花影のさくら

月神茜

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同じ釜の飯

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「えー、お兄ちゃんかえっちゃうの?」
「こら櫻」
「だってぇ」


大蛇おろちに窘められ、櫻がむぅ、と頬を膨らませる。紅蓮の胸にしがみ付いて、離れません!の姿勢をとっている。
随分と紅蓮に懐いてしまっていた。


「…………近くに野営してもいいか?」
「地面が濡れているぞ」
「雨天の野営にも慣れているよ。流石に雷の日は洞窟を探すけど」
「ならきょうもここにいようよ!またかみなりドーン!ってなるよ!」
「櫻は雷が嫌いだもんな?」
「き、きらいじゃないもん。こわいだけだもん」


同じことだろう、とは言わなかった。
しかしここで野営させてもらうとなると、1つ問題が現れる。


「なぁ、火を起こしていいか?」
「ひ?」
「構わんぞ」


火が何かわかっていない櫻を(いやいやと渋られたが)大蛇おろちに任せて、近くの木の枝が落ちていそうな場所に向かう。雨に濡れてしまっているが、木の葉に防がれて湿っている程度の枝を探して集めた。その間に見つけた食べられる野草もいくつか拝借して、洞窟に戻る。櫻はまた大蛇おろちのとぐろの中に納まっていて、リスみたいに頬を膨らませてむつけていた。置いて行ったことに拗ねているらしい。


できるだけ洞窟の入り口に近い、けれど雨が入ってこない程度の場所に火を起こす。枝が濡れていて時間はかかったが、なんとか火を起こすことができた。初めて見る火というものに櫻は興味を持ったようだったが、大蛇おろちが櫻の胴の部分に体を一周巻き付けて、火に近付けないようにしていた。1500年も生きているのだ。火の危険性はきちんとわかっているのだろう。そう判断して、紅蓮は再び洞窟の外に出る。
今度は数歩で戻れるほど近場だ。大体大きさの同じ石を持って洞窟に運び入れる。岩場というのが幸いだった。簡易的なかまどを作るのに適した石がいくつも転がっていた。


────本当なら準備が逆なんだけどな。


なにぶん寒かったから、火起こしを優先した。
やけどに気を付けつつかまどを作って、背負っていた荷物から道具を取り出す。一人で食べる分には十分な大きさの鉄鍋と椀、さらには手持ちの食料を取り出した。飲み水にありつけない時のためにいつも水は多めに持っている。保存のきく食料も拝借した野草もまとめて、適当に水を入れた鍋に突っ込んだ。
味噌で煮込んでしまえば基本なんでも美味くなる、とは師匠の教えだ。多少苦かろうが酸っぱかろうが、味噌で煮ておけば毒でも無い限り大丈夫なのだ。師匠曰く。


「…………」


紅蓮が帰ってきたのだから、と膝に乗ろうとしてきた櫻を引っぺがして隣に座らせる。流石に食事の時に膝の上にいられると、赤子ならともかく、火に近くて危ないという判断だった。あと食事がしづらい。のそりと大蛇おろちが火に近づく。暖かさは感じられるが危なくない程度の近さで。


「…………」


櫻が興味津々で紅蓮の仕草を見つめている。いつもならもう少し味をつけるところだが、どう見ても櫻が食べたがるという確信があったので、ほぼ素材の味がする味噌風味の煮込みで諦めた。基本栄養が摂れて腹が満たされればそれでいい、という主義の紅蓮は、おとなしく紅蓮の隣から動かずに、なんとか鍋の中身を覗き込もうとしている櫻に椀を差し出した。


「食べるか?」
「……!!!いいの!」
「櫻の分も作ってある。ジイさん、いいか?」
「毒草を入れていないなら」
「だとしたら俺も死ぬから。野草の知識は一番最初に叩き込まれたから大丈夫。確信がある野草しか使わないから」
「なら良い」


とりあえず、椀が割れた時のための予備の椀を取り出して、櫻の分を取り分ける。おそらく箸の使い方も知らないと思うので、具は少なめにしてまずは汁から飲むようにした。


「熱いから、ちょっと待てよ」
「うん?」
「冷ますか」


椀の半分ほど汁を入れて、湯気が上がらなくなる程度まで息を吹きかけて冷ましてやり、ほら、と手渡した。椀を渡されたものの、どうすればいいのかわかっていないようだったので、さっさと自分の分を盛って、椀に口をつけて飲み込んだ。櫻もそんな紅蓮を見て、真似をするように口をつける。


「!!!」
「どうだ?」
「あったかい!!」


────開口一番、『あったかい』が出た。


「これおいしいねぇ!」
「っあ、ああ、うん……よかった。しょっぱくない?」
「……???……わかんない」
「そっか、まぁいいや」


離乳食じゃあるまいし、そこまで神経質にならなくてもいいのかもしれないが、いままで櫻がどんな食事をしてきたのかわからないので、とりあえずは薄味から始めてよかったのかもしれない。


────9歳になる櫻。ジイさんが拾ってから6年ってことは……3歳くらいの時にジイさんに拾われたのか。


今まで何を食べてきたんだろう。どうやって過ごしてきた?その死に装束は何?皮膚はボロボロで血が滲んでいるのはどうして?なんで、3歳の時からジイさんに拾われたの?聞きたいことはたくさんある。けれど、それを話してもらえるほど、大蛇おろちからの信頼を得ていない。そのくらいわかっている。
シャク、という音を立てた口の中の野草は、酷く苦酸っぱい。


「櫻、お代わりいるか?」
「たべる!」
「柔らかくなってるから、干し肉も食べてごらん。よく噛むんだぞ」
「……わかった!」


小刀で一口よりずっと小さく切った干し肉を何かけか椀に盛る。食材を掴めなくても口にかき込むことができるように、予備の箸も渡した。まずは作法なんて気にしなくていいから、腹いっぱいに食べてほしい。


「おにく!」
「うん。わかるんだ」
「おにくはたべてるよ」
「……そう、なんだ」
「でもこのおにくたべたことない」
「……鹿の肉だよ。干してあるけど」
「しかさん?しかさんのおにくってこんなあじだっけ?」


────鹿肉を食べたことがあるのか。


ふむ、と頭の片隅に記録しておく。蛇から育てられたのだから、基本、肉を食べて育ったのかもしれない。
火に当たる大蛇おろちを盗み見ると、紅蓮のことなど気にせず、目を閉じながらホクホクと火の温かさをかみしめていた。風呂に入っている時の師匠に何となく似ている……ような気がする。


「干すと味が変わるんだ。変わるというか……味が濃くなってより美味しくなる。と言ったらわかるか?櫻」
「ほすとおいしくなるってこと?」
「そういうことだ」


へえぇ、と言いながら櫻は干し肉をもぐもぐと噛む。ごくりと飲み込むと、どこかふわふわしたまなざしで紅蓮に椀を差し出した。


「腹いっぱいになったか?」
「なったぁ」
「そっか」


紅蓮は鍋の残りを食べきって、食事を作るのに使った道具たちをまだ雨が降る外に持ち出した。火はまだ音を立てて爆ぜているが、先ほどまでのやりとりで火は近づいちゃいけないものだと理解したのか、櫻はおとなしくちょこんと座っている。


「櫻、あまり火に近づくなよ」
「うん」


ここまで言っておけば、いざとなれば大蛇おろちが制してくれるだろう。雨が降る中洞窟の外に出て、少し離れた場所で、雨を使って大雑把に食器類をすすぐ。川で洗うのが理想だが、この雨で濁流になった川で洗おうものなら、食器類が使い物にならなくなる。とりあえず今日はこれで済ませ、川が落ち着くか人里で井戸を借りて洗うことにした。
こんなものか、と納得できる程度になったら、また洞窟へ戻る。
昼過ぎから降り出した雨は勢いこそ落ち着いたものの、未だに降り続いている。外はだんだんと暗くなっており、これ以上外にいるとじきに足元も見えなくなる。大蛇おろちのいる洞窟で休めるのはむしろ幸いだった。
洞窟がもう目の前、というところで、紅蓮とは反対方向から洞窟に入っていく櫻の姿が見えた。滑らない程度に急いで洞窟に戻っていく。紅蓮は一瞬立ち止まって、ん?と思いながら洞窟の入り口を見つめる。


────手洗いかな。気にしないほうがいいだろう。


荷物も全部置いて行ったのだから、戻らないのが心配で探しに、ということもないだろう。そう結論付けて、髪に付いた水滴を払いつつ洞窟内に入る。自分同様ずぶ濡れになった櫻が、装束だけを着替えているところだった。長さの合わない白い帯を、ぐるぐると体に巻いて縛っていた。


「──帰ったか。これ以上は暗くなるから外に出るなよ、わっぱ
「そうだな。ほら櫻、貸してあげるから髪を拭け。風邪をひく」
「かぜ?」
「熱が高くなって咳が出る病気。……なったことないのか?」
「季節の変わり目にはいつも引いているぞ。それが風邪という名前だとはわたしも知らなんだ」
「なるほど」
 

手拭いでわしわしと櫻の頭を拭いて、ある程度乾いたら、終わりという合図で頭を撫でてやる。えへへ、と照れながら、櫻はまた紅蓮の胡坐の上にちょこんと座った。自分の髪も手拭いで拭く間、櫻はぱちぱちと爆ぜる炎をじっと見つめていた。膝の上の身体はだいぶ冷えていて、拭いたとはいえど濡れた髪がキラキラと炎を反射している。


「──冷えるな」
「???」


荷物入れを手繰り寄せ、中から毛布を取り出す。氷狼ひょうろうの皮と布でできた毛布だ。
氷狼ひょうろうは【冬の山】よりずっと向こうの年中雪が降り続く地域に住む真っ白な狼だ。その巨体を包む毛皮は非常に防寒に優れているので、獣狩ししがりの村では裏側に布を縫い付け毛布にして使っている。
胡坐の上にいる櫻ごと包むようにして毛布を掛けた。枝を足さなければ火もじきに消えるだろう。桜の花はたいてい散ってしまったが、まだ朝晩は冷える。

食事をして、温かい毛布にくるまれて、櫻の瞼がだんだんと下がってくる。「美味かったか?」「うん」といった何気ない会話が、ぽわぽわとした返答に変わってきたのち、すぐに舟を漕ぎ始める。


「……寝たか」
「ああ」
「……腹いっぱいに食事ができたのは、随分久しぶりだっただろうな」
「蛇だって食事をするんだろう?」
「毎日食事にありつけるとは限らん」


その一言で、罪悪感に苛まれた。今のは失礼な言葉だった。


「……すみません、大蛇おろち殿」
「なんだ、ジイさんとは呼ばないのか。さっきはそう言っていたのに」
「調子に乗ったな、と。自覚はあります」
「気にするな、ジイさんと呼べ。それでいい」
「……はい」
「――当たり前だが、食料を調理するという技術は、山には無い。死んだ山の生き物の生肉を、私と一緒に食んで生きてきた櫻には、さきほどの食事は衝撃だったろうな」


────そうか、それでか。櫻が鹿肉の味を知っていたのは。


「これでもわたしは山のあるじだからな。この山の動物たちは、仲間が死ぬとその遺体を私のもとに運んできて献上するのが習わしだ。先代の時からそうだったから、いつから始まったのかは知らん。櫻はいつも私とともに死んだ獣の生肉を食んで、川の水を飲み、野に生える草を食べて生きてきた」


紅蓮の胸に顔を埋めるようにして眠る、9歳の少女。
身体は酷く痩せていて、皮膚はボロボロで、髪は伸ばしっぱなし。来ている服は丈の合わない死に装束で、大蛇おろちに育てられながら生肉を食んで生きてきた。


「──聞いて、いいですか」
「なんだ」
「櫻は、親に……捨てられたんですか?」
「『捨てられた』というのは合っているが、『親に』ではないな」
「…………?」
「噂好きの烏どもに聞いた話だ。どこまでが真実かは知らないが──」
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