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6 秋穂
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「忘れてるかと思った」
私が慌てて駆け寄ると、開口一番、小倉先輩はそう言った。
「忘れてはないですけど、先生と話してて」
「ああ、横やん?」
「はい」
美術部の顧問といえば、美術教師であることはすぐにわかったのだろう。
「じゃ、ちょっと撮ってくれる?」
「あ、はい」
遅くなったことは特に怒ってはいないようだと、ほっと安堵の息を漏らす。
私は昨日と同じような位置に立ってカメラを構えた。それを確認すると、また先輩が走り出す。
やっぱりキレイだ。しなやかに伸びる身体が宙を舞う。男の人に、キレイとか言うのは失礼かもしれないけれど。
けれども、バーは落ちる。マットの上で転がった先輩は、少しの間、そのまま呆けたように座り込んでいたけれど、立ち上がるとこちらに向かって駆けてきた。
「撮れた?」
言って、デジカメを手に取る。
「たぶん……」
私の返事はどちらでもいいようで、先輩は手馴れた様子でデジカメの画像を見る。
「わかんねーなあ」
難しい顔をして、少し首を傾げる。
「えっ、撮れていませんでした?」
「いや、撮れてる。じゃなくて、なんか今日、調子悪いんだよね。昨日は悪くなかったんだけどさ」
そして私のほうに画像を向けた。
「昨日と、何が違うと思う?」
「えっ……。私、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
言われて、慌てて画像を覗き込んだ。
違いと言われても……と思いつつ、昨日見た画像を思い出しながら、懸命に頭の中で重ねる。
昨日、構図を決めるために、何度も動画を見た。なにか違いがあるだろうか。
「あの……間違ってるかも」
「いいから、言ってみて」
「えーと……なんかこう、踏み切る感じが違う気が……」
「違う? どう?」
先輩が身を乗り出して画像を覗き込む。私は一瞬、身を引きそうになったけれども、そうすると傷つけてしまうかもと思い直して、背筋を伸ばした。
でも、近い。息がかかりそう。それだけで、心臓が跳ね上がったような気がした。
「あの……足の角度というか……。昨日はもう少しだけ寝てたような……気が……」
どぎまぎしながら、デジカメの画面を指差しながら答える。
確信も何もなく、ただなんとなくそうじゃないかと思った程度だったから、自信なんてなかった。
「あー、なるほどね。わかった」
けれども先輩は、そんな曖昧な私の言葉にうなずいて、さっさとバーのほうへ向かっていく。
私が慌ててデジカメを構えると、すぐに助走をつけて、跳んだ。
バーは落ちない。マットの上でくるりと回転した先輩は、またこちらに向かってくる。
「さっすが美術部。よく見てんなー。わかったわかった。なんかいい感じ。ありがと」
「いえっ」
私はふるふると頭を横に振った。
「じゃ、忘れないうちにもうちょっと跳んでみるわ。そっち、どうする?」
「あ、そろそろ……」
すぐに帰ると先生に言った。美術室に帰らないと、変に思われてしまうかも。
「ふうん、明日は?」
「……わからない……です」
「だよなー。まあ、できたら、でいいから」
そう言って、手をひらひらと振りながら、先輩は駆け出して行った。私はほっと息を吐くと、くるりと背を向ける。
すると、こちらを見る秋穂と目が合った。
笑いかけようとしたけれど、秋穂は口元をきゅっと結んでただこちらを見ているだけだったので、私も固まってしまう。
おずおずと近付いてみると、秋穂はぞんざいに言った。
「美術部は?」
「あ、今から行くの。先輩が今日も来て欲しいって言ってたから、ちょっと寄っただけ」
「そうなんだ」
「ごめんね、もしかして邪魔だった?」
「ううん、そんなことないよ」
そう言って笑った秋穂の表情はいつも通り柔らかかったので、私は安堵する。
けれどもしかしたら、先輩はともかくとして、気付かぬうちに陸上部の邪魔をしているのかもしれない。
明日は控えたほうがいいのだろう、とこっそりと思った。
◇
翌朝、教室に入ると、秋穂と凛子が窓際で何かを手にして話をしていた。
「おはよう」
「あ、おはよー」
私は秋穂が手にしているものに視線を落とす。
「……それ」
「家から持ってきたの」
と秋穂が私のほうにそれを差し出す。ビデオカメラだ。
「なんか、小倉先輩、フォームを撮って欲しいって言ってたんでしょ? なんかごめんねー。美術部のほうも忙しいだろうに」
「あ、ううん……」
「だからさ、持って来たの。デジカメの画像って小さいし。こっちのほうがいいじゃん?」
「うん……そうだね」
「だからもう、大丈夫だよ。穂乃花は絵のほうに専念してね」
「うん、ありがと」
秋穂は終始笑顔だったし、言われていることはもっともなことで、むしろ気を遣わせてしまったのかとも思ったけれど。
でも、言葉の奥に他の意味があるような気がして、急に秋穂が遠い存在になった感じがした。
私が慌てて駆け寄ると、開口一番、小倉先輩はそう言った。
「忘れてはないですけど、先生と話してて」
「ああ、横やん?」
「はい」
美術部の顧問といえば、美術教師であることはすぐにわかったのだろう。
「じゃ、ちょっと撮ってくれる?」
「あ、はい」
遅くなったことは特に怒ってはいないようだと、ほっと安堵の息を漏らす。
私は昨日と同じような位置に立ってカメラを構えた。それを確認すると、また先輩が走り出す。
やっぱりキレイだ。しなやかに伸びる身体が宙を舞う。男の人に、キレイとか言うのは失礼かもしれないけれど。
けれども、バーは落ちる。マットの上で転がった先輩は、少しの間、そのまま呆けたように座り込んでいたけれど、立ち上がるとこちらに向かって駆けてきた。
「撮れた?」
言って、デジカメを手に取る。
「たぶん……」
私の返事はどちらでもいいようで、先輩は手馴れた様子でデジカメの画像を見る。
「わかんねーなあ」
難しい顔をして、少し首を傾げる。
「えっ、撮れていませんでした?」
「いや、撮れてる。じゃなくて、なんか今日、調子悪いんだよね。昨日は悪くなかったんだけどさ」
そして私のほうに画像を向けた。
「昨日と、何が違うと思う?」
「えっ……。私、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
言われて、慌てて画像を覗き込んだ。
違いと言われても……と思いつつ、昨日見た画像を思い出しながら、懸命に頭の中で重ねる。
昨日、構図を決めるために、何度も動画を見た。なにか違いがあるだろうか。
「あの……間違ってるかも」
「いいから、言ってみて」
「えーと……なんかこう、踏み切る感じが違う気が……」
「違う? どう?」
先輩が身を乗り出して画像を覗き込む。私は一瞬、身を引きそうになったけれども、そうすると傷つけてしまうかもと思い直して、背筋を伸ばした。
でも、近い。息がかかりそう。それだけで、心臓が跳ね上がったような気がした。
「あの……足の角度というか……。昨日はもう少しだけ寝てたような……気が……」
どぎまぎしながら、デジカメの画面を指差しながら答える。
確信も何もなく、ただなんとなくそうじゃないかと思った程度だったから、自信なんてなかった。
「あー、なるほどね。わかった」
けれども先輩は、そんな曖昧な私の言葉にうなずいて、さっさとバーのほうへ向かっていく。
私が慌ててデジカメを構えると、すぐに助走をつけて、跳んだ。
バーは落ちない。マットの上でくるりと回転した先輩は、またこちらに向かってくる。
「さっすが美術部。よく見てんなー。わかったわかった。なんかいい感じ。ありがと」
「いえっ」
私はふるふると頭を横に振った。
「じゃ、忘れないうちにもうちょっと跳んでみるわ。そっち、どうする?」
「あ、そろそろ……」
すぐに帰ると先生に言った。美術室に帰らないと、変に思われてしまうかも。
「ふうん、明日は?」
「……わからない……です」
「だよなー。まあ、できたら、でいいから」
そう言って、手をひらひらと振りながら、先輩は駆け出して行った。私はほっと息を吐くと、くるりと背を向ける。
すると、こちらを見る秋穂と目が合った。
笑いかけようとしたけれど、秋穂は口元をきゅっと結んでただこちらを見ているだけだったので、私も固まってしまう。
おずおずと近付いてみると、秋穂はぞんざいに言った。
「美術部は?」
「あ、今から行くの。先輩が今日も来て欲しいって言ってたから、ちょっと寄っただけ」
「そうなんだ」
「ごめんね、もしかして邪魔だった?」
「ううん、そんなことないよ」
そう言って笑った秋穂の表情はいつも通り柔らかかったので、私は安堵する。
けれどもしかしたら、先輩はともかくとして、気付かぬうちに陸上部の邪魔をしているのかもしれない。
明日は控えたほうがいいのだろう、とこっそりと思った。
◇
翌朝、教室に入ると、秋穂と凛子が窓際で何かを手にして話をしていた。
「おはよう」
「あ、おはよー」
私は秋穂が手にしているものに視線を落とす。
「……それ」
「家から持ってきたの」
と秋穂が私のほうにそれを差し出す。ビデオカメラだ。
「なんか、小倉先輩、フォームを撮って欲しいって言ってたんでしょ? なんかごめんねー。美術部のほうも忙しいだろうに」
「あ、ううん……」
「だからさ、持って来たの。デジカメの画像って小さいし。こっちのほうがいいじゃん?」
「うん……そうだね」
「だからもう、大丈夫だよ。穂乃花は絵のほうに専念してね」
「うん、ありがと」
秋穂は終始笑顔だったし、言われていることはもっともなことで、むしろ気を遣わせてしまったのかとも思ったけれど。
でも、言葉の奥に他の意味があるような気がして、急に秋穂が遠い存在になった感じがした。
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