがいたんですね」
それから松原氏が俺に語ってくれた、柊一サンが作られた経緯とはこうだった。
松原氏と多聞氏は学生時代に知り合った。当時、松原氏は東雲柊一という幼なじみと一緒にバンド活動をしており、多聞氏はそこに「参加させて欲しい」と言ってきたのだそうだ。
松原氏は、多聞氏が松原氏達のバンドに参加してきたのは偏にそのシノノメ某の才能に惚れ込んだからさ、と言い切った。
それはいわゆる「ギタリストの抱く、ヴォーカリストへの偏愛」と、純粋にシノノメ某の才能に対する賛美というか、多聞氏が唯一己と互角に渡り合える相手として認めた相手だったからと。
そしてその二つの才能を有したバンドが華々しいデビューを飾り、音楽シーンに一つの伝説を打ち立てたって話だけならば、それで万々歳だったのだが。
インディーズで人気が出始めた頃、出演したライブハウスで火事があった。
雑居ビルの上層フロアにあったライブハウスが、下層フロアから出火した火事に巻き込まれたのだ。
数人の死傷者も出たその火事で、シノノメ某は顔と身体にどえらい火傷を負った。
常に面相を隠して杖を手放せない、往年の大映ドラマも顔負けの怪しげな風貌になったシノノメ某は、そのまま音楽への夢を捨ててしまうつもりだったらしい。
ヴォーカリスト志願が二目と見られぬ姿になったのだから、そう考えたのも仕方ないだろうが、しかしほとんど無傷で助かった多聞氏にはそれが堪えられなかった。
なぜなら騒ぎが起こった時、自分たちはすぐに避難したのに、シノノメ某はその場に残って客の避難の先導をしていた為に、逃げ遅れて怪我をしたからだ。
そんな状況なら命からがら逃げ出すのが当たり前で、先に逃げた多聞氏や松原氏を責める者などいなかったが、再起不能になってしまった後でも、シノノメ某は自分の選択を後悔していなかったという。
シノノメ某の才能を惜しんだ多聞氏は、シノノメ某に自分達の元を離れぬよう説得し、多聞氏の熱意に根負けしたシノノメ某と多聞氏は、以来奇妙な約束事で結ばれることになった。
その約束とは、多聞氏から「シノノメ某は生涯多聞氏との共同創作に尽力する事」、シノノメ某からは「なにがあっても絶対に自分の名前を出さない事」というものだった。
つまり彼らは共同創作ユニットでありながら、表向きは「多聞蓮太郎」なるソロシンガーとして活動する事を決めたのだ。
松原氏曰く「俺達にとっては、あれはシノさんっていうピースの見えないジクソーパズルみたいなモンで、多聞蓮太郎のサポートって形になっていたけど、実質的にはひとつのバンドだったんだ」と言う。
しかし、結局シノノメ某は若くしてこの世を去り、この世で唯一自分と対等と思えた相手を失った多聞氏の荒れ方は、それは酷いものだったらしい。
今でこそ「ロックシーンに多大なる影響を与えたギタリスト」として名を馳せている多聞氏だが、才能がある人間に特有の鼻持ちならない一面を持っていて、スキャンダルには事欠かないタイプだったから、それが自暴自棄な精神状態になれば酒や異性のみならず、ヤバイ薬なんかに簡単に手を出すようになった。
そこで松原氏とその他のバンドメンバー、それに事務所のスタッフなんかで話し合った結果、シノノメ某の生前のデータを揃えて、火災事故に巻き込まれる前のシノノメ某そっくりのマリオネットを製作したのだ。
そこまで話を聞いたところで、多聞氏がシノノメ某に恋愛感情を抱いていたことを、俺は直感的に確信した。
マリオネットの製作を決めたのは松原氏達だったかもしれないが、制作資金は多聞氏が支払ったという。
己が金を出して特注するマリオネット(特注も特注、スペシャルヴァージョンのだ!)を、全く人任せで制作させることなど有り得ないだろう。
松原氏は俺に「あのマリオネットは、事故に巻き込まれる以前のシノさんの身体データの、男の部分をはしょって再現したもの」と言った。
現在柊一を所有してる俺に嘘を吐いても意味ないんだから、つまり松原氏は、柊一をD-TypeのMモデル(外見が男性のセックスレス・ロボ)だと信じてて、疑ってないってことだ。
しかし実際の柊一はL-Typeの両性モデル(外見は男性だけどオンナノコ機能付き)なワケで、そうなった理由はオーナーである多聞氏が、個人的にそうオーダーした以外には考えられない。
たぶん多聞氏は、同じ時、同じ場所にいながら自分がシノノメ某を助けられなかった事で、自分を深く呪ったに違いない。
そして尋常ならざる恋慕を傾けた相手を二目と見られぬ姿にしてしまった後悔が、シノノメ某に対する多聞氏の好意を、尋常ならざる執着に変えた。
考えれば考えるほど、柊一の存在全てが、多聞氏のシノノメ某に対する思い入れと狂気を俺に見せつけるような気すらしてきた。
それからマリオネットの柊一を手に入れた多聞氏がどうなったのかと言えば、しばらくは落ち着いた様子を見せていたのだが、それは一時に過ぎなかった。
息子を失った天馬博士がアトムを造り、育たないロボットである事に絶望したのと同じように、多聞氏はマリオネットの柊一に音楽的才能までも要求したが、柊一はオーナーの期待には応えられなかった。
だが、育たないロボットに絶望した天馬博士はアトムを売却してしまったが、音楽的才能を持たないコピーに腹を立てながらも、多聞氏は最後まで柊一を手放さなかった。
それを松原氏は「レンの気まぐれ」と思っていたようだが、音楽的才能が無い代わりに、柊一は忠実な愛人として多聞氏に愛されたのだ。
それはただの代替え品に過ぎなかったし、多聞氏は柊一にシノノメ某としての存在を期待しては、期待に応えられない柊一に腹を立てて、酷い折檻を繰り返していたらしい。
シノノメ某に対する執着が強ければ強い程、多聞氏は柊一を手放せず、しかしどうしても埋められない空虚感からの逃避に再び薬に手を出した多聞氏は、結局己の寿命を縮めてしまった…というワケだ。
一方、多聞氏が柊一との蜜月から冷めて現実に打ちのめされ、再び妄想の世界に逃避し始めた時、多聞氏の奥方は身の回りの財産をかき集め早々に避難してしまった。
クスリの売人は多聞氏に所持金がない事を知ると、闇金融で借金をさせてクスリを売りつけ、結果多聞氏が亡くなるとマリオネットは早々に借金のカタとして押さえられて、新田店長のショップに並ぶ事になったのだ。
「それで俺達の話になるんだが、実を言うと俺達とレンの仕事はあくまで俺らの信頼関係だけでやってたから、契約内容は書面にしてないんだ。そしたらレンのカミサンがいきなり、多聞蓮太郎名義で作られた楽曲は全てレンの個人資産だって、言いだしてさ」
ようやく本題に戻ったという顔で、松原氏は言った。
「それってつまり?」
「永倉麻衣子は、レンの個人資産を持ってっただけじゃモノ足りなくて、レンの創作物の著作権も丸ごと自分が独占する気満々なワケさ」
多聞氏の奥方は、多聞氏がプロデュースをしたのがきっかけで付き合い、超! スピード結婚を決めた事で一時話題になった永倉麻衣子という元・アイドルだ。
「ちゃんとした書類にしてなかった俺らも手落ちなんだけど、まさかそこまでえげつない事やられるとは思ってなかったし。マイコ女史とは、最初は話し合いでなんとかと思ったけど、全く訊く耳持ってないっぽいから、結局泥沼の裁判沙汰になってる」
「勝てる見込みはありそうなんですか?」
「元々アッチの言い分は強引だからね。一番ネックなのがマイコ女史が連れてきたあの白王華って弁護士で、これが『金さえ払えば黒も白って言う』ようなヤロウだからさ。今のところ五分ってカンジかな」
「多聞サンはその辺の配慮をなにもしてくれてなかったんですか? その…金銭的にトラブルにならないように…とか?」
俺の問いに、松原氏は苦い顔をしてコーヒーを飲む。
「一体あのバカはどーいうつもりでいたのか、覚せい剤でブッ飛んでたのか、正気だったのかも判んねェケドさ。多聞蓮太郎名義で作った全ての創作物の権利は、件のマリオネットに譲るなんていうアホな遺言残していきやがったよ」
「あの…それってつまり、柊一サンが著作権を相続したって事ですか?」
「正確に言うとちょっと違う。そもそもマリオネットには人権がないから、マリオネットを所有している人間が著作権を有するコトになるってワケ」
「それで、そんな遺言してるのに、柊一サンの相続権については何もなかったんですか?」
「一応、事務所というか俺等メンバーで相続するようにしてあったさ。でも遺書に指定してあっても、その前にあのバカはマリオネットを担保にヤミ金融から金を借りているから、借財の差し押さえでそっちに権利が発生しちゃってるワケ。でもって、ヤミ金融はあのマリオネットにそんなオマケが付いている事を知らなかったからさっさと処分しちゃって、今やマリオネットは、キミの所有物ッつーワケ」
「……………は?」
俺はその意味が一瞬全く理解出来ず、30秒ぐらい間をおいてから間抜けな音を出した。
「だから、多聞蓮太郎の著作物の全ての権利は、今キミが所有しているんだよ」
「だって俺、一万円しか払ってないッスよ?」
「仕方ないよ、今も言った通りアレを撤収したヤミ金融はそんな値打ちモノだったなんて知らなかったんだし」
「あっ! それであの弁護士ヤロウは、あんなに美味しい条件並べ立てたんですね! 俺もただ遺族が引き取りたいって言ってるだけにしちゃ、アフターサービスがありすぎるなって思ったンすよっ!」
「美味しい条件…って言ってる割に、キミが白王華になびいてくれなくて良かったよ」
「でも、多聞夫人が今更なにを主張しようが、意味無いんじゃないんですか?」
話題が自分に都合の悪い方向にむきかけて、俺は慌てて話をそらした。
「それで、はいそうですかと諦めるような女狐じゃないんだよ。だから俺達に件のマリオネットが譲渡されると判った当初は、レンの遺言そのものが『覚せい剤でイカレてる状態で正気を失っていた人間の戯言だ』と言い張っていたし、マリオネットが行方不明だと判った途端に、それを手に入れようと必死になってるってワケ。もちろん現状は『多聞蓮太郎はユニットじゃなくて個人名だった』って主張をしてて、俺らとやり合ってるワケよ」
「まさに泥沼ですねえ」
「こっちだって、レンが生きてた頃はそれなりに付き合ってた相手だから、出来ればやり合いたいとは思ってないよ。でも死活問題だからね。ぶっちゃけて言うと、あっちの手札を1枚でも減らしたいから、キミに会いに来たってわけ」
「じゃあ松原サンは、俺にマリオネットの譲渡を頼みに来たんですか?」
「いや。キミに売る気がないなら、無理強いはしないさ。俺はキミがどういう理由で白王華にアレを売らなかったのかを確かめに来たんだ。単に値段とか条件の折り合いだけで売らなかったんだとしたら、こっちも手を打たなきゃと思ってたけど。キミのその様子じゃ、アレを手放す気なんてないんだろ?」
俺はなんだか、涙腺が緩みそうになってしまった。
ついさっきまでは、まるで世の中全部が俺から柊一を取り上げようとしてると感じていたけど、少なくともこの松原氏の台詞は、俺が柊一を所有する事を許容してくれてたから。
本当を言えば松原氏はただ、永倉麻衣子以外なら誰が柊一の所有者でもイイって思ってるだけなんだろうが、それでもやっぱり俺は嬉しかったのだ。
俺がひとりで感極まってるのを少々不信に思いつつも、松原氏は見て見ぬフリをしてくれたようだ。
「それでレンの遺言状が無効になっちゃって、あげく著作権は個人名義って事になっちまったら、こっちはもう八方塞がりでお手上げなんだけどね。状況によったら、あのマリオネットのメモリーボックスを法廷に証拠として提出させてもらいに、キミにお願いする事もあるかもだけど」
「メモリーって、柊一サンを壊されるような事は、イヤなんですけど…」
「回線繋いでメモリーのコピーを取るだけだよ」
「あ、そうなんですか」
思いっきり安堵の息を吐き、それから俺はまた、気になった事を訊いた。
「でも柊一サンのメモリーって、中古販売される時に回路が壊されてますよ?」
「ああ、知ってる。でもパソコンのユーティリティソフトとかと同じように、ブロックされちゃったメモリーをサルベージする方法もあるから。シノさんとレンがどういうつもりで多聞蓮太郎って名前のユニットを組んだのかが説明出来れば、司法の判断もマイコ女史の勝手な言い分に誑かされたりしないと思うからさ」
「サルベージ? ってコトは、柊一サンの壊れた回路が復旧するってコトですか?」
「どうなのかなぁ? 俺はそれほどマリオネットに詳しいワケじゃないから、その辺はなんとも」
「そう、ですか………」
全く俺は、なんてお人好しなんだろう。
あんなコトをしでかした後だから、俺と柊一との信頼関係は無くなってるけど、そこに前・オーナーの記憶まで蘇ったら、俺が柊一の気持ちの中に入り込む余地は1ミクロンたりとも存在しなくなるのに、それでも柊一にオーナーの記憶を思い出させてあげたいなんて、俺は思ってるんだから…。
「神巫君、携帯が鳴ってるよ?」
「えっ? あ、メールだ。ちょっと失礼して読ませてもらいます」
着信したメールを開くと、マツヲさんからだった。
「スタジオに戻って来いって、催促じゃないの?」
「図星です」
照れ笑いをして、俺は携帯を閉じた。
「すまないね、忙しいのに呼び出して」
「いえ、俺の方こそイロイロ聞かせてもらえて良かったです…」
と、そのまま別れを口にしかけて、俺はハッとなった。
「あ、そうだ!」
「なんだい、いきなり?」
立ち上がり掛けていた松原氏は、ビックリしたようにかたまっている。
「あの白王華とか言う弁護士に、柊一サンを貸せって言われてるんです」
「売れじゃなくて?」
「基本的には売ってくれって言われてるんですけど、今月の15日に法要があるから、その日だけ取りあえず貸してくれって……」
「ああ、そう…」
松原氏が顔をしかめて考え込む。
「俺は正直、貸したくないんですけど」
「う~ん、そうだなぁ……」
しばらく考えてから、松原氏は顔を上げた。
「いや。神巫君、その日だけはあのマリオネットを貸しておいてよ」
「え?」
「連中のコトだから、法要の席に出さなかったら、元々居なかった物を後から捏造したみたいに言いだしかねないからさ」
さすがに即答は出来なかったけど、でも現状では松原氏の頼みにNOは言いづらかった。
「俺、あの弁護士に貸すのスゴク嫌なんです。だからもしお願い出来るなら、松原サン経由で柊一サンを出席させるワケにはいきませんか?」
「う~ん…俺としては、あんな高価な物を預かるのはあんまり気が進まないけど。でも確かに白王華やマイコ女史に直に貸すのも、気が進まないモンな」
結局、呼び出しのメールの後も、俺は30分ほど席を立たなかった。
柊一サンを貸すにあたって、松原氏と綿密な日程なんかを話し合っていたからだ。
「ただいま戻りました」
スタジオの扉を開けると、マツヲさんがすっかりオカンムリの様子で振り返った。
「オマエなぁ、こっちが気を使ってこそっとメールで催促してりゃ図に乗って! 主婦のファミレス・ランチじゃあんめぇし、いつまでくっちゃべってるんだよ!」
「スミマセン、ちょっと話が複雑だったモンで」
「なんの話だったの? まさかオマエの事、ヘッドハンティングに来たワケでもないんでしょ?」
オカンムリのマツヲさんとは対照的に、俺がいない間にすっかりサボタージュモードに入っていたカズヤが、興味津々な顔で訊ねてくる。
「全然違うって。つーか、俺じゃなくて柊一サンの用事だったし」
「シューイチサン……って? えおおおうぅ? おいおいおい、それじゃマジでオマエんトコのマリオネット、伝説の男だったってか?」
「詳細は言えませんけど、よーするにそーいうコトっす」
「しょええ~! 伝説が現実か~! まさしく事実は小説よりも奇なりだな!」
奇声を発しているマツヲさんは、感嘆のあまり、どうやらすっかり俺に腹を立ててたことを忘れてしまったらしい。
「じゃあ、ハルカが戻ってきた事だし、作業を再開しましょうか」
「をいをい、ココまで奇々怪々な話を最後まで聞かずに仕事なんか出来るのか~?」
「だってマツヲさん、俺は今日こそ絶対家に帰る! とか豪語してたじゃないッスか? 残りの作業片付けなきゃ、帰れませんよ?」
「マツヲさん、家に何か用事でもあるんすか?」
「あるに決まってるだろ。ウチには可愛いノリカチャンとマリンちゃんが、俺の帰りを待ってるんだ!」
「サムもでしょ?」
ツッコミを入れたら、マツヲさんは思いっきりイヤそーな顔で俺を睨んだ。
「アイツの話はするなー!」
「だってマツヲさんのこと一番心配して、世話焼いてくれてるの、ノリかちゃんでもマリンちゃんでもなく、サムじゃないですか」
「あははっ、ハルカってば、すっかりマツヲさん家の通になっちゃってるなあ」
「なんだオマエら! ドイツもコイツもヒトの不幸を笑いのネタにしやがって!」
ダベリングに一番熱心だったマツヲさんが拗ねたので、場がなんとなく仕事モードに切り替わり、俺達はそれぞれの作業の続きに従事たのだった。
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