螺旋階段

小貝川リン子

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3 帰省③

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 急いでバス停まで来てみたものの、次のバスは二時間後だ。バスが通っているだけマシだが、しかしどうしたものか。暇を潰せる店はないし、歩いて行ける距離でもない。昔は自転車をかっ飛ばしてどこまでだって行けそうな気がしていたのに。
 
 二時間もしたら日が暮れてしまうが、待つより他にない。人通りも車通りもほぼゼロで、タクシーなんて万が一にも拾えない。どうせなら屋根とベンチのあるバス停で待とうと思ってうろうろしていたら、突然大きな声が俺を呼び止めた。
 
「啓ちゃん? あんた、啓ちゃんよね」
 
 たった今通り過ぎた黒い軽自動車からだ。ざらざらとして耳障りな声。運転席の窓から咥え煙草の女が顔を覗かせる。
 
「やっぱり啓ちゃんだ。どうしたのよ、こんなとこで。東京行ったって聞いたけど?」
 
 誰だっけ。見覚えはあるような気がする。
 
「やだ、あたしよ。しばらく一緒に住んだじゃない」
「……美香さん?」
「いやね、改まって。昔みたいに美香でいいわよ」
 
 美香も施設出身で、俺とは何年か時期が被っている。三、四歳年上だったと思うが、明るい金髪と露出の多い服装のせいで、年齢よりも若く見える。
 
 駅へ行くバスを待っているのだと言ったら、二時間も待つなんてアホらしい、乗せてってあげるわと言われた。俺は少し迷ったが、美香の押しが強かったのと、確かに二時間も待つなんてアホらしいと思ったので、乗せてもらうことにした。
 
 リアガラスにはステッカーがべたべたと貼られ、バックミラーにはストラップがぶらぶら吊るされ、ダッシュボードにはぬいぐるみが所狭しと敷き詰められている。車内は肺がやられるほど煙たく、灰皿には吸殻が山になっている。後部座席には脱ぎっ放しの靴や服、空き缶やゴミがそのままになっている。BGMは安室奈美恵らしい。
 
「道、こっちで合ってる? 駅はあっちじゃねぇの」
「二駅先まで送ってあげる。電車よりこっちの方が早いっしょ」
 
 閑散とした国道をぐんぐん北上する。軽のくせにやたらとスピードが出る。メーターを見ると、八十キロを越えている。このまま真っ直ぐ行けば駅に着きそうだというところで、美香は急にハンドルを切った。
 
「ちょっ、どこに――」
「いいじゃんよ。せっかく久しぶりに会えたんだし、遊んでこ?」
 
 市街地の外れ、国道沿いのモーテルに入った。モーテルというか、まぁ普通に、寂れたラブホテルだ。
 
「俺は別にそういうつもりじゃ」
「ここまで来といて断る気? いいから入んなよ。悪いようにはしないからさぁ」
 
 流されるままにチェックインしてしまった。この人はいつも強引だった。入室してすぐに美香はシャワーを浴びる。部屋に一人残され、水の流れる音を聞きながら俺は考える。
 
 これから起きることにやましさを感じる必要はない。美香とは何度もしたことがあるし、行きずりの関係だってのもお互いわかっている。片道一時間以上かけて送ってくれたから、その礼をしようというだけだ。
 
 だけどこの胸のもやもやは何だ。こんなことは今まで何度でもあった。乞われればいくらだって寝る男だ、俺は。誰でもいいというわけではないが、美香は全然守備範囲内に収まっている。アラサーだろうがメイクがケバかろうが何も問題はない。
 
 だったらなぜ俺は葛藤しているんだ。この抵抗感は何だ。誰に対して罪悪感を抱いているんだろう。
 
「啓ちゃーん? お風呂空いたよー」
 
 清潔そうなバスローブを身に纏った女が言う。しかし何も感じない。興奮しない。そそられない。
 
「……勃たないかも」
「うっそォ、インポ? その歳でぇ?」
 
 服の上から下腹部に触れる。手早く脱がされて直接触られる。
 
「なぁんだ、全然元気じゃない。結構大きいわね、玉も膨らんでるし。しばらくヤッてない?」
「まぁ、うん」
「なによォ、シャキシャキしないわねぇ。経産婦は抱けないって?」
「はっ?」
 
 俺は耳を疑った。女は俺のものを弄くって遊んでいる。ゴテゴテに装飾されたネイルで引っ掻かれたらさぞかし痛かろう。
 
「あれ、知んなかったの? あたしとっくに結婚してるしぃ、子供もいるよ」
 
 申し訳ないが見た目からしてあまり苦労してない感じだったので考えもしなかったが、年齢的にありえない話じゃない。
 
「子供ねー、今小四と小一かな。泣くとうざいけど、かわいいよ?」
「じゃあこれ不倫――」
「いーじゃないのォ、ちょっとくらい。バレないようにわざわざ隣町まで来たんだから」
 
 気分は萎えまくっているが――そもそも一度も盛り上がってはいない――刺激されると勝手に反応する。
 
「不倫はまずいでしょ……てか子供ほったらかして何やってんだよ」
「何よ、お堅くなっちゃって。東京行くとみんなそういうつまらない人間になるわけ? 昔はあたしのオマンコでひんひん言ってたくせに」
「そんなこと」
「言ってたわ。あの頃の啓ちゃんはかわいかったなぁ」
 
 美香と初めてしたのは施設に入ってすぐ頃だ。美香は中学生だった。いくら女とはいえ三つも上だと体格にかなりの差があり、雰囲気も大人びて感じられた。
 
「啓ちゃん、あたしが迫ってもビビらなかったよね。肝の据わったガキだなー、とか思って。チビのくせにチンポだけはやたらと成長早くてさぁ。小学生で射精できたのにはびっくりしたけど」
 
 途中で身長は逆転したが、関係は長いこと続いた。たぶん、美香が高校を卒業して施設を出るまで。それ以降は会っていない。十年以上ぶりに再会したとて、懐古も郷愁もあったものではない。
 
「な、なぁ、やっぱりやめ――」
「何よ、いつまでもうるさいわね。旦那にバレるのがそんなに怖いわけ? あたしが黙ってりゃあバレねぇっつうの。それとも何、大卒だからって偉ぶってんの? 東京で先生やってるからって何よ。あたしとあんた、何が違うのよ」
 
 うまく事が運ばないからか、女はイライラし始める。癇癪持ちの子供がそのまま大きくなったような、まさしく図体がでかいだけの子供だ。女は勢いに任せて俺を押し倒す。下腹に跨って挿入しようとするが、すっかり萎えてしまったのでうまく入らない。自分からぐいぐい来る女は元来好きではない。
 
「クソッ、あたしの何がいけないのよ。啓ちゃんあんた変わったわ。昔はもっと素直だったのに! ずっとあたしの言いなりだったじゃない!」
「あんたが強引だっただけだ」
「違うわ! 啓ちゃんだって、あたしのこと好きって言った!」
「違う」
「違くない! あたしはずっと好きだったのに、どうして勝手に東京なんか行っちゃったのよ!」
 
 女の金切り声が頭に響く。とうとう――遂にというべきか――手が出た。拳で殴ったわけではない。軽く突き飛ばしただけだ。女は後方に尻餅をつく。信じられないって顔で俺を見上げる。
 
「お前のことは好きでも嫌いでもなかった」
「は……?」
「待たせてるやつがいるんだ。早く帰らねぇと」
 
 急いで服を着る。
 
「あんた……まさか東京に女ができたの? セフレか? ヤリモク?」
「そういうんじゃねぇ」
「じゃあなんだ、純情ぶって片思いでもしてんの?」
「そういうんじゃねぇって」
 
 女はまだ諦めない。俺は腕を強く振り払う。
 
「やめろって言ってんだろ」
「てっ……てめーなんかがいくら真人間ぶったって、意味ねーんだからな!」
 
 怒りからかショックからか、半裸の女は俺の背中に向かってギャンギャン怒鳴り散らす。
 
「いくら取り繕ったって、どうせ吉永先生みたいにはなれねーんだぞ! 今更何かを手に入れようったって、あたし達みんな、大事なものが欠けてんだからな! 今更変われねーんだよ!」
 
 人を愛したこともないくせに! という最後の一言は痛烈に刺さった。
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