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第六章

4.王城の天辺

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「これか」

 レディオスは振り向いて、努めて冷静な声音でそう尋ねた。

「は、はい」

 彼女の返事を聞くと、レディオスは深くため息をついて、その中に足を踏み入れる。

「ついて参れ」

 そう言って振り向くことなく、階段を上り始める。
 リュシイはレディオスの言葉に弾かれたように慌てて駆け寄り、壁に開いた穴の中に入ってきた。

「閉じておいてくれ」

 上から言葉を降らせる。少女が開いたままのドアをそっと押すと、音もなく扉が閉まる。意外に軽いものなのだ。外側は石造りに見せてはいるが、本当の材質は違う。
 これで外側からは、そこに穴が開いていたなどとは想像もつかない、最初の状態に戻った。
 窓はないので、扉を閉めると闇が迫ってくるものように思えるが、間接的に光を取り込んでいるので足元ははっきりと見える。

「何をしている。ついて参れ」
「あ、はい」

 きょろきょろと辺りを見回していたリュシイも、レディオスの声に顔を上げて、階段を上り始める。
 少し早足で追いつくと、斜め後ろをついてきた。

「別に秘密にする程のものではないのだが、一応、王にだけに許された場所だからな」
「では、私などが上っては……」

 不安げに問う声。前を行くレディオスは苦笑しながら言った。

「いや、気にするな。王だけ、とは言っても前王妃も……私の母だ。それからジャンティも、当時王子であった私も、上ったことがある」
「エグリーズさまも?」
「エグリーズ? いや、あいつなどにはもったいない」
「そう、ですか」

 どうやら、今名を挙げた面々では、安心できなかったらしい。少女は、おそるおそる、といった感じで階段を上ってくる。
 この階段は一体どこに繋がっているのだろう? 王にのみ許された場所とは、どんなところなのだろう?
 彼女の心の内が、聞こえてくるようだ。

「着いた」

 レディオスが短く言う。その言葉に少女は、顔を上げた。頑丈そうな木製のドアが目に入ったはずだ。
 リュシイが首を傾げている。レディオスはノブに手を掛けた。そして、扉を向こう側に押した瞬間。
 光の束が、急激に瞳に飛び込んできた。

「どうぞ」

 自分で発したその声が、柔らかく、優しさに満ちていたような気がして驚いた。
 誇らしげに宝物を自慢する少年のような、声音だった。

 少女は、何度か瞬きしてゆっくりと目を開ける。彼女の瞳に映るのは、一面の青空のはずだ。

「ああ……!」

 そう声を上げると、少女は駆け出した。
 目前に広がる、エイゼン王国。
 もちろん、全土とまではいかないが、相当の距離を見渡せる、高さ。

 展望台の端にたどり着くと、手すりに手を掛け、少女は目を細めていた。
 高さがあるからか、風が強い。視界を遮るように髪がなびく。

 ここは、王城の天辺。王のみに許された特権。
 ここから見える光景の、何と壮大なことか。広大な青空。山々の連なり。こんもりとした森も見える。悠久の川の流れも。
 身を乗り出して見下ろせば、城下の街並が見える。きっちりと並んだ民家や店舗が、玩具のようだ。

 手を伸ばして掴まえようと思えば、手の平の中に全てが収まりそうなのだろう。少女は、腕を差し出していた。
 肩越しに腕を伸ばして、少女の目の前で手すりを掴んだ。

「危ない」

 少女は、驚いたようにこちらを振り返った。

「あまり身を乗り出さない方がいい」

 少女はまじまじと彼を見つめてきた。レディオスは軽く首を傾げる。

「どうした?」
「あ、いえ……何でもありません」

 目を逸らしてまた城下に視線を落とす。
 彼女が凍り付いてしまったことに気付き、ああ、とつぶやいて、腕を引いた。

「失礼」
「い、いえ、申し訳ありません。わ、私、急に走り出してしまって」
「いや、自分が初めて連れてこられたときのことを思い出したよ」

 言いながらはレディオスは、二、三歩下がった。

「どう思った?」
「えっ?」

 急に問われて、質問の意図が分からなかったのだろう。なんと言えばいいのか、とおろおろしている。
 苦笑しながら彼は続けた。

「この風景を見て、どう思った」
「ああ」

 リュシイは答える。

「とても素晴らしい風景と思います」
「そうだろう」

 レディオスはうなずいた。

「まるで、エイゼンが自分のものになったような気にならないか」
「ええ、まあ……」

 少女はその考えを否定しなかった。
 けれど国王の面前でその言葉を口にするのは憚られたのだろう。少女は言葉を捜すようにして答えた。

「もちろん、ここは陛下にのみ許された場所。エイゼンは陛下のものでございましょう」
「違うな」
「えっ」

 間髪いれずに答える。
 返答を間違ったのかと、少女はうろたえている。レディオスは構わず続けた。

「戦乱の世ならいざ知らず、平和な日々が続く我が国を、国王一人のものだなどとはおこがましい。私は、代々続く絶対王制の中で即位した王。自分の力で得た国ではない」

 少女は、ただ彼の言葉に耳を傾けている。
 レディオスは目前に広がる光景に、目を細めた。

「私のしなければならない仕事はただ一つ。この光景を守ること」

 そう言って、リュシイの方へ振り返った。

「リュシイ」
「はい」

 少女は呼ばれて、ぴくりと身体を震わせた。

「遷都は、できぬ」
「どうして、ですか……?」

 少女の瞳に失望が浮かぶ。

「遷都をしても国民を守ることはできない」
「でも!」

 異論を唱えようとするリュシイの言葉を遮って、彼は続けた。

「仮に、遷都をしたとしよう。それで、何人の人間が動くだろう?」
「え……」
「経済的な事情で動けない者もいるだろう。国からの支援にも限界がある。また、裕福な者でも土地そのものに執着する者もいる。遷都をしたところで、全ての人を震災から救うことはできない。むしろ、分散して救助しにくくなる方が恐ろしいと思うが」
「ああ……」

 レディオスの言葉に、少女は何か思い当たる節があったのか、うなずいた。

「そう、ですね。私ったら、考えなしで」

 言って、頭を下げた。

「申し訳ありません」
「いや、安心した」

 それでも遷都を要望したなら、これからの対応が変わってくることになっただろう。
 追い出すだけでは、済まなかった。

「遷都そのものが目的ではないようだ」
「知ってしまったから……考えたんですけど……及びませんでした……」

 それだけ言って、黙り込んでしまう。

「悪いが、私は予言や占いを信じる気にはならないのだ。それだけは、言っておく」

 少女は小さくうなずいて、俯く。
 ひとまず彼女と対話しよう、と思った。
 そうすれば、いくらかは彼女のことがわかるかもしれない。

「いつから、予知夢を?」

 ゆっくりと顔を上げ、少女は言う。

「まだ幼い頃です。五歳のときでした」
「ずいぶんはっきりと覚えているのだな」
「最初の予知夢は、両親の事故でしたから」

 風の音が、二人を包む。

「止めました。行かないでと泣きました。でも、子どもの言うことだったから、聞いてはもらえませんでした」

 風のせいなのだろうか。少女の声が、小刻みに震えているように聞こえた。

「あのとき、ちゃんと止められたら、と何度も考えます」

 そうして目を閉じて、大きく息を吐いた。
 少しおいてから、じっとレディオスのほうを見つめてくる。

「でも、止めても助かったかどうかはわかりません。私は数々の予知夢を見ましたが、だからと言って、止められたことはないんです。特に、悪い夢は」
「止められたことがない?」

 だとしたら、村からの報告は何だったのか。ならばなぜ彼女は神と崇められていたのか。

「例えばエグリーズさまの場合ですが、あのときは崖下に誰かが倒れている、という夢を見ました。その人が無事かどうかはわからなかった。もし既に息をひきとっておられたら、どうしようもなかった」
「……なるほど」
「私の夢は絶対です。外れたことなんてない。でも、見えていないところなら、わからない」

 少女はそこで、なぜか少し目を逸らした。

「王城が崩れ去る夢は見ましたが、もし誰も中にいなかったら? そこまでは見えませんでした」
「だから、遷都か」
「そうです。私には何もできないけれど、陛下なら。この国で一番力のある方なら、この悲劇を止められるかもしれないと思ったのです」
「わかった」

 少女の言葉にうなずく。少女は少し驚いたように、目を見開いた。

「正直言って、まだ予言とやらは信じていないが、約束しよう。もし地震が起きたなら、できるだけ被害を最小限に留めるということを」

 すると少女はぱっと表情を輝かせた。

「ありがとうございます!」

 嬉々とした声を上げる。
 そう無邪気に喜ばれると、なんとなく居心地が悪い。思わず目を逸らしてしまう。こちらは、疑いの目しか持っていなかったのに。

「しかし、そなたも無防備だな」
「え?」
「大地震が起きるなどと、よく口にできたものだ。悪戯に人心を乱した、と言われて斬られることだって有り得る。人目につかないところに連れて来られることに不安はなかったのか?」
「ああ、そう言われると、そうかもしれませんね」

 国や時代が違えば、当然のように行なわれていたかもしれない、処刑。

「でも、陛下はなさらないのでしょう?」

 そう少女が微笑む。思わず、小さくため息をついた。

「買い被りだ」
「そうでしょうか?」

 左手が、腰のあたりを探った。そう、買い被りだ。
 少女はきょとん、として首を傾げている。
 レディオスは気を取り直したように、再び口を開く。

「それに、もし本当に地震が起きなければ、有り得る話だ」
「覚悟しております。それに、震災が起きなければその方がいいのですもの」
「いい覚悟だ。では、そのときまで城に留まるがいい」
「あ、はい。かしこまりました」

 そう言って少女は頭を下げる。
 なんだろう。彼女に対する警戒心が、少し、溶けた気がした。
 姫だの女神だの死神だの、そういった呼称が、どうにも彼女に当てはまらない。
 いやもちろん、少女が詐欺師であったり妄想家だったりする可能性がまだ潰えたわけではないから、警戒は必要なのだが。

 必要以上に、怖がっていたのかもしれない。
 この、少女を。
 思わず、笑いが洩れた。
 少女は、おずおずと顔を上げてくると、上目遣いでこちらを見たかと思うと、ぱっと目を逸らす。

「なんだ?」
「いっ、いえ、なんでもない……です」
「では、帰ろうか。あまり長くいると、部屋を空けていることがばれてしまう」

 言いながら、ドアに向かって歩き出す。少女は慌てて小走りで彼の後を追ってきた。
 階段を降りながら、思う。
 いずれにせよ、これからやらなければならないことは、決まった。
 それだけで収穫だ、と思った。
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