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『大晦日』side伊織(3)
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これでいい。
「……遊園地で、俺がどうして大和の手を振り払ったか、教えてあげるよ」
「え……?」
戸惑うように揺れる大和の目を、俺はまっすぐ見つめ返す。
吸い込んだ空気からはコーヒーの香りも、目の前のお菓子の匂いも、何も感じられない。
温められ続けてぼやけてしまった部屋の温度と、吐き出した瞬間に痛みとなるのがわかっているのに止められない言葉だけが、俺の体の中で混ざり続ける。
「こわかった。大和と手をつないでいるのを他人に見られて、なんて思われたんだろうって。こんなことしてる俺も大和もおかしいんじゃないかって思って、こわくなった」
「……!」
見開かれる大和の瞳が悲しい色に変わっていくのを、俺は目をそらさずに受け止める。
これでいい。
これでもう最後にしよう。
「自分からつないだくせに最低だろ?大和が応えてくれた瞬間、俺の中にあったのは『恐怖』だった。このまま戻れなくなったらどうしよう、『普通』じゃなくなってしまったらどうしよう、そんなことしか考えられなかった」
この言葉に嘘も偽りもない。
間違いなく俺の本音であり、どうしようもない今の俺自身だ。
「伊織、」
それでも、大和が俺に手を伸ばそうとするから、俺は握りしめたまま置いていた自分の手をテーブルの下へと隠した。
行き場を失った大和の手がゆっくりと戻っていくのを見つめたまま、俺は言う。
「こわかった。きっと、俺も大和も母さんみたいに言われるんだって」
「……!!」
その言葉が大和だけでなく、俺自身をも傷つけるのだとわかっていながら、それでも俺は言わずにはいられなかった。これを言わない限り、大和はきっと俺に向かい続ける。ぶつかって、ぶつかって、傷だらけになって、ボロボロになって、それでもと必死で手を伸ばしてくるのが大和だから。だから、だから——
「俺はさ、そういうヤツなんだよ。母さんみたいに強くなんてないし、大和みたいに周りの目を気にせずぶつかっていくことだってできない。結局、自分を守ることしか考えてないような、最低なヤツなんだよ。だから……」
もういいだろう?
もう、これでいいだろう?
だから、こんな最低な俺なんか、早く……
「伊織……ごめん」
俺と大和の間、白いマグカップに重なるように、ダイニングテーブルに大きな影が落ちる。
「……」
その言葉の意味を、すぐには理解できなくて。
俺は自分に向かって下げられた頭を見つめたまま、呼吸を止める。
その大きな影は小さく揺れていた。
これでいい。
これでいいのだと、そう思っているはずなのに。
「っ、」
俺は握り続けた手をゆっくりと開き、その震え続ける肩へと伸ばす。
「……大和、」
「一人でこわがらせてごめん」
顔を上げた大和が、ぎこちなく伸ばされていた俺の手を掴む。
「!」
とっさに引っ込めようとした俺の手を、大和は離さなかった。
「や、」
それでも俺が強く振り払えば、あの日のように振り払えば、きっと、簡単に解けただろう。それくらいの力しかかかっていない。
だけど、俺には振り払えなかった。
俺よりも低い体温と、止まらない小さな震えが俺の手に染み込むように注がれる。
「……」
ゆっくりと変わっていく温度が、どこまでも優しく俺に伝わってくる。
これでいい——いいわけない。
これでもう最後に——最後になんてできない。
こんな最低な俺なんか、早く——こんな最低な俺でも、そばにいてほしい。
「っ、……」
この手を離さなくてはならないと頭ではわかっているのに、俺の感情がどこまでもそれを拒絶する。
零れないように、溢れないようにと、必死で唇を噛み締めるのに、手の先から流れ込む熱が、内側から俺を壊していく。
どちらの手が震えているのか、俺にはもうわからない。
「伊織」
——大和がそうやって優しく俺の名前なんて呼ぶから。
「伊織、ごめんな。俺、自分のことばっかで、周りも伊織もちゃんと見えてなかった」
——決して逸らすことなく、俺を見てくるから。
「伊織、ありがとう」
——こんなにどうしようもない俺にお礼なんて言っちゃうから。
「本当は、あの時、あの遊園地の時、俺のことを守ってくれたんでしょ?」
——そうやって、いつだって俺のことをわかろうとしてくれるから。
「何、言って……」
揺れてしまった俺の声に、大和は小さく笑う。まるですべてを見透かすように。
「佐渡に聞いたんだ」
「!」
「遊園地で俺たちのこと見かけたって」
俺の体の中で、ドクンと、強く心臓が跳ねた。
揺れるポニーテールの先が、笑い合っていた二人の姿が、真っ直ぐ向けられた大きな瞳が、鮮明な記憶として蘇る。
やっぱり、あの時……見られていたんだ。
波が引くように、指先から流れ込んでいた熱が温度を失っていく。
こわい。
こわくてたまらない。
俺だけならよかったのに。見られたのが俺だけだったなら、よかったのに。なんで、よりによって、大和の近くにいる彼女が……
「……っ、」
——やっぱり、俺はどうしたってこの手を取ってはいけないんだ。
振り払おうと力を加えた俺の手を、大和の手はそれ以上の力でもって許してくれなかった。
「大和、」
「俺、佐渡に言われたんだ。『こんなところで試合終了のブザー待ってないで、ちゃんと前見て走りなよ』って」
「……え?」
大和はまっすぐ俺を見つめていて、その表情にウソも冗談も見つけられない。
けれど、聞こえてきた言葉が、あまりにも予想外で俺の理解が追いつかない。
「好きな子に手を振り払われてショックなんだろうけど、シュートも打たずに何してるんだって怒られた」
「は??」
「ふは、おっかしいよなぁ。あいつ、なんでもバスケに例えるからさ、逆にわかりにくいんだよな」
——そう言って笑った大和が、張り詰めていたはずの空気を簡単に壊してしまうから。
「まぁ、だから大丈夫。佐渡は俺たちのこと言いふらしたりしないし、変な目で見たりしないよ」
大和の小さな笑い声が、俺を安心させる。
「……伊織、」
大和のまっすぐな視線が、俺に熱をくれる。
「確かに佐渡みたいなヤツばっかりじゃないって、俺も思うよ。傷つくことだって、辛いことだってあると思う」
大和の大きな手が、俺に伝えてくれる。
「でも、それでもやっぱり、俺は伊織のそばにいたい」
大和の言葉のひとつひとつが、こんなにも俺を苦しくも嬉しくもさせる。
「俺、伊織が好きなんだ……」
そうやって少し不安そうに見せるくせに、繋がれた手は決して離すつもりがないことをその力で伝えてくる。
「……大和は、」
いっそのこと、もう壊してほしい、と思った。
今のどうしようもない俺ごと、大和の手で壊してほしい、と。
「大和は、本当に……それでいいの?」
——止まることなく流れてくる、その手の中の熱のように。
「おかしいって、普通じゃないって、言われ続けるんだよ。当たり前にあったはずの未来だって消えちゃうかもしれなくて、後悔だっていっぱいするかもしれなくて、幸せになんてなれないかもしれなくて、」
——俺のこの言葉も、この不安も、全部、大和が塗りつぶしてくれたら。
「それでも、それでも、大和は……!」
——どんなにいいだろうか。どんなにラクだろうか。
どこまでも臆病でずるい俺は、そう勝手に願ってしまうけど。
「伊織、」
耳の奥、体の芯を貫くように、大和が俺の名前を呼ぶ。
「伊織もおかしいって思ってる?」
痛みを感じるほど強い力が、俺の手を握りしめる。
「伊織も普通じゃないって思ってる?」
迷うことなく向けられる視線に呼吸が止まる。
「伊織にとって、俺と一緒にいることは、『幸せ』にはならない?」
「!」
「周りじゃなくて、俺じゃなくて、伊織の気持ちが俺は聞きたい」
勝手な願いを押し付けることも、目をそらすことも、もう許されない。
——ずっと気づいていたのに。
「……俺、は」
——ずっと気づかないふりをしていた。
「俺は、」
——この強い力の中に隠しきれない震えが混ざっていること。
「大和が、」
——真っ直ぐ見つめる両目が不安に揺れていること。
「ずっと」
——必死で唇の先を噛んで耐えていること。
「ずっと……」
——止まっていたはずの涙が両頬を流れていること。
「……」
「……伊織?」
——そう不安げに俺の名前を呼ぶ、目の前の大和が、本当はずっと……
「……好きだった」
「!」
「俺も、好きなんだ、大和が」
向かい合っている俺たちが、ずっと同じ表情をしていることに、俺はもうずっと前から気づいていたんだ。
「……遊園地で、俺がどうして大和の手を振り払ったか、教えてあげるよ」
「え……?」
戸惑うように揺れる大和の目を、俺はまっすぐ見つめ返す。
吸い込んだ空気からはコーヒーの香りも、目の前のお菓子の匂いも、何も感じられない。
温められ続けてぼやけてしまった部屋の温度と、吐き出した瞬間に痛みとなるのがわかっているのに止められない言葉だけが、俺の体の中で混ざり続ける。
「こわかった。大和と手をつないでいるのを他人に見られて、なんて思われたんだろうって。こんなことしてる俺も大和もおかしいんじゃないかって思って、こわくなった」
「……!」
見開かれる大和の瞳が悲しい色に変わっていくのを、俺は目をそらさずに受け止める。
これでいい。
これでもう最後にしよう。
「自分からつないだくせに最低だろ?大和が応えてくれた瞬間、俺の中にあったのは『恐怖』だった。このまま戻れなくなったらどうしよう、『普通』じゃなくなってしまったらどうしよう、そんなことしか考えられなかった」
この言葉に嘘も偽りもない。
間違いなく俺の本音であり、どうしようもない今の俺自身だ。
「伊織、」
それでも、大和が俺に手を伸ばそうとするから、俺は握りしめたまま置いていた自分の手をテーブルの下へと隠した。
行き場を失った大和の手がゆっくりと戻っていくのを見つめたまま、俺は言う。
「こわかった。きっと、俺も大和も母さんみたいに言われるんだって」
「……!!」
その言葉が大和だけでなく、俺自身をも傷つけるのだとわかっていながら、それでも俺は言わずにはいられなかった。これを言わない限り、大和はきっと俺に向かい続ける。ぶつかって、ぶつかって、傷だらけになって、ボロボロになって、それでもと必死で手を伸ばしてくるのが大和だから。だから、だから——
「俺はさ、そういうヤツなんだよ。母さんみたいに強くなんてないし、大和みたいに周りの目を気にせずぶつかっていくことだってできない。結局、自分を守ることしか考えてないような、最低なヤツなんだよ。だから……」
もういいだろう?
もう、これでいいだろう?
だから、こんな最低な俺なんか、早く……
「伊織……ごめん」
俺と大和の間、白いマグカップに重なるように、ダイニングテーブルに大きな影が落ちる。
「……」
その言葉の意味を、すぐには理解できなくて。
俺は自分に向かって下げられた頭を見つめたまま、呼吸を止める。
その大きな影は小さく揺れていた。
これでいい。
これでいいのだと、そう思っているはずなのに。
「っ、」
俺は握り続けた手をゆっくりと開き、その震え続ける肩へと伸ばす。
「……大和、」
「一人でこわがらせてごめん」
顔を上げた大和が、ぎこちなく伸ばされていた俺の手を掴む。
「!」
とっさに引っ込めようとした俺の手を、大和は離さなかった。
「や、」
それでも俺が強く振り払えば、あの日のように振り払えば、きっと、簡単に解けただろう。それくらいの力しかかかっていない。
だけど、俺には振り払えなかった。
俺よりも低い体温と、止まらない小さな震えが俺の手に染み込むように注がれる。
「……」
ゆっくりと変わっていく温度が、どこまでも優しく俺に伝わってくる。
これでいい——いいわけない。
これでもう最後に——最後になんてできない。
こんな最低な俺なんか、早く——こんな最低な俺でも、そばにいてほしい。
「っ、……」
この手を離さなくてはならないと頭ではわかっているのに、俺の感情がどこまでもそれを拒絶する。
零れないように、溢れないようにと、必死で唇を噛み締めるのに、手の先から流れ込む熱が、内側から俺を壊していく。
どちらの手が震えているのか、俺にはもうわからない。
「伊織」
——大和がそうやって優しく俺の名前なんて呼ぶから。
「伊織、ごめんな。俺、自分のことばっかで、周りも伊織もちゃんと見えてなかった」
——決して逸らすことなく、俺を見てくるから。
「伊織、ありがとう」
——こんなにどうしようもない俺にお礼なんて言っちゃうから。
「本当は、あの時、あの遊園地の時、俺のことを守ってくれたんでしょ?」
——そうやって、いつだって俺のことをわかろうとしてくれるから。
「何、言って……」
揺れてしまった俺の声に、大和は小さく笑う。まるですべてを見透かすように。
「佐渡に聞いたんだ」
「!」
「遊園地で俺たちのこと見かけたって」
俺の体の中で、ドクンと、強く心臓が跳ねた。
揺れるポニーテールの先が、笑い合っていた二人の姿が、真っ直ぐ向けられた大きな瞳が、鮮明な記憶として蘇る。
やっぱり、あの時……見られていたんだ。
波が引くように、指先から流れ込んでいた熱が温度を失っていく。
こわい。
こわくてたまらない。
俺だけならよかったのに。見られたのが俺だけだったなら、よかったのに。なんで、よりによって、大和の近くにいる彼女が……
「……っ、」
——やっぱり、俺はどうしたってこの手を取ってはいけないんだ。
振り払おうと力を加えた俺の手を、大和の手はそれ以上の力でもって許してくれなかった。
「大和、」
「俺、佐渡に言われたんだ。『こんなところで試合終了のブザー待ってないで、ちゃんと前見て走りなよ』って」
「……え?」
大和はまっすぐ俺を見つめていて、その表情にウソも冗談も見つけられない。
けれど、聞こえてきた言葉が、あまりにも予想外で俺の理解が追いつかない。
「好きな子に手を振り払われてショックなんだろうけど、シュートも打たずに何してるんだって怒られた」
「は??」
「ふは、おっかしいよなぁ。あいつ、なんでもバスケに例えるからさ、逆にわかりにくいんだよな」
——そう言って笑った大和が、張り詰めていたはずの空気を簡単に壊してしまうから。
「まぁ、だから大丈夫。佐渡は俺たちのこと言いふらしたりしないし、変な目で見たりしないよ」
大和の小さな笑い声が、俺を安心させる。
「……伊織、」
大和のまっすぐな視線が、俺に熱をくれる。
「確かに佐渡みたいなヤツばっかりじゃないって、俺も思うよ。傷つくことだって、辛いことだってあると思う」
大和の大きな手が、俺に伝えてくれる。
「でも、それでもやっぱり、俺は伊織のそばにいたい」
大和の言葉のひとつひとつが、こんなにも俺を苦しくも嬉しくもさせる。
「俺、伊織が好きなんだ……」
そうやって少し不安そうに見せるくせに、繋がれた手は決して離すつもりがないことをその力で伝えてくる。
「……大和は、」
いっそのこと、もう壊してほしい、と思った。
今のどうしようもない俺ごと、大和の手で壊してほしい、と。
「大和は、本当に……それでいいの?」
——止まることなく流れてくる、その手の中の熱のように。
「おかしいって、普通じゃないって、言われ続けるんだよ。当たり前にあったはずの未来だって消えちゃうかもしれなくて、後悔だっていっぱいするかもしれなくて、幸せになんてなれないかもしれなくて、」
——俺のこの言葉も、この不安も、全部、大和が塗りつぶしてくれたら。
「それでも、それでも、大和は……!」
——どんなにいいだろうか。どんなにラクだろうか。
どこまでも臆病でずるい俺は、そう勝手に願ってしまうけど。
「伊織、」
耳の奥、体の芯を貫くように、大和が俺の名前を呼ぶ。
「伊織もおかしいって思ってる?」
痛みを感じるほど強い力が、俺の手を握りしめる。
「伊織も普通じゃないって思ってる?」
迷うことなく向けられる視線に呼吸が止まる。
「伊織にとって、俺と一緒にいることは、『幸せ』にはならない?」
「!」
「周りじゃなくて、俺じゃなくて、伊織の気持ちが俺は聞きたい」
勝手な願いを押し付けることも、目をそらすことも、もう許されない。
——ずっと気づいていたのに。
「……俺、は」
——ずっと気づかないふりをしていた。
「俺は、」
——この強い力の中に隠しきれない震えが混ざっていること。
「大和が、」
——真っ直ぐ見つめる両目が不安に揺れていること。
「ずっと」
——必死で唇の先を噛んで耐えていること。
「ずっと……」
——止まっていたはずの涙が両頬を流れていること。
「……」
「……伊織?」
——そう不安げに俺の名前を呼ぶ、目の前の大和が、本当はずっと……
「……好きだった」
「!」
「俺も、好きなんだ、大和が」
向かい合っている俺たちが、ずっと同じ表情をしていることに、俺はもうずっと前から気づいていたんだ。
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