Marionette -マルチメイド編-

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Scene.10

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 マンションの扉を開けて、俺は一瞬、部屋を間違えたかと思った。
 靴コレクターというほどでもないが、俺は脱いだものを片付ける習慣がないから、玄関先には常にスニーカーだのサンダルだの、複数の靴がでんぐりがえっていた。
 それに玄関を上がってからの短い廊下にだって、角が潰れかけたダンボールが山積みになっていたのだ、今朝までは。
 しかしこの玄関には、サンダルが1組、隅にキチンと置いてあるだけで、廊下のダンボールなんて影も形もない。
 ピカピカすぎる床に「自宅に帰った」実感が湧かなくて、俺は扉の外に出て、部屋番号を確かめ直した。
 そして間違いなく自宅である事を確認してから、改めてスニーカーを脱いで、部屋の中に踏み込んだ。

「た………ただいま~~~」

 部屋を片付けた人物がいることを想定して、気恥ずかしく思いながらもそう声を掛けたのだが、返事がない。
 返事がないどころか、全くヒトの気配がない。家の中は静まりかえっていて、キッチンを覗いても火の気もありゃしない。
 マリオネットは人間じゃないけど、別にスパイ・ロボでも殺人マシーンでもないんだから、全く気配がないってのはやはり変だ。

「柊一サン、どこにいるの?」

 改めて名前で呼びかけても、やっぱり返事はない。
 どうなってんだろう?
 仕方がないので大して広くもない家の中(移り住んだ当初はモノスゴク広いような気がしたし、実際3LDKなんて独身男には広すぎると思うけど…)をウロウロする。
 3LDKだから、俺の住まいは主に3つの部屋で構成されている。
 寝室・物置き部屋・仕事部屋となんとなく使い分けている部屋の他は、ちょっと広めのリビングに、名前だけのダイニングキッチンだ。
 まず寝室を覗いてみたが、今朝起き出した時に散らかしたハズの雑多累々が、キレイさっぱり片づいていただけだった。
 物置き部屋は、廊下同様に積み上げられて壊れ掛けてたダンボールの山が綺麗に撤去されていて、その代わりホームセンターでよく見かけるプラスチック製の収納家具が整然と並んでいた。
 ちなみに廊下や物置に積んでいたダンボールは、このマンションに引っ越してきた時に持ち込んだ荷物で、そのうちに荷解きしよう…と思うだけで、ず~~っとそのまま放置になっていた雑多な荷物だった。
 その荷物はキレイに片づいているが、やはり柊一の姿はない。
 それでたぶん俺の居住区で、一番簡単に片付いただろうと思われる仕事部屋の扉を開けた。
 仕事部屋と言っても、俺がこの部屋で仕事をすることはほとんどナイ。
 俺は演奏だけで食っているワケじゃなく、一応クリエイターの端くれとして、作曲とかアレンジなんてのも手がけている。
 しかしこの程度のマンションでは、怒鳴り合いともなれば、内容まで丸々聞こえちゃったりするのだ。
 となれば、いくら防音していても、電気楽器の音なんて隣近所に筒抜けだろう。
 俺の創作が盗まれる! …なんて思っちゃいないが、近所から騒音クレームの嵐を食らってマンションを叩き出されるのはイヤなので、俺は基本的に自宅で仕事はしないことにしてるのだ。
 説明が長くなったけど、だからこの家の仕事部屋は正確には仕事に使う物が置いてある、つまり俺のギター倉庫だ。
 生活空間としては完全なるデッドスペースなのだが、ただの物置部屋に置いてある俺の物欲とか趣味で購入した物品ならば、もしカビが生えたり壊れたりしても「あ~あ」で済む。
 でも俺の商売道具のギター達は、湿度と温度に敏感な、繊細なる貴婦人なのだ。
 ゆえに扱いにも敬意を払って、室内は空調管理で湿度と温度を常に一定に保てるように改造してあるし、紫外線なんぞに晒したくないから、部屋の窓は全部潰してあって、電気をつけない限り室内は真っ暗だった。
 扉を開けた俺は、手探りで壁のスイッチを探しつつ、部屋に入った。
 そして電気が点いた瞬間、俺はあやうく「ぎゃ!」っと声を上げそうになった。
 入ってすぐの所に、柊一が微動だにせず突っ立っていたからだ。

「……な、なんだよ~柊一サンてば、こんなトコで何やってんの…」

 一呼吸置いてから、気を取り直して声を掛けた。
 しかし柊一は返事をせず、やはりピクとも動かないのだ。
 まさか電池切れとか、それともどっかショートでもしたのだろうか?
 内心焦りつつ、俺は恐る恐る手を伸ばして、柊一の肩に触れた。

「もしもし、柊一サン…?」

 途端に、柊一はものすごく驚いた様子でこちらに振り返った。
 まるでいきなり家人に見咎められた空き巣みたいな驚きッぷりで、その様子に俺まで一緒になってビックリしてしまった程だ。

「ハルカ…おまえ、出掛けてたんじゃないのか?」
「何言ってんの。夕方には帰ります、って言ってあったでしょ?」
「夕方?」

 怪訝な顔の柊一に、俺はポケットから携帯を取り出して時刻表示を見せてやる。
 柊一は疑い深そうな顔で俺の手元を見たが、時刻を認識すると、ギョッとした顔になった。

「ウソだろう?! もう夕方なんて…全然気付いてなかった……」

 柊一は愕然としているが、改めて見回した室内の様子に、俺もちょっと驚いた。
 他の部屋とあまりに様子が違ってたからだ。
 つまりこの部屋だけは、まったく片づいてなくて、俺がなにもかもを放置してあるゴチャゴチャ状態のままだったのだ。
 片付けもせず、真っ暗な部屋に突っ立ってたなんて、一体柊一は何が原因で気を失って(?)いたのだろう?

「ここでなにしてたの?」
「ハルカが出掛けた後、買い物に行って食料品と収納家具を買った。それから順番に、部屋の掃除に取りかかって、最後にこの部屋に入ったんだが……」

 自分の手元を見た途端、柊一はまたしてもジッと動かなくなった。

「もしもし?」
「えっ?」

 肩を叩いたら、柊一はさっきと同様にビックリしたみたいな顔で俺を見るのだ。
 俺は柊一の手からギターを取り上げると、部屋の端のスタンドに置いて、それから柊一を部屋から連れ出した。

「柊一サン、この部屋出入り禁止!」
「でも出入りが出来なきゃ、片付かないじゃないか」
「だって柊一サン、ギターを見ると機能障害を起こすみたいじゃん。だからここは出入り禁止!」
「ギター…?」

 他の部屋と比べてこの部屋は、ちらかり度数も使用頻度も少ないから、柊一に片付けてもらえなくとも、それほど困りはしない。
 そういう意味で俺としては家政婦さん(柊一)に折り合いをつけたつもりだったが、当の柊一は、ナゼカ納得が出来ないらしく、未練がましく部屋の扉を見つめている。

「ギター…っていうのか、あれ?」
「はあ?」

 柊一の表情を見て、俺は妙なことに気付いてしまった。
 マリオネットのオツムの中には、スーパーコンピューター以上の知識が詰まってる。言語能力なんかも無駄なくらいに充実してて、数カ国語も簡単にこなせてしまう筈なのだ。
 なのに「ギター」って言葉を前にした柊一は「初めて耳にした単語」って様子がありありで、しかもそれは知らないフリをしているなんてことじゃなさそうなんである。
 ギターという言葉は分からないのに、ギターを見ると機能障害を起こすって事は、つまりギターって言葉がバグっちゃってるってことだ。
 それはつまり、柊一の元・オーナーが、ギタリストもしくはギターに関連する仕事をしてた可能性大…ってことじゃないだろうか。
 考え込んでしまった俺を、柊一が不審そうに覗き込んできた。

「ハルカ?」
「あの……さぁ、柊一サン。もしも柊一サンの元のオーナーっつーのが見つかったら、どうする?」
「唐突に、何だ?」
「どうするのかなって、思っただけ」
「俺が中古屋で販売されていたのが、手違いとか行き違いだった事を証明して、元の場所に戻りたいに決まってるだろ」
「そう、だよね」

 俺はクルリと後ろを向いた。
 それはもう予想を通り越し、返されるべくして返ってきた答えだったが……。
 柊一にしてみれば、俺に買われたのはハプニングに過ぎない。俺は俺で、壊れたマリオネットが奇跡的に起動して、部屋が片付いたのはただのラッキーなのだ。
 それでも、やっぱり、俺はものすごくガッカリしてた。
 店頭で見た時からヤバいとは思っていたけど、俺はすっかりこの壊れたマリオネットにイカれてしまっているらしい。

「ハルカ、その質問の意味はなんだ?」
「別に意味なんて無いよ」
「本当に何の意味もなく、そんなコトを聞いてきたって言うのかよ?」

 俺の気持ちなんか少しも解さぬ柊一が、食い下がってくる。

「だって俺がひとりで頑張ったトコロで、マリオネットの前のオーナーなんて調べようもないでしょう?」

 卑屈っぽく笑った瞬間に向けられた柊一の表情は、とてもじゃないけど作り物のロボットのものとは思えなかった。
 俺を問いつめてきた時はまるで一縷の望みを掛けるみたいに、くどいくらいに縋るような目をしていたのに。
 その顔が一瞬にして絶望の色を浮かべ「カケラでも期待した自分がバカだった…」みたいな諦めの色になり。
 目を伏せた柊一の様子は、無言の悲しみにうちひしがれている。
 その姿に俺の良心は、チクチクと痛んだ。
 マツヲさんに言ったら頭からバカにされるだろうし、さしずめ「マリオネットが何を望もうが、ご主人様を認識してようがしてまいが、そんなこたぁ構う必要ない!」と言われるのが、オチだろう。
 でも俺は柊一に蔑んだ目で見られる事に耐えられなかった。
 なによりエエカッコしィがしたかった。

「…柊一サンの前のオーナーって、ギターが好きだったんじゃないかって思ったからサ」
「えっ?」

 柊一が怪訝な顔で俺を見る。

「だから、サ…。もし前のオーナーがプロのギタリストだったら、俺の知り合いとか知り合いの知り合いとか…とにかく業界の誰かが、知ってるかもしれないなって思っただけなんだけど」
「誰かが、知ってるかもしれないって?」
「そ。でもそんな可能性は、無いに等しいから、期待なんかされちゃ困るケド」
「うん! 期待なんかしないよ、そんなの、判らなくて当然なんだからな!」

 口ではそう言いながらも、パアッと嬉しそうな顔をされて、その表情はすごく嬉しいんだけど、同時に俺の胸の奥はズキンと痛かった。
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