裏社会系BL

小貝川リン子

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第一話 始まりの夜

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 雨が降っていた。今夜もまた人が死ぬ。
 
 カランコロンとドアベルが澄んだ音色を奏でた。時刻は深夜一時過ぎ。雨の降る中、場末の酒場に足を運ぶのは、闇社会の住人だけだ。
 
「首尾は」
 
 バーのマスターである黒木が尋ねる。客の男は、深々と被ったフードを脱いだ。
 
「上々」
 
 黒い髪はしっとり濡れて、毛先から微かに雫が滴る。男は、誰もいないカウンター席にどっかと腰掛け、踏ん反り返った。
 
「今回の仕事、なかなかよかったぜ」
「お前、最初は渋ってなかったか」
「そりゃあな。いくらでけぇ取引だからって、わざわざ用心棒を雇うなんざアホらしいと思っただけだ。けどまぁ、交渉は無事決裂。派手にドンパチ始まったんで、暴れまくってすっきりしたわ」
「呆れた。どこが無事なんだか」
 
 黒木の用意したカクテルを、男は一気に飲み干した。
 
「だってそうだろ。俺が何のためにこの仕事続けてると思ってんだ。向こうが仕掛けてくるまでは手ェ出すなとか、そんなの生殺しじゃねぇか」
「まさか、お前から撃ったんじゃねぇよな?」
「まさか! 契約はちゃんと守るぜ。あっちが先にキレちまっただけだ」
 
 この男――アザミは、フリーランスの殺し屋である。アザミというのが名前なのか名字なのか、はたまた単なるコードネームなのか、黒木にも分からない。
 数年前、おそらくまだ十代だった頃、アザミは殺しの仕事を求めて、このバーに姿を現した。過去何があったのか、どこでどう鍛えられたのか、そのほとんどが不明だが、アザミの腕前は確かであり、すぐにその名を轟かすこととなった。今では、黒木の営む斡旋所一の売れっ子である。
 
「おい、おっさん。次、オレンジのやつくれよ」
 
 アザミが空のグラスを突き返す。黒木はそれを受け取らない。
 
「お前なぁ、なんで真っ直ぐ家に帰らねぇんだよ。もう閉めるとこだったんだぞ。雨で誰も来やしねぇ」
「家なんかねぇもん」
「女の家に帰れってんだよ。いっぱいいるだろ。甘やかしてくれる女が」
「ん~、今日はそういう気分じゃねぇんだよなぁ。分かるだろ?」
「……」
「なぁ~、泊めろよ」
 
 アザミは、人を食ったような笑みを湛えて黒木を見つめる。
 
「おっさん、どうせ一人だろ? さみしー夜を過ごすんだろ?」
「……っせぇなぁ。泊めてください、だろ」
「やっりぃ」
「締め作業手伝えよ」
「だりぃからやだ」
「お前な……」
 
 アザミは特定のねぐらを持たない。何人もキープしている女の元に、その日その時の気分で転がり込んでは、世話をしてもらっている。家事はもちろん女任せだし、時には小遣いももらっているらしいから、いい御身分だ。
 そんな男でも、人を大勢殺して暴れ回った晩には、また違った気分になるらしい。いつの間にこんなにも気安い関係になっていたのか分からないが、黒木もまた、アザミのキープの一人に組み込まれていた。人殺しをした後、アザミは黒木の家に泊まりたがる。
 
「相変わらずいいとこ住んでんな」
 
 すっきりと片付いた1LDKを見渡して、アザミが言う。それなりの高層マンションのそれなりの高層階だが、都心からは離れているため見た目ほどの家賃ではない。
 
「お前の彼女には負けるよ」
「誰だよ」
「エステサロンを経営してる女、いただろ。海が見えるタワマンに住んでて、小遣い何十万もくれたって」
「あ~? そんな女もいたかもな」
 
 全く思い出せていないし思い出そうともしていない口ぶりで、アザミは言う。勝手に冷蔵庫を開け、黒木の冷やしておいた炭酸水を呷る。
 
「ま、細けぇこたぁいいからさ。しようぜ」
 
 勝手知ったる黒木の家だ。アザミは、ベッドルームに繋がる扉を開いた。
 いつの間に、こんなにも気安い関係になったのだったか。妖艶に腰をくねらすアザミを見上げ、黒木はぼんやりと考える。
 最初は、フリーの殺し屋とその斡旋業者というだけの、あくまでビジネスライクな関係だったはずだ。というか、今でも一応そのつもりである。ただでさえ、アザミは複数の女の元を渡り歩いている若き燕であり、性の発散にはまるで苦労していないはず。なのだが。
 
「っ、おい。ヤッてる最中に、考え事してんじゃねぇ」
 
 アザミが意図的にナカを締めるので、黒木の思考は途切れた。お前のことを考えていたんだよ、なんて台詞を吐くような仲でもないように思い、黒木は黙ってアザミの腰を掴んだ。
 
「おっ、やっとやる気になったかよ? 枯れたかと思ったぜ、おっさん」
「いちいちおしゃべりが過ぎるんだよ、お前は」
「あ゛、っは、おく……♡」
「黙って喘いでろ」
「ん゛っ、ぁは♡ だまってちゃ、あえげねぇけど?」
「つまんねぇ揚げ足取んな」
「んん゛、ぁ゛、いくっ――!」
 
 アザミの引き締まった腰を押さえ付け、下から突き上げるように腰を振ってやれば、アザミはあっという間に白濁を散らした。雄々しく反り返ったペニスから、噴水のように精が弾ける。
 
「ぁ゛はっ♡ はっ♡ んぁ゛……」
 
 アザミは蕩けたようにへたり込み、一瞬で呼吸を整えると、再び上体を起こし踏ん反り返って黒木を見下ろした。
 
「もっかいしよ。クロさん」
「絶倫め」
「あんただって、まだ出してねぇだろ?」
 
 底なしの体力と若さゆえの性欲に付き合うのも楽じゃない。
 
 *
 
 きっかけは些細なことだった。
 その頃既に名が売れ始めていたアザミが、仕事帰りにバーへ顔を出した。帰れる家がなくなったと泣きつかれ、親心めいたものが芽生え始めていたせいもあってか、黒木は一晩だけアザミを泊めてやることにした。
 
「んっ、ん……あふ、……ン……っ」
 
 黒木がシャワーから戻ると、リビングにいたはずのアザミの姿がない。その代わりに、ベッドルームから妖しげな声が漏れ聞こえる。黒木は恐る恐る扉を開けた。嫌な予感は的中した。
 
「くっ、ン、出るっ……!」
 
 今夜初めて使う他人のベッドで、アザミは恥ずかしげもなくマスターベーションに耽っていた。最悪なことに、黒木がドアを開けた瞬間に射精した。目の前の現実を受け止め切れず、黒木は呆然と立ち尽くした。
 
「……お前……何やってんだ……」
 
 黒木は額に青筋を浮かべて言ったが、アザミにはまるで響かず、けろりとした表情で返された。
 
「見りゃ分かんだろ。オナニー」
「……他人ン家でオナニーすんな……」
「しょーがねぇだろ。すげぇムラムラすんだよ。……はぁ、全然おさまんねぇ」
 
 アザミは、既に復活しかけているそれを握りしめ、ごしごしと力強く扱いた。左手は胸を弄って、シャツ越しにもはっきりと分かるほどに粒立った乳首を捏ね回した。
 
「んぁ、は、きもちぃ、っ」
「お前、マジか……」
 
 見れば、ゴミ箱はティッシュの山だ。それなのに、まだ鎮まらないらしい。透明の先走り汁を塗り付けて、ちゅこちゅこといやらしい音を立てながら亀頭を擦る。快楽を求めるあまり、腰が浮いている。
 
「どんだけ抜いたんだよ……」
「一回出せば、って……けど、オナニーだけじゃ、ぜんぜん……っ、んん、またでそっ……!」
 
 アザミは悩ましげな声を漏らし、若くしなやかな肢体をビクビクと跳ねさせた。
 性行為がしたいなら、適当に女を引っ掛ければ済む話だ。アザミの顔面ならば、尻軽が向こうから寄ってくるだろう。それなのに、わざわざ男の家に転がり込んで一人遊びをおっぱじめ、やたらと艶めかしい声で喘いでみせるなんて。一体どういうつもりなのか。
 
「ひぁッ!?」
 
 自然と手が伸びていた。アザミのそこに、黒木は自身の手を添える。アザミはぱちぱちと目を瞬いた。
 
「手伝ってやるよ。足りねぇんだろ?」
「へぇ……? とんだ好き者だな、あんた」
「お前には負けるよ」
「んっ、ぁ……」
 
 どうしてこんなことをしたのか、黒木は自分でもよく分からなかった。ただ、もっと見てみたいと思った。アザミの善がり乱れる様を。聴いていたいと思った。高く掠れた甘い声を。若さ漲る瑞々しい躰に、触れてみたいと思ってしまった。
 
「っぁ、そこ、もっと……っ、きもちい……っ」
 
 まるで夢でも見ているようだった。二十歳そこそこの若い肉体が、鍛え抜かれた筋肉に覆われた美しい肢体が、黒木の手によって淫靡に乱れる。
 いつも飄々として捉えどころのない瞳が、快感に甘く蕩けている。いつも自信満々で生意気なことしか言わない唇が、健気に快感を訴える。普段のアザミの態度からは、まるで想像もつかない姿だ。
 
「はっ、ぅぅ、も、でるっ――」
 
 アザミが切れ切れに口走る。その瞬間、黒木はぱっと手を放した。絶頂の寸前にお預けを食らったアザミは、一瞬狼狽えたように視線を彷徨わせて、不満を訴えるように鼻を鳴らした。
 
「んだよ。もうおわり? ケチくせぇの」
「いや。どうせなら、うんとよくなりたいだろ」
 
 黒木は、サイドテーブルの引き出しを開けた。ボトル入りの潤滑ゼリーと避妊具を見て、アザミは茶化すように笑った。
 
「マジか。おっさん、こっちの趣味あんの?」
「普段は女にしか使わねぇよ」
「俺だって、女抱いたことしかねぇよ」
 
 黒木は、ローションを適量手に取って人肌に馴染ませた。ローションに塗れたぬるぬるの指先で、固く締まった穴を撫でる。アザミは小さく息を詰めた。
 
「んっ……男は、趣味じゃねぇんだけど」
「オレだって、こんなことは初めてだよ」
 
 趣味じゃないと言うわりに、アザミは大人しく脚を開いて、黒木の指を受け入れた。
 以前、アザミの仕事ぶりを見学したことがある。仲介人という立場上、取り扱う商品の状態は確かめておかねばならない。
 アザミの仕事の仕方は、決して綺麗とはいえない。乱暴で獰猛で、血飛沫が絶えない。けれども、そんな血生臭い世界にあっても、アザミの姿は気高く美しい。獲物を狩り尽くし嬲り殺すハンターでありながら、王者の風格をも漂わせている。ジャングルの虎か、森林の狼といったところだ。
 けれども、今のアザミはまるで借りてきた猫のように大人しい。倒錯的な事実が黒木を惑わせる。
 誰にも暴かれたことのない蕾が、少しずつ綻びつつある。たっぷりのローションを纏わせ、あえて音を立てながら内側を拓いていく。肉付きのいい太腿が、ピクピクと微かに震える。黒木が舌を這わせれば、アザミはビクンと腰を跳ねさせた。
 
「っく、ん……っ」
「どうだ、ここ」
 
 内側を丁寧に探っていくと、少し膨らんで固くなった場所がある。指の腹で優しく擦ってみると、アザミは喉を引き攣らせた。
 
「ぅ、んんっ……」
「いいか?」
 
 黒木が尋ねると、アザミは素直に頷いた。
 指を二本に増やして、その場所を徹底的に愛撫する。自然と刺激が強くなり、アザミは身を捩って悶えた。若さ弾ける肉体が、シーツの海で躍っている。腹の上で揺れる屹立が、透明な汁をとぷりと零す。
 
「あっ、ん……うぅっ……!」
 
 アザミは苦しそうな声を漏らし、枕を掴んで顔に押し当てた。感じ入った顔を見られたくないのだろう。今はそれでもいいと思い、黒木は一層激しくナカを嬲った。
 
「ひっ、く……あっ、あぁ……っ!」
 
 ビクビクと腰が浮く。快感を追って、自ら腰を揺らめかす。濡れた肉襞が黒木の指に吸い付いて、奥へと誘うように収縮する。
 
「っひ、ぐっ……、んぅぅ゛っっ――!」
 
 アザミは、抱きしめていた枕を引き千切らん勢いで、バリバリと爪を立てて引っ掻いた。まるで猫のような、いや、やはり獰猛な虎である。
 やがて、緊張していた躰が弛緩する。抱えていた枕を手放す。アザミはゆっくりと息を吐き、静かにベッドへ沈んだ。アザミが落ち着くのを待っていた黒木は、ようやく指を引き抜いた。
 
「んっ……」
 
 些細な刺激も、アザミは敏感に拾い上げる。潤滑ゼリーやら淫液やらの混じった粘液が、黒木の指とアザミのそこを繋いだ。
 アザミの頬が上気している。額に汗が滲んで、髪が張り付いている。微かに開いた唇に赤く色付いた舌が覗き、あえかな吐息を漏らす。一つ一つの仕草が、狂おしいほど艶めかしい。
 
「っ、おい。こら」
 
 アザミがおもむろに足を上げた。つま先を器用に使い、揶揄うように黒木の股間を撫でる。そこはだいぶ前から張り詰めていた。ゆとりのあるズボンをきつく押し上げて、痛いくらいだ。
 
「男相手にバキバキにしやがって。ヘンタイ」
「……煽るなよ」
「いいぜ。うんとよくしてくれるんだろ」
 
 アザミは、淫靡な仕草で舌舐めずりをした。赤い唇が濡れて艶めく。黒木は小さく舌打ちをし、着ていたものを脱ぎ捨てた。枕元に放り投げられていた避妊具を手に取り、包装を破る。
 
「後悔すんなよ」
「しねぇよ」
 
 手早くゴムを被せると、黒木はアザミの太腿を掴んで開かせた。しっとりと汗ばんだ瑞々しい肌が吸い付く。秘められた奥へと腰を進めれば、アザミは息を詰めて喉を反らした。
 
「っく、んん……」
 
 晒け出された急所に、黒木は甘く噛み付いた。喉仏がゆっくりと上下する。アザミの息遣いが伝わってくる。
 
「はっ、ぁ……っ」
 
 膨らんだ先端が沈み込む。指で十分慣らしたつもりだったが、アザミのそこはいまだ咲きかけの蕾だ。黒木は緩く腰を揺らしながら、じっくりと奥を拓いていく。
 アザミはきつく目を瞑り、眉を寄せる。浅い呼吸は忙しなく、どこか苦しそうである。人を殺める時でさえ、息一つ乱さず汗一つ流さないこの男の、こんなにも無防備な姿を目の当たりにすることになるなんて、黒木は思ってもみなかった。
 
「ふっ……ふふ、あんた……ずいぶん優しく抱くんだな」
「一応処女相手だからな」
「けど、俺は男だぜ? ちょっとくらい乱暴にしても、壊れねぇと思うけど」
 
 アザミは、黒木の腰に脚を絡ませた。そのまま引き寄せられて、深いところまで入り込む。アザミは悩ましげに身を捩り、微かに目を開いて黒木を見上げた。その、僅かに覗いた瞳があまりに無防備で、危うい色気を孕んでいて、黒木は思わず身震いした。
 男を抱くのは趣味ではなかったはずだ。それなのに、いつの間にかその魅力に取り憑かれている。虜になっている。残虐で、冷酷で、それでいて無垢な部分を残したこの男を、自分のものにしたい。抗いがたい衝動だった。
 
「っ! んんっ! あっ、あ……っ」
 
 黒木が激しく突き入れれば、アザミは掠れた声を漏らす。腕で顔を隠そうとするから、黒木はそれを捕まえてシーツに縫い止めた。
 
「お前が誘ったんだろ」
「っ、スケベじじい」
 
 悪態を吐く声までもが、甘く匂い立つようだ。黒木はますます堪らない気持ちになって、欲望のままに腰を振るった。
 ついさっき指で嬲った性感帯を、反り立つ性器で捏ね上げる。アザミははらはらと髪を振り乱して悶えた。白いシーツに深い黒が映える。
 
「あ゛、んぅ゛……は、っあぁ゛」
 
 黒木はアザミのシャツをたくし上げた。快楽に尖った乳首を口に含み、飴玉を舐るように舌先で転がした。惚れ惚れするような肉体に、じっとりと汗が滲んでいる。舌を這わせれば塩辛く、掌を滑らせればしっとりと吸い付いてくる。
 
「なぁっ、あっ……も、イけよ……」
 
 愉悦に瞳を潤ませて、アザミは縋るように黒木の腕を掴んだ。指先に力が入り、爪が食い込む。限界が近いらしい。
 
「お前をイかせてからな」
「ぅ、んン、あぁ……っ!」
 
 快感に仰け反る腰に手を回して抱き寄せた。挿入が深くなり、アザミは悲鳴じみた声を上げた。
 
「ひ、っく……んぅ、んっ」
「ここか?」
「やめっ、ぁ、そこばっか、……っ!」
 
 覚えたばかりの性感帯をしつこく突く。アザミは、溺れてしまいそうなのを堪えるように、力いっぱい黒木に抱きついた。背中に腕が回り、爪を立てられる。その痛みさえ、今は尊いものに感じられた。
 
「なぁっ、はっ、なんか、へんだっ」
「平気だから、我慢しないでイけよ」
「いっ、やだっ、へんだ、こんなっ」
「いいから、イけって」
「や゛っ、ぁ゛、いやだっ、なんか、きちゃう……――ッッ!?」
 
 肉壺が限界を迎えたように痙攣する。ビクンビクンとのたうち暴れ狂う躰を、黒木はきつく抱きすくめて押さえ込んだ。
 
「っ、く……!」
 
 粘着くような締め付けに、黒木も限界を迎えた。薄い膜の中に精を放つ。
 
「ひぐ、ぅ゛、あ゛ぁ……っ」
 
 初めて味わう快楽に、アザミはただただ翻弄されているようだった。ついさっき枕にそうしたように、黒木の背に爪を立てて、遠慮なしにバリバリと引っ掻いた。
 
「痛ぁ゛っ!?」
 
 さすがに洒落にならない痛みだ。絶対に流血している。背中はかなりグロテスクな状態になっているだろう。けれど、初めての快感に抗う術も知らず、ただただ身悶えることしかできないアザミを見ていると、この傷が勲章のように思えてくるから不思議だ。
 
「は、ぅ……くろさん……」
 
 アザミは舌足らずに囁いた。名前を覚えられていたことを意外に思いつつ、黒木はそっと唇を寄せた。
 熱を孕んだ吐息が交わる。アザミが薄く口を開き、甘えるように舌を覗かせた。それは咲きかけの蕾であり、熟す前の果実だった。黒木は静かに舌を伸ばして、差し出されたそれを絡め取った。
 
「んん……ふ、んぁ……んぅ、っ……」
 
 口づけの角度を変える度、息継ぎの合間に、アザミは媚びるような吐息を漏らす。甘く匂い立つその声音が黒木を誘う。まるで花の蜜のような唾液を、黒木は夢中になって吸い取った。
 
「ふぁ、んん……くろ、さ……」
 
 黒木はアザミのシャツを脱がした。邪魔なものは全て取っ払ってしまいたかった。汗ばみ火照った肌が密着する。
 
「なぁ……っ、もっかい……」
 
 ねだられるまでもなく、アザミの肚に収まったままの黒木のそこは、再び兆し始めていた。黒木は、汗で張り付いた黒髪を払って、アザミの額に唇を落とした。
 
 
 
「男とすんのも、結構いいかもな」
 
 ねだられるままに時間を忘れて交わった翌朝。もう昼近くになっていたが、アザミはけろりとした顔でそう言った。
 
「バカ言え。これっきりだ」
 
 黒木は紫煙を燻らし一蹴する。毎度毎度精魂尽き果てるまで搾り取られては堪ったものではない。
 
「たまにでいいんだ。頼むよ、クロさん」
「しつけぇな。女とやりゃあいいだろ」
「その女が問題なんだって。前に怪我させちまってさぁ」
 
 派手な仕事を終えた後だったらしい。余韻のせいか興奮状態が収まらず、欲望のままに女を抱いたら、力加減を間違えて骨をへし折ってしまったそうだ。アザミの話を聞いて、黒木はぞっとした。
 
「んで、そいつには縁切られたし、他にもそういうことあったからさ。財布が減ると困っから、そういう時は女抱かねぇようにしてんだけど」
「クズすぎるだろ……」
「でも、あんたなら怪我させる心配ねぇだろ? 男だし、丈夫だしさ。やっぱ、オナニーとセックスじゃ全然違ぇもんな。セックスのが気持ちいし、すっきりするし」
「お前、オレをディルド扱いする気かよ」
「あんたも俺をオナホ扱いすりゃあいい」
「……」
 
 黒木は眉間に皺を刻んだままの表情を崩さなかったが、アザミは口の端を緩めて意地悪く微笑んだ。
 
「あんたは絶対そうするよ」
 
 *
 
 お前にオレの何が分かるんだ、とあの時は思った。しかし、現にアザミの言った通りになっている。
 互いに互いの性処理相手として付き合っている。有体に言えばセフレということになるのかもしれないが、基本的にはアザミの気分次第で決まる関係だ。アザミがしたい時にして、したくない時には数か月間ご無沙汰なんてこともザラにある。
 そして、別れ方もアザミの気分次第だ。アザミは基本的には寝穢く、昼頃まで居座って飯をせがんでくることも多いが、用事がある日は何も告げずに朝のうちにマンションを去る。今日は後者だったらしい。乱れたベッドにアザミの影は跡形もない。
 あれは決して誰の手にも入らない。決して誰にも懐かない。自由気ままに街を彷徨う、孤高の山猫なのだ。
 黒木はベッドに腰掛け煙草を銜えた。カチカチとライターに火花が散る。寝起きの一服は最高に旨い。それに、事後の一服も至高だ。この頃、隣にいるのはいつだってあの男だ。
 脳裏にアザミの顔が過った。黒木は吸いかけの煙草を灰皿で揉み消して、再びベッドに横になった。せっかくアザミがいないのだから、昼前まで二度寝に勤しむこととする。
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