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しおりを挟むその言葉に、一人の女性が前に出てきました。
「発言をお許しくださいますでしょうか。」
その声で私はすぐに気がつきました。
彼女は私の教育係のヴィーナでした。
「ヴィーナですか。良いでしょう、話してください。」
ネージュ様もヴィーナとは知り合いのようでした。
「私は二人の教育係を務めていたヴィーナと申します。先ほど、この方は自分の方がフェリシダ様より優れているとおっしゃいました。..............しかし、それは大きな間違いでございます。フェリシダ様の教育は6歳の頃から始めさせていただきましたが、一年で言語を完璧に習得なされ、隣国のグニア語・リーマル語・アーシア語も読み書きは完璧です。最近は古代語まで勉学に励まれており、文官が読むような歴史書なども読まれるのです。そして、裁縫・刺繍・作法・ダンスあらゆる淑女の嗜みを完璧にこなされ、もう私に教えることは何もないくらいです。」
ヴィーナはそう言って、クルリと振り向き、義妹を見つめました。
義妹はヴィーナを睨みつけています。
「対して彼女は年少時から大の勉強嫌いでしたね。いまだに基本的な常識すら頭にないことは、先ほどの発言の数々で皆さんも察していることでしょう。」
彼女はため息をつくように言葉を吐きました。
周囲の貴族のヴィーナの言葉に対する肯定の反応に義妹は顔を真っ赤にしています。
ヴィーナと義妹.....互いの視線が交錯した後、再びヴィーナは口を開きました。
「全てに対して不真面目で、遊ぶことにしか脳のないあなたとフェリシダ様は格が違いますよ」
ヴィーナは義妹に吐き捨てるようにそう言いました。
その冷たい物言いは、よく覚えがありました。
彼女は物事をなんでもはっきりおっしゃいます。
それを怖いと思っていた時期もありましたが、これが彼女の良さでもあることに成長するにつれて気づかされました。
ヴィーナは正直で嘘はつかない、それを理解したからこそ彼女を信用できるようになったのです。
「王立学院を首席で卒業したヴィーナの言うことなら間違いがないだろうね」
ネージュ様の言葉に周囲の貴族も頷いていました。
悔しそうに唇を噛み締めていた義妹でしたが、何かを思い出したように嬉々とした表情でまた口を開きました。
「ヴィーナは本当は男なのよ!!! 塔で長時間二人きりだったのならば不貞があってもおかしくないわ!!!この女はシエル様が婚姻を結ぶ相手としてふさわしくないですわ!!!」
その言葉に貴族達からはドッと笑い声が上がった。
「何よ!!!! どうして笑うの!!!!」
その義妹の言葉に呆れ顔のネージュ様が答えました。
「君は本当に知らなかったのかい???ヴィーナの家は代々神官を輩出する家で、次代の神官として決まったものは無性になるんだ」
「はああ???」
「つまり、私には男としてあるものはありません。不貞は起こりえない、と言うことです」
その言葉に、義妹はついに床に座り込みました。
「衛兵、この娘を連れていけ」
「.......私は.......私はフェリシダよ!!!!侯爵令嬢のフェリシダ・アルラーナなのよ!!!気軽に触れないで!!!離しなさいよ!!!」
衛兵に両腕を掴まれ、引きずられていく間も義妹はそうずっと叫んでいました。
その声が遠ざかっていき、聞こえなくなったことを確認してから、ネージュ様は正気のない皇帝に目を向けました。
皇帝は何もない宙に向かって手をかざしたり、何かを掴もうとしたり、奇行を繰り返していました。
長年クスリを利用していた皇帝が正常な精神でいられる時間はもうとても少ないのでしょう。
「苦しい時代が長く続きましたね........。国は内部まで腐りきって、掃除に随分な時間がかかってしまった。そんな苦しい時間も耐え忍び、民のために働いてくれた皆様には大いに感謝しています」
そう言ったネージュ様は深々と頭を下げました。
その行動に貴族達は驚きで目を見開いています。
.....................それもそうでしょう、家臣に向かって頭を下げる王族なんていません。
臣下になめられかねない行動だからです。
しかしネージュ様を心配する必要はないでしょう。
彼に隙なんてものは、一つもありませんから。
今日集められた貴族達は、古くからこの国に仕えてきた重臣や皇帝の圧政に屈せず民のための政治を目指してきた官僚達だとルーはおっしゃっていました。
シュタルツ商団と組み、国を我が物にしようと画策していた貴族達は既にネージュ様によって証拠とともに捕らえられたそうです。
「私はそんな君達と共に、この国をもう一度豊かで明るく美しい.......そんな国に戻して行きたい。私の人生を懸けてでも...........」
その言葉に、涙を流している方達もいました。
外にいなかった私が知らない苦しみの世界を、ここに集まった方々は生きてきたのでしょう。
ネージュ様を見つめる皆さんの瞳は力強いものでした。
「私に、ついてきてくれるでしょうか?」
その言葉に広間からは大きな歓声が上がりました。
そして貴族達はその場で跪き、ネージュ様に向けて頭を垂れました。
私は今、歴史が変わる瞬間を目撃していました...........。
その後、衛兵によって前皇帝は腕を縛り上げられて、広間から連れ出されていきました。
「では、遅ばせながら我が弟の成人を祝うパーティーを再開しましょうか」
そのネージュ様の言葉を皮切りに会場内は再び音楽で溢れ始めました。
「少し挨拶をしてくる。ハクとシクスの側から離れないようにな」
「わかりました!」
そのままルーは会場の中心に立ち、今日このパーティーに参加をしている貴族への挨拶の言葉を述べ始めました。
私はその姿を見つめていましたが、視界の端で誰かが近づいてくるのが分かり、そちらを振り向きました。
一歩一歩ゆっくりと近づいてきていたのは父様........そして、ネージュ様、ヴィーナでした。
「ここは主役に任せ、積もる話でもしないかい?」
「......この場を離れても良いのでしょうか?」
「私の弟は随分心の狭い男のようだねえ」
「そ、そんなことは!!!」
私が焦りだすと、ネージュ様は面白そうにコロコロと笑いました。
所作だけではなく、笑い方......いや、笑い声まで上品なので不思議です。
そして、私はネージュ様から後ろにいる父様へと視線を動かしました。
父様も私を見つめていました。
彼の碧の瞳に私が写っていることがとても不思議で........なんとも言えない感情になりました。
お父様は一瞬瞳を潤ませたかと思うと、そのまま杖を床に放って、私を抱きしめたのです。
私はその暖かい温もりに驚いて..................それから不思議なほど安心して一筋の涙が頰をつたいました。
「許してほしい.............。お前の母も..............お前も守ってやれなかった愚かな父のことを................」
お父様の体は震えていて、彼の深い悲しみが伝わってきました。
「私は.................家族より、国を優先したのだ。................どうしても捨て置けなかった............。」
そう言って、父様は私から体を離しました。
まるで、自分には抱きしめるだけの価値がない、と言うように。
「お父様..................私、寂しかったけれど、ルー....いいえ、シエル様のおかげで幸せな思い出も沢山あるんです。.............帰ったら、聞いてもらえますか???」
私の言葉にお父様は目を見開きました。
「それに..........民のために、10年もの歳月、奮闘し続けたお父様は私の誇りです。だって、ここにいる方達の父様への視線をみてください」
どの貴族も父様を温かく、そして羨望の眼差しで見つめていました。
それは私が大好きなルーも同じです。
「そんなお父様だから、母はお父様を選んだのでしょう?.............それに、お母様が死んでしまったのは、私のせい............なんでしょう?」
声が震えました。
私のその言葉に、お父様は私の肩に手を当てて首を強くふりました。
「それは違う。母さんが死んだのは君のせいではない。私の.........力不足だ。」
「でも........、お母様は自分に術をかければ良かったのに。そうしたら、お父様とお母様は一緒に入られたのに」
「お母様の術は人を護るための術であって、自分には使えなかったんだよ。だから気を病む必要はないんだ。.......................フェリシダ...................君の名前は母さんがつけたんだ。その意味は”たくさんの『幸せ』がくるように”と母さんは笑って言っていたよ。............君を愛していたんだ、誰よりも。だから自分が生きていることを悔やまずに、誇りに思って欲しい。その方が母さんも嬉しいだろうから。」
”フェリシダ”
..............幸せ................、なんて素敵な意味の名前でしょうか。
この名前もお母様からの素敵な贈り物だったのですね。
「それに、母さんは君の中でずっと生き続ける。その魔法の効果が切れても............ずっと、ずっと.......思いは残るんだ。」
お父様は瞳から涙をこぼしながら、にっこりと優しく微笑みました。
その表情に私の瞳からも涙がポロポロと溢れ出しました。
私は一生誰からも愛されずに死んでいくのだと思っていました。
だけど違いました。
私は元々、愛されていたのです。
そして今も私のことを大切に思ってくださる人が沢山いる...........。
その事実で、心がぽかぽかと温かくなりました。
もう私は一人ではないのです。
”おまえの不幸は生まれた時から決まっているんだよ”
義母が放った呪いの言葉。
毎日のように頭の中で響いていたその言葉も..........もう聞こえませんでした。
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