4 / 20
櫻の知らない、櫻の話
しおりを挟む
ここ【冬の山】の、この洞窟から川に向かってもう少し降りて行ったところに、かつての社守の一族が暮らしていた村があった。その村は6年前の洪水で村全体が飲み込まれてしまって、今は村の残骸しか残っていない。
その年はなぜか雪も雨も多くて、ただでさえ多かった雪が解けた春先、川が増水して氾濫し、村の半分が飲み込まれてしまった。村の人間たちは【冬の神】の怒りだと考え、人身御供を村から選出することにした。だがそんな役目、誰だって背負いたくない。そんな時に白羽の矢が立ったのが、村で一番年若い夫婦の嫁だった。
人身御供として捧げられる前日の夜。監視の目を掻い潜って夫婦は村から逃げ出した。しかしその夫婦は、翌朝死体で見つかった。なぜ死んだのかまでは烏どもも知らないそうだが、夫も嫁も死に、生き残っていたのは夫婦の腕に抱かれた齢3つの娘だけだった。
村の人間は、社のさらに奥にある崖を登り、山頂にほど近い崖から娘を、人身御供として山に捧げるために投げ捨てた。
「──それが、櫻だ。」
紅蓮は黙って聞いていた。誰に向けることもできない怒りが溢れていたが、それを口に出すことはできなかった。
「……そ、れで……?」
「お前は知らないだろうが、昔の社の奥には崖に続く階段があってな。それを登り切った先、崖の下には大きな池があるんだ。人間は何やら神聖な池だと祀っているらしいが、儂はあの池で水浴びするのが大好きでな」
「……うん?」
「雨は降ってるけどそこそこ温かいし、やはり水浴びはいいなぁ、とその日も思っていたら、儂の身体の上に櫻が降ってきて激突した。そして儂の身体の骨が数本折れた」
「……あー、思いっきり真上に落ちてきたんだ……」
「あれは結構痛かった……1500年生きてきたが、あの時以上に痛い思いをしたことはなかったな……」
大蛇がその時を思い出してか遠い目をする。
「参考までに聞くけど、崖から池までって、どのくらいの高さが……?」
「……童、背丈は?」
「えっと……かなり大雑把に言うと5尺ってところかな」
「童を縦に30人くらい並べた程度だな」
「!?!?!?その高さから、櫻が落っこちてきたのか!?」
「儂の骨を犠牲にして櫻は生き永らえたぞ」
「大いなる犠牲だ、骨……人の命救ってるよ……」
それにしたって、右も左もわからない3歳の少女を崖から投げ捨てるとは。
「……結局、その村の人たちは?」
「人身御供程度で、天候が回復すると思うか?」
紅蓮は首を振った。
そういう風習があるのは知っているし、否定もしない。が、それに齢3つの少女を選んだことには賛同できないし憤りも感じる。
「当然雨が止むことはなく、村は氾濫した川に飲み込まれ、そこで暮らしていた村人の大半が巻き込まれて死んだよ。生き残った数人が社の場所を変え、再び社守《やしろもり》の仕事をしているそうだが、さすがに外部の人間を交えることになったと聞く」
「そうか……」
滅びたといっても過言ではない。櫻の一族──家族は残り少ないのだ。そしてその生き残りの顔さえわからない。
ふと視線を下ろしてみれば、櫻は紅蓮の胸ですぅすぅと眠っている。散々声を出して会話をしているが、目を覚ます気配は無い。それに胸をなでおろして、再び大蛇に問うてみた。
「櫻が死に装束を着ているのはどうして?ジイさんが持ってきたって言っていたけど」
「櫻を拾った池には、以前人身御供として捧げられた人間の遺体が沈んでいてな。布は水に溶けたり魚が食ったりしないでそのまま残っていたから、それを着せてやったんだ。他に服らしい服なんてこの山には無いし、儂が入手できるのはその程度なものだったから」
【冬の山】に住む大蛇が人間の服を入手するのは確かに難しいだろう。金の概念だって難しいし、蛇の姿で買いに来たとしたら……紅蓮も驚いて商売どころではなくなる自信がある。
けれど、いつまでも櫻に死に装束を着せたくはない。というのが、紅蓮の正直な気持ちだった。だって彼女は“今”を生きている。生きている彼女が、身に纏っていていい服ではない。
「……なぁ、ジイさん。まだ依頼された魔猪を狩っていないから、明日になればここを離れるけど……村への帰り道、またここに顔を出していいか?」
「?」
「櫻の服、見繕って買ってくるよ。保存のきく食料もいくつか買ってくる」
「それをしてお前に何の得がある?」
「……得は、別にないけどさ」
紅蓮は櫻の髪をゆっくりと撫でながら、なんと説明しようか考えた。
「俺も、両親がいないから」
「獣狩の村の出身なのだろう?」
「村のみんなに拾われたんだ。それこそ、村の近くの道で両親が行き倒れているのを村の人が見つけて、村中の人が親になって俺を育ててくれた。櫻にとっての親がジイさんなのと同じように、俺にとっての親は村のみんなだった」
「……そうか、お前もか」
頭の据わりが悪いのか、櫻が頭を紅蓮の胸にぐりぐりと押し付ける。ちょうど心臓のあたりに顔を押し付けると落ち着くのか、再び規則正しい寝息を立て始める。
「──儂では、この子に温もりさえ与えてあげられない」
「…………」
「人間にとっての、満足な食事も与えてあげられない」
「…………」
「それでも儂は、この子が大事で、可愛くて、仕方がなくてな」
「……うん」
「儂がこの子に与えられないものを、童、お前が与えてくれるのなら。儂は何も、文句はないよ」
「そ、っか」
「ほら、もう眠れ童」
「……うん、おやすみ。ジイさん」
目を閉じた紅蓮の耳に、炎の中に木の枝をくべる音が聞こえた。薄眼で見れば、大蛇が尻尾を器用に使って枝を掴み、炎に投げ入れているところだった。炎の番までしてくれるらしい。本当に、なんだか親みたいで。彼の隣にいると安心できる気がした。
──彼と断定していいのかは、わからないけれど。
その年はなぜか雪も雨も多くて、ただでさえ多かった雪が解けた春先、川が増水して氾濫し、村の半分が飲み込まれてしまった。村の人間たちは【冬の神】の怒りだと考え、人身御供を村から選出することにした。だがそんな役目、誰だって背負いたくない。そんな時に白羽の矢が立ったのが、村で一番年若い夫婦の嫁だった。
人身御供として捧げられる前日の夜。監視の目を掻い潜って夫婦は村から逃げ出した。しかしその夫婦は、翌朝死体で見つかった。なぜ死んだのかまでは烏どもも知らないそうだが、夫も嫁も死に、生き残っていたのは夫婦の腕に抱かれた齢3つの娘だけだった。
村の人間は、社のさらに奥にある崖を登り、山頂にほど近い崖から娘を、人身御供として山に捧げるために投げ捨てた。
「──それが、櫻だ。」
紅蓮は黙って聞いていた。誰に向けることもできない怒りが溢れていたが、それを口に出すことはできなかった。
「……そ、れで……?」
「お前は知らないだろうが、昔の社の奥には崖に続く階段があってな。それを登り切った先、崖の下には大きな池があるんだ。人間は何やら神聖な池だと祀っているらしいが、儂はあの池で水浴びするのが大好きでな」
「……うん?」
「雨は降ってるけどそこそこ温かいし、やはり水浴びはいいなぁ、とその日も思っていたら、儂の身体の上に櫻が降ってきて激突した。そして儂の身体の骨が数本折れた」
「……あー、思いっきり真上に落ちてきたんだ……」
「あれは結構痛かった……1500年生きてきたが、あの時以上に痛い思いをしたことはなかったな……」
大蛇がその時を思い出してか遠い目をする。
「参考までに聞くけど、崖から池までって、どのくらいの高さが……?」
「……童、背丈は?」
「えっと……かなり大雑把に言うと5尺ってところかな」
「童を縦に30人くらい並べた程度だな」
「!?!?!?その高さから、櫻が落っこちてきたのか!?」
「儂の骨を犠牲にして櫻は生き永らえたぞ」
「大いなる犠牲だ、骨……人の命救ってるよ……」
それにしたって、右も左もわからない3歳の少女を崖から投げ捨てるとは。
「……結局、その村の人たちは?」
「人身御供程度で、天候が回復すると思うか?」
紅蓮は首を振った。
そういう風習があるのは知っているし、否定もしない。が、それに齢3つの少女を選んだことには賛同できないし憤りも感じる。
「当然雨が止むことはなく、村は氾濫した川に飲み込まれ、そこで暮らしていた村人の大半が巻き込まれて死んだよ。生き残った数人が社の場所を変え、再び社守《やしろもり》の仕事をしているそうだが、さすがに外部の人間を交えることになったと聞く」
「そうか……」
滅びたといっても過言ではない。櫻の一族──家族は残り少ないのだ。そしてその生き残りの顔さえわからない。
ふと視線を下ろしてみれば、櫻は紅蓮の胸ですぅすぅと眠っている。散々声を出して会話をしているが、目を覚ます気配は無い。それに胸をなでおろして、再び大蛇に問うてみた。
「櫻が死に装束を着ているのはどうして?ジイさんが持ってきたって言っていたけど」
「櫻を拾った池には、以前人身御供として捧げられた人間の遺体が沈んでいてな。布は水に溶けたり魚が食ったりしないでそのまま残っていたから、それを着せてやったんだ。他に服らしい服なんてこの山には無いし、儂が入手できるのはその程度なものだったから」
【冬の山】に住む大蛇が人間の服を入手するのは確かに難しいだろう。金の概念だって難しいし、蛇の姿で買いに来たとしたら……紅蓮も驚いて商売どころではなくなる自信がある。
けれど、いつまでも櫻に死に装束を着せたくはない。というのが、紅蓮の正直な気持ちだった。だって彼女は“今”を生きている。生きている彼女が、身に纏っていていい服ではない。
「……なぁ、ジイさん。まだ依頼された魔猪を狩っていないから、明日になればここを離れるけど……村への帰り道、またここに顔を出していいか?」
「?」
「櫻の服、見繕って買ってくるよ。保存のきく食料もいくつか買ってくる」
「それをしてお前に何の得がある?」
「……得は、別にないけどさ」
紅蓮は櫻の髪をゆっくりと撫でながら、なんと説明しようか考えた。
「俺も、両親がいないから」
「獣狩の村の出身なのだろう?」
「村のみんなに拾われたんだ。それこそ、村の近くの道で両親が行き倒れているのを村の人が見つけて、村中の人が親になって俺を育ててくれた。櫻にとっての親がジイさんなのと同じように、俺にとっての親は村のみんなだった」
「……そうか、お前もか」
頭の据わりが悪いのか、櫻が頭を紅蓮の胸にぐりぐりと押し付ける。ちょうど心臓のあたりに顔を押し付けると落ち着くのか、再び規則正しい寝息を立て始める。
「──儂では、この子に温もりさえ与えてあげられない」
「…………」
「人間にとっての、満足な食事も与えてあげられない」
「…………」
「それでも儂は、この子が大事で、可愛くて、仕方がなくてな」
「……うん」
「儂がこの子に与えられないものを、童、お前が与えてくれるのなら。儂は何も、文句はないよ」
「そ、っか」
「ほら、もう眠れ童」
「……うん、おやすみ。ジイさん」
目を閉じた紅蓮の耳に、炎の中に木の枝をくべる音が聞こえた。薄眼で見れば、大蛇が尻尾を器用に使って枝を掴み、炎に投げ入れているところだった。炎の番までしてくれるらしい。本当に、なんだか親みたいで。彼の隣にいると安心できる気がした。
──彼と断定していいのかは、わからないけれど。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
スキル「糸」を手に入れた転生者。糸をバカにする奴は全員ぶっ飛ばす
Gai
ファンタジー
人を助けた代わりにバイクに轢かれた男、工藤 英二
その魂は異世界へと送られ、第二の人生を送ることになった。
侯爵家の三男として生まれ、順風満帆な人生を過ごせる……とは限らない。
裕福な家庭に生まれたとしても、生きていいく中で面倒な壁とぶつかることはある。
そこで先天性スキル、糸を手に入れた。
だが、その糸はただの糸ではなく、英二が生きていく上で大いに役立つスキルとなる。
「おいおい、あんまり糸を嘗めるんじゃねぇぞ」
少々強気な性格を崩さず、英二は己が生きたい道を行く。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【新作】最強もふもふテイマーは卒業を決意するも
櫛田こころ
ファンタジー
【第一回WorkwriteNovels月例賞特別賞受賞作品】
冒険者の最高ランクSにまで到達した青年リュートは、ある日テイマーしていた魔物や精霊らに冒険者を引退する旨を打ち明けた。
冒険者として成功しても、終の生活への憧れを抱いてきたのと……生まれ育った桜の木が多くある村で幼馴染みと交わした約束を果たすために。
しかし、卒業はしてもテイマーした魔物らはついていくと言い張り、仕方なく連れていくことにしたのだが……。
*一万字以内の作品ですが、どうぞお楽しみください。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
薄幸華族令嬢は、銀色の猫と穢れを祓う
石河 翠
恋愛
文乃は大和の国の華族令嬢だが、家族に虐げられている。
ある日文乃は、「曰くつき」と呼ばれる品から溢れ出た瘴気に襲われそうになる。絶体絶命の危機に文乃の前に現れたのは、美しい銀色の猫だった。
彼は古びた筆を差し出すと、瘴気を墨代わりにして、「曰くつき」の穢れを祓うために、彼らの足跡を辿る書を書くように告げる。なんと「曰くつき」というのは、さまざまな理由で付喪神になりそこねたものたちだというのだ。
猫と清められた古道具と一緒に穏やかに暮らしていたある日、母屋が火事になってしまう。そこへ文乃の姉が、火を消すように訴えてきて……。
穏やかで平凡な暮らしに憧れるヒロインと、付喪神なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:22924341)をお借りしております。
異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!
夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ)
安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると
めちゃめちゃ強かった!
気軽に読めるので、暇つぶしに是非!
涙あり、笑いあり
シリアスなおとぼけ冒険譚!
異世界ラブ冒険ファンタジー!
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる