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しおりを挟む”恋”や”愛”といった言葉の意味..........その意味を私はまだよく知りません。
昔、ヴィーナが持ってきてくれた小説にそのような描写があり、憧れることはありましたが、その度に義母の言葉が頭に浮かんでくるのです。
”おまえの不幸は生まれた時から決まっているんだよ”
物語の主人公のような”ハッピーエンド”を、私は自分に重ねることができませんでした。
ですが...............とても大切な方達はいるのです。
一人目はこの塔の衛兵の一人でいつも私に食事を届けてくれるユリス。
私がこの塔に閉じ込められた時からずっと彼は私を気遣ってくれる優しい人でした。
この塔の護衛および監視を行っている衛兵は複数人いらっしゃいますが、私と目を合わせてくださるのは彼だけです。
二人目は教育係のヴィーナです。
彼女はとても厳しい先生ですが、無知な私を馬鹿になど決してしません。
義母から許しを得た時間で最大限のことを教えようと努力してくださっているのが感じられます。
そして、昔からこっそり本を持ってきて貸してくださるのです。
彼女のおかげで、私は何も知らない少女ではなくなりました。
そして3人目はこの屋敷の衛兵見習いをしているというルーです。
彼は衛兵の見習いなので、勿論この塔に入る許可など持っていません。
そんな彼と私がどうして知り合えたか。
出会いは私がまだ10歳の頃に遡ります。
季節は春、庭には花々が咲き乱れ、空は澄み渡った蒼色でした。
風が花の甘い香りを運んでくるので、私は窓を開いたままにしておいたのです。
そして、椅子に座り時々窓の外を眺めながら、ヴィーナに練習しておくようにと言われた刺繍を行っていました。
そんな時、変な音が聞こえたのです。
..........ザッザッザッザ
硬いものを蹴るような音でした。
不審に思いましたが、衛兵が塔の下層の見回りをしているのかと思い、私は再び刺繍を始めました。
..........ザッザッザッザ
しかしその音はどんどんと近づいてくるようなのです。
私は恐ろしくなり、椅子の中で身体を小さく震わせました。
..........ザッザッザッザ
その音がさらに近づいた後、窓枠に人間の手のようなものがかかりました。
(幽霊.........!?!?!?!?!?!?!?!?)
私は非常に驚きましたが、声は出ませんでした。
恐怖で身体が凍りついていたのです。
そして次の瞬間、一人の少年が窓枠を越えて、部屋の中へひらりと飛び込んできました。
ハニーブラウンのサラサラとした髪が靡き、彼の宝石のような翠色の瞳は太陽の光を浴びて輝いていました。
彼は自信が満ち溢れた表情をしており、それが美しい顔立ちを引き立てていました。
着地を成功させた彼は視線を動かし私の存在に気がつくと目を大きく見開き、口をポカンと開けました。
私はまた、彼と同じように口をぽかんと開けていました。
...........幽霊なのに彼には足があったのです。
しばらく呆然としていた彼でしたが、窓から吹いてきた風によって髪が持ち上げられたことで我に返ったようでした。
「おまえ..........」
(幽霊が喋った.......!!!!!)
「塔に捕らえられた..........妖精かなにかか? こんな塔に閉じ込められて、無理やり魔法を使わされてたり.......するのか!?!?!? 暴力を振るわれていないか!? 羽がない!!! 羽は折られてしまったのかっ!!!」
「................へ???」
「.........くそっ...........逃がしてやりたいが、お前をおぶって降りれるほどの力はないな」
彼は何かを考え込むように、顎に手を当てました。
その数秒後、彼の言葉をようやく頭で理解した私は慌てました。
(まさか自分も人間ではないと思われているとは.......!!!)
「.......ち、ちがいます。わたくしはただの人間です。あなたこそ......ゆうれい.....なの?だから、塔の外をあがってこれたのですか?」
塔はアルラーナ侯爵邸の本邸と同じくらいの高さです。
おまけに石壁だから、足を引っ掛ける場所もほとんどありません。
鍛え抜かれた大人でも登ることは難しいでしょう。
「は?本当に人間なのか???..........でもなんでお前みたいなちっこいのがこんなところで一人なんだよ。」
その問いかけに私は困りました。
この目の前の少年に適当な嘘をつくことは簡単でした。
けれども、嘘をついて嫌われたくないと幼かった私は強く.........思ってしまったのです。
「わたしは.......うまれちゃいけない子だから」
「生まれちゃいけない?」
「........そう、です。」
「へえ.......?」
彼は適当に相槌をした後、私をジロジロと眺めました。
なので、私も彼を観察しました。
彼が着ているブラウスとズボンは、その美しい顔立ちに反して泥だらけで薄汚れていました。
よく見ると首筋にまで泥がついていたので、私は近くにおいてあったハンカチを彼に手渡しました。
「なんだ?」
「くびにどろが....」
「あー、気にすんな。こんな綺麗なハンカチ汚せねーよ。お前が刺繍したのか?」
こくんとうなづくと彼は”へえ、凄いじゃん”と呟きました。
その言葉が嬉しくて、顔が熱くなるのを感じました。
「塔の外を登れたのは、風の力を借りたんだ。だから、俺も幽霊じゃねーからな!!!」
「風の力.........???」
(どういうことでしょう?)
私はこてんと首をかしげますが、彼はおかまいなしに自分の話をし始めてしまいました。
「お前、名前は?」
そう問われて、私は目をキョロキョロさせ俯きました。
「..........なまえは........ない、のです。」
「はあ???」
「わたくしは名前を与えられなかったのです。」
貴族にとって名前は承認です。
とても大切なものです。
父親から名前が贈られなければ、その子供は自分の子供ではないという宣言になるのです。
「ふーん?じゃあ俺がつけてやるよ。」
名前がないと言っても、彼は別段気にしていないようでした。
蔑んだ表情などは見られなく、私を馬鹿にする様子もありませんでした。
「え?」
「だって。”お前”じゃ呼びにくいし」
「...........。」
”そういうものなのかしら?”と私は疑問に思いました。
今まで名前がなかったから、分からなかったのです。
「うーーーーん。.............隣国の神話では”ヴァルメリア”という紅い瞳をもつ美しい女神が信仰されているらしい。お前、知ってるか? その名前からとって.........”リア”はどうだ???」
「り、あ」
「そうだ。気に入らないか?」
「う、ううん!とっても......素敵。リア..........りあ.........」
不思議な感覚でした。
初めて自分に与えられた名前を口にするだけで心がポアポアと暖かくなりました。
目の前の少年は”我ながら良いネーミングセンスだな!!!”と言って、ガハハと満足そうに笑っています。
「あなたのお名前は?」
そう私が尋ねると、彼は一瞬少し困ったような顔をしました。
(........どうしてでしょう?)
「ルーだ」
「ルー?」
「そうだ!!ルーと呼べ!」
「わかりました。ルー!!」
私は嬉しくなって満面の笑みを浮かべ、彼の名前を呼びました。
そうすると彼もふわりと微笑んでくれました。
彼の笑顔は、とても美しく私は静かに息を飲みました。
「ルーはどうしてここに来たのですか?」
「俺は.......探検をしていたんだ!!!」
「探検?」
「そうだ!!! 怪しい塔を見つけて、下の入り口は何重にも南京錠がかけられていたから、仕方がなく外の壁をよじ登ったのだ」
「なるほど!!! ではルーはこの屋敷で働いている方なのですか?」
「........う..........。まあ、そうだな。そうだ、ハタライテイルカタダ。」
「なんのお仕事をしていらっしゃるの?」
「え、ええと、衛兵の見習いだ。俺はまだ16になっていないからな!!!修行中だ!!俺はいつか国で一番強くなるのだ!!ハハハハハ!!!」
「へぇ!!! すごいです。なんだか.......羨ましいです」
「........羨ましい???」
「はい。やりたいことがあってそれに向かって努力していることが素晴らしいですし...........」
「.........ですし?」
「先の未来が想像できていることが、羨ましいんです。」
私は俯きました。
幼い子供ながらに不安だったのです。
いつまでこの塔で一人ぼっちで過ごさなくてはいけないのか。
塔をでることができても、私に待つのは別の監獄ではないのか。
義母の機嫌を損ない、その内あっさり殺されてしまうのではないか。
眠る前はいつもこんな考えが頭の中をぐるぐるとめぐりました。
「お前は夢はないのか?」
「夢..........ですか.....」
「ああ。俺の夢はいつか.........国中、いや世界中を見て回ることだ! 春の華やかな花々、夏の青々とした木々、秋には紅葉で色づいた森林、冬には一面に広がる雪景色。世界は美しいもので一年中溢れている。俺は世界中でそれをもっと見て、感じたいんだ。」
そう言ったルーの瞳はキラキラと輝いていました。
私はその横顔を見て、ポツリとつぶやきました。
「...........わたし.........。お花畑に寝転がってみたいのです。こんなのはゆめとは言えませんか?」
「いーや!!!立派な夢だ!よし、お前を俺の助手にしてやろう。いつか、この塔を抜け出して二人で旅をするんだ。俺が色んな花畑に連れて行ってやるぞ!!!」
「............ほんとう.......ですか?」
「男に二言はないぞ!!!」
「.......でも、塔からでられるなんて.......そうぞうが湧かないのです.....」
つい、そんな言葉が口から出てきてしまいました。
そのくらい私にとって塔は絶対の監獄だったのです。
抜け出すイメージが一切湧きませんでした。
「..........16歳だ」
「え?」
「俺が16歳で成人して立派な大人の男になったら、お前をここから出してやる!!!必ずだ!!」
そう言ってルーは私の手を握りました。
彼の体温はあったかくて、私は.......なぜかとても安心したのです。
「へへ、なんだかルーは、物語の王子様みたいですね」
「お。おお、王子!?!?んなわけあるか!!!隊長と呼べ!!」
「ふふっ」
「笑うな!!」
この日から、ルーは私だけの王子様になったのです。
彼は仕事で忙しく日々を過ごしていらっしゃいますが、今でも度々この塔に足を運んでくれます。
ルーと過ごす時間は格別に温かくて、心がポカポカになります。
だから思ってしまうのです。
本当にずっと...........彼と一緒にいれたらいいのに..............と。
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