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4.期待と罪悪感と
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デートの日程はオープンキャンパスの時期に合わせることにした。その方が両親に切り出しやすいから。美月センパイと会うことが一番だけど、進学のためという看板の効力は大きいはず。
一人でなんでも決めてしまえるくらい大人だったら、こんなことでドキドキしたりしないのに。今の私はお金も力もないただの女子高生だ。
美月センパイに会いに行くには駅に出るための手段を確保しなくてはならない。鉄道の駅に出るためのバスはなく、タクシーなんて頼めるお金もない。
「あのね」
母の隣で食器を拭きながら切り出す。模試の結果がとてもよかったことを先に印象付け、本題へと入る。
「今週末にあるオープンキャンパスに行きたくて」
反対されることはないと思うが、一緒についていくと言われても困るので、自然と早口になった。
「お母さんは駅まで送ってくれればいいの。私ひとりで行けるし、美月センパイが案内してくれるから」
キュッと水を止めた母が「もちろん、いいわよ。ちょうどおばあちゃんのお見舞いに行こうと思ってたし」と優しく笑う。小さな寂しさを滲ませた眼差しを向けられ、胸がチクッと痛む。
祖母は先月から入院していた。もともと具合があまりよくなかったのだが、一緒に暮らしてからは持ち直したように思う。けれどお風呂場で足を滑らせてしまい、腰を痛めたことがきっかけで入院することになった。
病院は車がないと行きづらい場所にあり、私はいつも母と一緒にお見舞いに行っている。祖母のことは大好きだ。小さな頃からとても可愛がってもらった。一緒に暮らすようになってからも。だから自分の予定を優先するのが悪い気がしてしまう。
でも、私はどうしても美月センパイに会いたかった。
来週は必ずお見舞いに行くから。だから今回だけは許して欲しい、と生まれた罪悪感を押し込み、口を開く。
「あの、その日、美月センパイのところに泊まってきてもいいかな。きっと色々聞きたくなっちゃうと思うし、勉強もみてもらえるし、だから」
「じゃあ、何か手土産用意しないとね」
言葉を連ねる私をそっと止めるように、母の声が重なる。
「――うん」
最後のお皿を拭き上げ、「ありがとう。おばあちゃんによろしくね」と言ってから自分の部屋へと戻った。
「ご機嫌だね」
若宮さんの声で自分の頬が緩んでいたことに気づく。と同時に祖母に対する罪悪感が胸をかすめる。
「鼻唄まで聞こえたよ」
と付け加えられ、咄嗟に手元のお弁当箱を箸の先で指し示す。
「ハンバーグ! 好きなんだよね」
久しぶりに好きな人に会えるから、とは言えない。「彼氏いたの?」「どんな人?」と話が膨らんでいくのが容易に想像できるし、万が一デート中に会ってしまったらうまくごまかせないかもしれない。私はべつにバレても構わないけれど、美月センパイを困らせたくはない。
「あ、若宮さんの唐揚げも美味しそう」
「藤咲さん、実は食いしん坊?」
ふふ、と箸を持ったままの手が口元に添えられる。若宮さんの仕草が私はとても好きだ。三か月しか通えなかった高校の友達を思い出すから。
「そんなことないと思うけど」
「いやいや、あるでしょ」
じゃあ交換ね、と若宮さんが唐揚げをお弁当箱の蓋に載せてくれたので、私はできた隙間に卵焼きを入れた。
こうやって誰かと距離が近くなると、嬉しいと思うと同時に、美月センパイにも新しい友達がいるのだろうなと考えてしまう。大学は高校よりもずっと広くて、たくさんの人がいる。出会いが増えれば増えるだけ自分の存在が薄まってしまうのではないかと不安だった。
「藤咲さん?」
「……何から食べようか悩んじゃった」
食いしん坊決定だね、と笑われたのに合わせて笑顔を作る。それでも心の中に生まれた不安は小さな棘となって刺さったままだった。
お弁当箱をしまい、今朝配られた進路調査票を取り出す。第一志望だけはこの先も変わらないから先に記入しておく。
あ、と零れた声に、隣へと視線を向ける。
「藤咲さんもなの?」
文庫本を取り出した若宮さんは私の手元へと視線を向け、声を弾ませた。覗いちゃってごめんね、と謝りながらもとても嬉しそうだ。
知られてもとくに問題はなかったので「若宮さんも?」と明るく返す。受験ということを考えればライバルだけど、若宮さんと一緒なのは私も嬉しい。
「高遠先生もここなんだよ」
「そうなんだ」
よく知ってるね、と微かな驚きを混ぜると、ハッと一瞬見開かれた目に戸惑いの色が浮かぶ。じわりじわりと内側から赤色が頬を染めていく。あ、もしかして、そういうこと?
「若宮さん」
もしかして、と口にする前に
「内緒にしてね」
と消えそうなほど小さな声で言われ、「もちろん」と内緒話の音量で私も答えた。
好きな人を追いかけたい気持ちはよくわかる。私だって少しでも美月センパイの近くに行きたい。高遠先生は四年生だから、私たちが入学する時にはいなくなっているとは思うけど。
「今少しだけ相談にのってもらってて」
「そっか。頑張ってね」
これは受験ではなく恋の応援。本当は「お互い頑張ろうね」と言いたかったけど。美月センパイのことを話せていないので、心の中で呟く。
「ありがとう」
ふわりと小さなお花が揺れるみたいな柔らかさで若宮さんが笑った。
一人でなんでも決めてしまえるくらい大人だったら、こんなことでドキドキしたりしないのに。今の私はお金も力もないただの女子高生だ。
美月センパイに会いに行くには駅に出るための手段を確保しなくてはならない。鉄道の駅に出るためのバスはなく、タクシーなんて頼めるお金もない。
「あのね」
母の隣で食器を拭きながら切り出す。模試の結果がとてもよかったことを先に印象付け、本題へと入る。
「今週末にあるオープンキャンパスに行きたくて」
反対されることはないと思うが、一緒についていくと言われても困るので、自然と早口になった。
「お母さんは駅まで送ってくれればいいの。私ひとりで行けるし、美月センパイが案内してくれるから」
キュッと水を止めた母が「もちろん、いいわよ。ちょうどおばあちゃんのお見舞いに行こうと思ってたし」と優しく笑う。小さな寂しさを滲ませた眼差しを向けられ、胸がチクッと痛む。
祖母は先月から入院していた。もともと具合があまりよくなかったのだが、一緒に暮らしてからは持ち直したように思う。けれどお風呂場で足を滑らせてしまい、腰を痛めたことがきっかけで入院することになった。
病院は車がないと行きづらい場所にあり、私はいつも母と一緒にお見舞いに行っている。祖母のことは大好きだ。小さな頃からとても可愛がってもらった。一緒に暮らすようになってからも。だから自分の予定を優先するのが悪い気がしてしまう。
でも、私はどうしても美月センパイに会いたかった。
来週は必ずお見舞いに行くから。だから今回だけは許して欲しい、と生まれた罪悪感を押し込み、口を開く。
「あの、その日、美月センパイのところに泊まってきてもいいかな。きっと色々聞きたくなっちゃうと思うし、勉強もみてもらえるし、だから」
「じゃあ、何か手土産用意しないとね」
言葉を連ねる私をそっと止めるように、母の声が重なる。
「――うん」
最後のお皿を拭き上げ、「ありがとう。おばあちゃんによろしくね」と言ってから自分の部屋へと戻った。
「ご機嫌だね」
若宮さんの声で自分の頬が緩んでいたことに気づく。と同時に祖母に対する罪悪感が胸をかすめる。
「鼻唄まで聞こえたよ」
と付け加えられ、咄嗟に手元のお弁当箱を箸の先で指し示す。
「ハンバーグ! 好きなんだよね」
久しぶりに好きな人に会えるから、とは言えない。「彼氏いたの?」「どんな人?」と話が膨らんでいくのが容易に想像できるし、万が一デート中に会ってしまったらうまくごまかせないかもしれない。私はべつにバレても構わないけれど、美月センパイを困らせたくはない。
「あ、若宮さんの唐揚げも美味しそう」
「藤咲さん、実は食いしん坊?」
ふふ、と箸を持ったままの手が口元に添えられる。若宮さんの仕草が私はとても好きだ。三か月しか通えなかった高校の友達を思い出すから。
「そんなことないと思うけど」
「いやいや、あるでしょ」
じゃあ交換ね、と若宮さんが唐揚げをお弁当箱の蓋に載せてくれたので、私はできた隙間に卵焼きを入れた。
こうやって誰かと距離が近くなると、嬉しいと思うと同時に、美月センパイにも新しい友達がいるのだろうなと考えてしまう。大学は高校よりもずっと広くて、たくさんの人がいる。出会いが増えれば増えるだけ自分の存在が薄まってしまうのではないかと不安だった。
「藤咲さん?」
「……何から食べようか悩んじゃった」
食いしん坊決定だね、と笑われたのに合わせて笑顔を作る。それでも心の中に生まれた不安は小さな棘となって刺さったままだった。
お弁当箱をしまい、今朝配られた進路調査票を取り出す。第一志望だけはこの先も変わらないから先に記入しておく。
あ、と零れた声に、隣へと視線を向ける。
「藤咲さんもなの?」
文庫本を取り出した若宮さんは私の手元へと視線を向け、声を弾ませた。覗いちゃってごめんね、と謝りながらもとても嬉しそうだ。
知られてもとくに問題はなかったので「若宮さんも?」と明るく返す。受験ということを考えればライバルだけど、若宮さんと一緒なのは私も嬉しい。
「高遠先生もここなんだよ」
「そうなんだ」
よく知ってるね、と微かな驚きを混ぜると、ハッと一瞬見開かれた目に戸惑いの色が浮かぶ。じわりじわりと内側から赤色が頬を染めていく。あ、もしかして、そういうこと?
「若宮さん」
もしかして、と口にする前に
「内緒にしてね」
と消えそうなほど小さな声で言われ、「もちろん」と内緒話の音量で私も答えた。
好きな人を追いかけたい気持ちはよくわかる。私だって少しでも美月センパイの近くに行きたい。高遠先生は四年生だから、私たちが入学する時にはいなくなっているとは思うけど。
「今少しだけ相談にのってもらってて」
「そっか。頑張ってね」
これは受験ではなく恋の応援。本当は「お互い頑張ろうね」と言いたかったけど。美月センパイのことを話せていないので、心の中で呟く。
「ありがとう」
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