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第一章
3.隣国の友人
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女神像の下をくぐり帰城すると、国王と賓客の帰りを待っていた侍従や侍女たちが、一様にほっとしたような表情を浮かべて隊を出迎えた。
馬の背に乗せられた『女神』の手当てや、馬の帰厩は彼らに任せて、湯浴みに向かう。
どこもかしこもずぶ濡れで、歩くと靴の中で水が泳いで気持ちが悪い。
積もる話はさておき、身を清めに向かう。もちろん彼らは国王と賓客であるから、それぞれの専用の湯に向かった。
先に上がったのは、レディオスだった。湯浴みを手伝う侍従たちには止められたが、エグリーズの意味深な言葉たちが気になって、ゆるりとはしていられなかった。
レディオスは、王室で彼を待つことにした。エグリーズも身を清めればここに来るだろう。
王室に隣接された控えの間で談笑していた王付きの侍女たちが、レディオスの姿を見ると、一緒に入室してきた。
一人で考え事をしたいときもこうして付いてくるのでうんざりしていたが、近頃では慣れてきた。侍女たちのことは完全に無視して、来客用のソファに座る。
あの女は、いったい何者なのだ?
膝の上に右腕を乗せ、手の平に顎を預けて考え込む。
エグリーズは、彼女を『姫』と呼んでいた。であるならば、どこぞの国の王女ということなのだろうか。しかしもしそうであるならば、顔くらいは知っていてもよさそうなものだ。それに、近隣諸国にあれくらいの年頃の姫は心当たりがない。ジャンティが何度も嘆いていたので間違いないだろう。
それでなくともあの美貌。噂になっていてもおかしくはない。
では、単なる一般国民なのだろうか。
彼女はあのとき、『陛下』と言った。聞き間違いなどではない。確かにそう呼んだ。となれば、彼女はレディオスを見知っているということだろう。
しかし、一度見た人の顔を記憶するのは得意だと自負しているレディオスも、彼女の顔には一向に見覚えがない。一方的に向こうが知っているだけなのだろうか。けれど、そんなことが果たしてあり得るだろうか。
一般国民が国王を間近に見るなど、滅多にないことだ。レディオスが即位してから五年。なおさらその確率は低い。
「まあ、陛下。難しい顔をなさって」
そんな声に思考を中断され、顔を上げる。
王付きの侍女たちが三人、優雅に微笑んでそこにいた。一人の侍女は手拭いを広げて持っている。
「まだ御髪が濡れていらして」
言いながら、持っていた手拭いをレディオスの頭に乗せた。
「いや、いい。自分でやるから」
「でも」
「ありがとう、貰っておく」
慌てて侍女から手拭いをひったくる。
放っておいてくれ。
そう言いたいのは山々だが、彼女らの機嫌を損ねると後々面倒なことになる。
王付きの侍女たちは、ほとんどが重臣の娘、でなければ近しい親族である。レディオスの一挙一動はすべて彼女たちを通して、重臣たちに筒抜けのはずだ。
重臣たちの真意はさておき、彼女たちにとっても王付きとは光栄な立場のようだ。顔ぶれが変わることはほとんどなく、王付きを希望するものがひきもきらない。選ばれた侍女は、我先にと国王の機嫌を取りに伺う。
慣れてきたとはいえ、いい加減、彼女たちの過保護にはうんざりしてきていた。いったい重臣たちに何を吹き込まれているのだろう。想像するだに恐ろしい。
ふと、王室の入り口がざわついて、レディオスは顔を上げる。
「やあ、待たせたな」
侍女に導かれ、能天気な笑顔と声でエグリーズが入室してくる。ぐるりと侍女たちを見渡して口を開いた。
「エイゼン王室に入るときはいつも緊張してしまうな。これだけの美女が並んでいる様は壮観だ」
そう平然と言ってのけ、レディオスの向かいに腰掛ける。
「まあ」
「口がお上手でいらっしゃること」
侍女たちがエグリーズの言葉に、ほほ、と優雅に笑う。いくらお世辞とはいえ、言われて悪い気はしないようだ。
とてもじゃないが、真似できない。したくもない。
おそらく、ここだけではない。ありとあらゆるところ……クラッセ城でも、名詞を変えて同じことを言っているはずだ。簡単に想像できるのが彼らしいと言おうか。
「エグリーズ。訊きたいことがあるのはわかるな?」
尚も侍女たちに微笑みを振りまくエグリーズを制するように、そう言う。彼はその言葉に振り向いた。
「もちろん。何なりと」
「単刀直入に訊こう。彼女は何者なのだ?」
すると彼は、少し身を乗り出すように言った。
「気になるか?」
「当たり前だろう。路上に行き倒れていた人間が、そなたの知り合いで『女神』だと言う。しかも私の顔を見知っているようだった。気にならないと言うほうが嘘だろう」
「そういう意味で言ったのではないのだが」
つまらなそうにそうつぶやくと、肩をすくめる。そして、言った。
「彼女の名はリュシイ。私の女神だ」
「いや……そういうことではなく……」
自信満々に言うエグリーズの言葉に頭を抱えてしまいたくなる。
「では、どういったことだ?」
レディオスの思いを知ってか知らずか、エグリーズは軽く首を傾げてみせた。それを見て、レディオスも質問を変えてみる。
「そうだな。彼女はそなたとどういう関係だ?」
「何って、だから女神と」
「そういうことを訊いているのではない。わかっていて言っているな?」
軽く睨んでみせると、エグリーズは肩をすくめて、それからにやりと笑った。
「長くなるぞ」
馬の背に乗せられた『女神』の手当てや、馬の帰厩は彼らに任せて、湯浴みに向かう。
どこもかしこもずぶ濡れで、歩くと靴の中で水が泳いで気持ちが悪い。
積もる話はさておき、身を清めに向かう。もちろん彼らは国王と賓客であるから、それぞれの専用の湯に向かった。
先に上がったのは、レディオスだった。湯浴みを手伝う侍従たちには止められたが、エグリーズの意味深な言葉たちが気になって、ゆるりとはしていられなかった。
レディオスは、王室で彼を待つことにした。エグリーズも身を清めればここに来るだろう。
王室に隣接された控えの間で談笑していた王付きの侍女たちが、レディオスの姿を見ると、一緒に入室してきた。
一人で考え事をしたいときもこうして付いてくるのでうんざりしていたが、近頃では慣れてきた。侍女たちのことは完全に無視して、来客用のソファに座る。
あの女は、いったい何者なのだ?
膝の上に右腕を乗せ、手の平に顎を預けて考え込む。
エグリーズは、彼女を『姫』と呼んでいた。であるならば、どこぞの国の王女ということなのだろうか。しかしもしそうであるならば、顔くらいは知っていてもよさそうなものだ。それに、近隣諸国にあれくらいの年頃の姫は心当たりがない。ジャンティが何度も嘆いていたので間違いないだろう。
それでなくともあの美貌。噂になっていてもおかしくはない。
では、単なる一般国民なのだろうか。
彼女はあのとき、『陛下』と言った。聞き間違いなどではない。確かにそう呼んだ。となれば、彼女はレディオスを見知っているということだろう。
しかし、一度見た人の顔を記憶するのは得意だと自負しているレディオスも、彼女の顔には一向に見覚えがない。一方的に向こうが知っているだけなのだろうか。けれど、そんなことが果たしてあり得るだろうか。
一般国民が国王を間近に見るなど、滅多にないことだ。レディオスが即位してから五年。なおさらその確率は低い。
「まあ、陛下。難しい顔をなさって」
そんな声に思考を中断され、顔を上げる。
王付きの侍女たちが三人、優雅に微笑んでそこにいた。一人の侍女は手拭いを広げて持っている。
「まだ御髪が濡れていらして」
言いながら、持っていた手拭いをレディオスの頭に乗せた。
「いや、いい。自分でやるから」
「でも」
「ありがとう、貰っておく」
慌てて侍女から手拭いをひったくる。
放っておいてくれ。
そう言いたいのは山々だが、彼女らの機嫌を損ねると後々面倒なことになる。
王付きの侍女たちは、ほとんどが重臣の娘、でなければ近しい親族である。レディオスの一挙一動はすべて彼女たちを通して、重臣たちに筒抜けのはずだ。
重臣たちの真意はさておき、彼女たちにとっても王付きとは光栄な立場のようだ。顔ぶれが変わることはほとんどなく、王付きを希望するものがひきもきらない。選ばれた侍女は、我先にと国王の機嫌を取りに伺う。
慣れてきたとはいえ、いい加減、彼女たちの過保護にはうんざりしてきていた。いったい重臣たちに何を吹き込まれているのだろう。想像するだに恐ろしい。
ふと、王室の入り口がざわついて、レディオスは顔を上げる。
「やあ、待たせたな」
侍女に導かれ、能天気な笑顔と声でエグリーズが入室してくる。ぐるりと侍女たちを見渡して口を開いた。
「エイゼン王室に入るときはいつも緊張してしまうな。これだけの美女が並んでいる様は壮観だ」
そう平然と言ってのけ、レディオスの向かいに腰掛ける。
「まあ」
「口がお上手でいらっしゃること」
侍女たちがエグリーズの言葉に、ほほ、と優雅に笑う。いくらお世辞とはいえ、言われて悪い気はしないようだ。
とてもじゃないが、真似できない。したくもない。
おそらく、ここだけではない。ありとあらゆるところ……クラッセ城でも、名詞を変えて同じことを言っているはずだ。簡単に想像できるのが彼らしいと言おうか。
「エグリーズ。訊きたいことがあるのはわかるな?」
尚も侍女たちに微笑みを振りまくエグリーズを制するように、そう言う。彼はその言葉に振り向いた。
「もちろん。何なりと」
「単刀直入に訊こう。彼女は何者なのだ?」
すると彼は、少し身を乗り出すように言った。
「気になるか?」
「当たり前だろう。路上に行き倒れていた人間が、そなたの知り合いで『女神』だと言う。しかも私の顔を見知っているようだった。気にならないと言うほうが嘘だろう」
「そういう意味で言ったのではないのだが」
つまらなそうにそうつぶやくと、肩をすくめる。そして、言った。
「彼女の名はリュシイ。私の女神だ」
「いや……そういうことではなく……」
自信満々に言うエグリーズの言葉に頭を抱えてしまいたくなる。
「では、どういったことだ?」
レディオスの思いを知ってか知らずか、エグリーズは軽く首を傾げてみせた。それを見て、レディオスも質問を変えてみる。
「そうだな。彼女はそなたとどういう関係だ?」
「何って、だから女神と」
「そういうことを訊いているのではない。わかっていて言っているな?」
軽く睨んでみせると、エグリーズは肩をすくめて、それからにやりと笑った。
「長くなるぞ」
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