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第一章 少年時代
2 平和な日々①~幼児期
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遼真が馨と出会ったのは三歳の時である。元々、遼真の家と馨の家とは懇意な仲であった。その日、生まれたばかりの馨を連れて、馨の母が遼真の家にやってきた。特に用事があったわけでもなく、回覧板を回すついでに茶飲み話でもしようというだけである。その背中に負ぶさる赤ん坊に、遼真は目を奪われた。
「にゃあ、おばちゃん、その子どういたが?」
「ありゃ、遼真は会うがは初めてやったかいね」
「遼真ちゃん、気になるかえ?」
遼真はうんうんと首を縦に振る。
「ちっくと待ちぃ。今下ろすきね」
馨の母はおんぶ紐を外し、赤ん坊を座布団の上へ転がした。
「馨いうのよ。仲良うしてね」
「かおるちゃん。かわいいにゃあ」
「遼真、いたずらしちゃあいかんきね」
「せんよぉ」
二人の母親は茶の間で煎餅を食べ、茶を飲み、ワイドショーを見ながら世間話に盛り上がる。ほったらかしにされた遼真だが、全く暇ではなかった。初めて見る小さな生き物を夢中になって観察した。
「かおるちゃん、かわいいにゃあ。えい匂いがしゆう」
喋りかけるとくりくりした目で遼真の方を見てくれる。愛しさで胸がいっぱいになる。こんなに小さいのにしっかりと生きているなんて、まるで奇跡みたいだった。
「へへ、ぷにぷにしちゅう」
腕も足もむちむちで、紐で括られた焼き豚みたいになっている。つんつん突つくと程よい弾力が返ってくる。頬などは信じられないくらいすべすべで、何度も頬ずりをした。
まだはいはいのできなかった馨は大人しく、ご機嫌で、遼真の声や動きに反応した。遼真の手を触ったり、指を掴んだり、しゃぶったりする。まだ歯が生えておらず、口の中までぷにぷにしていた。お兄さんを取り越してお母さんにでもなった気分だった。
いつのまにか二人して眠ってしまい、気づいた時には馨は母に連れられて家に帰った後だった。遼真は寂しくて泣いた。
*
遼真は幼稚園に通い始めたが、休日などはもっぱら馨と遊んでばかりいた。二人はまるで本当の兄弟のように仲が良く、もちろん時々喧嘩もしたが、大概遼真が年上らしく譲ってやって終わるのだった。そのうち馨もすくすくと大きくなり、じきに幼稚園へ通う年齢になる。
「かおるもりょーまにいやんといっしょなが!」
一緒に幼稚園に通えると言って張り切っていたのだが、馨が入園するということは遼真は卒園して小学校へ上がるということになる。入園してからそのことに気づいた馨は、園でも家でもわんわん泣いて周囲を大いに困らせた。
「にゃあ、馨ちゃん。わしがおらんでも、幼稚園はこじゃんと楽しいぜよ。新しいお友達もできるきにゃ」
「やじゃあ。かおるもりょーまにいやんとがっこーいきたい」
「馨ちゃんに学校はまだ早いけんど、三年我慢すれば一緒に通えるき」
「ほんに?」
「ほんまほんま。ほいたら一緒に学校行こうにゃあ」
指切りげんまんをして、馨はようやく落ち着いたのであった。
しかしすぐにまた新たな問題が発生する。馨が幼稚園で喧嘩をしたというのである。なんでも、石を投げたり噛み付いたり髪を引っ張ったりとなかなか激しい喧嘩をしたらしく、担任の先生にも親にも叱責されたそうだ。もちろん相手の子も一緒に叱られた。
「けんど、かおるは悪うないき」
畳の縁にミニカーを走らせ、馨は遼真に言った。
「やっちゃんが悪いがじゃ。かおるは悪ない」
「じゃけど馨ちゃん、喧嘩はいかんちや。そのやっちゃんち子に、なんか嫌なことされたがか?」
すると馨は口を噤んで俯いてしまう。恥ずかしそうにもじもじしているので、遼真は馨に促した。
「なんでも話しとうせ。わしは馨ちゃんの味方じゃき」
「笑わん?」
「笑わんよぉ」
じゃあ、と馨は前髪を上げて額を見せた。
「ここにゃ、ここ、赤いががあるろう」
馨の額には生まれつき赤い痣がある。右の眉毛と髪の生え際との間に、くっきりと赤い痣がある。しかしサイズはほんの小指の爪ほどであり、特段目立つということはない。その上両親が大雑把な人だったため、馨はほとんど痣の存在を意識せずに育ってきた。
「おでこがどういたが?」
「おかしい言われた」
「おかしい?」
「うん。やっちゃんのおでこにはないのに、かおるだけおかしいち」
その園児はおそらく悪意があったわけではないが、馨は初めてそのような不躾な指摘を受けたために腹が立ってしまって、最終的に取っ組み合いの喧嘩に発展した。しかしそんな派手な喧嘩をしたとは思えないくらい、遼真の前にいる馨はしゅんとして落ち込んでいるように見えた。眉をハの字に垂れさせて遼真の元へすり寄る。
「にゃあ、りょーまにいやん。かおるのこれ、おかしいが?」
「おかしゅうないよ」
「ほんまに? けんど、りょーまにいやんのおでこにはなんもないぜよ。かおるだけじゃ」
「同じやのうてもえいやいか。馨ちゃんのおでこ、わしは好きやき」
遼真は馨の額の痣にちゅっと優しく口づける。
「かわいいぜよ。蝶々さんみたいな形しゆう」
「ちょうちょぉ?」
馨はすっかり解けた笑顔になる。
「えへへ、ちょうちょさんなが?」
「ほうじゃ。かわいいのう、馨ちゃんは」
遼真が何度も口づけるので、馨はくすぐったくなって身を捩った。しかしちっとも嫌そうではない。
「どういてちゅーするが?」
「馨ちゃんのおでこ、わしは好いちゅうきにゃ」
「んふふ、こしょばい、もっとしとうせ」
ミニカーで遊んでいたことも忘れて戯れた。その後も馨は幼稚園の友達に額の痣を何度か揶揄われたが、その度に喧嘩をし、大人に叱られ、遼真に慰めてもらった。
「にゃあ、おばちゃん、その子どういたが?」
「ありゃ、遼真は会うがは初めてやったかいね」
「遼真ちゃん、気になるかえ?」
遼真はうんうんと首を縦に振る。
「ちっくと待ちぃ。今下ろすきね」
馨の母はおんぶ紐を外し、赤ん坊を座布団の上へ転がした。
「馨いうのよ。仲良うしてね」
「かおるちゃん。かわいいにゃあ」
「遼真、いたずらしちゃあいかんきね」
「せんよぉ」
二人の母親は茶の間で煎餅を食べ、茶を飲み、ワイドショーを見ながら世間話に盛り上がる。ほったらかしにされた遼真だが、全く暇ではなかった。初めて見る小さな生き物を夢中になって観察した。
「かおるちゃん、かわいいにゃあ。えい匂いがしゆう」
喋りかけるとくりくりした目で遼真の方を見てくれる。愛しさで胸がいっぱいになる。こんなに小さいのにしっかりと生きているなんて、まるで奇跡みたいだった。
「へへ、ぷにぷにしちゅう」
腕も足もむちむちで、紐で括られた焼き豚みたいになっている。つんつん突つくと程よい弾力が返ってくる。頬などは信じられないくらいすべすべで、何度も頬ずりをした。
まだはいはいのできなかった馨は大人しく、ご機嫌で、遼真の声や動きに反応した。遼真の手を触ったり、指を掴んだり、しゃぶったりする。まだ歯が生えておらず、口の中までぷにぷにしていた。お兄さんを取り越してお母さんにでもなった気分だった。
いつのまにか二人して眠ってしまい、気づいた時には馨は母に連れられて家に帰った後だった。遼真は寂しくて泣いた。
*
遼真は幼稚園に通い始めたが、休日などはもっぱら馨と遊んでばかりいた。二人はまるで本当の兄弟のように仲が良く、もちろん時々喧嘩もしたが、大概遼真が年上らしく譲ってやって終わるのだった。そのうち馨もすくすくと大きくなり、じきに幼稚園へ通う年齢になる。
「かおるもりょーまにいやんといっしょなが!」
一緒に幼稚園に通えると言って張り切っていたのだが、馨が入園するということは遼真は卒園して小学校へ上がるということになる。入園してからそのことに気づいた馨は、園でも家でもわんわん泣いて周囲を大いに困らせた。
「にゃあ、馨ちゃん。わしがおらんでも、幼稚園はこじゃんと楽しいぜよ。新しいお友達もできるきにゃ」
「やじゃあ。かおるもりょーまにいやんとがっこーいきたい」
「馨ちゃんに学校はまだ早いけんど、三年我慢すれば一緒に通えるき」
「ほんに?」
「ほんまほんま。ほいたら一緒に学校行こうにゃあ」
指切りげんまんをして、馨はようやく落ち着いたのであった。
しかしすぐにまた新たな問題が発生する。馨が幼稚園で喧嘩をしたというのである。なんでも、石を投げたり噛み付いたり髪を引っ張ったりとなかなか激しい喧嘩をしたらしく、担任の先生にも親にも叱責されたそうだ。もちろん相手の子も一緒に叱られた。
「けんど、かおるは悪うないき」
畳の縁にミニカーを走らせ、馨は遼真に言った。
「やっちゃんが悪いがじゃ。かおるは悪ない」
「じゃけど馨ちゃん、喧嘩はいかんちや。そのやっちゃんち子に、なんか嫌なことされたがか?」
すると馨は口を噤んで俯いてしまう。恥ずかしそうにもじもじしているので、遼真は馨に促した。
「なんでも話しとうせ。わしは馨ちゃんの味方じゃき」
「笑わん?」
「笑わんよぉ」
じゃあ、と馨は前髪を上げて額を見せた。
「ここにゃ、ここ、赤いががあるろう」
馨の額には生まれつき赤い痣がある。右の眉毛と髪の生え際との間に、くっきりと赤い痣がある。しかしサイズはほんの小指の爪ほどであり、特段目立つということはない。その上両親が大雑把な人だったため、馨はほとんど痣の存在を意識せずに育ってきた。
「おでこがどういたが?」
「おかしい言われた」
「おかしい?」
「うん。やっちゃんのおでこにはないのに、かおるだけおかしいち」
その園児はおそらく悪意があったわけではないが、馨は初めてそのような不躾な指摘を受けたために腹が立ってしまって、最終的に取っ組み合いの喧嘩に発展した。しかしそんな派手な喧嘩をしたとは思えないくらい、遼真の前にいる馨はしゅんとして落ち込んでいるように見えた。眉をハの字に垂れさせて遼真の元へすり寄る。
「にゃあ、りょーまにいやん。かおるのこれ、おかしいが?」
「おかしゅうないよ」
「ほんまに? けんど、りょーまにいやんのおでこにはなんもないぜよ。かおるだけじゃ」
「同じやのうてもえいやいか。馨ちゃんのおでこ、わしは好きやき」
遼真は馨の額の痣にちゅっと優しく口づける。
「かわいいぜよ。蝶々さんみたいな形しゆう」
「ちょうちょぉ?」
馨はすっかり解けた笑顔になる。
「えへへ、ちょうちょさんなが?」
「ほうじゃ。かわいいのう、馨ちゃんは」
遼真が何度も口づけるので、馨はくすぐったくなって身を捩った。しかしちっとも嫌そうではない。
「どういてちゅーするが?」
「馨ちゃんのおでこ、わしは好いちゅうきにゃ」
「んふふ、こしょばい、もっとしとうせ」
ミニカーで遊んでいたことも忘れて戯れた。その後も馨は幼稚園の友達に額の痣を何度か揶揄われたが、その度に喧嘩をし、大人に叱られ、遼真に慰めてもらった。
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