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5. 略奪

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 何てことだろう。迂闊だった。
 だが女の足だ。しかも、リュシイを連れている。
 彼女が抵抗してくれれば、すぐにでも追いつける。

 二人が入り込んだ路地に駆け込む。
 路地の向こうに、リュシイを抱えて歩くライラが見えた。

「待て!」

 声が届いたのだろう、ライラはこちらに振り向いた。
 リュシイは気絶はしていないようだが、足元がふらついている。殴られたかどうかしたのだろうか。こちらを縋るような目で見てきた。
 追いつける。
 そう思った瞬間。
 背中が一筋、熱くなった。

「な……」

 刃物で斬りつけられたのだ。
 自分の身体がぐらりと揺れる。
 路地に自分の血がぱたぱたっと落ちるのが見えた。
 一人ではなかったのか。さっきの弟か。

「くそ……」

 ばたばたと走り去る足音が聞こえる。やはりさっきの弟だ。ライラと同じ赤毛の少年の背中が見えた。
 どうやら致命傷を与える気はなかったらしい。
 だが追い掛けることができずに、その場に膝をつく。

 何という不始末。何という失態。
 この程度の痛み、こらえなければ。立ち上がらなければ。
 なのに、身体が言うことをきかない。

 そのとき、悲鳴が背後から聞こえてきた。
 振り向くと、街の女が震えながらこちらを見ている。

「……この街に、常駐している衛兵を呼べ」
「あ……」
「早く!」

 一喝すると、女は弾かれたように駆け出した。
 エンリルには、王城から派遣された衛兵が何人もいて警備しているはずだ。

 ライラたちはどこに行くのか。街の中か。外に逃げるなら、街を閉鎖することは可能か。
 それから、とにもかくにも、王城に報告を。
 そしてセオ村の兵士に、村の閉鎖を頼まなければ。

 視界が歪む。だが、意識を失うわけにはいかない。
 幸い、女はすぐに衛兵を連れてきてくれた。
 傷を止血してもらいながら、かいつまんで今の状況を報告する。
 何人かは、もう既に二人を追っているとのことだったから、もしかしたらすぐに捕まえられるかもしれない。
 そう思ったが。

 三人の行方は、杳として知れなくなってしまったのだった。

          ◇

 気配がした。
 レディオスは顔を上げる。
 何だ?

 王室には、何人かの大臣が訪れていた。もちろん侍女たちも何人かいる。
 こんな人払いをしにくい状態で、こんな風に気配を悟らせるようなことは、滅多にない。
 何かあったのか。
 大臣たちの話は、王城建設に対する小さな打ち合わせだ。急ぎではない。

「すまぬ。少し、席を外す」

 椅子から立ち上がり、王室を出る。
 侍女がついてこようとするが、それを手で制する。
 厠か何かかと思ったのだろう、誰も特には言ってこなかった。

 王室を出て廊下を歩いていると、背後から話し掛けられた。

「陛下」

 振り返ると、親衛隊の男が立っていた。
 立ち止まり、男に向き直る。

「何があった」
「一足、遅れました」

 その言葉を聞いた瞬間、衝動的に、壁を拳の側面で打ち付けた。
 手が、じんじんと痛む。

「おそらく、そろそろ村に常駐していた兵からの報告が上がります」
「それで」
「状況はそちらで聞かれた方がよろしいでしょう。我々は、姿を消した二人の居場所を探しますれば」
「わかった。頼んだぞ」
「御意」

 男の脇を通り抜け、王室に向かって歩く。
 振り返れば男はきっともういない。そしてリュシイを探しに行ったはずだ。
 遅かった。甘かった。

 おそらく、ライラという女は主犯ではない。
 リュシイの予知夢が目的ならば、傍にいれば済むことだ。彼女は予知夢を見れば必ず、当事者に忠告する。村にいる者ならば、誰でも知っていることだ。
 ライラの後ろに、誰かいる。
 いや、誰か、なのか?
 いるのは、あるいは……他国、かもしれない。
 いや。今はそんな追及は後回しだ。
 ひとまず、リュシイが無事でいるのかどうか。この一点を考えなければ。

「陛下!」

 ばたばたと足音がして振り返る。ジャンティだった。

「お耳に入れたいことが」
「知っている」
「えっ、ああ、親衛隊を動かしておられましたか」
「詳しくは聞いてはおらぬ。状況説明を」
「はい」

 王室に入ると、全員に退室を命ずる。
 何ごとかが起こったというのは分かっただろうが、誰も何も聞いてこなかった。
 入室するときに侍女たちが怯えたように後ずさったから、今、自分がどんな表情をしているのかは分かったような気がした。

 誰もいなくなって、王室の扉が閉まってから、ジャンティは書類をバサッと机上に広げた。

「セオ村ではなく、エンリルです。そこで消えました」
「連れ去ったのは、ライラという女でいいのか?」
「そうです。でも、一人ではありません」
「協力者がいるのか」
「最低でも一人」

 自分でも、書類に目を通す。
 リュシイは度々、ライラについてエンリルに足を踏み入れていたらしい。必ず兵士が一人は付き添っていたようなのだが、慣れてきたところで、ライラに裏切られた。
 最低でも一人、という協力者は、ライラの弟のバーダン。兵士を斬りつけて、逃亡。
 すぐさま街の入り口を閉鎖して、エンリルの中を捜索したが、二人の姿は見えず。

 当然、リュシイの行方も知れない。

「いったい何をやっていたんだ!」

 ドン、と机上を思い切り拳で叩く。
 だが冷めたような声が降ってきた。

「彼らの任務は、セオ村の統治。リュシイ殿の護衛は、あくまで付随したものでしかありません」
「……何だと?」

 その冷静な声に、顔を上げる。

「違いますか?」

 しばらく睨み合いを続ける。
 少しして、ジャンティは目をそらしてため息と共に言った。

「甘かったのです。私も、陛下も。我々の失態です。兵士を責めるのはお門違いというものです」

 その言葉に言い返せずに、椅子にどっと深く座ると、天井を仰ぎ見る。

「そうか、……そうだな」
「親衛隊は、何と言っているのです?」
「今はリュシイの居場所を探っている」

 レディオスの返事に、ジャンティはほっと息を吐いた。

「それはようございました。彼らなら、すぐに見つけてくれるでしょう」
「それなら……いいが」

 そう上手く事が運ぶだろうか。
 落ち着かない。
 確かに彼らの能力を信じてはいるのだが。

「陛下、大丈夫です。黒幕が誰だろうと何だろうと、間違いなく彼女の能力を必要としているはずです。だとしたら、命の保証はされている」
「そうだろうが……」

 だが、痛い目に遭っていないだろうか。泣いてはいないだろうか。身近な人間に騙されて、傷ついてはいないだろうか。

「大丈夫です。まずは落ち着いて、策を練らなければ。私もついておりますから」
「ああ……」

 いつになく、ジャンティが優しい声音で語り掛けてくる。
 その声が、心の奥底で凍っていた何かを解かしたような気がした。

 ああ。
 彼女を抱き締めて、決して離してはいけなかった。
 この腕の中で、守っていなければならなかった。
 遠いところにいても彼女が幸せであれば、などと、自分自身に対する詭弁でしかなかった。
 自分の知らないところで、危険な目に遭っている。それが、胸が掻きむしられるように、苦しい。

「どうして……」

 口からそんな言葉が洩れる。
 机に肘をついて、両手で顔を覆う。

 どうして彼女を手放してしまったのだろう。

 そのことが、悔やんでも悔やみきれなかった。

          ◇

 目の前の国王が、こんな風に自分の感情を露わにしたのはいつぶりだろう、と考える。

 ああ、あれだ。
 先王が崩御した際の、あの占い師に向かって斬りつけようとした、あのとき以来だ。

 占い師という存在に依存した先王が、狩りの場所を彼に問い、その通りに動いたために、崖崩れに遭って身罷った。
 崖崩れ自体は自然現象で、占い師が引き起こしたものではない。だからその事故は、占い師のせいではない。悲しい偶然だったとしか言いようがない。

 だが、当時王子であったレディオスは彼を斬りつけようとした。止めなければ、間違いなく占い師は死んでいた。

 その後、王位継承をして、レディオスは十八歳でエイゼン国の王となった。それからもうすぐ六年になる。
 もちろんそれからも、怒ったり笑ったりといった、いたく人間的な感情は出してはいたが、ここまで周りの状況も考えもせずに激高したのは、あれ以来。

 そうだ。
 レディオスが王子であった頃、この人は、もう少し傲岸な人物ではなかっただろうか。
 むしろ今のこの状態が、彼の素の表情ではなかったか。

 もしかしたら。
 善き王であることを周りから望まれ、そして自分でも望み。
 そうして今の、温厚で、周りの期待に応えようと自分の感情を押し殺す、そういう人格が出来上がったのではないか。
 それが悪いことだとは思わない。
 むしろ、そうしなければならなかった。

 だがリュシイへの感情を表現しなかった彼を、鈍感だという言葉で表してはならない気がする。
 王である彼が妃にする女性を自分で選んではならない、と無意識のうちに思い込んでいるのではないか。

 だから彼は言うのだ、そちらで選べ、と。
 自分の恋心を押し隠して。自分でも気づかないふりをして。

 だが、彼の本心と、周りから望まれることが、合致した。
 それはとても幸運なことだ。

「大丈夫です、必ず彼女を取り戻しましょう」

 そう言うと、レディオスは顔を上げた。そして口の端を上げる。

「そなたがそう言うと、安心するな」

 ええ、そうでしょうとも。
 この私が、この国とあなたを守ると誓ったのを、よもやお忘れではないでしょう?
 そのために、私がどれだけ全身全霊を捧げてきたのか、知らないとは言わせません。

 必ず、必ず取り戻しましょう。
 あなたの、未来の妃を。
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