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第八章
8-9 閉ざされた部屋
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あれから次々と襲いかかってきていた魔獣の気配が、今は全く感じられない。
全て倒したわけじゃあない。多分、この辺りに漂う『黒い魔力』の所為だろう。
「この廊下……」
僕らの前を行くセリオンさんが、何かに気付いた様に小さく呟いた。
「ヴィジェス」
「ああ」
先頭を行くヴィーさんと、短く言葉を交わし合う。
一体何を確認しあっているのか、僕には全くわからない。でも二人にはわかっているんだろう。多分、後ろから来るジャウマさんにも。
その廊下をさらに進み、いくつかの分かれ道を戸惑いなく選ぶ。まるで、どちらに進むべきかを知っているかの様に。
あれから3人は殆ど口を開かない。アリアちゃんも黙って僕の手を握っている。その一行の沈黙が、僕の心の中を不安で満たしていく。
と、先頭を行くヴィーさんが、ある扉の前で止まった。
「アリア、この部屋か?」
「あ…… うん……」
戸惑うように答えると、アリアちゃんは僕と繋いでいた手に少しだけ力を入れた。
皆の口数が減っていた理由がようやくわかった。崩れかけているけれど、この扉の意匠には見覚えがある。つい先日まで何度も目にしていた。これは……
「アリアの部屋だな」
ジャウマさんが言った。
ヴィーさんが扉を開けようと、そっと手を伸ばす。
「待って。私が開ける」
アリアちゃんはすたすたと扉の前へ行き、そっと扉に手をかけた。
静かなダンジョン内に鈍い音を響かせながら、扉はゆっくりと開いた。
予想通り、扉の向こう側の部屋は、アリアちゃんの部屋によく似ていた。
でもこの部屋には明るさも清潔さも殆どない。壁に掛けられた魔導ランタンがどうにか部屋の中をぼんやりと照らしているが、部屋全体を照らすには全く足りていない。ランタンに照らしだされた壁も床も古びて崩れかけているのがわかる。埃どころか、床には石混じりの砂が散っている。そして部屋の空気は『黒い魔力』で濁っていた。
とてもじゃないけれど、人の住む場所には思えない。
その部屋の中央、うす暗闇の中で黒くて小さい何かがうずくまっていた。その何かの目だけが爛々と赤く光っている。
「……あれは『黒い魔獣』、でしょうか?」
僕の言葉に、セリオンさんが低い声で答える。
「……おそらく、そうでしょう。ですが、今までのとは様子が違います。クー、声をあげてはダメですよ」
僕の隣を歩いていたクーは、いつの間にか僕にぎゅっと寄り添っていた。見ると、耳も尻尾も下げてしまって、あいつの気配に怯えている。
「……だれ?」
アリアちゃんの声がした。
でも発したのはアリアちゃんじゃない。アリアちゃんは僕らのすぐ近くにいる。さっきの声はそのもっと先、あの小さい魔獣の方から聞こえていた。
「……アリアちゃんの声?」
「『黒い魔獣』は、元はアリアの魔力だったものが魔獣化したものだ。だからアリアと同じ性質をもっていても、不思議はない」
僕の言葉に、セリオンさんが小声で答えた。
ゆっくりと、僕らはその魔獣に歩み寄る。
魔獣の赤い目は、様子を窺う様にじっとこちらを見ているが、攻撃をしてくる様子はない。
とうとうその魔獣の姿がはっきりわかるほどの距離まで近づいた。それはまるで小さくて耳の長い、黒兎のような生き物だった。
立ち止まった僕らを置いて、アリアちゃんが一人でその『黒い魔獣』にゆっくりと近づいていく。
「だれ?」
黒兎がもう一度声をあげた。
「私はアリア。あなたは?」
その声に、アリアちゃんが静かに答えた。
「……わからない。でも」
その黒兎の赤い瞳が、すっと細められる。
「寂しい」
そう言った黒兎の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
* * *
その黒兎のような魔獣が意思を持った時には、もうこのダンジョンに閉じ込められていたのだそうだ。
「私はここから出てはいけないの」
アリアちゃんと同じ声で黒兎は言った。
「でもたまに、夜なのに明るい日があって。その時だけは、この部屋から出てちょっとだけお散歩ができるの。でもこの城に居るものたちは、私を見ると皆逃げてしまうの。お友達になりたいだけなのに」
そう言って、悲しそうに耳を垂らした。
「おそらく、それがスタンピードの原因だろうな。このダンジョンにいる魔獣たちは、この『黒い魔獣』を恐れている。満月の晩には『黒い魔獣』の魔力が強まり、ここの結界が緩む。そうしてこの部屋の外に出た『黒い魔獣』を恐れた他の魔獣たちが、ダンジョン外へ逃げ出したんだろう」
僕らに向けて、ジャウマさんが小さな声で言った。
「じゃあ、魔獣たちはあの町を襲おうとしていたわけじゃあないんですね」
「いや、襲おうとしてたことには間違いないだろう」
「『黒い魔獣』から逃げていただけはなく、ですか?」
ヴィーさんが、僕の質問に言葉を返す。
「ダンジョンってのは、元々は俺らの世界の一部だと言っただろう? ダンジョン内に棲んで、外に出てこない魔獣の殆どは、人間の国に適応できなかったものたちだ。そいつらにとっては、人間の国の空気は毒でもあるんだ」
「毒、ですか」
「ああ。だから、その毒の苦しみから逃れるために、魔獣は人間の国の生き物を食らうんだよ」
でも町の守りは強固だった。そのうちに満月が終わり、『黒い魔獣』はこの部屋に戻る。ダンジョンの魔獣たちは人間の世界の毒に耐え切れず、またこのダンジョンに戻っていく。
「それが、満月の晩だけに起こるスタンピードの正体でしょう」
セリオンさんが言った。
ヴィーさんはそっと黒い兎に歩み寄ると、しゃがみこんで目一杯視線を下げて話しかける。
「なあ、外に出られるぞ。俺たちと一緒に行こう」
「……本当?」
黒兎は、じっとヴィーさんを見上げている。
「夢で見たの。公園を走り回ったり、カフェでケーキを食べたり、誰かと手を繋いで町を歩いたり。外に出たら、そういうことしたい」
「ああ、できる限り私たちが叶えよう。お前の望みを」
「大丈夫だ。俺たちはずっとお前と一緒にいる。約束だ」
セリオンさん、ジャウマさんの言葉に、黒兎の目が大きく見開かれる。
「そうだよ。私たちには、優しいパパたちもラウルも居るから、大丈夫だよ。だから一緒になろう」
アリアちゃんがそう言うと、黒兎の目からはまた大粒の涙がこぼれた。
全て倒したわけじゃあない。多分、この辺りに漂う『黒い魔力』の所為だろう。
「この廊下……」
僕らの前を行くセリオンさんが、何かに気付いた様に小さく呟いた。
「ヴィジェス」
「ああ」
先頭を行くヴィーさんと、短く言葉を交わし合う。
一体何を確認しあっているのか、僕には全くわからない。でも二人にはわかっているんだろう。多分、後ろから来るジャウマさんにも。
その廊下をさらに進み、いくつかの分かれ道を戸惑いなく選ぶ。まるで、どちらに進むべきかを知っているかの様に。
あれから3人は殆ど口を開かない。アリアちゃんも黙って僕の手を握っている。その一行の沈黙が、僕の心の中を不安で満たしていく。
と、先頭を行くヴィーさんが、ある扉の前で止まった。
「アリア、この部屋か?」
「あ…… うん……」
戸惑うように答えると、アリアちゃんは僕と繋いでいた手に少しだけ力を入れた。
皆の口数が減っていた理由がようやくわかった。崩れかけているけれど、この扉の意匠には見覚えがある。つい先日まで何度も目にしていた。これは……
「アリアの部屋だな」
ジャウマさんが言った。
ヴィーさんが扉を開けようと、そっと手を伸ばす。
「待って。私が開ける」
アリアちゃんはすたすたと扉の前へ行き、そっと扉に手をかけた。
静かなダンジョン内に鈍い音を響かせながら、扉はゆっくりと開いた。
予想通り、扉の向こう側の部屋は、アリアちゃんの部屋によく似ていた。
でもこの部屋には明るさも清潔さも殆どない。壁に掛けられた魔導ランタンがどうにか部屋の中をぼんやりと照らしているが、部屋全体を照らすには全く足りていない。ランタンに照らしだされた壁も床も古びて崩れかけているのがわかる。埃どころか、床には石混じりの砂が散っている。そして部屋の空気は『黒い魔力』で濁っていた。
とてもじゃないけれど、人の住む場所には思えない。
その部屋の中央、うす暗闇の中で黒くて小さい何かがうずくまっていた。その何かの目だけが爛々と赤く光っている。
「……あれは『黒い魔獣』、でしょうか?」
僕の言葉に、セリオンさんが低い声で答える。
「……おそらく、そうでしょう。ですが、今までのとは様子が違います。クー、声をあげてはダメですよ」
僕の隣を歩いていたクーは、いつの間にか僕にぎゅっと寄り添っていた。見ると、耳も尻尾も下げてしまって、あいつの気配に怯えている。
「……だれ?」
アリアちゃんの声がした。
でも発したのはアリアちゃんじゃない。アリアちゃんは僕らのすぐ近くにいる。さっきの声はそのもっと先、あの小さい魔獣の方から聞こえていた。
「……アリアちゃんの声?」
「『黒い魔獣』は、元はアリアの魔力だったものが魔獣化したものだ。だからアリアと同じ性質をもっていても、不思議はない」
僕の言葉に、セリオンさんが小声で答えた。
ゆっくりと、僕らはその魔獣に歩み寄る。
魔獣の赤い目は、様子を窺う様にじっとこちらを見ているが、攻撃をしてくる様子はない。
とうとうその魔獣の姿がはっきりわかるほどの距離まで近づいた。それはまるで小さくて耳の長い、黒兎のような生き物だった。
立ち止まった僕らを置いて、アリアちゃんが一人でその『黒い魔獣』にゆっくりと近づいていく。
「だれ?」
黒兎がもう一度声をあげた。
「私はアリア。あなたは?」
その声に、アリアちゃんが静かに答えた。
「……わからない。でも」
その黒兎の赤い瞳が、すっと細められる。
「寂しい」
そう言った黒兎の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
* * *
その黒兎のような魔獣が意思を持った時には、もうこのダンジョンに閉じ込められていたのだそうだ。
「私はここから出てはいけないの」
アリアちゃんと同じ声で黒兎は言った。
「でもたまに、夜なのに明るい日があって。その時だけは、この部屋から出てちょっとだけお散歩ができるの。でもこの城に居るものたちは、私を見ると皆逃げてしまうの。お友達になりたいだけなのに」
そう言って、悲しそうに耳を垂らした。
「おそらく、それがスタンピードの原因だろうな。このダンジョンにいる魔獣たちは、この『黒い魔獣』を恐れている。満月の晩には『黒い魔獣』の魔力が強まり、ここの結界が緩む。そうしてこの部屋の外に出た『黒い魔獣』を恐れた他の魔獣たちが、ダンジョン外へ逃げ出したんだろう」
僕らに向けて、ジャウマさんが小さな声で言った。
「じゃあ、魔獣たちはあの町を襲おうとしていたわけじゃあないんですね」
「いや、襲おうとしてたことには間違いないだろう」
「『黒い魔獣』から逃げていただけはなく、ですか?」
ヴィーさんが、僕の質問に言葉を返す。
「ダンジョンってのは、元々は俺らの世界の一部だと言っただろう? ダンジョン内に棲んで、外に出てこない魔獣の殆どは、人間の国に適応できなかったものたちだ。そいつらにとっては、人間の国の空気は毒でもあるんだ」
「毒、ですか」
「ああ。だから、その毒の苦しみから逃れるために、魔獣は人間の国の生き物を食らうんだよ」
でも町の守りは強固だった。そのうちに満月が終わり、『黒い魔獣』はこの部屋に戻る。ダンジョンの魔獣たちは人間の世界の毒に耐え切れず、またこのダンジョンに戻っていく。
「それが、満月の晩だけに起こるスタンピードの正体でしょう」
セリオンさんが言った。
ヴィーさんはそっと黒い兎に歩み寄ると、しゃがみこんで目一杯視線を下げて話しかける。
「なあ、外に出られるぞ。俺たちと一緒に行こう」
「……本当?」
黒兎は、じっとヴィーさんを見上げている。
「夢で見たの。公園を走り回ったり、カフェでケーキを食べたり、誰かと手を繋いで町を歩いたり。外に出たら、そういうことしたい」
「ああ、できる限り私たちが叶えよう。お前の望みを」
「大丈夫だ。俺たちはずっとお前と一緒にいる。約束だ」
セリオンさん、ジャウマさんの言葉に、黒兎の目が大きく見開かれる。
「そうだよ。私たちには、優しいパパたちもラウルも居るから、大丈夫だよ。だから一緒になろう」
アリアちゃんがそう言うと、黒兎の目からはまた大粒の涙がこぼれた。
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