幼馴染を追いかけて

小貝川リン子

文字の大きさ
上 下
8 / 41
第二章 邂逅

1 街角①

しおりを挟む
 二年ぶりに、遼真は日本の土を踏んだ。海外での研修と勤務を終えて、戻ってきたのである。今後数年は国内の本省に勤めることになる。一切予定のない暇な休日はしばらくぶりで、遼真は揚々と街を散策した。東京は広く、まだまだ知らない場所も多い。電車やバスの車窓からではなく実際に自分の足で歩いて観察してみれば、いくらでも新たな発見がある。

 一本曲がり角を間違えて知らない通りに入った。寂れた下町という風情で、建物も道路も何もかもが何となくくすんで見え、何とも言えず酸っぱい臭いが漂う。宗教団体の立て看板、謎の貼り紙、卑猥な落書き、異様に安い自動販売機が目に付く。アーケード商店街はことごとくシャッターが閉まっていて、段ボールを引きずる老人とすれ違う。

 どうもおかしい。ここは本当に東京か。異界にでも紛れ込んだような感じだ。しかしこれはこれで悪くない。もう少し歩いてみよう。と思っていた、その時である。遼真の背後を誰かが通った。ふと懐かしい気持ちに駆られて振り返る。その人は遼真には目もくれずにたらたらと肩を怒らせて歩く。

 腰まで伸びた赤い髪。一切の手入れがなされておらず、まるで野犬の毛並みのようにぼさぼさに乱れていて、歩く度にばさばさと左右に揺れる。遼真はその姿に一瞬見惚れた後、弾かれたように飛び出してその腕を掴んだ。

 掴むと同時に力いっぱい振り払われる。その人はかなりガラが悪く、いきなり何ですかと西国訛りのイントネーションで言った。遼真を見ても眉間に寄った皺は消えない。目付きは鋭く、まるでこの世の何もかもを恨んでいるかのようだった。しかし遼真はその顔を見て確信する。

「……馨ちゃん?」

 すると彼は大きく目を開いて遼真を見た。しかしすぐに鋭い顔付きに戻り、手に持っていたワンカップ酒を遼真の顔面にぶち撒ける。

「おまんなんぞ知らん! はよ去(い)ね!」

 遼真が怯んだ隙に、その人は小走りで立ち去った。

 前髪からぽたぽたと日本酒が垂れる。目に入って痛い。顔ももちろん、服まで濡れてべたべたする。遼真はどうしようもなく立ち尽くした。

「はっはぁ。兄ちゃん、いいカッコじゃないか」

 道端に座っていたホームレス風の男が笑った。

「そう見えますか」
「見える見える。いい男が台無しだ」
「おじいさん、さっきの人のこと知ってます?」
「さぁ。どうだかね」

 男がシケモクに爪楊枝を刺して吸っているのを見、遼真はコンビニで煙草を一箱買って渡した。

「いいの? なんか悪いね」
「さっきの人のこと、知ってるんですか」
「まぁ、時々見かけるね。ここ、昼間はよく通るよ。打ちに行くんだろ」
「打つ? っいうのはパチンコのことですか」
「そーよ。丸一日同じ台で粘ってさァ……」

 男はライターをカチカチ鳴らすが、なかなか炎が安定せず煙草に火がつかない。遼真は先ほど煙草と一緒に買ってきたライターを渡した。

「おお、兄ちゃん案外気が利くねぇ」
「どこに住んでるとかわかります?」
「まぁよく知らないが、一応どっか借りてんだろう。この辺りで段ボール敷いて寝てるのは見たことねぇよ」
「パチンコ屋さんは、この先真っ直ぐですか」
「真っ直ぐ行くとトルコ風呂があるから、それを通り抜けて右の方に行くと見えるよ。結構デカい建物だ」
「はぁ、トルコ風呂……」
「俺も金がありゃ毎日だって通うんだけどね、何しろこれなもんで……」

 遼真は男性にお礼を言って、教えてもらったパチンコ店へ急いだ。しかし彼には会えなかった。
 
 *
 
 翌週は忙しくて散歩どころではなく、遼真が次にこの土地を訪れたのは二週間後のことだった。馨と思しき者と――遼真は彼が馨だと確信しているが――出会った商店街で朝から張り込んでみたものの、一向にそれらしい人物は現れない。ホームレスなのかそうでないのかよくわからない高齢男性達が集まって酒盛りをしているだけである。

「よぉ兄ちゃん、あれからどうだい」

 前回情報を与えてくれた男が遼真に声をかける。この間は気づかなかったが、この男前歯が欠けている。

「いやぁ、全然ダメですよ。パチンコ屋に行ったんですけど、会えませんでした」
「何だい兄ちゃん、誰か探してんの」

 別の男が言う。遼真は答える。

「ええ。こう、髪が長くて、背がこのくらいで」

 このくらい、と遼真は自身の顎の下辺りを手で示す。

「いやいや、さすがにもう少しデカいよ。兄ちゃんの頭の半分くらいはあったよ」
「えー、じゃあ、このくらいの背で」

 遼真は今度は自身の目線辺りに合わせて示す。

「とにかく髪が長くて、日焼けしたみたいに茶っぽい髪で……」
「何だいそれ、女か?」
「いや、男なんですけど」
「訛りがキツかったな。どこの人? 大阪?」
「ええ、まぁ」
「そいつなら前に会ったことあるよ。チンチロで遊んだんだ。もちろん俺が勝ったけど」
「賭け事?」
「そう。大した額じゃないけどね。単なる暇潰しだよ。あの時は暇だったんだ。あいつ、一人で暇そうに道端でビール飲んでて、だから俺が誘ってやったのさ。ギャンブルは好きみたいなこと言ってたな」

 酒のコップが空になっているのを見、遼真は近くのコンビニまで一走りしてパック酒を買ってきた。

「いいの? 悪いねぇ」
「いえいえ。どうぞ、皆さんも」

 遼真が注いでやると、男達はうまそうに酒を飲んだ。

「な? この兄ちゃん、案外気が利くだろう」
「それで、その人とはどこに行けば会えますか? 心当たりとかありますか」
「月曜日は朝からパチ並んでんじゃないか?」
「やっぱり競馬場じゃないのか。三連単で全額スったとか言ってたぞ」
「教会はどうだ? 毎週炊き出ししてるだろ」
「それなら公園でも飯もらえるぞ」
「でも公園で寝泊まりしてるのは見たことねぇな」
「どこで寝てるんだろうな。川か?」

 信用に足るかどうかいまいち怪しい情報を得て、その日は終わった。遼真も彼らと共にいくらか酒を飲んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~

松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。 ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。 恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。 伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

処理中です...