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第五章
2.国王の崩御
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それは、まだレディオスが『殿下』と呼ばれていた頃のことだ。
城にはおかかえの占い師がおり、城勤めの者は皆、隙あらば彼の言葉を聞こうとしていた。
侍女たちがきゃあきゃあ言いながら彼の周りに群がるのを、何度見かけたことだろう。
「あなたは見かけと違い、人一倍寂しがりやですね」
「とても純粋で、傷つきやすい一面を持っています」
そんな誰にでも当てはまるようなことを言われて、喜ぶ女性たちの気持ちがわからなかった。同時に、そんな占い師が胡散臭く思えていた。
が、彼の父親である国王は、占い師を崇拝しきっていた。
それはとても危ういことのように感じられた。
「エイゼンは未来永劫の繁栄を約束されている」などと言われて浮かれている様は、レディオスから見て心地よいものではなかった。
幾人かは王に対して占い師の扱いを進言したのだが、王は聞く耳を持っていなかった。
おそらくレディオスが何を言ったとしても、耳を貸すまい。むしろ頑なになってしまうような気がした。
それがわかっていたから、占い師については口を閉ざしたままでいた。
「おまえが生まれる前にこの方は、生まれてくるのが聡い男子であることを予言なさっていたのだ」
初めて占い師に引き合わされたとき、機嫌の良い様子で、父は言った。
馬鹿馬鹿しい。二分の一の確率ではないか。
皮肉にも予言の通り、「聡い男子」であったレディオスは、そう心の中でつぶやいた。
それからレディオスは占い師の言葉を注意深く聞くようになった。
そしていつも曖昧な言い方をしていることに気付いた。もし外れたとしても、逃げ道があるような言い方だ。
彼は占い師ではなかった。人の心を読むのに長けた者だったのだ。
望む言葉を与えれば、自ずと向上していく人もいる。そして願いが叶うこともある。
また、弱った心に癒しを与えることもある。
そういうことを考えれば、彼がまったくの悪という訳ではないように思われるが、レディオスには彼を好意的に見ることはできなかった。
それは、予感だったのかもしれない。
これから起こる、哀しい出来事の。
◇
定例となっていた、賓客を招いての狩りの日。王族や貴族が数多く王城に集まり、皆が浮かれた様子で言葉を交わしていた。
国王であるレディオスの父も、その中にいて皆と何ごとかを話し合っていた。軽い頭痛がしていたために、狩りの参加を遠慮していたレディオスは、人々に挨拶だけをして回っていた。
そして、父が占い師の姿を見つけて歩み寄るのを見かけた。
レディオスも二人に近付く。なぜか嫌な予感がしたからだ。
そして父がこう言ったのを聞いた。
「実は今、迷っているのです」
「ほう、何でしょう」
「西のドレーフ山、東のセイル山、どちらが本日の狩りに相応しい場かと」
「ふむ」
占い師は考え込むと、したり顔をして言い切った。
「本日は陛下にとっては東が吉と出ております。そちらに行かれた方が、より陛下のお力を発揮することができるでしょう」
「なるほど、東ですな」
父は、満足げに何度もうなずいた。そして進言された通り、東に向かっていったのだ。それが、間違いだとも気付かずに。
どうしてあのとき、止めなかったのだろう。
それを思うと、今でも後悔の念に苛まれる。
けれど、東であれ西であれ、さして違いはないように思われた。占い師の言葉に意見を挟むことなどないと感じられたのだ。
だが、それが過ちだと気付いたのは、ほんの数刻の後だ。
従者の一人が早馬に乗って、慌てふためいて城内に飛び込んで来た。
「崖崩れが……!」
彼は、それだけ言った。何か大変なことが起きたことは分かった。城内に残っていたジャンティがすぐさま隊を編成して、救助に向かわせた。
しかしレディオスにはただ、城に残って祈るしかできなかった。ジャンティは現場に向かったが、強引に城を出ようとするレディオスを引き止め、連れていってはくれなかったのだ。
日が暮れる頃、城門の女神像の下をくぐって城に帰ってきたのは、屍となった父であった。
他の王族や貴族の中にも巻き込まれた者がいた。
けれど国王の崩御を前にして、声高に哀しみを叫ぶこともできず、ただ呆然としていた遺族の顔が印象的だった。
自分もそんな顔をしているのだろうか、と思った。そんな、生気も何もかも失われた、人形のような顔を。
遺体が並べられた広間は静寂に包まれていた。ときどき、誰かのすすり泣く声がしたが、どこか遠い世界の音のような気がした。
どこかの部屋から持ってこられた、父の寝かされているベッドの横に立つ。
清拭はされているようではあったが、傷だらけで、あちらこちらに乾いた血のあとがある。
目は閉じられてはいたが、安らかな死に顔、とはとても言えなかった。
しゃがみ込んでその顔を眺める。
そうしていても、父の死が現実のものとはどうしても思えなかった。涙の一筋も流れてこない。
これが本当に、エイゼン国王の死に様なのだろうか。
「陛下……?」
その声に顔を上げる。
母だった。ここのところ寝込むことが多かった母は、侍女に両脇を抱えられ、父の遺体の傍までやってきた。
「どうして……陛下……」
呆然とその死に顔を、ただ見下ろしている。
その瞳が、ふと、レディオスの方に向けられた。
「殿下……、嘘……でしょう? わたくしを……謀って、いるのよね……?」
何も答えられなくて、目を逸らす。
「嘘よ、嘘だわ、陛下が、こんな……!」
その叫ぶような声が、耳に痛い。
「妃殿下!」
母はそのまま気を失った。慌てたようにその場にいた侍女や侍従が一斉に駆け寄ってきた。
母が皆に抱えられて広間から運ばれていく。
その光景も、どうしても現実とは思えず、ただぼうっと眺めるばかりだった。
広間に静寂が戻る。
誰も彼もが呆然として、まるで時間が止まっているかのようだった。
「ああ、何ということでしょう!」
その静寂を打ち破ったのは、忌々しい、耳障りな声。
声の持ち主は、死者たちに恭しく祈りを捧げている。
レディオスはつかつかと足早に彼に歩み寄り、低い声で言った。
「どういうことだ、東が吉ではなかったか」
占い師は眉間に手をやり、数度首を横に振った。
「確かに、私はそう申しました。それは神からの啓示が私の目に映ったからです。けれど私は神の真の意図には気付けなかった」
「真の意図?」
眉根を寄せてそう言うと、占い師は深くうなずいて、言い放った。
「神は、自身の国に陛下を連れていかれたのです。もちろん、他の方々も同様です。今回亡くなられた方を、神は必要とされていた」
それを聞いた瞬間、レディオスは腰に佩いた長剣の柄に手を乗せた。
それに気付いた占い師が一瞬身じろぎしたのが目に入ったが、目の前に何者かが飛び込んできたため、すぐに見えなくなった。
「お静まり下さい、殿下」
低い声でそう言ったのは、ジャンティだった。
「……離せ」
レディオスが引き抜こうとする剣を、片手で押さえ込んでいる。しかも、既に少しばかり刃が鞘から出ているのに、それも一緒にだ。
初老である彼のどこにこんな力があったのだろうと思わせるほど、強い力だった。
ジャンティの手の中から、血が一滴、ぽとりと床に流れ落ちた。
「誰も気付いておりません。今なら間に合います。その手を剣からお離し下さい」
ちらりとその辺りを盗み見ると、誰も彼も自身の家族の遺体に気を取られ、王子の乱心には気付いていないようだった。
「嫌だと言ったら?」
「嫌でも何でも、その手を離していただきます。陛下亡き今、次なる国王はあなたしかいないのです。こんなところで人を殺めさせる訳には参りません。それでは陛下に申し訳が立たないでしょう」
その囁くような低い声音を聞いて、自分の腕から力が抜けるのを感じた。その様子を見て、ジャンティも手を離した。
とん、と剣の鍔が鞘に当たって小さな音をたてる。
レディオスが顔を上げると、占い師は変わらずに突っ立っていた。彼の表情から怯えは感じられない。中々気丈な男であるらしい、と妙なところで感心した。
「追って沙汰は伝える。待機しておくよう」
やっとの思いでそれだけ言うと、大きく息をしてから、気持ちを落ち着かせる。占い師は深く頭を下げた。
城にはおかかえの占い師がおり、城勤めの者は皆、隙あらば彼の言葉を聞こうとしていた。
侍女たちがきゃあきゃあ言いながら彼の周りに群がるのを、何度見かけたことだろう。
「あなたは見かけと違い、人一倍寂しがりやですね」
「とても純粋で、傷つきやすい一面を持っています」
そんな誰にでも当てはまるようなことを言われて、喜ぶ女性たちの気持ちがわからなかった。同時に、そんな占い師が胡散臭く思えていた。
が、彼の父親である国王は、占い師を崇拝しきっていた。
それはとても危ういことのように感じられた。
「エイゼンは未来永劫の繁栄を約束されている」などと言われて浮かれている様は、レディオスから見て心地よいものではなかった。
幾人かは王に対して占い師の扱いを進言したのだが、王は聞く耳を持っていなかった。
おそらくレディオスが何を言ったとしても、耳を貸すまい。むしろ頑なになってしまうような気がした。
それがわかっていたから、占い師については口を閉ざしたままでいた。
「おまえが生まれる前にこの方は、生まれてくるのが聡い男子であることを予言なさっていたのだ」
初めて占い師に引き合わされたとき、機嫌の良い様子で、父は言った。
馬鹿馬鹿しい。二分の一の確率ではないか。
皮肉にも予言の通り、「聡い男子」であったレディオスは、そう心の中でつぶやいた。
それからレディオスは占い師の言葉を注意深く聞くようになった。
そしていつも曖昧な言い方をしていることに気付いた。もし外れたとしても、逃げ道があるような言い方だ。
彼は占い師ではなかった。人の心を読むのに長けた者だったのだ。
望む言葉を与えれば、自ずと向上していく人もいる。そして願いが叶うこともある。
また、弱った心に癒しを与えることもある。
そういうことを考えれば、彼がまったくの悪という訳ではないように思われるが、レディオスには彼を好意的に見ることはできなかった。
それは、予感だったのかもしれない。
これから起こる、哀しい出来事の。
◇
定例となっていた、賓客を招いての狩りの日。王族や貴族が数多く王城に集まり、皆が浮かれた様子で言葉を交わしていた。
国王であるレディオスの父も、その中にいて皆と何ごとかを話し合っていた。軽い頭痛がしていたために、狩りの参加を遠慮していたレディオスは、人々に挨拶だけをして回っていた。
そして、父が占い師の姿を見つけて歩み寄るのを見かけた。
レディオスも二人に近付く。なぜか嫌な予感がしたからだ。
そして父がこう言ったのを聞いた。
「実は今、迷っているのです」
「ほう、何でしょう」
「西のドレーフ山、東のセイル山、どちらが本日の狩りに相応しい場かと」
「ふむ」
占い師は考え込むと、したり顔をして言い切った。
「本日は陛下にとっては東が吉と出ております。そちらに行かれた方が、より陛下のお力を発揮することができるでしょう」
「なるほど、東ですな」
父は、満足げに何度もうなずいた。そして進言された通り、東に向かっていったのだ。それが、間違いだとも気付かずに。
どうしてあのとき、止めなかったのだろう。
それを思うと、今でも後悔の念に苛まれる。
けれど、東であれ西であれ、さして違いはないように思われた。占い師の言葉に意見を挟むことなどないと感じられたのだ。
だが、それが過ちだと気付いたのは、ほんの数刻の後だ。
従者の一人が早馬に乗って、慌てふためいて城内に飛び込んで来た。
「崖崩れが……!」
彼は、それだけ言った。何か大変なことが起きたことは分かった。城内に残っていたジャンティがすぐさま隊を編成して、救助に向かわせた。
しかしレディオスにはただ、城に残って祈るしかできなかった。ジャンティは現場に向かったが、強引に城を出ようとするレディオスを引き止め、連れていってはくれなかったのだ。
日が暮れる頃、城門の女神像の下をくぐって城に帰ってきたのは、屍となった父であった。
他の王族や貴族の中にも巻き込まれた者がいた。
けれど国王の崩御を前にして、声高に哀しみを叫ぶこともできず、ただ呆然としていた遺族の顔が印象的だった。
自分もそんな顔をしているのだろうか、と思った。そんな、生気も何もかも失われた、人形のような顔を。
遺体が並べられた広間は静寂に包まれていた。ときどき、誰かのすすり泣く声がしたが、どこか遠い世界の音のような気がした。
どこかの部屋から持ってこられた、父の寝かされているベッドの横に立つ。
清拭はされているようではあったが、傷だらけで、あちらこちらに乾いた血のあとがある。
目は閉じられてはいたが、安らかな死に顔、とはとても言えなかった。
しゃがみ込んでその顔を眺める。
そうしていても、父の死が現実のものとはどうしても思えなかった。涙の一筋も流れてこない。
これが本当に、エイゼン国王の死に様なのだろうか。
「陛下……?」
その声に顔を上げる。
母だった。ここのところ寝込むことが多かった母は、侍女に両脇を抱えられ、父の遺体の傍までやってきた。
「どうして……陛下……」
呆然とその死に顔を、ただ見下ろしている。
その瞳が、ふと、レディオスの方に向けられた。
「殿下……、嘘……でしょう? わたくしを……謀って、いるのよね……?」
何も答えられなくて、目を逸らす。
「嘘よ、嘘だわ、陛下が、こんな……!」
その叫ぶような声が、耳に痛い。
「妃殿下!」
母はそのまま気を失った。慌てたようにその場にいた侍女や侍従が一斉に駆け寄ってきた。
母が皆に抱えられて広間から運ばれていく。
その光景も、どうしても現実とは思えず、ただぼうっと眺めるばかりだった。
広間に静寂が戻る。
誰も彼もが呆然として、まるで時間が止まっているかのようだった。
「ああ、何ということでしょう!」
その静寂を打ち破ったのは、忌々しい、耳障りな声。
声の持ち主は、死者たちに恭しく祈りを捧げている。
レディオスはつかつかと足早に彼に歩み寄り、低い声で言った。
「どういうことだ、東が吉ではなかったか」
占い師は眉間に手をやり、数度首を横に振った。
「確かに、私はそう申しました。それは神からの啓示が私の目に映ったからです。けれど私は神の真の意図には気付けなかった」
「真の意図?」
眉根を寄せてそう言うと、占い師は深くうなずいて、言い放った。
「神は、自身の国に陛下を連れていかれたのです。もちろん、他の方々も同様です。今回亡くなられた方を、神は必要とされていた」
それを聞いた瞬間、レディオスは腰に佩いた長剣の柄に手を乗せた。
それに気付いた占い師が一瞬身じろぎしたのが目に入ったが、目の前に何者かが飛び込んできたため、すぐに見えなくなった。
「お静まり下さい、殿下」
低い声でそう言ったのは、ジャンティだった。
「……離せ」
レディオスが引き抜こうとする剣を、片手で押さえ込んでいる。しかも、既に少しばかり刃が鞘から出ているのに、それも一緒にだ。
初老である彼のどこにこんな力があったのだろうと思わせるほど、強い力だった。
ジャンティの手の中から、血が一滴、ぽとりと床に流れ落ちた。
「誰も気付いておりません。今なら間に合います。その手を剣からお離し下さい」
ちらりとその辺りを盗み見ると、誰も彼も自身の家族の遺体に気を取られ、王子の乱心には気付いていないようだった。
「嫌だと言ったら?」
「嫌でも何でも、その手を離していただきます。陛下亡き今、次なる国王はあなたしかいないのです。こんなところで人を殺めさせる訳には参りません。それでは陛下に申し訳が立たないでしょう」
その囁くような低い声音を聞いて、自分の腕から力が抜けるのを感じた。その様子を見て、ジャンティも手を離した。
とん、と剣の鍔が鞘に当たって小さな音をたてる。
レディオスが顔を上げると、占い師は変わらずに突っ立っていた。彼の表情から怯えは感じられない。中々気丈な男であるらしい、と妙なところで感心した。
「追って沙汰は伝える。待機しておくよう」
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