幼馴染を追いかけて

小貝川リン子

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第四章 同棲

2 日常①

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 月曜日。ぐっすり気持ちよく眠っていた馨は朝早くに叩き起こされた。驚いて飛び起きると、エプロンを着けた遼真が枕元に立っている。いやにすっきりとした笑顔で、リビングからは味噌汁の香りが漂ってくる。

「おはよう、馨ちゃん」
「ん……」

 馨はまだ寝惚けている。まるで知らない部屋にいるみたいだと思った。知らない天井に知らないベッド。知らない洒落たキャビネット。

「馨ちゃん? 朝ご飯できちゅうき、一緒に食べよう?」
「ぁ……りょーまか……」

 だんだん思い出してきた。そうだ、自分はもうあのボロアパートの住人ではないのだ。遼真の綺麗なマンションに引っ越して、一緒に暮らしているのだった。もう五日も経っているのにまだ慣れない。

 遼真は連休中毎日朝食を作ったし、外食しない日は昼食と夕食も作った。今日からまた仕事が始まるが、やはり遼真は早起きして朝食を作った。もちろん馨の分もある。メインはいつも卵、ソーセージなどの加工肉、付け合わせの野菜も作る。即席スープの日もあったが、今日は味噌汁の気分らしい。

「おいしい?」

 うつらうつらしつつも馨が頷くと、遼真は心底嬉しそうに笑う。馨が食べている様を見ながら、自らもせっせと箸を動かす。

 しかしあまりゆっくりもしていられない。遼真は七時半には家を出る。スーツに着替え、ネクタイを締め、革靴を履いて鞄を持つ。馨は玄関先まで見送りに出る。いってらっしゃいのキスはしないが、遼真がエレベーターに乗り込むまでじっと見送る。

 部屋に戻ってみて、馨は嘆息を漏らした。遼真のいなくなった部屋はやけに静かでだだっ広い。今までほとんど二十四時間一緒に過ごしてきたから余計にそう感じる。上階や隣の部屋の生活音が聞こえてくる。慌ただしい足音、掃除機をかける音、アナウンサーの喋り声。馨は一人、食器を片付けて寝室へ戻った。

 目が覚めると昼過ぎだった。昼食用に菓子パンが置いてあったが、腹が空かないので食べなかった。馨はとりあえず身支度をして、髪もしっかり梳かして結って、あてもなく散歩に出かけた。

 マンションを出てすぐ、欲しくなって煙草を咥えた。ライターの調子が悪くて苦労した。歩き煙草でその辺をぶらぶらする。知らない街に来たみたいだと思ったし、実際その通りだ。色付きのブロックで舗装された歩道にはひび割れや凸凹が見当たらず、ガムを吐き捨てた跡もゴミのポイ捨てもない。シケモクも落ちていない。

 道端で焚火をしたり酒盛りをしたり眠ったりするホームレスもいない。その代わり、学生らしい若者が自転車で走り去ったり、幼稚園に上がる前の小さな女の子と若い母親が手を繋いで通りかかったりする。すれ違いざま、女の子が馨を指さした。母親はそれを窘めてぐいと手を引くが、母親自身も馨のことを咎めるような目で見た。

 煙草を持つ手は子供の目線と同じ高さだと、いつだったか広告で見た気がする。見える範囲に喫煙所がなかったので、馨は木の陰に隠れるようにして一本吸い終えた。吸殻は一旦路上に投げたが、少し悩んでから拾い上げた。道に迷いつつ、灰皿を設置しているコンビニをどうにか見つけ、そこで捨てた。

 歩き回って疲れた。やることもないし、金もない。前のアパートで家賃を滞納していたことが遼真にバレ、踏み倒すつもりだと言ったらこっ酷く叱られ、未納分に充てるからと有り金全部持っていかれてしまった。おかげで現在の所持金は小銭だけだ。これではパチンコで遊べない。馬券も買えない。そもそも電車賃が払えないからどこにも行けない。

 大分遠回りをしたが、馨は駅にやってきた。併設のショッピングモールをぶらぶらして時間を潰す。お洒落雑貨だの海外のお菓子だの色々なものが売っているが、特にほしいものもなく、何かを買う金もない。早々に飽きて改札前まで戻り、ベンチに座ってぼんやりと休憩した。

「――馨ちゃん、馨ちゃん」

 朝見送った時と同じ、スーツ姿の遼真が馨の肩を揺する。いつのまにか眠っていたらしく、しかももう夜になっていた。馨はまぶたを擦り、あくびをする。

「んぁ……りょーま、おかえり」
「馨ちゃん、どうしていつもこういうとこで寝てしまうんだい。危ないから、昼寝なら家でしてほしいな」
「別に、寝るつもりはのうて……」

 馨は立ち上がり、伸びをする。

「今何時じゃ」
「九時半。早く帰ってごはんにしよう」

 帰宅すると、遼真はさっとエプロンを着けて料理を始めた。昨日買い出しに行ったので食材はたくさんある。

「馨ちゃん、悪いんだけどお風呂やってくれる?」
「お風呂? やる?」
「スポンジでバスタブ擦って綺麗にして、お湯張ってくれるかい」

 馨が引っ越してきたその日から、風呂掃除は毎日遼真がやっていた。風呂以外の掃除も遼真がやっていた。ついでに言うと洗濯も遼真がやっているし、今朝も洗濯物を干していたし、金曜のゴミ出しだって遼真が行った。

「できれば排水口の汚れも取ってほしいな」
「おう」
「最後は蓋閉めてね」
「わかっちゅう!」

 風呂の用意ができるのとほぼ同時に食事の用意ができあがった。遼真が馨を呼んで、二人は食卓を囲んだ。

「じゃ、後片付けは僕がやっておくから、馨ちゃんはその間にお風呂入っちゃってよ」

 食事を終えると、遼真は馨を先に風呂へ行かせようとする。

「……わしが先?」
「うん。昨日も一昨日もそうだったろう。一番風呂は気持ちえいって、馨ちゃんも言うてたじゃない」

 馨は不満げに顔をしかめる。

「……おまんが先入り」
「いや、でも」
「えいき、先入り」
「けんどフライパンそのまんまやし」
「わしがやっちょくき、おまんはしゃんしゃん風呂入って寝ぇや」

 馨は脱衣所まで遼真の背中を押していく。遼真も観念したように服を脱ぐ。

「洗ってすぐ拭かないでいいから、フックに掛けて乾かしといてね」
「わかっちゅうわかっちゅう」

 遼真が風呂に入っている間、馨は食器の後片付けをした。遼真が出た後、入れ替わりで馨も適当に風呂を済ます。

「おまん、どういてまだ起きちゅうがよ」

 遼真は薄暗い寝室で本を読んでいた。部屋の灯りは消しているのにわざわざベッドサイドのランプをつけて本を読んでいる。

「馨ちゃん、お風呂早いね」

 遼真は呑気にそんなことを言う。

「そがなこと訊きやせん。おまん、早う寝ぇや。明日も早いがやき」
「けど、この本、来月までに読み終えたくてさ」
「今月はまだ始まったばっかりやか」
「でも毎日ちょっとずつ読みたいんだ」

 ちらりと覗き見ると、見開きの両ページともびっしりと細かい文字が羅列している。馨は苦い顔をした。遼真の読んでいるのが小説なのか学術書なのかわからないが、馨は根っからの活字アレルギーである。

「おまん、今までもこがぁな生活を?」
「うん。まぁ、帰りがもっと遅かったら、コンビニでお弁当買ってくるけどね」

 馨がベッドに入ると、遼真は本を閉じて灯りを落とす。

「おやすみ」
「ん」

 馨はもぞもぞと身動ぎをして考え込む。遼真は手慰みに馨の髪を触る。

「……りょーまぁ。明日からは、わしが夕飯作るき」
「馨ちゃん、料理とかしたことあるの」
「……けんど、やればできるち思うし……風呂も洗濯もゴミ出しも、これからはわしがやる」

 遼真は馨の髪を弄りながら少し考える。

「にゃあ、こしょばいき、それ……」
「でも、ゴミ出しは僕が行くよ。仕事行くついでの方が楽だし」
「ほうか」
「うん」
「ほいじゃあ、おやすみ。しゃんしゃん寝ぇよ」
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