41 / 41
14 悠月編③
しおりを挟む
悠月が、今日は一日どこぞへ出かけて友達と遊んでくると言うので、俺は丸一日暇をした。あまりに暇すぎて、柄にもなく仕事が捗ってしまった。だから悠月が帰ってくるまで、とっくに日が暮れているということに気が付かなかった。
ただいま、とか細い声がして、そのまま真っ先に浴室へ入る。その行動がなんだかいつもと違うような気がして引っ掛かり、俺は後を追った。悠月にしては珍しく、脱衣所に服が脱ぎ散らかしてある。
「悪い、風呂まだやってなくて」
「いいんだ。シャワー浴びるだけだから」
浴室の扉越しに話をする。声音からして悠月は大分疲れているようだった。
「ずいぶん遅かったな。飯は?」
「……まだ……食ってない」
「じゃあ簡単なの作るな」
脱ぎ捨ててあった服をネットに入れて洗濯機に放り込もうとした時、ガチャン、と何かが壊れるような音が浴室から響いた。何事かと思いドアを開ける。悠月がぐったりとして浴室の床に倒れ込んでいた。シャワーは出しっぱなしで、流れる水がうるさかった。
どうしたんだと尋ねても返事がなく、きつく目を瞑って微かに呻くばかりである。ただならぬ気配を感じ、ともかく濡れたままではまずいから抱き上げてタオルで拭いた。抱っこで運んで布団に寝かせると、悠月は不意に目を覚ます。しばらく視線を彷徨わせ、ようやく俺のことを捉えた。
「……せんせぇ?」
「そうだよ。名前言えるか?」
「七海、啓一……」
「じゃなくてお前の名前……ああ、まぁいいや。お前、風呂場で急に倒れたんだぞ。心配したんだからな。どっか痛いとこない? 頭ぶったとか、怪我したとか」
悠月は困ったように額を押さえる。
「……たぶんだけど、腹が減ったせいだ」
「腹ぁ?」
「おれ、今日何も食ってなかったんだ。なのに結構……疲れた」
空腹で失神したということだろうか。悠月は脱力して溜め息を吐く。
「なんか食べやすいもの作ってよ、せんせぇ」
「おかゆとか?」
「ん……うどんがいい。うどん作って」
「何うどんがいい?」
「あったかいのなら何でも。せんせぇのごはんが食べたい」
「じゃあ待ってろ。すぐ作るから」
俺は急いでエプロンを締め、台所に立った。有り合わせの材料で餡かけ玉子うどんを作って持っていくと、パジャマを着た悠月が炬燵に入って寛いでいる。寝ていなくていいのかと問うと大丈夫だと言う。俺はうどんを啜る悠月の後ろに座り、濡れた髪をドライヤーで乾かした。
「濡れたままだと風邪引くから」
「……先生の服も濡れちゃったな。おれのこと運んでくれたんだろ」
「いいよ、どうせ部屋着だし。うどんうまいか?」
「うん。先生は器用だな。それにすごく優しい」
「そんな褒めたって何も――」
とん、と悠月が背中を預けてくる。尻をもぞもぞさせてちょうどいいポジションを確保する。そのままぐんと伸びをして寄り掛かってくる。
「ちょ、何、重いんだけど」
「んー……おれもう、このまま寝る。食ったら眠くなった」
丼ぶりは汁まで飲み干して空になっている。悠月は俺の肩の辺りに頬をすり寄せて匂いを嗅ぐ。
「せんせぇのにおい、好き」
「おっ前、相当に疲れてんな。何してきたの」
「運動……山登り……」
「山!?」
「でも、頂上は行けなかったんだ。みんな、疲れちまって……」
「どこ登ったんだよ、高尾山とか?」
話しかけるも返事がない。悠月は俺の胸にすっかり体を預け、穏やかな寝息を立てていた。健やかな寝顔にほっとする。帰宅時に感じた不穏な気配は既に消えていた。薄く開いた唇に軽く口づけると、うどんつゆと玉子の味がした。
布団に寝かせてやり、俺も適当に飯を食おうと思って立ち上がろうとすると、悠月の手がまるで離れないでと言わんばかりに裾をぎゅっと掴んで放さないので、俺ももう離れ難くなって、そのまましばらく添い寝した。
*
底が白む夜更け。下腹に幸せな重みを感じて目を覚ます。冷気に肺が痛むが、それを覆すほどの熱気が降ってくる。布団をとっぷり被り、悠月が俺の上で息を荒げていた。色付く頬にそっと触れると、とろりと目を開けてこちらを見る。
「せんせぇ……」
「疲れてたんじゃねぇの」
「ふ……だって……さむくって」
「寂しいの間違いだろ」
服はほとんど脱がず、身動ぎする程度にわずかに腰を動かす。快感よりは一つに溶け合う幸福感が勝る。
「せんせ……おれな、せんせぇさえいれば、あとはなんにもいらないよ」
「俺もだよ」
「違うんだ、もっと……」
吐く息が白くなる。今日はきっと冷えるだろう。初雪が降るかもしれない。
「せんせぇ……おれの足りないところ、ぜんぶ埋めてくれよ」
「今そうしてるだろ」
「ちがう、もっと、深いとこだよ……おれ、せんせぇと一つになりたいんだ……もどりたい」
「戻るも何も……」
眦に光るものを見つけ、指の腹で拭う。
「俺だって、お前の腹ン中に帰りたいって思うこと、よくあるよ」
「ほんとう?」
「ああ。だからこうして、一番敏感なとこ擦り合わせて、なるべく深いところで繋がっていたいって、そう思うんだろ」
「うん、せんせぇ、すきだよ……もうはなれないで」
それを言うなら俺の方こそだ。もう二度と、遥か遠い土地で孤独に死なせたりはしない。死の瞬間までそばにいてやる。
「離すもんか。お前は俺の一部だ」
俺達はどこか歪で、欠けていて、不完全だ。だからこそぴったり嵌まるのだと知っている。俺はもう、こいつのいない人生など考えられない。かつての孤独に苛まれる夜を一体どんな風に乗り越えてきたのか、今やまるで思い出せない。頭の中に靄がかかっているみたいだ。
「それならせんせぇはおれのぜんぶだ。おれのぜんぶ、せんせぇからできてるんだよ。髪の毛一本から爪の先までぜんぶ、元はぜんぶせんせぇのものだったんだ。だからせんせぇだけは、おれを好きにしていいんだよ。せんせぇだけの、特権だ」
「お前の言うことは時々わかりにくいな」
「そのうちわかるよ。せんせぇ、あいしてるなんて言葉じゃ足りないくらい、あいしてるよ」
こうして密着して繋がっていれば薄い皮膚なんて無視できるくらい一つになれているような気がして、だからこの行為に耽溺してしまう。寒いのに熱い、冬の夜は粛々と更けていく。
ただいま、とか細い声がして、そのまま真っ先に浴室へ入る。その行動がなんだかいつもと違うような気がして引っ掛かり、俺は後を追った。悠月にしては珍しく、脱衣所に服が脱ぎ散らかしてある。
「悪い、風呂まだやってなくて」
「いいんだ。シャワー浴びるだけだから」
浴室の扉越しに話をする。声音からして悠月は大分疲れているようだった。
「ずいぶん遅かったな。飯は?」
「……まだ……食ってない」
「じゃあ簡単なの作るな」
脱ぎ捨ててあった服をネットに入れて洗濯機に放り込もうとした時、ガチャン、と何かが壊れるような音が浴室から響いた。何事かと思いドアを開ける。悠月がぐったりとして浴室の床に倒れ込んでいた。シャワーは出しっぱなしで、流れる水がうるさかった。
どうしたんだと尋ねても返事がなく、きつく目を瞑って微かに呻くばかりである。ただならぬ気配を感じ、ともかく濡れたままではまずいから抱き上げてタオルで拭いた。抱っこで運んで布団に寝かせると、悠月は不意に目を覚ます。しばらく視線を彷徨わせ、ようやく俺のことを捉えた。
「……せんせぇ?」
「そうだよ。名前言えるか?」
「七海、啓一……」
「じゃなくてお前の名前……ああ、まぁいいや。お前、風呂場で急に倒れたんだぞ。心配したんだからな。どっか痛いとこない? 頭ぶったとか、怪我したとか」
悠月は困ったように額を押さえる。
「……たぶんだけど、腹が減ったせいだ」
「腹ぁ?」
「おれ、今日何も食ってなかったんだ。なのに結構……疲れた」
空腹で失神したということだろうか。悠月は脱力して溜め息を吐く。
「なんか食べやすいもの作ってよ、せんせぇ」
「おかゆとか?」
「ん……うどんがいい。うどん作って」
「何うどんがいい?」
「あったかいのなら何でも。せんせぇのごはんが食べたい」
「じゃあ待ってろ。すぐ作るから」
俺は急いでエプロンを締め、台所に立った。有り合わせの材料で餡かけ玉子うどんを作って持っていくと、パジャマを着た悠月が炬燵に入って寛いでいる。寝ていなくていいのかと問うと大丈夫だと言う。俺はうどんを啜る悠月の後ろに座り、濡れた髪をドライヤーで乾かした。
「濡れたままだと風邪引くから」
「……先生の服も濡れちゃったな。おれのこと運んでくれたんだろ」
「いいよ、どうせ部屋着だし。うどんうまいか?」
「うん。先生は器用だな。それにすごく優しい」
「そんな褒めたって何も――」
とん、と悠月が背中を預けてくる。尻をもぞもぞさせてちょうどいいポジションを確保する。そのままぐんと伸びをして寄り掛かってくる。
「ちょ、何、重いんだけど」
「んー……おれもう、このまま寝る。食ったら眠くなった」
丼ぶりは汁まで飲み干して空になっている。悠月は俺の肩の辺りに頬をすり寄せて匂いを嗅ぐ。
「せんせぇのにおい、好き」
「おっ前、相当に疲れてんな。何してきたの」
「運動……山登り……」
「山!?」
「でも、頂上は行けなかったんだ。みんな、疲れちまって……」
「どこ登ったんだよ、高尾山とか?」
話しかけるも返事がない。悠月は俺の胸にすっかり体を預け、穏やかな寝息を立てていた。健やかな寝顔にほっとする。帰宅時に感じた不穏な気配は既に消えていた。薄く開いた唇に軽く口づけると、うどんつゆと玉子の味がした。
布団に寝かせてやり、俺も適当に飯を食おうと思って立ち上がろうとすると、悠月の手がまるで離れないでと言わんばかりに裾をぎゅっと掴んで放さないので、俺ももう離れ難くなって、そのまましばらく添い寝した。
*
底が白む夜更け。下腹に幸せな重みを感じて目を覚ます。冷気に肺が痛むが、それを覆すほどの熱気が降ってくる。布団をとっぷり被り、悠月が俺の上で息を荒げていた。色付く頬にそっと触れると、とろりと目を開けてこちらを見る。
「せんせぇ……」
「疲れてたんじゃねぇの」
「ふ……だって……さむくって」
「寂しいの間違いだろ」
服はほとんど脱がず、身動ぎする程度にわずかに腰を動かす。快感よりは一つに溶け合う幸福感が勝る。
「せんせ……おれな、せんせぇさえいれば、あとはなんにもいらないよ」
「俺もだよ」
「違うんだ、もっと……」
吐く息が白くなる。今日はきっと冷えるだろう。初雪が降るかもしれない。
「せんせぇ……おれの足りないところ、ぜんぶ埋めてくれよ」
「今そうしてるだろ」
「ちがう、もっと、深いとこだよ……おれ、せんせぇと一つになりたいんだ……もどりたい」
「戻るも何も……」
眦に光るものを見つけ、指の腹で拭う。
「俺だって、お前の腹ン中に帰りたいって思うこと、よくあるよ」
「ほんとう?」
「ああ。だからこうして、一番敏感なとこ擦り合わせて、なるべく深いところで繋がっていたいって、そう思うんだろ」
「うん、せんせぇ、すきだよ……もうはなれないで」
それを言うなら俺の方こそだ。もう二度と、遥か遠い土地で孤独に死なせたりはしない。死の瞬間までそばにいてやる。
「離すもんか。お前は俺の一部だ」
俺達はどこか歪で、欠けていて、不完全だ。だからこそぴったり嵌まるのだと知っている。俺はもう、こいつのいない人生など考えられない。かつての孤独に苛まれる夜を一体どんな風に乗り越えてきたのか、今やまるで思い出せない。頭の中に靄がかかっているみたいだ。
「それならせんせぇはおれのぜんぶだ。おれのぜんぶ、せんせぇからできてるんだよ。髪の毛一本から爪の先までぜんぶ、元はぜんぶせんせぇのものだったんだ。だからせんせぇだけは、おれを好きにしていいんだよ。せんせぇだけの、特権だ」
「お前の言うことは時々わかりにくいな」
「そのうちわかるよ。せんせぇ、あいしてるなんて言葉じゃ足りないくらい、あいしてるよ」
こうして密着して繋がっていれば薄い皮膚なんて無視できるくらい一つになれているような気がして、だからこの行為に耽溺してしまう。寒いのに熱い、冬の夜は粛々と更けていく。
0
お気に入りに追加
25
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
聖域で狩られた教師 和彦の場合
零
BL
純朴な新任体育教師、和彦。
鍛えられた逞しく美しい肉体。
狩人はその身体を獲物に定める。
若く凛々しい教師の精神、肉体を襲う受難の数々。
精神的に、肉体的に、追い詰められていく体育教師。
まずは精神を、そして、筋肉に覆われた身体を、、、
若く爽やかな新米体育教師、杉山和彦が生徒に狩の獲物とされ、堕ちていくまで。
以前書いた作品のリライトになります。
男性向けに設定しましたが、個人的には、性別関係なしに読んでいただける方に読んでいただきたいです。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
ショタ18禁読み切り詰め合わせ
ichiko
BL
今まで書きためたショタ物の小説です。フェチ全開で欲望のままに書いているので閲覧注意です。スポーツユニフォーム姿の少年にあんな事やこんな事をみたいな内容が多いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる