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第十章 極上の男
第十章③
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朝食の後、すぐに出かけた。ホテルでだらだらと過ごしてもよかったし、肇は当初そのつもりでいたのだが、密室に薫と二人きりでいることに耐えられなくなりそうで、自分から薫を誘った。
「でも意外。肇、ゆっくりしたいって言ってたから、てっきりホテルで過ごすんだと思ってたよ」
「せっかく来たんだから、観光くらいしねぇとな。真純も土産話を待ってんだろ」
「確かに。写真いっぱい撮って送ってあげよ」
真っ赤なオープンカーをレンタルし、薫の運転で街をドライブした。古くからの港町というだけあって、頬を撫でる潮風が心地いい。湾岸沿いのハイウェイは景色が素晴らしく、どこへ行っても青く透き通る海が見える。紺碧の空に流れる雲を見上げ、本場のハンバーガーにかぶり付く。
「ソースついてんぞ」
「どこ? 取って」
「甘ったれんな。自分で拭け」
肇は乱暴にナフキンを投げ付けるが、薫はどこか嬉しそうににこにこしている。
「にやにやすんな」
「うそぉ、顔に出てた? デートだなぁって思ったら、なんか嬉しくなっちゃってさ」
「……」
「家族旅行も楽しいけど、二人っきりで出かけるのもやっぱりいいよね。こういう機会って、僕ら今までなかったし」
「……何がデートだよ」
「デートでしょ。どう見ても」
「……別に、普通だろ」
肇はハンバーガーに集中した。
薫に指摘されるまでもなく、肇も薄々気付いてはいた。二人で今しているこれは、所謂デートなのではないかと。真純を含め三人で出かけたことは数知れないが、薫と二人で出かけたことはほとんどない。おそらく今回が初めてだ。
あえて意識しないようにしていたのに、改めて「デートだね」なんて言われてしまうと、どうしても意識せざるを得なくなる。今更、デートだ何だとはしゃぐ年齢でもないし、そういった段階はとうに過ぎているはずなのに、どうしてか胸が騒いで仕方がない。
ホテルから連れ出したのは失敗だったかもしれない、と肇は思った。甘酸っぱいデートなんかに全身をむず痒くさせるよりは、日がな一日ベッドで交わっていた方がマシだった。慣れない感覚が、肇の頭を悩ませる。
午後はこの辺りの名所を巡った。青い日差しに映える鮮やかな緋色の吊り橋を渡り、切り立った断崖にそびえる白亜の灯台を上り、どこまでも続くような白い砂浜を漫ろ歩いた。二人分の濃い影が落ち、二人分の足跡が残る。波が優しく寄せて、白く泡立って、再び海へと返っていく。
「暑いねぇ。喉渇いたでしょ」
薫がミネラルウォーターを投げて寄越した。肇は喉を鳴らしてそれを飲む。これって間接キスだよな、と肇が思うと同時に、「これって間接キスだよね」と薫が冗談めかして言った。内心の動揺を薫に悟られたくなくて、肇はゆっくりと水を飲み干した。
「今更そんなもんで騒ぐなよ。中坊か」
「間接じゃない方がいいってこと? えっち」
「そうは言ってねぇ――」
薫の美麗な顔が迫る。肇は反射的に手でガードした。ちゅ、と掌に薫の唇を感じる。
「ダメぇ?」
薫は可愛らしく小首を傾げる。思わず頷きそうになるのを抑えて、肇はペットボトルの口でキスを返した。
「間接キスで我慢しとけ」
「ケチ」
「アホか。人が見てるだろ」
肇がキャップを投げると、薫はうまくキャッチした。
薫は喉を鳴らして冷えた水を飲み干した。立派な喉仏が大きく上下する。男らしい首筋には真珠のような汗が浮かぶ。ふわふわの髪の毛は金色に輝いて美しい。
肇は思わず目を伏せた。橘薫という男は、あの灼熱の太陽のごとく、直視するには眩しすぎる。キスなんてもってのほかだ。心の準備ができていない。
夕刻、もう一度灯台に登った。海を臨む岬に建つ白亜の灯台は、夕日を浴びて上品な紅を纏っていた。
暗くて狭い、ぐるぐると目の回りそうな石造りの螺旋階段を一段ずつ上った。突然視界が開けたと思えば、目の前が一面茜色に染まった。
「わ、すっごい綺麗」
欄干から身を乗り出し、薫が息を呑む。紺碧の海は、今や太陽を呑み込まんとし、色鮮やかに燃えていた。
「肇」
言葉を発する間もなかった。不意に手を握られたと思えば、唇を奪われていた。一瞬優しく重なって、もう一度角度を変えて啄まれ、柔らかい舌が入ってきた。
肇は薫の手を握りしめた。熱い手だった。指先からも薫の熱が伝わってきた。薄く目を開ければ、至近距離に薫の澄んだ瞳が見えた。昔と変わらない純粋無垢な瞳に、肇の姿だけがはっきりと映っていた。
「っ……んん……♡」
ガクガクと腰から力が抜けた。うっかりすると膝から崩れ落ちてしまいそうだ。そんな痴態を晒してなるものかと強気に構えながらも、このまま熱に浮かされてしまえばさぞかし気持ちがいいだろうということも分かってしまう。
「あは。えっろい顔」
夕焼けに照らされて、薫はうっとりと笑みを零した。二人を繋ぐ銀糸がてらてらと夕日を反射する。
「……こんなとこで盛んな」
「だって肇がかわいいんだもん。かわいいとキスしたくなる。ていうか今日ずっとかわいいよ。どうしちゃったの」
「……かわい……わけねぇだろ。目ェわりぃのか」
「肇はかわいいよ。かわいいし綺麗。完璧だね」
「……っせぇ。もう……帰んぞ」
「え~、もうちょっと見てこうよ。せっかく二人きりなんだからさ」
二人きりだからダメなのだ。初めての二人きりだから、肇は薫にペースを乱されっぱなしなのだ。普段ならば肇が年上の余裕でもって薫を翻弄しているはずなのに、どうしてか今日は薫に翻弄されてばかりだ。今日だけじゃない。昨日空港に降り立った時からずっとそうだ。
到着ロビーで待ちくたびれていたらしい薫が、肇の姿を見つけるなり大喜びで飛び付いてきた時、肇の胸は甘く高鳴った。肇よりもデカい図体をしていながら、大型犬のように無邪気に抱きついてくる薫の姿に、図らずもときめいてしまった。それからずっと、肇は自分のペースを取り戻せないでいる。
「でも意外。肇、ゆっくりしたいって言ってたから、てっきりホテルで過ごすんだと思ってたよ」
「せっかく来たんだから、観光くらいしねぇとな。真純も土産話を待ってんだろ」
「確かに。写真いっぱい撮って送ってあげよ」
真っ赤なオープンカーをレンタルし、薫の運転で街をドライブした。古くからの港町というだけあって、頬を撫でる潮風が心地いい。湾岸沿いのハイウェイは景色が素晴らしく、どこへ行っても青く透き通る海が見える。紺碧の空に流れる雲を見上げ、本場のハンバーガーにかぶり付く。
「ソースついてんぞ」
「どこ? 取って」
「甘ったれんな。自分で拭け」
肇は乱暴にナフキンを投げ付けるが、薫はどこか嬉しそうににこにこしている。
「にやにやすんな」
「うそぉ、顔に出てた? デートだなぁって思ったら、なんか嬉しくなっちゃってさ」
「……」
「家族旅行も楽しいけど、二人っきりで出かけるのもやっぱりいいよね。こういう機会って、僕ら今までなかったし」
「……何がデートだよ」
「デートでしょ。どう見ても」
「……別に、普通だろ」
肇はハンバーガーに集中した。
薫に指摘されるまでもなく、肇も薄々気付いてはいた。二人で今しているこれは、所謂デートなのではないかと。真純を含め三人で出かけたことは数知れないが、薫と二人で出かけたことはほとんどない。おそらく今回が初めてだ。
あえて意識しないようにしていたのに、改めて「デートだね」なんて言われてしまうと、どうしても意識せざるを得なくなる。今更、デートだ何だとはしゃぐ年齢でもないし、そういった段階はとうに過ぎているはずなのに、どうしてか胸が騒いで仕方がない。
ホテルから連れ出したのは失敗だったかもしれない、と肇は思った。甘酸っぱいデートなんかに全身をむず痒くさせるよりは、日がな一日ベッドで交わっていた方がマシだった。慣れない感覚が、肇の頭を悩ませる。
午後はこの辺りの名所を巡った。青い日差しに映える鮮やかな緋色の吊り橋を渡り、切り立った断崖にそびえる白亜の灯台を上り、どこまでも続くような白い砂浜を漫ろ歩いた。二人分の濃い影が落ち、二人分の足跡が残る。波が優しく寄せて、白く泡立って、再び海へと返っていく。
「暑いねぇ。喉渇いたでしょ」
薫がミネラルウォーターを投げて寄越した。肇は喉を鳴らしてそれを飲む。これって間接キスだよな、と肇が思うと同時に、「これって間接キスだよね」と薫が冗談めかして言った。内心の動揺を薫に悟られたくなくて、肇はゆっくりと水を飲み干した。
「今更そんなもんで騒ぐなよ。中坊か」
「間接じゃない方がいいってこと? えっち」
「そうは言ってねぇ――」
薫の美麗な顔が迫る。肇は反射的に手でガードした。ちゅ、と掌に薫の唇を感じる。
「ダメぇ?」
薫は可愛らしく小首を傾げる。思わず頷きそうになるのを抑えて、肇はペットボトルの口でキスを返した。
「間接キスで我慢しとけ」
「ケチ」
「アホか。人が見てるだろ」
肇がキャップを投げると、薫はうまくキャッチした。
薫は喉を鳴らして冷えた水を飲み干した。立派な喉仏が大きく上下する。男らしい首筋には真珠のような汗が浮かぶ。ふわふわの髪の毛は金色に輝いて美しい。
肇は思わず目を伏せた。橘薫という男は、あの灼熱の太陽のごとく、直視するには眩しすぎる。キスなんてもってのほかだ。心の準備ができていない。
夕刻、もう一度灯台に登った。海を臨む岬に建つ白亜の灯台は、夕日を浴びて上品な紅を纏っていた。
暗くて狭い、ぐるぐると目の回りそうな石造りの螺旋階段を一段ずつ上った。突然視界が開けたと思えば、目の前が一面茜色に染まった。
「わ、すっごい綺麗」
欄干から身を乗り出し、薫が息を呑む。紺碧の海は、今や太陽を呑み込まんとし、色鮮やかに燃えていた。
「肇」
言葉を発する間もなかった。不意に手を握られたと思えば、唇を奪われていた。一瞬優しく重なって、もう一度角度を変えて啄まれ、柔らかい舌が入ってきた。
肇は薫の手を握りしめた。熱い手だった。指先からも薫の熱が伝わってきた。薄く目を開ければ、至近距離に薫の澄んだ瞳が見えた。昔と変わらない純粋無垢な瞳に、肇の姿だけがはっきりと映っていた。
「っ……んん……♡」
ガクガクと腰から力が抜けた。うっかりすると膝から崩れ落ちてしまいそうだ。そんな痴態を晒してなるものかと強気に構えながらも、このまま熱に浮かされてしまえばさぞかし気持ちがいいだろうということも分かってしまう。
「あは。えっろい顔」
夕焼けに照らされて、薫はうっとりと笑みを零した。二人を繋ぐ銀糸がてらてらと夕日を反射する。
「……こんなとこで盛んな」
「だって肇がかわいいんだもん。かわいいとキスしたくなる。ていうか今日ずっとかわいいよ。どうしちゃったの」
「……かわい……わけねぇだろ。目ェわりぃのか」
「肇はかわいいよ。かわいいし綺麗。完璧だね」
「……っせぇ。もう……帰んぞ」
「え~、もうちょっと見てこうよ。せっかく二人きりなんだからさ」
二人きりだからダメなのだ。初めての二人きりだから、肇は薫にペースを乱されっぱなしなのだ。普段ならば肇が年上の余裕でもって薫を翻弄しているはずなのに、どうしてか今日は薫に翻弄されてばかりだ。今日だけじゃない。昨日空港に降り立った時からずっとそうだ。
到着ロビーで待ちくたびれていたらしい薫が、肇の姿を見つけるなり大喜びで飛び付いてきた時、肇の胸は甘く高鳴った。肇よりもデカい図体をしていながら、大型犬のように無邪気に抱きついてくる薫の姿に、図らずもときめいてしまった。それからずっと、肇は自分のペースを取り戻せないでいる。
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