幼馴染を追いかけて

小貝川リン子

文字の大きさ
上 下
30 / 41
第七章 波乱

1 女

しおりを挟む
「まっこと、酷い目に遭うたわ」

 正月気分も抜けてきた、一月半ばの金曜日。居酒屋の個室で馨は愚痴を零す。向かいに座るのは、つい最近も話題に上った女剣士だ。彼女もビールのジョッキを片手に、既にかなり酔っている。

「聞いちゅうが?」
「はいはい、聞いてる聞いてる。彼氏に愛されすぎて困ってるんでしょ」
「は!? ち、ちゃうわ、アホ! そがな話しやせん」
「同じようなもんじゃん。毎回毎回会う度に惚気話聞かせやがって」

 引き戸が開いて店員がやってくると彼女は一旦口を閉じ、店員が出て行ってから再び喋り始めた。

「惚気てんでしょーが。除夜の鐘も気づかないくらい、エッチに没頭してたんでしょ?」
「なっ……ぅ、まぁ、そう……」
「はー、いいわねぇ恋人がいるってのは。あたしゃ夜通し親父と酒飲んでたわよ」
「な、なんやすまん。わしばっかりいつも話聞いてもろて」
「いいのいいの、あたしが聞きたくて聞いてんだから。恋バナは酒の肴にちょうどいいからねぇ。大体、酷い目に遭ったとか何とか言って、どうせ満更でもないんでしょ。そのマフラーも……」

 脱ぎ散らかしたコートの上に畳んで置いてある馨のマフラーを指して彼女は言う。

「マフラーも手袋も、冬になってからずうっと大事そうに使ってるけど、それも彼氏くんが買ってくれたやつなんでしょ」
「そがぁなこと、言うたかいのう」
「見ればわかるわ。そんな柄物、あんた絶対自分では買わないでしょ」
「何じゃあ、カマかけたがか」
「それにさ、見ちゃったのよね。お正月、浅草寺に初詣行ったでしょ」
「ああ、二日に、りょーまと行った」
「まぁめちゃくちゃ混んでたし、遠くからちょこっと見えただけなんだけどさ。彼氏くんもこれと同じ柄の耳当て着けてたじゃん? それで、ピンと来ちゃったわけ」
「何じゃ、おまんもおったがか。はぁ、揃いのもんなぞ目立つきやめぇ言うたのに、りょーまが強情で聞かんきに……」

 しまったな、と馨は内心でぼやく。遼真と二人でいるところを知り合いに見られるなど、決まりが悪い。

「彼氏くん、なかなかの男前だよね。好青年っていうか、馨とは大分違うわね」
「ほうかぁ? わしゃあこんまい頃から見慣れちゅうき、ようわからん」
「はー、これだから男は。美に対する興味関心が薄いのよ」
「おまんかて美を追求しちゅうわけやないろう。その短髪、まるで子供ぜよ」
「はぁー? これはただの短髪じゃありませんー、ショートウルフっていうんですぅ。ちゃーんとカタログにも載ってたんだからね」
「けんど、前髪は自分で切っちゅうやか」
「それは、そうだけど……だってカット代もったいないし。っていうか、髪って言えばさ、馨のその長ぁい髪は彼氏くんの趣味なわけ? あたしは好きだけど、面着ける時に邪魔じゃない? あと蒸れそう」
「ああ、これ……」

 馨は、普段通り無造作に束ねた髪に手をやる。

「別に、わしがしとうて伸ばしちゅうだけじゃ」
「ふぅん。けど、彼氏くんも気に入ってるんでしょ? 初詣で見かけた時、めっちゃ毛先さわさわしてたもん」

 言われて、馨は思わず噴き出した。色々零れて水浸しになる。

「え、ちょぉ、大丈夫? はい、おしぼり」
「はぁ……いや、そがなことより、その話はほんまか?」
「ほんとほんと。すんごいさわさわしてた。もうね、猫が猫じゃらしに戯れるくらいちゃいちゃいしてた」
「ちゃ、ちゃいちゃいいうがはようわからんけんど」
「とにかくすごく触ってたよ。あれ気づいてなかったの?」
「わ、わからん。まっこと混んじょったし、転ばんようにするがで精一杯で」

 急激に喉が渇き、馨は手元のグラスを一気に空にした。女はおもしろそうににやにや笑う。

「実際どうなのよ。褒めてくれたりしないの? 烏の濡れた羽のように美しい、とかって」
「わしの毛、黒うないし……そらおまんが言われたいだけやか。何じゃあ、烏の濡れた羽ち。褒めやせんろう」
「一応褒め言葉なんだけど。じゃあ何、絹みたいにしなやかで美しい、とか? うーん、あたしってば超詩的!」
「やき、わしの毛ぇはそがなんやないき……どっちかちゅうとりょーまの方が、さらさらしちゅう黒髪で綺麗かもしれん。わしの毛ぇは、むく犬みたぁにもふもふで気持ちえいち、りょーまはよう言うけんど」
「ほぉら、やっぱり褒めてくれるんじゃん。大体ねぇ、ポニーテールが嫌いな男なんてこの世に存在しないのよ。好きな子のだったら余計」
「ほ、ほうかにゃあ……」

 馨は纏め髪に指を入れ、ふさふさと撫でた。

「ま、まぁ? 前にバイト探しちょった時、えい加減切ろうか言うたら、えらい勢いで反対はされたけんど」
「ほらぁ、やっぱり好きなんだぁ」
「前は石鹸で洗いよったけんど、りょーまがえいシャンプー買うてきたき、昔よりは大分傷みも減ってきちゅうし」
「はー、はいはい、また惚気か」
「にゃっ、おまんが訊くき」
「冗談! いいよぉ、どんどん惚気なさい。あんたの話聞いてるだけで夢と希望が湧いてくるわ」
「……おまんは、特定の人は作らんがか?」
「あたしはほら、自分より強い人じゃないと嫌だから」
「……そりゃあ、まっことハードルが高いのう」
「まぁねぇ。それに、強いだけでもだめだしね……」

 女は、少々気落ちしたように息を吐いた。腕時計を見、言う。

「そろそろ帰らなくていいの? 彼氏くん、待ってるんじゃない?」
「りょーまもどうせ二次会行って遅うなるき、わしもまだ飲む」
「ふーん。じゃああたしも頼もう」

 タッチパネルを叩いてメニューを見る。

「ところでさぁ、あんたのその、“りょーまぁ”って言い方さぁ」
「何じゃ、わしゃそがぁに腑抜けた言い方しやせんぞ」
「してるって。“りょーまぁ”ってさ、なんか、フフ」

 エッチの時もそういう声で呼んでるわけ? と女は揶揄うように言った。不意を衝かれた馨は全身を真っ赤に染め上げ、そがぁなわけあるか! と叫んだ。
 
 *
 
 今日は職場の新年会があった。遼真は断り切れず二次会に参加し、最寄りの駅に着いたのは夜も更けた頃だった。

「ちょっとぉ~、ちゃんと自分で歩きなさいよぉ、この酔っ払いぃ~」

 改札を出たところで、何やら女の声がする。

「ほたえなやぁ、しゃんと歩きゆうやいかぁ」

 続いて、遼真のよく知る男の声がする。

「ちゃんと歩いてるってぇ? どっからどう見ても千鳥足じゃないのよぉ~」

 どうやら情けないほどべろべろに酔っ払っているらしい。遼真は音もなく、その二人組に忍び寄る。

「あの」
「ぎゃっ!?」

 遼真が声をかけると、女は大袈裟に驚いた。

「す、すいません、脅かすつもりは」
「あ、いえ、こちらこそ……ていうか、えっとぉ、ちょうどよかったです。あのこれ」

 女は遼真の姿をじろじろ見た後、地べたにしゃがみ込んでいる馨の腕をぐいっと引っ張った。遼真はすかさず二人の間に割って入り、馨をしっかり抱き止める。

「それじゃ、ちゃんと引き渡しましたんで。あたしも帰ります」

 遼真が口を挟む隙もなく、女はひらりと踵を返して駅へと戻っていった。閑散とした広場に冷たい風が吹き抜ける。

「……誰だったんだ」

 遼真はぽつりと呟いた。腕の中で馨が身動ぐ。すっかり寝入ってしまったらしい。その重たい体を負ぶって、遼真は家路を急いだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

僕が愛しているのは義弟

朝陽七彩
BL
誰にも内緒の秘密の愛 *** 成瀬隼翔(なるせ はやと) *** *** 成瀬 葵(なるせ あおい) ***

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

処理中です...